側近への苦言は、生徒会室で
「……これ、未開封っぽいがいいのか?」
「どれ、ですか?」
嫌な予感がする。頬の筋肉がぴくっと反応したのは、不可抗力だと思う。
これだと、ハイドロック卿が差し出した書類用の封筒を、あたしはびくびくしながら受け取った。
予想通りと言おうか、何と言おうか……封筒の下には王家の紋章。中身は割と厚めなので、何かの資料だと思われる。
ハイドロック卿は、学園生徒会の顧問をつとめる法術理論の講師だ。白衣と細いフレームの眼鏡、無精ひげに咥え煙草(火はついてない)がチャームポイントのチョイ悪親父である。
ご本人は、准男爵だけど、ご出身は由緒正しい伯爵家の方。とは言っても、学園の一講師にすぎない、彼が、王家の紋章が配された封筒を勝手に開けたりする事はできない。
そこで、どこかの誰かさんの婚約者で、公務に携わった経験のあるあたしに中身を改めてもらえないか、という訳なのだ。あんまり褒められた事ではないけど、当の本人が無視を決め込んでいるのだから、仕方がない。ハイドロック卿も、ほとほと困り果てているようだった。
お返事は一旦保留にして、ランスロット殿下に理由を話したところ、王家の紋章入りの物であっても中身を改める許可を頂けた。そんな訳で、こうしてせっせと働いているのである。
ちなみに、あたしからの要請にランスロット殿下は、
「彼女に見られて困るような決裁を(あの馬鹿に)回してはいないから、気にするなと伝えてくれ」
と、イイ笑顔で言ったそうだ。
元々仲の良いご兄弟ではなかったけれど、最近はますます顕著になってきている。原因の大半は、もちろん、あの馬鹿にある事は間違いないと思う。
さて、ここはどこで、あたしが何をしているのかというと、生徒会室にて次期生徒会役員に部屋を明け渡す為の片付けに追われています。厳密にいうと、生徒会とは無関係なのに!
無関係と言えば、インドラさんもそうだ。あたしの護衛なのに、花畑オーナーズの私物の搬送を手伝ってくれている。いや、本当に申し訳ない。
何でそんな事をしているのかと言えば、オーナーズの生徒会役員任期が終了したからである。え? 意味が分からない? あたしも、最初は意味が分からなかったよ。
生徒会役員の任期は1年。毎年夏季休暇終了後に、立候補受付がはじまり、半月後に投票が行われる。インドラさんと会ったのは、立候補受付の締切日だった。
ちなみに、立候補は自薦他薦を問わない。現役生徒会役員から推薦をもらえたら、ほぼ当選したも同然──らしい。生徒会室へ自己アピールに来るのは、推薦欲しさによる行動である。でも、今回の立候補者は誰一人として、現役の役員から推薦をもらっていなかった。
選挙委員も驚き! って、学園新聞に掲載されていたわ。
「アレに推薦されでもしたら、逆に落ちてしまうわ」
と言うのがベルの主張である。そんな事ない、と言えないのが何とも……。
少し脱線してしまったけれど、本来なら現役生徒会の役員は、次の役員の為に生徒会室を明け渡す準備をしなくてはいけない時期なのである。
任期は1年だが、オーナーズは、2年間、役員をつとめていた。2年もあれば、生徒会室には私物も持ち込まれる。
例えば、アト様に供したウィロウ・パターンのカップもそう。
歴代役員の中には、わざと私物を置いていく人もいるそうだ。それが、役員の習わしとして定着してしまい、かなりの数が残されているらしい。その中には、アンティークとしての価値が出て、高額で取引される物もあるんだと、ハイドロック卿が笑っていた。
先日、アト様が学園に来ていたのも、ズバリ、それが理由。生徒会コレクションの一部を引き取らせてほしい、と交渉に来ていたからなんだとか。なるほど、納得。
話を元に戻して、私物を置いていくのであれば、その目録を作らなくてはいけない。持ち帰るのを忘れたのか、わざと置いていったのか、はっきりさせておく必要があるんだとか。
何でも、昔、そういうトラブルがあったので、ルールを作ったらしい。
