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10 巨体の狼


 巨大な狼がいた。


 この世界に来た時見た、あの巨大すぎる狼と同じぐらいの大きさだ。獅子獣人よりも一回り身体が大きい。その狼が、獅子獣人の首に食らいついていた。


 この狼が獅子獣人に体当たりして、私は彼もろとも吹っ飛ばされたのだろうか。運良く獅子獣人を下敷きにしていたようで、私にはたいした衝撃もなかったけれど。

 狼はひどく気が立った様子で唸っていて、獅子獣人を床に押さえつけたまま鋭い目を私に向けた。

 射抜かれて、ドクンと心臓がはねる。直後、私の体は獅子獣人の上から転げ落ちた。狼の前足が私を払い落としたのだ。

 転がって体ふたつ分ほど離れたところで、いつの間にか私を拘束していた獅子獣人の腕がほどかれていたと気付く。

 え? と顔を上げると、目の前を獅子獣人の手がブンと横切った。


「……ひっ」


 とっさにのけぞった。当たる位置ではなかったけど、風圧と目の前を横切った残像に身がすくむ。

 突然の攻撃を食らった獅子獣人の腕が、抵抗するように狼に爪を立てようともがいていた。


 なにが起こっているか全く把握できなかった。何をしたらいいかすら考えることができずに、放心してその状況を見ているしかできなかった。

 見ているといっても、たぶん私は、見てすらいなかった。ただ、その状況を目に映していただけだ。理解出来ていなかった。ただ、こわいということだけを、感じていた。

 震えながら、後ずさりしたのは、無意識だった。


 鋭い爪をむき出しにした獅子獣人が狼を振り払おうともがく。狼はそれを押さえ込み、首を振るって、獅子獣人の巨体を壁に向けて投げ飛ばした。

 ……あれは、咥えて投げ飛ばせるような大きさだろうか。

 あり得ないような出来事を目にした気がする。

 ドシンと音がして、重なるように「ギャン!」という獅子の悲鳴、それからどさっと床に崩れ落ちる獅子獣人が見えて、私は、意味がわからないながらもほっとした。

 と思った瞬間、倒れたと思った獅子獣人が跳ねるように身体を起こし、狼に襲いかかった。


 私の目には、そこまでしか把握できなかった。

 わかるのは、二頭が争っていることだけだ。獣だった。獣人同士の争いを超えていた。

 獅子の振りかざした腕がどこに当たっているのかも、その動きをとらえることができないし、狼の体当たりがなぜできたのかもわからない。

 どちらが優勢でどちらが劣勢なのかさえわからない。

 争っているその姿を、見るともなしに目に映しながら、私は、逃げるという考えさえも思いつかないほど放心して、ただ座り込んでいた。


 どのくらい時間が経ったかも、把握できてなかった。長かった気もするし、それほど経ってない気もする。気がつけば、獅子獣人の腕のひとつが変なところで折れ曲がっていて、首を咥えられて、身体がだらんとしたままビクビクと震えていた。


 そのとき、一つの声がこの場所に割って入ってきた。


「ガウス、待って!! その子は自分で番う相手を見つけたんだから……!!」


 エルファだ。建物の外から駆け込んできたようだ。私は呆然と座り込んだまま、決着の付いたその様子から視線を外し、ゆっくりと、彼女へと目を向けた。

 彼女は二頭の獣の姿を見て、ひどく混乱した様子で、駆け込んできたときの勢いをなくした。


「……獣人? ……獣?」


 エルファは四つ足の狼を見て、震えながら後ずさった。獅子獣人を咥えていた狼がエルファを睨みつければ、その足がびくりと止まる。


 私でさえ、あの狼がエルファに狙いを定めているのがわかってしまった。その目を向けられているエルファが恐ろしさに足が竦んだのだろう事も。

 ブンと狼が頭をふるって、獅子獣人の身体が再び振り投げられ、エルファの身体に直撃した。


「ぎゃっ」


 と、一瞬潰されるような悲鳴が聞こえて、エルファの身体は獅子獣人の身体と共に吹っ飛んでその下敷きになる。


「きゃぁぁぁぁぁ!!」


 響いた悲鳴は、エルファを追ってきた雌達のものだ。

 直後逃げ出そうと彼女たちが駆けだした瞬間、巨大な狼が一吠えして地面を蹴ると、彼女たちの逃げ出す先に回り込んで塞いだ。

 じりじりと歩み寄る狼に、彼女達は怯えながら後ずさり、誘導されるまま建物の中へと自ら後ずさって押し込まれて行く。

 そして、狼によって扉は再び閉められた。


 狼は静かに獅子獣人の元に歩み寄ると、その上着に噛みついて剥ぎ取る。

 私は、狼が何をしているかわからないまま、まだも呆然として、見るとも無しに見ていた。狼が私に向かって歩み寄ってくる。僅かな理性は危険だと思っているのに、なぜか、怖いと感じなかった。


