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俺はWEB小説にありがちな、テンプレ異世界に召喚されてしまった。
しかも実はその異世界が、自分の黒歴史の産物だったのである。
そして黒歴史の中で主人公として描かれていたのが、魔王ことクフィルちゃんである。
「お兄ちゃん。WEB小説の更新やめちゃってから何年ぐらいになるかな?」
森の中を歩きながら魔王クフィルちゃんはは創造神に質問した。
「そ、そうだな。確か高校二年の冬になって大学受験の勉強始めたあたりからだから、だいたい三年半ぐらいかな」
「そうだね、あたしはお兄ちゃんを三年半も待ち続けたんだよ。あたしがこの世界を混沌に導こうと頑張っていた頃、お兄ちゃんはいったい何をしていたのかな。言ってみて?」
「じゅ受験勉強をしてたんだぜ。志望校に落ちちゃったから一年浪人して、やっと目標の学校に入れたんだ。今はやっと時間も落ち着いてきて、最近はバイトもはじめたんだぜ」
バイト代が入って少し懐に余裕がある俺は、つい自慢げにいらないことを言ってしまったらしい。
「ふうん。バイトする時間はあったのに、WEB小説の更新する時間はないんだ?」
「…………」
歩みを止めてジっと睨み付けてくる小柄なクフィルちゃんに俺は言葉を無くしてしまった。
「知ってるお兄ちゃん? お兄ちゃんはこの世界を創造するにあたって、いろいろな事を小説の中に書き込んだよね。世の中の地理情報、種族と人口の分布図、特産物は何かとか人間たちがどんな生活をしているのかとか」
「あの頃はこだわって色々書いたなあ。設定って作ってるとき楽しいんだよね」
「でもお兄ちゃん、大切なことを忘れていたよね。お兄ちゃんの作り上げたファンタジー世界の主人公はあたしなのに、あたしの住んでいる魔王城の設定だけは適当だったもんね!」
「あっと、その。すまん……」
そうなのである。
俺は黒歴史となった小説の世界観はけっこう設定詰め込んだはずだったけれど、魔王城の書き込みだけは超テキトーだった。
「洞窟の中、創造神の妹にして魔王クフィルは玉座を構えていた。天然の洞窟を魔族の神殿風にあしらえたそれは、一見すると豪奢なつくりをしている様に見えていた」
ゴソゴソとマントに隠れた背中をあさったクフィルちゃんが、無駄に豪華な作りの一冊の本を取り出して、ペラペラとめくりながら読み上げた。
「一見すると豪華とか書いてたけど、大嘘だよ。設定がまったく書かれてなかったからとっても中途半端な造りになってるのよ! 寒いし天井から水は滴るし湿気が多いから、お洋服はいつも半乾きだし……おトイレだってボットンなんだかねっ」
ボットン……。
「部下がひとりもいない魔王とか、どうなってるのよもー」
「サーセン」
俺は謝罪するしかなかったのである。
あの頃――高校生だった頃の俺は何と無責任な創造神だったのであろうか。
俺の作り上げた世界が本当に存在しているのなら、ちゃんとしっかりと物語を書き進めていたものを。
「ま、まあ? 過ぎてしまった事はしょうがないよな。ちゃんと創造神としてクフィルちゃんのお引越し手伝うからね」
「うん。それと部下探しも手伝ってね……」
俺たちはだからこうして森の中を歩いていた。
湿気が多く狭くて暗いダンジョン――魔王城なんていやだ! というクフィルちゃんの願いをかなえるためにね。
「町はたしか、この森を抜けて少し平原を進んだところにあるんだっけ?」
「ええと、バイブルを確認するからちょっと待って」
ふたたび無駄に豪華な装丁の本をめくるクフィルちゃん。どうやらその本は、書きかけだった俺の小説そのものらしい。
「魔王城より森を抜けて北の平原を進んだ場所って書いてあるね。たぶんあってる」
「しかし、魔王さまが人間の街とかうろついても大丈夫なのかな……」
俺は当然の疑問を口にした。
「うーん、どうだろう? あたし、部下もいなかったしこの世界で何も悪さをしてないから、そもそも魔王として認知されていないと思うんだよねえ」
小首をかしげながらクフィルちゃんが思案した。
「というか、魔王のあたしより強い魔物が、あちこち跳梁跋扈している世界だからね……。あたし、お兄ちゃんが来るまでずっと魔王城で耐えてたんだから……」
そんな可愛そうな妹の言葉についウルっと来た俺は、たまらずクフィルちゃんを抱きしめようとした。
のだけれど、見事に広げた手をスルっと抜けられてしまう。
「お兄ちゃん何やってるの! 魔物、魔物ぉ!」
振り返るとそこには、豚面をした人型モンスターが複数立っていたのである。
「くっ殺せ!」
