貴! あんたの彼女! 鶴よ!
六畳の和室は濡れ縁がある窓が開け広げられ庭から涼しい風が流れ込んでくる。梅雨の晴れ間で、今日は暑い、貴は冷房が嫌いなのでクーラーを入れていないこの部屋では、この風はありがたい。カランコロンと麦茶を入れたグラスの氷が解けて音を鳴らす。
上座には私、机を挟み下座に貴と、鶴が器用に細い足を折り正座をして、並んで座っている。鶴は白く、顔の下半分と喉、翼の中側が黒く、頭が赤い、まさにザッツ鶴だ。
鶴は器用に翼で自分の横に置いてある箱を机の上に置き、風呂敷をほどく。
「つまらないものですが、お近づきのしるしに」
そう言って差し出された箱の中身は、蟹の缶詰詰め合わせだった。
ぐぬぬ、高級品である。
「鶴はね、甲殻類が好物なんだよ、自分が一番好きなものを母さんにも食べさせたいって、奮発したんだ」
と、横から余計なことを言った貴に、「もうっ、余計なこと言わないで恥ずかしいじゃない!」ってな感じで翼で脇腹を肘打ちする鶴、イチャイチャである。
イチャイチャじゃれ合う息子と鶴、目の前には高級缶詰詰め合わせ、庭から流れ込む気持ちいい風、久しぶりの正座で痺れる脚。
なんだこの空間は? 今日は息子の貴が結婚を前提におつき合いしている女性を連れてくる日ではなかったのか? なのになんだこれは? 根本的なことだが、おい鶴、お前なんで喋っているんだ? そもそもお前メスか? 百歩譲ってメスだとしても、孫とかイケるのか? できるのか生殖? 私の孫は卵から産まれるのか? それよりお前自己紹介の時「鶴です」って名乗ったがそれは種族名で固体名ではないんじゃないのか? そもそも、そもそも、そもそも、そもそも……。
むきゅう~。
ハッと目を覚ますと、あたりは暗く、私は自分のベッドで寝ていた。うん、夢だったらしい。よかったよー! 天国の義彦さん私を守ってくれてありがとだよー!
なんて思っていると、私の寝室のドアが開き、電気がつき、鶴が入ってきた。
「あ、お義母さん、目が覚めました? いきなり倒れられて、やっぱり暑かったんですかね?」
なんて言いながら、私の枕元に近づき、翼をサッと私のおでこに当てる。
「熱はないようですね、よかったです」
う、鶴の翼が、思ったよりサラサラしていて気持ちがいい。いやそんなことは後回し、夢ではなかった、やはり貴はこの鶴を結婚相手として今日うちに招いたことは現実だ。現実なのだが、現実を受け入れられない私がいる。
立ち上がり、ふらふらする体に鞭打ち、電話の子機を手に取る。
「大丈夫ですかお義母様?」
「うん大丈夫、私、少し、緊急の連絡があるから一人にしてもらっていいかしら」
「はい、」
鶴がしぶしぶ部屋から出ていったので、仙台の登美子おばちゃんに電話する。
「どったのこんな遅く電話さして」
「おばちゃん、貴が結婚したいって鶴連れてきた!」
「は!? 鶴って? あの空飛ぶ鶴け!?」
「そう! あの白くて喉が黒くて頭のてっぺん赤い鶴よ!」
「そりゃタンチョウ鶴だで……」
「種類なんてどうでもいいの! 貴が鶴と結婚したいって! 私どうしよう!」
「ん? ええんでないの? この前うちの孫の順平もロシアの人と結婚したで」
「ロシアと鶴じゃレベルが違うでしょ!?」
「いやそう変わらんしょ? 言葉全然つうじんだでに、いや鶴、日本語、喋れるけ?」
「喋れる……流暢……」
「ならロシアより上でねえ?」
「そ、そうなのかしら?」
「ああ、鶴は縁起もええで、こりゃめでたいことかもしれん」
「そ、そう?」
「あ!」
「どうしたのおばちゃん!?」
「鶴ってあれだべさ! 開けちゃなんねぇだべさ!」
「え? え、なに?」
「ほら! 『お前様、この襖を開けて、中見ちゃなんねえ』っていって機織るの! あれ鶴だべさ!」
「! 貴のお嫁さんが! 空に帰っちゃう!」
「おめえ絶対襖開けるでねえ! 強制離婚だべさ!」
「分かったわおばちゃん! 私絶対に襖開けない!」
仙台の登美子おばちゃんも「絶対開けるでねえ! 絶対だで!」と何度も念を押すので、私も「絶対開けない! 正体見ない!」と何度も誓い、電話を切ってハタと気がつく。
鶴の恩返しの鶴って、鶴って正体がばれたからいなくなったのであって、元は人間に化けて結婚する話じゃなかったかしら。
うちの鶴、元から鶴丸出しだから、この話全然関係なかったんじゃないかしら。
登美子おばちゃん、全くの役立たずだった。
しかたないので自力で解決するしかないわけだけど、解決って何よ? 「貴! 鶴と結婚なんてお母さん許しません!」とか言うの? いやそれはダメ、貴が選んで連れてきた結婚相手にケチつけるなんて、愛し合ってる二人の愛を私が引き裂くとか、どんだけ鬼婆よ、それじゃ認めるの? 貴と鶴の結婚を?