何よりも重要なのが、生徒会室はそのままキアランの執務室として使用されていた事。
今、あたしが嫌な予感をひしひしと感じている封筒のような物が、ここにはいくつも置いてあるのである。もちろん、これらは基本、マル秘扱い。
という事は、当然、片付ける必要がある。
な・の・に、だ。
あいつらは片付けに来ないのである。立つ鳥跡を濁さず、という言葉を知らんのか!? と言いたい。
もちろん、ハイドロック卿だっていきなり片付けろ、と言い出した訳じゃない。生徒会の顧問となって、5年目なのだから、スケジュールくらいは把握している。
建国祭が終わってから、少しずつ生徒会室を片付けるように、と言っていたそうだ。
な・の・に、ちっとも片付いてない。そこで、あたしにお鉢が回って来たのである。
「レディ・マリエールからも、言ってくれないか?」
と言う訳だ。そういう事ならと、何度か接触を試みた訳ですが……あいつら、あたしの顔を見ると逃げやがるのである。
「言われなくても分かっている」「お前に言われるまでもない」──と、こうである。
ところが、だ。実際はご覧の通り。あいつらはちっっとも分かっていなかったのである。予想はしてたがな! こうなりゃ、最終手段とばかりにランスロット殿下へ現状を訴え、勝手に処分してよいか、裁量を仰いだのだ。
「どいつもこいつも……っ、私はっ、私の白薔薇の心配だけしていたいというのに……っ」
歯ぎしりが聞こえて来そうだったとは、使いに出した者の感想である。南無。
私の白薔薇こと、パトリシア妃殿下は、ただ今つわりに苦しんでいらっしゃるそうだ。
ランスロット殿下は、妃殿下のお腹に向かって「母さまをあまり苦しめてくれるな」と土下座しそうな雰囲気で、話しかけていたと妃殿下から暴露手紙を頂いている。
ゲーム内でのキアランの話から、冷たい方だという印象があったランスロット殿下だが、本性は嫁バカポエマーらしい。あたしに関わりのない所で、好きなだけいちゃついていればいいと思う。……あたしも、そんな風に溺愛されてみたい、と思わなくもないけども。
寄り道と言う名の現実逃避をしていても、手の中にある書類は消えてなくならない。
そろそろ、現実と向き合わなくては。あたしは、意を決して封を開け、中身を確認──
…………………………うそ…………?
認めたくない。認めたくないわ、これを……この中にある物をっっ………! 理解する事を拒否して、地蔵と化していたら、
「っな!? レディ・マリエール・シオンっ?! 君がっ、どうしてここに……っ!? それに、ここで何をしているんですかっ?!」
ノックもなく、生徒会室に入って来たのはグレッグ・エマーソンだった。眼鏡のブリッジを中指で持ち上げる様は、いかにも神経質そう。その神経質さが、今はイラッとくるわ。
「レディ・マリエールには、生徒会室の片付けを頼んでいる。お前らときたら、ちっとも片付けやがらねえからな。お蔭で、俺まで駆り出されて、こんなギリギリに片付けをしなきゃならなくなっちまったじゃねえか」
グレッグの問いに答えたのは、ハイドロック卿である。
「は? 何をおっしゃっているんです? 生徒会室は引き続きキアラン殿下が執務室として使用するはずですから、片付けが必要になるのはまだ先の事です」
「何を言ってるんだ、は、俺のセリフだな。そんな話は誰からも聞いていないし、申請も受けていない。百万が一、そういう事になっていたとしても、だ。執務に関わる書類と生徒会関連の書類と資料は分ける必要があるだろうが」
ハイドロック卿の視線が、ブリザードです。顔に、コイツ殴りてえって書いてますね。
確かに、グレッグの主張も分からなくはない。残りの学園生活用に、新しくキアランの執務室を用意するよりは、既存の生徒会室をそのまま流用した方が楽なのは分かる。
でも、そうしたいのなら、生徒会室を新たに用意しなきゃならん事ぐらい、理解しろ! 言い方は悪いが、どこの馬の骨とも分からん生徒の横で、執務をする気か!
