13 夜中の再会
目が覚めて、ふと周りを見回す。
真っ暗だ。夜中に目を覚ましてしまったらしい。
なんとなく、ガウスがいないことが不思議に思えて身体を起こした。
私のベッドで一人で寝てるのは当たり前なのに。私がガウスと一緒に寝てたのは数年前までだ。
でも一人と気付いて、なんだか寂しく感じた。
「ガウス」
いるはずがないのに呼んでみる。当たり前なのに、いないことが悲しくなる。
身体を起こしてベッドから降りる。そしてそのまま部屋を出て、暗くて見えない廊下を、壁伝いに歩いてガウスの部屋へ向かう。
「……ガウス」
ガウスの部屋のドアを開けて、彼を呼んだ。
でも返事がない。私に気付かないほどぐっすり眠っているのかと、ベッドに向かって歩いて行く。
「ガウス」
布団をまさぐったけど、そこにはガウスがいなくて、冷たい布の感触だけが伝わってくる。
「……ガウス?」
こみ上げてくる不安に、頭が働き出す。
どこへ行ったの? なんでいないの?
「ガウス」
そうだ。私は、今日……。
意識を失う直前に起こったことが急激に思い出され、慌ててガウスを探す。
どこへ行ったの?
暗くても家の中を歩ける程度に目は慣れている。
こんな時に私を置いていったりしないという自信があった。でも、それでもいないとしたら、それは、きっと私に知られたくないことをする時だ。
あの時の私はおかしくなっていた。でも、記憶はある。
泣き叫んでガウスのこともわからず、暴れてしまった。
きっとそれは、私の気持ちを安定させるには必要なことだった。
だって今はかなり落ち着いている。怖いと訴えることができたから、ガウスが受け止めてくれたからだと思う。
アレはたぶん、本当に怖い時に恐怖を抑え込んでいた反動じゃないかと思う。昔、虎獣人に襲われた前の時も同じ事が起こった。前回は反動が起こったのは出来事の何日も後で、しかも何度も起こした。
今度はどうなるかわからない。でも今は、昨日のことを思い出しても、動揺や不安はこみ上げてこない。前みたいに感情が麻痺してる感じもない。
きっと心配させた。大丈夫って言わなきゃ。
いつもいつも、ガウスは私の代わりに背負うんだ。私を置いてガウスがどこかへ行くとしたら、きっとそれは、私の為なのだ。
ちゃんと伝えなきゃ。
家の中にいるのか、外へ出てしまったのか、それだけは確認しておかなきゃ。
ガウスの部屋を出て階下へと向かう。カタンと音がして、慌てて階段を降りる足を進めた。あれは戸の錠を開ける音だ。
気が急いたのがよくなかったのだろう。
暗い階段だ。先ほどようやく醒めてきたばかりの頭は、自分が思っている以上に働いてなかったみたいで、体が思うように動かなくて。
「きゃあ……!」
最後の数段という辺りで、足を踏み外してしまった。
ガタガタッと滑り落ちる衝撃に身をすくめる。お尻と太ももを擦った挙げ句に打ち付けて、すぐに立ち上がれない。
焦って叫んだ。
「ガウスっ」
早く追いかけないと、出て行ってしまうかもしれない。
なんとなくそんな気がするのに急く心とは裏腹に、身体が思うように起こせない。窓から差し込む月明かりを頼りに、這うようにしながら扉に向かって身体を動かしていると、私の動きを邪魔するように何か大きな物が、ふわりとすりよってきた。
「わっ、えっ、なに!」
暖かくて、ふわりとしたそれは、体をこすりつけるようにしてするりと横切ると、そのまますぐに離れる。私は混乱しながら辺りを見回した。
「……っ」
思わず息をのんで身体を引いたのは、予想してなかった姿がそこにあったからだ。
巨大な狼だ。
少し離れた場所で、じっと私を見つめていた。
昨日、狼がガウスに変化した姿を見た。だから知っていたはずなのに、急に現れるとびっくりする。それでなくても、狼はこの世界に来た時に苦手意識をすり込まれてるのだ。
でも、こちらに落とされた時の、私が気を失う前に現れた狼が、ガウスだったのなら。
私を狼の群れから助けてくれたのはガウスで、ずっと守ってくれていたのもガウスで、……だったら、巨大な狼は、一番大好きな獣って事だ。
大丈夫。
そう自分に言い聞かせた。
理屈じゃなくって、身体はやっぱり震えてしまうけれど。でも、これはガウスだ。