「ちょ、何言いだすのお兄ちゃんっ?」
豚面をした人型モンスターを目の前に、俺は覚悟を決めた。
「だってこいつら、オークでしょ? オークって言ったら村人を捕まえてあんな事やこんな事、いけない事をいっぱいしてくる連中じゃないか!」
「でも、あたしたち村人じゃないから!」
そうでした。俺たち創造神と魔王の兄妹でしたね。
「ちょっとあんたたち、いったい何なのよ。そこをどきなさい! ここにおわすお方は恐れ多くもこの世界の創造神・お兄ちゃんだよ!」
そんな説明ではたして通じるのかわからないが、クフィルちゃんがいかめしい顔をしてオークたちを睨み付けながら吠えた。
するとオークが口を開く。
「とんでもねえ! 俺たちゃ神様に歯向かうなんてしませんや……」
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話を聞いてみると、この森は恐ろしく恵まれていない場所なのだそうだ。
「森で生活をするという事は狩りをしたり採取をしたりするんですがね。この森、びっくりするほど動物がいないんですよ。動物がいないという事は、動物が食べるものがないという事です」
「一見すると豊かそうに見えるんだけどなあ」
木々の生い茂る森の中を見回す俺とクフィルちゃん。
「確かに森で生活をする動物はいるんですが、どうしてもウサギとかタヌキとかしかおらんのです。ウサギやタヌキでは俺たちの腹は膨れんのです。腹を満たすためにはシカかウシぐらいの大物でないと、家族を養っていけないんですよ」
「それ、環境学の講座で聞いたことがあるかもしれないね。植生が豊かじゃないと多様な動物たちがあつまってこないんだってね。人の手が入った里山なんかってのは、自然に存在する原生林よりもいろんな動植物がそこで命を育んでるんだってな」
ふと大学の講義で聞きかじったことを思い出した俺である。すると、
「ちょっとお兄ちゃん、神様の手が入らなくなってからこの世界が何年ぐらいたってると思ってるのっ」
「ええと、三年半?」
「お兄ちゃんにとっての三年半は、あたしたちこの世界で生活する人間にとっては三五〇〇年にもなるんだよ! 三五〇〇年、あたしはあの穴ぼこの中で放置されてたんだから、わかってる?」
ごめんなさい。
「で、俺たちはこの森を捨てて人間の町に出稼ぎに行こうと思ってたんでさあ。町なら探せば仕事もあるだろうし、それが無理ならどこかの村で小作でもやらせてもらえないかと……」
大きな上背をまるめてオークのひとりが言った。
君たちも苦労してるんだなこの世界で。わかるよ、などと余計な事を言ったら妹魔王に睨まれてしまうので言わずに黙っておいた。
「それで神様と魔王さまはどちらに?」
「俺たちも同じだよ。クフィルちゃんがあんな穴ぼこの魔王城はもうたくさんだって言うから、人間の町にお引越しししようと思ってたのさ」
な、と隣にいる妹魔王に声をかけた。
「そっそれなら、俺たちも連れて行ってください! 俺たちこんなナリでしょう? 豚面だって差別もひどいから、俺たちだけで言っても相手にされないかもしれねぇ。そこいくとおふたりは神様と魔王様だ。きっと人間どもも話を聞いてくれるに違いねえ」
そんな懇願をされたので、見捨てるわけにもいかず俺たちはオークのみなさんと街を目指す事になった。
魔王クフィルちゃんも気をよくして、
「じゃあ、あんたたち。あたしの手下になってくれるなら、連れて行ってあげるんだからねっ」
「ははぁ。どこまでもお供しますぜ魔王さま!」
人生三五〇〇年ではじめての部下が出来て、大喜びをした。
*
森を抜け、人里をいくつか横目にしながら平野の麦畑を通り過ぎていくと、やがて街道に出て町へとたどり着いた。
そこは立派なお城と神殿のある、人間たちがひしめきあって生活する空間だった。
木の建物、石造りの建物、レンガで出来た倉庫なども立ち並び、長屋もあればお屋敷もある。
「腹が減っては戦が出来ないというからね。お兄ちゃん冒険者ギルドに行くよっ」
俺たちはさっそく職を求めて冒険者ギルドへやってきた。
「ここが冒険者ギルドか……」
想像していたよりも立派なレンガ造りの建物は、一見すると倉庫の様にも見える。この重厚な建物の内部に、いかめしい肉体派紳士たちがせわしなく動き回っている姿が見える。
彼らが冒険者である。
「あのう。いいでしょうか?」
「お仕事案内ですか? 新規ご登録ですか?」
「新規ご登録でよろしくおねがいします」
俺たちはぞろぞろと受付のお姉さんがいるカウンターにやってくる。周囲の冒険者のみなさまは、ちんちくりん魔王と豚面の手下に俺を加えた集団を奇異の目で眺めてくるのだった。
