貴は小説家
幸せの色は蒼で、胸の中心壇中から光線として飛び出してくる。
私は人生の中で三度、幸せの蒼光線を見たことがある。
一回目は死んだ義彦さんと新婚旅行に行った熱海の海で、格好をつけたかった義彦さんが松の木にのぼり、背中から落ちて、それを見て笑う私に、照れた笑顔を向ける義彦さんを見たとき、ぶわっと溢れ出た。
二回目は貴を生んだとき、三十年前、横浜の病院で、無痛分娩って話だったのに、全く痛くて、でも生まれた瞬間に、貴が、「みゃーみゃー」って子猫のように産声をあげたから、涙と一緒にぶわっと出た。
三回目は一昨年、義彦さんが長い闘病の末に死んで、お葬式から二ヵ月たって、なんとなく、栗と鳥と里芋の煮物を作ったら、「あ、これ、義彦さんが結婚して初めて、おいしいねって言ってくれた煮物だ」って思い出したら、どろどろどろどろと涙が目から噴き出し、立っていられなくなって、そしたら家にいた貴が、「母さん、煮物焦げちゃうよ」と、火を止め、あちあちと、菜箸で、栗を一粒食べて、「おいしいね」って言った笑顔が義彦さんそっくりで、ぶわっと出た。
そんな感じで幸せの蒼光線は胸の中心壇中から飛び出す。私は今まで生きてきて三度幸せの蒼光線を見た。これから生きていく私の人生は、これまで生きてきた私の人生より短いだろうから(なにせ私は六十七だ)、幸せの蒼光線を見る機会が、もうないかもしれないけど、私は、幸せの蒼の眩い光を三度も見れた私の人生を、そこそこ幸せな人生だったのだろうと思っている。
私はいい、私の人生は上出来の部類だろう。しかし心配事もある。そう、息子の貴だ。
貴は今年三十になる、義彦さんが貴の父親になった歳だ、しかし貴は独り身、今まで家に女の子を連れてきたこともないし、彼女ができたという話もきいたことがない。貴は母親の私から見てもそりゃいい男ではないけれど、普通? そこそこ? そう、そこそこの見てくれで、決して見ていて不快になる容姿ではないし、不潔でもないし、太ってもいない。無難だ、目は糸のように細いけど、優しい子だし、結婚できない理由が見つからない。
無職だが。
貴は無職だ、本人は働いていると言っているが、実際は働いていない。貴は自分を小説家だといい、たしかに十冊ほど本も出版しているが、家にお金を入れたためしがないので絶対に本は売れていないし儲かっていない。私の年金で食べている。つまりは無職だ。
無職、確かに結婚相手として無職はネックかも知れないが、貴には今私と二人で住んでいるこの家もあるし、義彦さんが残してくれた遺産も結構あるし(義彦さんはかなりの高給取りだった。私のささやかに自慢である)、嫁いできてくれれば、そりゃ思いっきりの贅沢はさせてあげられないが、そこそこの生活をお嫁さんにさせてあげることはできる。
貴は将来性はないが、安定性はある結婚相手のはずである。
不労収入とかあるし。
なのに、結婚できない。
スゴく心配だ。
スゴく心配なので仙台の登美子おばちゃんに電話すると、
「そりゃ無理だわ無職だし」
と、いうので、
「でも遺産があるのよおばちゃん、生活には困らないだけの」
と、言ったら、
「人間も動物だで、狩をせんオスにはメスはよってこん、働いてない男は狩をせんオスだで」
と、貴全否定。
たしかに、食べてはいけるけど、働いていないと、男は輝かない気がしてきた。そういえば義彦さんも、スーツ姿とかかっこよかったし、と思い晩御飯のとき貴に、
「貴、働いたり、したり、してみない?」
と、きくと、貴は細い目をより細め、笑い、
「いやだな母さん、僕働いてるよ、この前にシナリオ書いたゲームも結構ヒットしてるんだよ」
なんて、戯言をいい出す始末。
全く危機感がない。
確かに結婚だけが幸せの形じゃない。でも、結婚って家族を作るって作業だ、家族をふやしていくって作業だ、私は義彦さんが家族になって、貴が生まれて家族になって、とても幸せだった。私の幸せの蒼光線は、家族と共にあった。だから、貴にも、家族を増やす幸せを味わってほしいから、やっぱり結婚してほしい。ココは切り札をきるしかないようだ。
「貴、お母さんもう歳よ、早く孫の顔がみたい」
どうだ貴、この言葉は、かなり応えただろう、私も三十七でお前を生んだ身、この言葉は亡くなったお姑さんに散々言われ威力を身に染みて知っているのだ。どうだ。
「そうか……そうだよね、母さんだって孫の顔とか見たいか、そりゃそうだよね」
やはり、この言葉の威力に間違いはないようだ。貴が糸より細い目をより細くして、思案顔、そしてウンウン頷くとニカッと笑う。
「分かったよ、今度、彼女を紹介する。そろそろ結婚しようって思ってたんだ」
でー! 彼女とかいるの貴!? ほんと!? 妄想じゃなくて!?
「失礼だな母さん。つき合って二年になる。そろそろってお互い思ってたし、いい機会だよ、僕、結婚する」
そういうと貴はスマホを手に取り立ち上がり、台所の端にいって、どこかに電話しだす。
「……そう……明日……うちに……そう、母さんに……」
なんて声がきこえ、最後に「うん、愛してるよ」とか、どの顔で言ってんだよ貴って気障なセリフで〆て電話を切り、ニコニコ顔で食卓の椅子に座り直し、
「明日、彼女、挨拶に来るって」
と、私に爆弾を落とした。
明日、貴の、彼女が、我が家にくる。
私は晩御飯を続けられず、そのままお風呂も入らず歯も磨かずパジャマに着替えず布団に倒れこみ寝た。
翌日、午前十一時、我が家の玄関に一羽の鶴が貴に寄り添うように立っていた。
「初めましてお義母様、私、貴さんとおつき合いさせていただいてます鶴です。このたびはお招きいただきありがとうございます」
鶴は細長い首を起用に折り、深々と頭を下げる。
いや、行儀がしっかりとした鶴だ。いや鶴? 鶴~!?