令嬢のため息の裏で1(ランスロット視点)
「……ここまで変わるものとはな……」
ハイドロック卿からの報告書を一読し終わった私の鼻から、ふぅん、と息が漏れた。別に意識した訳ではなく、自然と出てしまったものだ。
執務室には、私だけ。側近たちは、すでに城を辞して自宅へ帰っている。秋の夜長は考え事をするには、丁度いい。侍従たちは隣室に待機させ、私は1人で情報の整理をしていた。
「母上の予想通り、貴族だからという理由だけで上に立てる時代は終わりつつあるようだ」
母は、10年ほど前から、寝たり起きたりの生活をしている。体を満足に動かせない分、頭を動かさなくてはならないと考えたらしい。頭を働かせるためには、何に置いても情報が必要との考えから、母はユーデクスとは別の、ご自分の網を作った。
ユーデクスに変わる、私の耳目アラクネも、母が作り上げた網を土台にしている。これがなければ、この短期間で今のポジションに持ってくることは難しかっただろう。ただ、下町の夫婦喧嘩の話題まで拾ってくるのには驚かされたが。しかも、事の顛末が喜劇のようで、思わず笑ってしまった。
「貴方が使えると思ったのなら、どんどん使いなさい。わたくしの物は、貴方の物でもあるのですから、遠慮などするものではありませんよ」
青白い顔、やせ細った肉体。筋肉も体力も衰える一方だろうに、私が知る母は、いつも背筋をピンと伸ばしている。その姿は、アヤメのように凛として美しい。
世間で言うところの母のイメージには全く一致しないが、私は彼女の息子である事を誇らしく思っている。
「出自を問わない、実力主義の時代の到来か……」
ハイドロック卿の報告書によると、来期の生徒会役員に立候補した生徒のほとんどは、庶民籍らしい。立候補した理由も、「貴族には任せておけない」というのが、ほとんどだ。
貴族籍の候補者は、私見で申し訳ないが、どれもパッとしない。マリエの義弟の名前もあるが──兄から推薦状を貰っておらず、理由も「貴族の名誉回復のために」としているあたり、父に似て空気を読む力はあるようだ。
それにしても、キアランは、本当にこの1年でずいぶんとやらかしてくれたものだ。役員立候補者の顔ぶれとその理由を見れば、弟の素行が原因だと察する事が出来る。
例えばそれは、春から夏の半ば頃まで相次いでいた、公務のキャンセル。
こちらは、学業優先のため、予定の変更があるかも知れないと最初から──後から知ったが、私の時もそうだったらしい──通達されているので、表向きの影響は弱い。どこの世界に、キャンセルありきで予定を組む馬鹿がいるのかと、宮内府の長官に怒鳴りつけてやったが。母も、同じ事をしたらしい。
おかげで、キアランはさほど責められずに済み、私は苦い思いをさせられている。
とは言っても、あくまでそれは表向きの話。学園内では──中には生徒が関わりのある物もあったため、突然理由もなく、欠席とあっては、大きな反発をかうのは必然だ。
キアランの問題行為も、そのほとんどは学園という閉鎖的な空間内での出来事であり、表にはあまり漏れていない。しかし、悪評は静かに深い所で広まっていくもの。
学生だからと擁護していた家も、キアラン離れが進みつつあると報告を受けている。
母に言わせると、キアランの問題行動は、この国の、甘すぎる王族教育にも原因があるらしい。
加えて、最悪のケースを考えて、予防線ばかりはる後ろ向きさも、問題だと言う。
全くその通りだ。我が子の代では、さっきの馬鹿な通達など絶対にさせない。無能だとアピールするようなものではないか。
この国の王は、甘やかされすぎて、ワガママで打たれ弱い性格になり、王座に就いてから、何度かの失敗で挫折し、臆病になるのが、歴代の特徴なのだそうだ。
父も、そうらしい。ほとんど操り人形みたいなものよ、と母は肩をすくめる。
「わたくしがこの国に嫁いだのは、その負の連鎖を断ち切るためだと思っているわ。あなたに、厳しく接したのもそう。でも、あの女の息子に天秤が傾いて……あの子ではダメだわ。負の連鎖は断ち切れない」
「私もそう思います。ガイナス聖教に喧嘩を吹っ掛けるような真似をした王族は、過去にも例がありませんからね。レディ・マリエールの機転で何とかなりましたが──」
「何とかなってしまっただけに、キアランの関与も表ざたにはならなかったものね」
とはいえ、なかった事になる訳ではないので、マザー・ケートにはきっちりと、弟の関与の口止め金と賠償金を請求された。これは、我が家だけでなく、他の家も同じである。
もっとも、彼女とその周囲の口を封じたところで、どこからともなく漏れて行くのが、悪評というものだが。
余談として、コンサートの演出に発想を得て、別々の主に仕える事になった双子の妖精の物語が、王立劇場で上演に向けて、活動を始めたらしい。タイトルは『ニーニャとニーニョ』と言うそうだ。
しかも、ジェネラル・フロストを巡る恋愛模様も並行して描かれるとか何とか……冗談みたいな話である。この事を聞いたチトセは「冗談、顔だけにしてよ」と頭を抱えていた。
つまり、結果的にコンサートは、大成功に終わったと言える。とはいえ、それとこれとは話が別。王妃はキアランを叱り飛ばしたと言うが、息子に甘いあの人の事だから、効果はあまり期待できない。