君たちがジロジロ見ているの、魔王だからね。
「お名前とご職業、それから特技を書いてください」
「わかったわ。あんたたち文字は書ける?」
俺もオークもみんな文字は書けないので、クフィルちゃんにお任せすることにした。何と言ってもクフィルちゃんは上位古代文字までマスターしている指揮者だかんね。
確か設定でそういう事だけは黒歴史に書き込んだ記憶がある俺だった。
「というか魔王が冒険者ギルドに来てもいいのかねえ」
「いいんじゃないかしら、何にも言われなかったし」
受付のお姉さんに促されるままに新規ご登録の申込書を全員分書いたクフィルちゃんがそう言った。
「俺の申込書にはなんて書いたの?」
「名前、創造神。職業、神様。特技、世界の創造だけど?」
「それで疑われなかったのかよ?!」
「うん、何も言われなかったし。平気平気っ!」
というわけで無事に冒険者登録を済ませた俺たちは、冒険者である事を示す冒険者タグなるものをそれぞれぶん発行してもらい、これを首から下げる事になった。
さっそくクフィルちゃんとオークたちは仕事探しのために掲示板に向かう。
俺は文字が読めないので、後に付いていってぼんやりと掲示板を眺めているだけである。
「何から始めるのがいいかしらね。魔物退治とかやってみたいけど、あたしレベル1のままだから魔物とかちょっとまだ早いかな?」
「俺たちゃレベル3から5ですからねえ。このシカを捕まえる依頼っていうのやりませんか。森ではシカがあまりいなかったので、やってみたいんですが」
「ばっか、シカを追いかけて狩に出たら、しばらく帰ってこれないじゃないか。金になるのもずっと先だ」
魔王とその部下たちが盛り上がって仕事選びをしている。
するとハタと気が付いたらしいクフィルちゃんが、俺に向き直った。
「お兄ちゃん」
「な、何ですかね」
「この本に設定を加筆してくれないかしら?」
そう言って例の無駄に豪華な本を差し出してくるクフィルちゃんである。俺はそれを受け取ると、はじめてこの本のページをめくった。
そこには俺も知っている日本語で汚らしい文字が書き込まれているのを目撃した。
俺がもはや黒歴史となった異世界小説を書いていたのはWEB上での事だったが、確か下書きとして書いていたのは大学ノートだったはず。
その大学ノートの内容と同じ様に、赤線が引っ張られたり吹き出しに加筆ぶんが加えられたり、修正が入れられたりしている。
「こ、これに記述を増やすと設定が加わったりするのか?」
「だってこれ世界創造のバイブルだよ。ここに描かれていることがこの世界の出来事として発生するし、それは何より創造神の意志として優先されるはず」
「じゃあお前が加筆したら、もっとあの魔王城も穴ぼこじゃなくて心地よい居住空間になったんじゃ……」
「何言ってるのお兄ちゃん! お兄ちゃんは創造神なんだから、著者はお兄ちゃんに限られてるに決まってるでしょっ」
お叱りを受けてしまった俺は、慌てて手渡されたペンで加筆する事になった。
「何て書けばいいんだ」
「そうですなあ。とりあえず俺の顔をイケメンにしてください。あと仕事と住む場所が欲しいですな」
好き勝手なことを言い出すオークのひとりに、ビシリとクフィルちゃんがチョップを見舞った。
「あいてッ。何するんですか魔王様……」
「集団の輪を乱すような抜け駆けは、上司として許さないんだからねっ」
シュンとしたオーガに気をよくしたクフィルちゃんがこちらに向き直る。
「とりあえずあたしたちに、魔物が討伐出来る様な装備とスキルをあたえてちょうだい。そうね、魔剣とか欲しいわ。魔王専用の攻撃スキルと回復魔法? お兄ちゃんったら、あたしに無尽蔵の魔力とか与えてくれたくせにスキルの設定だけ書かなかったから……」
「じゃ、じゃあ俺もコンバインドボウと矢をください。あと弓強化スキルも!」
俺も俺も、と次々に要求を言われたので、あわてて冒険者ギルドのフリースペースにあるテーブルに腰かけて、俺は言われたまま、思いついたままに設定をスラスラと書き込んだのである。
世界を創造した神は魔王の求めに応じ、この世に降臨した。
また創造神はその脚で人間の町に向かい、確かな信仰を誓った信者たちに、それぞれのスキルをあたえたのである。
魔王にはふさわしい剣と攻撃スキル、そして回復魔法を。そしてオーガたちには弓とその弓を自在に扱えるスキル、あるいは槍と槍を自在に扱えるスキルである。
創造神のおこした奇跡に、魔王と信者たちは感謝し、信心を新たにするのであった。
「どうでもいいけどお兄ちゃん汚い文字だね」
「うるさいよ、放っとけ!」
次回投稿23時です。