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「お前たちはすでに魔王軍によって包囲されている! 無駄な抵抗はやめろ! 神様も神様の妹も悲しんでおられる! ただちにお兄ちゃんを開放し、この世界の平和を確約しなさい!」
神殿の外から拡声器ごしのクフィルちゃんの声が聞こえてくる。
俺はというと神殿内部にある祭壇の前に座っていた。前にクフィルちゃんが魔王城の穴ぼこの中で座っていたような、豪華なベルベット生地の玉座っぽいものだった。
この世界ではこういう安楽椅子が流行ってるのかな? と思ったけれど、そういう設定にしたのは俺でしたね。
問題は俺自身がす巻きにされてここから逃げ出せないことだ。
話せばわかる。話し合いによって解決しましょうとは、俺が元板世界でも政治評論家たちが戦争のたびに口にしている事であるけれど、今の俺は会話をするために神殿の外に出る事すらもままならないのだった。
「創造神・天野照人さまにおかれましては、大変なご不便をおかけしる事になってしまいますが、これも神様の御身をおもんばかっての事。決して神様に対する罰当たりのつもりはありませんので、ご理解ください」
そんなこと言われても、これ絶対罰当たりだよ。俺が神様だった神罰を下したいところだと思ったところで、自分が神様だという事に思い至った。
よし、ならば神罰だ! と本来ならばなるところなのだろうが、バイブルにその記述を書きたくてもそれが出来ない。何しろあの無駄に豪華な聖典に俺がひと筆書き込むだけで物語の設定が上書きできるのに、それを持っているのは魔王クフィルちゃんで、一方の大天使ネシェルさんは俺をす巻きにしている。
神様にもどうする事も出来ないっての!
「どうするんだよ、ネシェルさん。俺の妹がとても怒っているんですけど……」
「ご安心ください神様。いざ魔王軍が攻めてきた時の事を考えて、この神殿はちょっとやそっとで陥落する様な事はありませんよ。もしもの時はわたくしめが先頭に立ってレベル7の魔王なんぞは蹴散らしてみせましょう」
腰に吊った剣の鞘をパシリと叩いて、ネシェルさんが勇ましくそう言った。勇ましいのはうれしいのだけど、妄想上の妹とは言え家族に手をあげられるのは困ります。
「そ、そうだ。世界は人間も魔族も対等で公平にあるべきだと思うんだけど、ネシェルさんそうは思いませんか?」
「思いません」
ピシャリと否定されてしまった。
「神様のありがたいお言葉ですが、わたくしたちはこれまで魔王どもがどんな連中なのかも知らずにこの世界を育んできたのです。それを今頃おめおめ現れたかと思えば、恐れ多くも創造神・天野照人さまを独占しようなどと言い出した。これは良心がないといえませんかな? レベル7の分際でこの大天使ネシェルに歯向かうとは……」
「ところでネシェルさんのレベルはおいくつで?」
「よくぞ聞いてくださいました! わたくしめのレベルは何と11です!」
「あんまりかわらないじゃんっ」
嬉しそうにネシェルさんはそうご報告してくださいますが、三五〇〇年かけてレベルがたった二桁前半というのもどうなんだろう。世界の構築が中途半端だったので、大物の魔物退治とかはしなかったのだろうか……。
「それでクフィルちゃんに勝てるの……?」
「そこはほれ、神様がご設定くださった内容によれば、無尽蔵の回復魔法が使える事になっているので、いくら攻撃をくらっても問題ありませんっ。やられてもやられても、立ち上がり神官たちを率いて戦う健気なわたくし」
嗚呼、なんてジャンヌダルクっ。などとこの世界にはいないはずの地球史上の人物名を口にして悦にひたるネシェルさん。
彼女の命令によって武装した美人神官お姉さんズたちは、槍や剣を片手に鍋を兜がわりとし、鍋蓋を盾がわりにして、魔王軍との戦いのために飛び出していった。
ちょっと武装が貧弱すぎて、魔王軍の主力をなすオークのみなさんに負けてしまいそうだった。
くっ殺せ展開はエロゲや薄い本で見る分にはいいけれど、実際に目の前で展開されてしまうとなれば、神様としてそれはいただけないのである。
「いいんですかね、あのまま行かせて……」
「大丈夫です。問題ありません。創造神・天野照人さまのために純潔を散らすのであれば、これはわたくしたちにとって乙女の本懐ですから!」