私は頭を掻きむしり「うー、義彦さん助けてー」と唸ってみるが義彦さんはすでに鬼籍なのでこれが解決にならないことは重々承知している。でも唸る以外の選択肢も思いつない。
うーうーうー。
うーうーうー。
義彦さんーうー。
何か楽しくなってきた。
う、う、うーうーうー。
よ、よ、義彦さんーうー。
うっうっうったらうー!
よっよっよしよしよしよし義彦さんヘイ!
リズムをあげながら頭を激しく左右に振り唸りラップ、略して「うなラップ」をノリノリ唸っていたらハタと視線を感じドアのほうを向くと呆然と立ち尽くしている鶴と目が合う。
「いやちがうの!」
「き、救急車っ」
「大丈夫なの! 頭の加減はおかしくなってないの!」
「お義母様! 今は良い薬もあるらしく! 家族で! 家族の力で!」
「ちがうの! 病院は! 病院はいやー!」
「お義母様! なぜ飛びかかるのですか!? 飛びかかるのですか!?」
「逃げないで鶴さん! 飛んで逃げないでー!」
「いや、二人ともなかよしだね」
コンビニ袋を下げた貴が部屋に入ってきてサッと空飛ぶ鶴を抱え、抱きしめる。
そのあまりに気障なしぐさに、「貴のくせに生意気なー!」と思いながら、少し恥ずかしいのでスカートの乱れなどを直しそしらぬふりをする。
「あ、貴、コンビニ?」
「うん、母さん倒れちゃったし、鶴が晩御飯作ってくれるっていうから、材料を買い足しに、ね」
「あらそう? でも母さんもうおきたから、作れるわよ」
「でもほら、せっかく鶴が作る気になったから、ね」
「そう! そうね! おばあちゃんの母さんが作ったご飯より可愛い可愛い鶴ちゃんのごはんのほうがおいしことでしょうよ! フンだ!」
と、どうでもいい嫁いびりを一つ挟み、精神を落ち着ける時間を作り、プリプリしながらキッチンにむかい、食卓の椅子に腰かける。
落ち着け私、ちょっとトランス状態を見られたぐらいで動揺するな私。まだ大丈夫、私は大丈夫、と、何回も自分に言いきかせているうちに、だいぶ鼓動も落ち着き、気持ちも安定してくる。ヤレる気がする。今ならヤレる気がするの私。
「今ならヤレるわ私」
「ひっ!」
「か、母さんっ!」
イヤだきいてたの、あら鶴ちゃんそんなに怯えて、ほら、こっちに座りなさいな、あら? 貴の横に座るの? 恥ずかしがり屋さんめ。
「か、母さん、目が怖い」
「貴、私は生まれつきこんな目です」
「いや母さんはそんなシモ・ヘイへみたいな狩人の目じゃなかった」
「あ~ら~そうかしら? それなら目の前に空飛ぶ獲物がいるからじゃあないかしら~」
「ぴゃっ!」
「もう、母さんあんまり鶴を怯えさせないでよ」
貴はそういうと、優しく鶴の頭を撫でる。あまりに似合わない気障すぎる貴のしぐさに、胃の内容物が外に飛び出しそうになるが、「ぐ、うぐ」と二回えずくだけでなんとかのり切った。
震える鶴、それを慰めることに精いっぱいの貴。これはチャンスかもしれない。今がヤレる私がヤリ時かもしれない。
意を決し、テーブルの上に置いてあった誰かの飲み残しである麦茶をぐいと一飲みすると、姿勢を正す。
「貴、お母さん、この結婚、すごい障害があると思うの、それをどう乗り越えるのかきかせてほしいです」
と言ってやった。
うん、すごいぞ私、言いたいことを百パーセント言えた。
ヤレる私はしっかりヤリ切った。
心の中で自分で自分をヤンヤヤンヤと褒めながら、キッと貴と鶴にきつめの視線を向けると、二人はびっくりした顔をし、意を決したように頷きあい、真剣な表情で私を見る。
「確かに母さんの言うとおり、この結婚には障害があるんだ、それは、」
「いえ貴さん私から言わせてください」
貴の言葉を遮り、鶴が喋りだす。その表情は、鶴なのにとても鬼気迫っている。
「お義母様、私、」
うんうん。
「わ、私、」
うんうん、がんばれあとちょっと。
「私、みなさんと違って、」
そうそれ、みなさんと違って、はい、その先。
「ロっ、ロシア国籍なんです」
え?
「母さん! 国際結婚になるけど! 許してもらえないだろうか!」
「お義母様! ロシア西南から空を飛んで渡ってきてからもう十年以上日本で住んでいます! 心はもう日本人のつもりです!」
「結婚と同時に帰化申請するつもりなんだ! 母さん頼む! 許してほしい!」
「お義母様! お願いします!」
登美子おばちゃん、うちの嫁もロシアでした。いやロシアとか、この際どうでもよくない? もっと大切な話があるでしょうが!
貴! あんたの彼女! 鶴よ!