「それだけじゃない。ミスタ・エマーソン。俺は、この請求書を建国祭の経費として処理できないと、突き返したはずだが? 何故、決裁処理が通っているんだ?」
会長席のデスクに置かれたファイルの上にぽんっと手を置く、ハイドロック卿。
グレッグはファイルの中身を改め、「建国祭の時に使用した物なのだから、経費で落とすのは当然でしょう」と食って掛かる。
「馬鹿を言え。建国祭の生徒会予算に衣装代なんて項目はない。よって、これは認められない。一応、学園で立替てはおいたが、請求書は使用者の実家に回してあるからな」
「っな!?」
彼が反応したのは『使用者の実家』というところだろう。ハイドロック卿は、お説教のような嫌味のようなセリフを吐き続ける。
要約すると、建国祭の生徒会予算は集団に支給されるものであって、個人に支給される物ではない。
生徒会とは、不特定多数の生徒の学園生活を支援するものであって、一部の例外を除いて、個人の学園生活を支援するものではない。
こんな基本中の基本すら分かっていないくせに、生徒会役員を名乗るのか。──と、まあ、このような内容である。
うん、分かっちゃったよ、あたし。同時に目眩と頭痛がしてきたわ。
建国祭の日、教会前で見た、菜の花色のワンピース。あれ、私服じゃなかったのね。あのワンピース、生徒会予算で作っちゃったのね!? ──最悪の評判だった理由がまた1つ明らかになったわ。建国祭でのコーラス発表は例年、制服のままだもの。学園の生徒である誇りをね、アピールしているのよ。
すっかり忘れてたけど、そう言えば、ゲームでもコーラス発表の時に衣装について、選択肢が出てきたわ。ミシェルは、攻略対象の好感度上昇にのみ、まい進しているようね。
……自分からバッドエンドに向かっているとは恐れ入る。多分、無自覚なんだろうけども。
それはそれとして、だ。
「お話し中、恐れ入りますわ。ミスタ・エマーソン? ちょっとよろしいかしら?」
「……何でしょう?」
あからさまに表情を歪められたが、そんな物で怯んではいられない。一応、微笑んではみせたけれど、額には確実に青筋が浮かんでいる。
あたしは、たった今中身を改めた書類封筒をチラつかせ、
「何故、これが中身を改められた様子もなく、放置されているのか、理由を伺っても? これはハルデュスの祝祭に関する書類ですわ。ご存知ですよね? 今年はパトリシア妃殿下のお体を気遣われたランスロット殿下が、キアラン殿下へ手配を一任したと、伺っておりますが? 3代続いた、王家の、孤児院への寄付の話ですわ」
グレッグの表情が、みるみるうちに青ざめていく。
ハルデュスの祝祭とは、『ファン・ブル』版のハロウィンであり、祝祭の由来はお盆そのもの。
人々は、ハルデュス・ウィークの初日に野菜で作ったランタンを家の戸口に飾り、11日間は帰ってきた祖先をもてなす為、日中もずっと明かりを灯し続ける。
ハルデュスの祝祭は、その中日にあたり、この日は、仮装をして街を練り歩き、子供たちはお菓子をもらう。トリックオアトリートが健在なのは、まあ……イベントなのだから、仕方あるまい。
この日、孤児院にお菓子の寄付をするようになったのは、先の王妃陛下がまだ、王太子妃でいらっしゃった頃から。王太子妃から王妃となり、やがて義理の娘──現王妃陛下の事だ──に受け継がれ、今はパトリシア妃殿下に任されている。
が、パトリシア妃殿下は現在つわりが酷いので、今年はキアランに手配を頼みたいと、ランスロット殿下から申し出があったそうなのだ。ちなみに、寄付は表向き、妃殿下の名前で行われる。
「こういった事に関しては、わたしの方が詳しいだろうから、手助けをしてやってほしいと、ランスロット殿下からお話がございましたので? 配るお菓子の種類や数など、余計な世話かとは存じますが参考になればと思い、リストを作成してお渡ししたかと思いますが? 兄は、殿下に渡しておりませんか?」
もはや王室の伝統と言ってもいい、ハルデュスの寄付。これは、上流階級にも浸透しており、我が家でも母が手配をしている。
ある意味、貴族の常識とも言える訳だが──
「……廃棄書類の中にリストが紛れていましたよ。確認された形跡はありませんね」
インドラさん! そういや、いたわね、いましたね! 今、超空気だったよ!
でも、それよりも、未確認っていう、その言葉は聞き逃せない! ハルデュスの祝祭は、来月なのよ!? 今から手配して、間に合うと?
「念のためにお伺いしますが、来週のブラッドレイ・ステークスの閉会式でのスピーチも考えていらっしゃいますわよね? リュンポス生誕祭では救貧院へ寄付いたしますが、そちらの手配も一任されていたはずですが、こちらはどうなさるおつもりですの?」
それから、と続けようとしたら、グレッグは青い顔のまま、
「よ、用があるので、失礼するっ!」
踵を返して退室していった。
「逃げたな」
「逃げましたね」
「──仕事がやりやすいよう、仕分けをしてから送りましょう」
せめてもの情けです、とインドラさん。親切ですねえ。
ここまで、お読みくださり、ありがとうございました。
苦言と言いますか、イヤミと言いますか……崖っぷちオーナーズに、明日はあるのか!?
先週は、短編の方を更新しております。『副会長の時間外業務報告』 http://ncode.syosetu.com/n3666db/2/
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