12 片が付いた後
「……ミーナ、怪我はないか」
叩き付けられた雌たちは、うめきながらうごめいていた。
私だったら、死んでいたかもしれない。
こういうとき、根本的な身体の違いを感じる。
きっと彼女たちは、私の弱さを本当の意味で理解していない。彼女たちのちょっとたちの悪い冗談で死ぬこともあるなんて、きっと、わかっていない。
私と獣人は、きっと本当の意味でわかり合うことはできないのだろう。
うめく彼女たちを見て、そう思う。
この世界の獣人と私は、違う生き物なんだ。
ここに連れ込まれてからの、短くて長すぎる時間は、そう思わせるのに十分だった。この世界の生き物とは、きっと根本的なところでわかり合えない、違う生き物なのだ。
思い知るたびに悲しくなる。さみしくなる。……怖くなる。
差し伸べられたガウスの手を見て、私の身体が思わずこわばった。
一番信頼している手だ。……でも、わかり合えないその片鱗を見て、私の身体は勝手にこわばってしまった。
ガウスが怖いわけじゃない。被害者面したいわけでもない。それでも、理屈とは違うところで、全てが怖くなっていた。
この世界の常識に馴染んでいたと思っていた。子供の頃の記憶はもうずいぶんと遠くなって、私の記憶の半分以上は、もうこの世界の出来事になっている。なのに刷り込まれた日本での常識は、未だ残っている部分が多い。ガウスによって守られた世界で、こういった暴力ごとに直面することがなかったのも大きな要因だろう。
恐怖から解き放たれたこの状況で、強ばっていた感情が溶け出していた。
わたしは、こわくてたまらなくなっていた。
もう大丈夫と理性ではわかっているのに、急速に襲ってきた恐怖に思考を塗りつぶされ、身体が勝手に竦む。
ガウスは怖くない。わかっている。でも、怖い。この世界のなにもかもが怖い。
大丈夫と思う理性がだんだんとかすんでいく。
突然心を犯し始めた恐怖に、身体がガタガタと震えて止まらない。「こわい」しか考えられない。
もう安全なことを本能的にわかっていた脳は、今まで抑圧された感情を発散させるように、恐慌状態へと私を落としていたのかもしれない。だんだんと思考が塗りつぶされていく。
感情が、あふれた。
「もう、……やだぁ………こわい、こわい……こわい……っ」
何かを考えての行動じゃない。ただ、叫ばずにはいられなかった。怖くて怖くて、それをかき消すように私は感情に囚われた。
ガウスが見えてたけど、見えてなかった。
混乱した頭で見る世界は、なにもかもが怖くて、「嫌だ」と「怖い」を繰り返しわめきながら身を守るように膝を抱えて顔をそこに埋めた。
何かが私に触れてきた。瞬間的に身体が跳ね上がり、拒絶は悲鳴となって勝手に口からあふれ出る。
「いやぁぁぁ!!!」
とっさに逃げようと身をよじって「ガウス」と叫ぶ。
助けて。ガウス、助けて、助けて、ガウス、ガウス………っ
「……バカだな」
と、優しい声がどこかでした。
「ほら、助けに来たぞ。……さっさと来い」
ぐっと腕を惹かれて、私は恐怖に任せてがむしゃらに暴れた。
暴れても暴れても私を抱き込んだ腕は強くて外れなくて、半狂乱になって叫びながらもがいた。
「大丈夫だ、もう大丈夫だ、……大丈夫だ。ミーナ。大丈夫だ」
私の名前と大丈夫という言葉とが暴れている間中繰り返されていた。けれどそれは悲鳴を上げ続ける私の耳には、聞こえていても、聞こえてなくて、自分の恐怖だけに囚われて叫ぶしかできなかった。
暴れ続けて、体力が続かなくなって、喉が痛くて声が出なくなって。ひぃ、ひぃ、と、悲鳴のような呼吸を繰り返す。
ふと聞こえる音に気付く。
「ミーナ、大丈夫だ」
さっきまでずっと聞こえていた声が、急に意味を持った。
聞こえてきた声が、ゆっくりと頭の中にまで届いて、力が抜ける。
「……がぅ、す」
「ああ、怖かったな。もう大丈夫だ」
言われた言葉の意味が染み渡ってきて、涙がボロボロとこぼれてきた。
「ガウス……ガウスぅ……」
ようやく安心できる存在を見つけて、縋りながら掠れた声を絞り出す。私を抱きしめるその人に震えながらしがみついた。
「帰ろうな」
抱き上げてくる腕を、拒もうとは思わなかった。さっきからずっと暴れる私を包み込んでくれていた腕だった。私を見捨てずに側にいると示してくれていた腕だった。暴れても拒絶してもなお寄り添い続けてくれたぬくもりだった。何よりも安心するその人の首に縋り付いて、私はわぁわぁと子供のように泣いた。