そんな事になれば神様かなしい。
けれども俺の心の内なんて気にも留めない金髪のきれいなお姉さんは、腰の剣を引き抜くと勇ましく美人神官たちを引き連れて、迫りくる魔王軍を撃退すべく出陣していったのである。
俺はどうやら自分の姿を模して造られたらしい神様のブロンズ像を見上げながら、ため息をついたのである。
どうしてこんな事になっちゃったのかなぁ。
やっぱり自分が作り出した世界に責任を持たなかったのがいけなかったのかなぁ。
創作は計画的に。
今度小説を書くときはちゃんと習慣づけて、プロットもきっちりと作ろうと心に誓った。
*
しばらくして。
ネシェルさんが振り乱した金髪のまま神殿の祭壇前に飛び出してきた。
「くっ、神様。もはやオークども魔王軍が祭壇のそばまで迫っております!」
「もう諦めて、降参しよ? クフィルちゃんにはよく言って聞かせますからさ。この世界のみんなで幸せになろうよ……」
俺はタフにネゴするゴットトークで説得を試みた。けれども、
「かくなる上は是非もなし。神様、こうなってはしかたがありません」
「な、なんだよ。ちょ、何するの。ズボンを下ろして……俺トイレとかまだ平気だから、我慢とかしてませんよ? え、パンツにまで手を掛けて」
「わたくしと神様めで、既成事実を作りましょう。わたくしもおめおめと魔王めに神様をお渡しするわけにもいきません。おっ御子を受胎して、夫婦の仲を引き裂くのかと言い訳しましょう!」
何言ってるんだこの、きれいな残念お姉さんは!
抵抗むなしくズボンもパンツも引っぺがされてしまった俺は、下半身丸出しで神の子受胎の儀式に巻き込まれそうになりつつあった。
もうすぐそこまで、猛々しいクフィルちゃんの怒り狂った声が聞こえてくる。
見つかったら殺される!
でもその前にきれいなお姉さんに食べられる?
やめてゆるして、神様のライフはゼロよ!
*
という危機的状況に陥ったところで下半身ギンギンの状態で俺は目を覚ました。
目を覚ますとそこはいつも見慣れた大学の学生マンションの一室だった。
一人暮らしを始めて、ようやく手に入れた自分だけの世界。異世界ファンタジーのあの世界ではなく、現実の俺が大学生として生活する空間だ。
「夢、だったのか」
どうやら俺はわけのわからない夢を見ていたらしい。夢を見たのは、もしかしたら書きかけのWEB小説を放棄していた事を、物語の登場人物たちが訴えかけてきたのだろうか。
自分たちの事を見捨てないで、自分たちの事を忘れないでと。
そう考えると何だかとてもやるせない気分に俺はなった。
「夢落ちかよ。夢落ちとか最悪だよ……」
しかし不思議なものだ。
妄想上の妹、魔王のクフィルちゃんに呼び出されるまでは毎日寝ていたはずのベッドだったのに、妙にその寝心地は久しぶりな感じだった。
ベッドの脇に置いてあったデジタル時計を見た。時刻は朝の八時過ぎ。
そろそろ講義に出かける準備をしないと、教授にまた遅刻かと言われてしまうなあ。そんな事を考えながらふと時計を見ると、時計の日付が狂っているのを発見した。
「あれ、確か異世界に召喚された日は月曜日だったような……」
ところがそのデジタル時計の日付が金曜日になっている。しかも日にちが少し進んでずれているではないか。
「?」
俺は小首をかしげながら、下半身ビンビンの状態でベッドを立ち上がった。
別に一人暮らしのマンションの一室なんだから、情けない恰好ではあるけれど恥ずかしがる必要なんかない。
そんな風に考えて、とりあえず眠気覚ましにシャワーでも浴びようと、服を脱ぐ。
「あ、照人さま起きられましたか。今日の朝ご飯はわたくしめが腕によりをかけて作っておりますからねっ。献立は麦とろごはんと大根のお味噌汁、それにサバの塩焼きです!」
小さなキッチンに立つエプロン姿の大天使ネシェルさんがそこにいた。
しかも何だかお腹がふっくらしている。
「ネシェルさん?」
「はいっ……」
「ちょっと太ったりした?」
「そ、そうかもしれませんねっ。もうすぐややこが生まれる時期だと思って、しっかりご飯を食べておりますから。きっと照人さまに似たイケメンベイビーが生まれてくることでしょうっ」
俺の言葉の何を勘違いしたのか、嬉しそうにネシェルさんがそう言った。
えっ、てかベイビーってどういう事?