「晩さん会の欠席と朝食会の中止。こちらも、過去に例がない訳ではないから、顔を顰められはするものの、致命的とは言えないわね。後は、そう……冒険者ギルドでの暴言も、場所と言い方が悪かっただけで、必ずしも一方的に責められる意見ではないでしょう」
ダンジョン攻略は貴族の嗜みだと言われる一方で、それを疑問視する声も少なくない。特に貴族の娘が、そんな危険な場に赴くのは良くないのではないか、という意見もある。
民を守れる武力あってこその貴族という意見。例え貴族の生まれであっても、女まで戦わせるのはいかがなものか、という意見。どちらも、間違っていないと思えるだけに、この問題は根が深い。
「それでも、そろそろ、幕を引かねばならないと考えています」
「そうね。可哀想だとは思うけれど、それも、仕方のない事ね」
キアランとマリエールの仲が離れれば、キアランを追い落とす事は難しくない。
ただ一言、教皇へ進言すれば、それで済む。
教皇が優先するのは、マリエの意思と幸せであり、この国の意向や繁栄は2の次だからだ。
しかし、それをしなかった理由は……自分でもよく分からない。キアランが自ら変わる事を望んでいたのか、変わらぬままより深い沼地へ落ちていくよう仕向けたかったのか……。
人の業の深さ垣間見たような気がして、恐ろしさにぶるりと体を震わせたとき、リリンと小さな鈴の音が鳴った。心臓が口から飛び出そうになるほど、驚いたのは秘密だ。
小さく息を吐き、呼吸を整えてから、コツコツと机を2度叩く。
すると、執務室に座る私の右の壁に備え付けていた本棚が、手前に押し出された。隠し扉になっている本棚を開けたのは、全身を濃い茶色の装束で固めた男だった。
アスピスという名の彼はアラクネの一員で、王妃の様子を探らせていたのである。
「ただ今、返事が届けられました」
「そうか。様子はどうだった?」
アスピスの報告を聞いた私は、机の端に立てておいてある、スケジュールボードに手を伸ばした。このボードには、チトセから貰った、貼ってはがせる付箋を使用している。これは、とても便利で、最初に見せられた時は、技術の進歩は凄いなと、大いに感心したものだ。
この付箋の量産化に向けて、資金援助を申し出たのは言うまでもない。
「生徒会室より送り届けられた物をひっくり返している最中だったようで、青い顔をさらに青くさせていました。他の連中も含めて、半泣きでしたよ」
私はボードに貼っていた、『生誕祭の寄付手配』と書いてある付箋をはがし、それをごみ箱に捨てる。この案件は、王妃の手の中に戻ったので、気を配る必要がなくなったからだ。
「半泣きはともかく、大体は予想の範囲内か。生徒会室の明け渡し準備を進めていなかったのは、予想外だったが」
キアランも他の連中も、マリエが側にいない現実をいまだに認識していないらしいな。あるいは、認めたくないのかも知れないが。どちらにしろ、いまだにスケジュール管理すらままならないという、情けない実態が浮き彫りになっただけだな。
元々、ハルデュスの祝祭、リュンポスの生誕祭、両方の寄付は私が手配するつもりだったのだ。私の白薔薇が王妃より託された事業だし、調整を考えればその方が良いだろうと考えたのだが、王妃がキアランにさせると、言い出したのである。
「あの子ももうすぐ卒業です。王族として、出来る事はしていってもらわねばなりません」
と、こう言うのだ。おっしゃる事はごもっとも。
しかし、今のキアランにそれができるとは思えなかった。何度か、素行不良を理由に考え直すように進言したのだが、二言目には
「マリエールがいるのだから、大丈夫です」──だ。
そのマリエールがいないから、言っているのに、こちらも現実を理解していない。
キアランが空けた公務の穴を、マリエが埋めなくなって、半年が経過しているというのに、何を言っているのか。困った子と、その都度嗜めてはいたようだが──結果は、芳しくない。キアランが聞く耳を持っていないのだから、当然といえば当然か。
王妃は、今のこの状況は、キアランの将来を考え、未来の国王を育てるため、心を鬼にしているのだと解釈しているらしい。ポジティブと言えば聞こえはいいが──現実が見えてない、夢見がちな思考とも言える。
マリエがキアランから離れるなんて、あり得ないと思っているあたり、末期だろう。
いい加減目を覚ましてもらいたいので、夕食の席で「マリエールはキアランに愛想をつかしつつあるようだ」「実際、キアランは祝祭の寄付の手配を終わらせていない」と報告した。
これには王妃も顔を青ざめさせ、すぐに確認するし、キアランに説教をする、と答えてくれた。時間をとって、マリエールと話をする、とも。
無駄にはなるまいと思ってあらかじめ手配させていた、お菓子の発注書を王妃に送り、後は彼女に任せておけば、大丈夫だろう。
「あの馬鹿王子の尻ぬぐいをいつまでなさるおつもりですか?」
「厳しいな」
不満を隠せない、アスピスに私はつい笑ってしまう。
笑い事ではありません、と言われてしまったが、笑うくらいいいじゃないか。
「表ざたにはなっていないとは言え、キアランの言動は目に余る。それでもなお、キアランを推すような問題児は、私の下に必要ないと思わないか?」
「あぁ、そういう事でしたか」
「そういう事だ」
毒も薬も使いようだが、腐っている物は、土にかえすしかあるまい。
ここまで、お読みくださりありがとうございました。
物語の進め方って、難しいですね。色々と考えさせられます。