 狼の咥えた服が、ぱふっと私の膝に落とされた。

 不思議だった。やはり怖くなかった。なんとなく、私を守ろうとしてくれているのだと感じた。

 この狼がきて助かったからかもしれないし、その目が、その雰囲気が、どこか安心するような何かがあったのかもしれない。

 ぼんやりと放心していた私には、狼の行動を認識するぐらいで、意味を考えられるほど頭は働いていなかった。

 だから、どうすればいいかわからないまま、服と狼を交互に見比べるばかりだ。


 狼は人間くさい動きで溜息をつくと、私に背を向け、ぶるりと身体を震わせた。


 巨大な狼の身体が震えるようにうごめきながら歪んでゆく。


「え……?」


 異常な身体の変形に、目を疑った。


 四つ足の動物の身体をした狼の姿が、いびつにゆがみ、獣人に近い骨格へ……それからふさりとした毛皮は毛足の短い体毛へ、……それから人と変わらぬ肌へ……。


 そこに、全裸の男の姿が現れた。

 完全なるヒトの形をしている。よく見知った体つきのその男が、ふとこちらを振り向き、私が手に持っている獅子獣人の服を奪い取って、腰に巻き付けた。


「……ガウス?」


 私の呟きにピクリと震えた男は、チラリと私を振り返り、「あとで話す」と低い声で呟いた。


 あの狼はガウス? 獣人が変化できるとか、聞いたことがない。どういうことなのか、わけがわからない。


 この建物に押し込められた雌たちも、首から血を流しながら身体を起こしていた獅子の獣人も、その下敷きになっていたエルファも、ひどく驚いた顔をしてガウスを見ていた。


「貴様ら、俺のつがいに何をしたのか、わかっているんだろうな」


 エルファと獅子獣人の元に歩み寄ったガウスが、足下に転がる二人を見下ろしながら凄んだ。


「……つ、番?」


 エルファが震えながらガウスの言葉を繰り返す。

 ただでさえこの状況について行けなかった私は、またしても意味がわからずガウスを眺めていた。


「あれだけ、こいつに印を付けていたのにわからねぇとは、獣並みに頭が足りねぇんじゃねぇのか? いいや、獣の方がまだ賢いな。触っちゃいけねぇヤツに手は出さねえだけの本能があるからな。てめぇらが一番阿呆だ。せめて、もうちょっと野生の本能がありゃあ、怖くて手が出せなかったろうによ……。中途半端なのが一番鬱陶しい。この際、消えとくか? 生きているだけで害悪だろう。匂いを消してこの獣をはめるとは、たいした度胸だ。……てめぇは、俺とそいつ両方を敵に回した」

「え……? え……? うそ……?」


 エルファが、ガクガクと震えながらガウスを見つめている。

 ガウスが薄ら笑いを浮かべながら問いかける。


「俺がヒトだと? 勘違いも大概にしろ。てめぇらより獣性の強い雌が、俺に粉をかけてこなかったのを疑問に思わなかったのか? 俺の獣性が強すぎるから相手にならねぇんだよ。ちぃっと考えりゃあわかることだ。まあ頭が獣のてめぇにはちょっと難しかったなぁ?」

「ぎゃぁ!!」


 ガウスが起きかけていたエルファの顔をガツンと蹴り上げ、その胸元を踏んだ。目を見開いたまま震えるエルファは、それに声を返すこともできないまま、怯えるようにガウスを見上げていた。


「あ……あ……」

「俺に楯突いたんだ、覚悟はしてんだろう? 雌だからって容赦はしねぇ」


 獅子獣人はじりじりと身を引いている。それに視線だけよこしたガウスは低く唸る。


「動くな。……おい、お前らミーナの壁になっとけ。命かけて守れよ。逃げ出すんじゃねぇぞ。逃げればその時点で殺す。守れなくて傷ひとつでも付けてみろ。全員殺す」


 ガウスは獅子獣人の動きを制してから、雌たちに当たり前のように命じる。びくりと震えた彼女たちは、訓練された動物のように、すぐさま私を守る位置に取り囲んだ。

 獅子獣人に向き合った彼女たちの背中がブルブルと震えている。

 町のボスとも言えるガウスの命令に逆らえる者はいない。意図的にか無意識にか、解釈を違えて私をはめた彼女たちも、今、この場面でわざとその語釈を取り違えるまねは、さすがにできないようだった。


「なんで、こんな……」

「だいたい、エルファが……」


 震える彼女たちの声が聞こえてくるけど、私は、どうしたら良いのかさえもわからなくて、流されるまま眺めていた。



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