5 弱者の生き方
私がガウスにとって足手まといだと気付いてから、自分がどうするべきか悩んでいた。
いつまでも一緒にいられない、でも一緒にいたい。捨てられたらどう生きたら良いのか分からない。どうやったら一人で生きていけるのかさえも、わからない。
安定した町の中からほんの少し外れたところでは、町の中に居を構えることができず、ゴミを漁るような生活をしている獣人達がいることを知っている。ハグレと呼ばれる彼らと私が関わることはない。でも何度か見かけたことはある。その中でも特にヒトは、その見た目だけで壮絶な生活をおくっていることが想像できた。
私が一人暮らしを始めたとして、野垂れ死ぬ自分を想像するのは簡単だった。
悩んでも私には分からなくて、だから、せめてものお膳立てをしてもらえるんじゃないかという期待と、将来的に出て行くための覚悟を決めて、ガウスに尋ねた。
「私、そろそろ出て行かなくちゃいけないのかな」
その問いかけに、ガウスから「アホか」と呆れた声で返された。
「お前、俺の庇護下から出たら、一年以内で確実に死ぬぞ。もし生き延びてるとしたら、どっかの獣人の番にされているか、娼婦だ」
「……え」
思いがけない言葉に驚いて顔を上げる。そこには、怒りを隠そうともしないガウスの顔があった。
「誰かに入れ知恵されたか? 成人したんならそろそろ出て行けって」
黙り込んだ私に、ガウスは溜息をついた。
「また言われたら、こう言い返せ。「私に死ねって言ってるのか」ってな。それからそいつには、このことを俺に伝えておくと、一言いっとけ。もちろんそいつに言うだけじゃ駄目だ。実際俺にもちゃんと報告してこいよ。お前が独り立ちしようもんなら、すぐに死ぬのは一目瞭然だ。それなのにそれを言うって事は、お前を守っている俺を、敵に回すって事だ。わかったな」
ガウスが怒っていた。
そのことにほっとした反面、でも、それじゃガウスの迷惑になってる事実は変えられないのが、苦しかった。
「でも、私が邪魔になってるのは、事実だし……」
きっとこの時、私は、大丈夫だと言って欲しかっただけだった。大切だから、邪魔じゃねぇよ、と。
なのにガウスは顔を顰めた。
「お前。怪我で不自由してるヤツが、家族の世話になってるからって、投げ出せというのが普通だと思うのか? 生活能力のない子供を、邪魔だから出て行けというのがまともだと思うのか?」
そのたとえが、私のことを言っているのは、すぐにわかった。私は怪我で不自由している者や、子供に匹敵するぐらい、弱者なのだと。
でも私は子供でもないし、健康だし。確かにヒトは、大人になっても番ができなければ家族と暮らす事が多い。群れを作るタイプの獣人なら特に。でもガウスは、赤の他人だ。
「でも、私は……」
「お前は、成人したかもしれない。だが、完全な人間の身体では、誰もが庇護が必要だと感じるだろう。普通なら絶対に独り立ちさせようとはしない。家から出すときは、結婚するときだ。つまり、お前に俺から離れろというのは、道理に反した言葉だ。その言葉が真っ当じゃないことをお前自身が自覚しろ。獣人は相手の立場に立って考えることが出来ねぇからな、自分の都合でしか物事を測らねぇ。てめぇのやる事と、他人に求めることが正反対でも、それがおかしいことに気付かねぇぐらい、単純だ。脳筋の言うことに振り回されるな。一人で生きていけない家族を放り出すヤツは、ただの外道だ。お前はくだらない罪悪感で目を曇らせるな。お前は人間だ。相手の立場に立って考えられるだけの能力がある。よく考えろ。騙されるな」
「……ガウス」
「お前の身体は、いくら年齢が成人に達していても関係ない。そのもろさは幼児に等しいことを自覚しろ。お前は賢い。獣人のように単純な理屈で動かない分、見える物は多いだろう。だが自分の能力を傲るな。年齢は身体ができあがる目安に過ぎない。成人である事はお前が家を出る何の理由にもならない。卑屈になるな。よく考えろ。その上で納得がいかなければもう一度、そう言えばいい。お前は人間だ。俺たちは本能が優先するが、人は理性が優先する。お前は俺と違う理で生きている。俺はできる限りお前に合わせてやる。だから、納得するまで俺に聞け」