じりっと、狼が後ずさる。
私は慌てて声を出した。
「大丈夫、そんなに打ってないの。ちょっと痛いけど、びっくりしただけ。……明日、打ち身になってるかなぁ……」
変に緊張して、しゃべってる内容がわざとらしくなってしまう。
狼も、困ったように首をかしげている。
なに言ってんだ、こいつは……って時のガウスの動きそのまんまで、思わず笑ってしまう。
「心配させて、ごめんね」
ガウスは、私が狼が苦手なのを知っている。だから距離を取ってくれている。でも心配して思わず駆け寄ってくれたって、分かっている。
私が無理に動こうとするのを止めてくれた。ちょっと怖いけど、それでも大丈夫。狼の姿をしていたって、私を守ってくれる優しい存在だってわかっている。
「ガウス、来て」
巨大な狼に向かって両手を広げる。
こっちへ来て。私を置いていかないで。怖くなんてないから離れていかないで。
グゥ……と唸った狼は、尻ごむように頭を下げる。私が促すように首をかしげれば、くいっと顔を動かした。
なにと思ってそちらに目を向ければ、震える私の指先が見えた。
ああ、ばれてたんだ。
でも、気付かないフリをして、もう一度言う。
「……腕が疲れたから、早くこっち来て」
怖がってないふりをしても、身体の方が勝手に怖がってる。理性だけじゃちょっと怯えを止めるのは難しい。そんな私の心の中をわかった上で、ガウスは心配してくれているのだろう。
でも、怖くないのは本当だから。身体が怯えちゃうのは、慣れるしかないと思うの。ゴキブリとかじゃなくって、本当によかった。気持ち悪かったら、さすがにアウトだもんね。
ゆっくりゆっくり、狼が近づいてくる。
改めて見ると本当に大きい。ガウスってわかってるからドキドキしてるだけで済んでるけど、これはやっぱり、かなり怖いかも。
クンクンと、探るように私の伸ばした指先に鼻を近づけてくる。
鼻先が指先に触れ、ビクッと思わず震えると、すぐに離れた。少しひんやりするその指先をペロって舐められて、また体がびくって震えちゃったりなんかして。
またガウスが気を遣って離れるかも……って顔を上げると、でっかい狼が、心底困った顔で首をかしげていた。
私が泣いた時にしていた困った顔と、そっくりだった。
狼なのに、人間の要素ひとつもないのに、なぜか、表情も動きも、ガウスそのまんまで、ほっと力が抜ける。
「がうす」
手を動かして、頬の辺りの毛並みに触れれば、でっかい身体がちょっとビクッとなって、一緒だって思ったら、またほっとして、思わず笑う。
「ガウスなら、怖くないよ」
まだ指先は震えちゃうけど。ちょっと強がってるけど。でも本当に、怖くはないんだ。
「……ふふっ、ほっぺの毛、柔らかいね。いつもの無精ヒゲはチクチクするのに。……髪より、柔らかいね。……ふしぎ」
怖がってないのを示そうと、思ってることを言葉にしていく。
なのに狼は鼻先でフンと笑った。表情全然わかんないけど、なんとなく鼻で笑ったのはわかる。私はむっとして口をとがらせた。
「指震えるのは条件反射だし! 慣れたら大丈夫だもん!」
ほっぺの毛並みを何度か撫でてから、思い切ってその首に両腕を回した。
抱きしめた狼は、ふわりとした毛並みで私の頬をくすぐった。
首に回した手がふわふわの毛に触れる。抱きしめたまま撫でてみる。それは、柔らかくて、あたたかかった。
「ほら! 大丈夫だよっ」
狼は固まっていた。まるで置物みたいに全く動かなくて、私が何しても微動だにしなくて、でも温かさも柔らかさも、私を受け入れてくれてるみたいで、だんだん安心してくる。
抱きついたまま、力が緩んでくると、狼の方の体も、なんか柔らかくなって、大きいふかふかの頭が、私の顔にこすりつけられるように、スリスリと動き出した。
頬に触れるふさりとした肌触りは、私の知らない感触だ。でも、人間の時と変わらない安心感があった。
「……行かないでね。私を置いて、どこにも行かないで……」
ほっとしたら、なんだか頭がクラクラしてきた。意識がぼんやりしてきて、目が開けてられなくなる。
「ガウス、置いていかないで……」
その言葉は、最後まで言えたのか、言った気がしただけなのか、自分でもよくわからなかった。