「それにしても朝からお元気な事で。神様ともあろうお方が、恐れ多くもご子息を惜しげもなくお勃ちになられているとは。いやん」
大天使が似合わない艶っぽい声音でそう言った。慌てて俺は前を押さえる。
「あっ、ごめん。生理現象だから気にしないで……」
「んもう。神様ったら、わたくしがお相手出来ないものだから、さぞお辛かったのでしょう」
お前は何を言っているんだ。というか俺も素直にごめんなさいとか誤ってる場合じゃない!
まるで状況が呑み込めないままで目を白黒させていると、
「そういう時こそ、あの魔王めに夜伽の相手をさせればよいのです」
「妹とやるのはさすがにちょっと……」
「世界は人間と魔族が公平であるべきだと、照人さまもおっしゃっていたではないですが。ここは悔しいですが今だけはきやつめに譲ってやってもいいでしょう。あっはっは」
エプロンの上から優しくお腹をさすったネシェルさんがそう言った。
「というか、クフィルちゃんもこの世界にるのか?」
「この世界もなにも、魔王めはいまシャワーを浴びております。あいつめいつまで長風呂をするつもりかッ」
言われてユニットバスの方に視線を送ると、確かに「ふんふんふ~ん♪」という鼻歌とともにシャワーを弾く音が聞こえてくるではないか。
やっぱり状況がつかめない。
そしてその、ネシェルさんのお腹の中にいるのか、もしかしなくても俺の子供なのか……。
シャワールームから顔を出したクフィルちゃんが、その肌を隠そうともせずに茫然とした俺に声をかけてくる。
「あ、お兄ちゃん起きた? そろそろ学校行かないとまた遅刻しちゃうんじゃない?」
お腹の大きな大天使ネシェルさんは俺の奥さん。
そして妹が全裸で俺の部屋を歩いていく。
どうする、これってやっぱり中二病まるだしの妄想上の物語じゃないよな?
「おい、ちょっといいかな」
「どうしましたか神様」
「何よいきなり、お兄ちゃん」
俺はお腹の大きなきれいなお姉さんにおずおずと質問をする。
「これは夢の続きだったりは、しませんよね?」
「創造神・天野照人さまとの間に子供を授かる事が出来て、わたくしは夢のような心地です。ほら母子手帳だって肌身離さず持っているんですよっ」
「…………」
受け取ってみると、母子手帳には天野ネシェルさんと書かれていた。妊娠六か月。
俺は不思議そうな顔をした妹の魔王に質問をする。
「こ、これは俺が書きかけた物語の続きだったりするのかな?」
「何を寝ぼけたことを言ってるの。当然じゃない、お兄ちゃんは天使と魔王の争いをおさめるために、ちゃんとWEB小説の続きを最後まで完結させるって約束したでしょ?」
「…………」
「ちゃんと書き終わるまでこの駄目天使とふたりで、お兄ちゃんを監視するためにわざわざこの世界に来たんだから」
「おい駄目天使とはなんだ、駄目天使とは。大天使ネシェルさまと呼べ」
「いやよ?」
差し出された無駄に豪華すぎる聖典を受け取りながら俺は茫然とした。
「おっおい貴様、もしかしてわたくしの最愛にして創造神たる照人さまをたぶらかすために、わけのわからない薬でも飲ませたりしたのではあるまいな」
「し、失礼ね、あたしはあんたみたいに抜け駆け受胎とかやらないんだからッ」
目の前で天使と魔王が喧嘩をはじめた。けれども今の俺はそんな事などどうでもよかった。
だれか俺にこの現状を説明してくれと頭を抱えそうになったところ、ふたりの妄想上の女の子たちがそろって俺に向き直った。
「ちゃんと責任とって、物語は最後まで書いてくださいね!」
はい、頑張りますッ。
おわり