真剣な顔で言ってくれて、どれだけ本気か伝わってきて、だからこそ、申し訳なさが込み上げた。
私とガウスは赤の他人だ。拾っただけの子供を見てやる義理なんてない。なのに、当たり前のように、守ろうとしてくれるから。かえって足手まといである事を痛感してしまった。
「ガウスは、優しすぎるよ……それじゃあ、損するだけじゃない」
「なにが損だ。忘れるなよ。お前は俺の大事な……家族だ。大体悩む必要さえないだろう。お前が言われたのは相当異常なことだぞ。……そうだな、例えば、だ。……お前に求婚者が来たとするだろう? そいつが俺に「邪魔だから死ね」と言うのと同じだ」
「全然違うよ!」
「どこがだ。俺が欲しいから、ミーナに死ねと言ってる奴だぞ。一緒だろうが」
「あ……」
「わかったか。聞く価値もない言葉だ。卑屈になって、目を曇らせるなと言っただろう」
それで少しだけ目が覚めて、自分なりにもよく考えて、ガウスのもとを出て行けと言った獣人達の言葉は、聞くに値しないと判断した。
とはいえ実際のところ、今でも後ろめたさはある。
だって、私の存在がガウスの足手まといなのは事実だから。ガウスがお嫁さんもらえないから。そのことを私は喜んでしまっているから。
それに獣人の言葉は、私に死ねと思ってるわけじゃなくて、単純にそこまで頭が回らないだけだ。私を追い出した結果が、私が死ぬことになると、思いつかないのだ。
ガウスの言ったとおり、獣人はあまり物事を深く考えるのに向いていない。
私が言い返すようになって、彼女たちは自分の言葉の意味に、ようやく気付くようになった。私を追い出したら、私が死ぬことになり、自分は家族を殺した嫁になって立場が悪くなると。
単純な彼女たちも、さすがに自分のことに絡めると、ちょっと先のことまで考えられるらしく、私を追い出すのはダメだと気付くらしい。
でも、私がガウスにチクるせいで、彼女たちは、どんどん排除されていって、今でもガウスは、独り身だ。
私に絡んでいたお姉さんたちは、ある日突然現れなくなったし、うち何人かは忘れた頃に、番を得たと聞くこともあった。ガウスがなにか手を打ったんだと思う。
私はガウスに大切にされてる。だからよけいに後ろめたさを捨てられなかった。
でも、ガウスが信頼してたり、親しくしてる獣人達は、絶対に私に出て行けと言わない。もっとガウスに甘えたら良いと笑って言ってくれる。
彼らの言葉は信用できる。
だって彼らは「ミーナ」に優しいわけじゃないからだ。彼らは「ガウスの家族」相手だから優しいのだ。私のために言ってくれているけど、本質はそうじゃない。ガウスがそれを望んでいるという前提を彼らが知っているから、私を気遣う言葉を言うのだ。
彼らは私の味方じゃない。ガウスの味方だ。
この世界に「私自身の味方」は、ガウス一人だけだ。
それは別にかまわない。昔は悩んだりもしたけれど、今はそういう物だと思っている。
私だって、熊のおじさんところの息子さんってだけで、獣性の強い熊のお兄さんだけど「大丈夫」と思える理由の一つになった。どこの家の者かを聞くのは、この世界での常識だ。住民同士のつながりが重要なこの世界で、「どこに属しているのか」は信頼の基本なのだ。
そして、それは確かに一つの目安として正しいのだと思う。
私に意地悪を言うのは、ガウスが親しくしてない獣人だけだ。そんな獣人の言葉を、ガウス達の言葉より優先するだなんて、馬鹿げている。私は、私の好きな人の言葉を優先する。
……そう、いつも自分に言い聞かせてないと、ガウスへの罪悪感に負けそうになる。
その感情に、今日もそっと蓋を閉めた。
今日の昼間言われたエルファのイジワルな言葉を思い出し、また落ち込みそうになる。
でもその気持ちに、必死に言い訳を考えて、言い返していくしかないのだ。
ガウスが、私を守ることを望んでくれてる。だからこれでいい。エルファみたいな嫁をもらう方が、ずっとガウスがかわいそう。だから大丈夫。
大丈夫。私はここにいても、大丈夫。
何でもないフリをするのなんて、いつものことだ。強くないとここでは生きていけない。
力では負ける。でも、気持ちは負けたらダメだ。でないと標的にされる。
だから、私は。
ガウスと並んでご飯の準備をしながら、あんなことは気にしてないと自分に言い聞かせて笑った。