蒼白モノの現状把握は、彼からの報告で 2
必要な事だったとは言え……アト様のお話は、あたしの精神をガリガリ削ってくれました。
一応、仮にも、侯爵家令嬢ですから? きちんと座ってはおりますけれども……正直、このまま机に突っ伏して、現実逃避したい。思わず、机に「の」の次を書いてしまう、あたしを許してほしい。
「つい先ほど、偉そうな事を言ったばかりで恐縮なのですが、わたしは一体、どうしたらよいのでしょう?」
何かもう、八方ふさがりになった気分だ。
「心配しなくても、君は今まで通りでいい。この件について、君の落ち度は全くと言っていいほどないのだから」
「……そうでしょうか?」
「そうだとも」
思わず上目遣いでアト様に尋ねれば、彼は即答してくれた。
「君はきちんと護衛を連れていただろう? あの彼だって、ユーデクスが唆さなければ、君にあんな行動をとる事はなかったはずだ」
確かに。第一、あんな事が起こり得ると予想できる人間なんて、いないだろう、とアト様。
「ユーデクスが付いていた訳だし、それに加えてスズメーズとちびこもいたのだから、護衛としてはむしろ過剰なくらいだ」
護衛として、ちびちゃんが頭数に入っている件について、あたしは誰に突っ込めばよいのでしょうか? いや、頼りになったけどね、ちびちゃん!
「問題があったとすれば、選んだ手段の方だな」
わざと誘拐されて相手の目的や黒幕などを探るのも、有効な手立てである事には違いない。ただ、ここはルドラッシュ村ではなく、王都である。三つ子とちびちゃんの発言力は、なきに等しい、とアト様は苦い顔を作った。
「これがルドラッシュ村やその近隣で起きた事なら、令嬢の醜聞に繋がりはしないだろう。村の者は、スズメーズとちびこの強さを知っている。あの子らが、そんな事はなかったと言えば、皆はそれを信じるだろう。そんなヘマをするはずがないとね」
でも、王都であれば話は別。
彼らがいくら何もなかったと言っても、信用がない。また、噂の広がる範囲が村とは比べものにならず、疑いを完全に晴らす事は難しいだろう。
「その事は、きちんと説教しておいたから、次からこんなミスはしないと思うが……」
「次があるのは困ります」
「君の言う通りだ」
喉の奥を振るわせて笑ったアト様は、あまりここに長居するのも問題だろうから、出ようか、と言った。確かに、いつまでもここにいたって、仕方がありませんね。
出ようか、という言葉はそのまま、アト様がそろそろ帰宅するつもりである事も伺わせた。
移動できるくらいには回復したし、美術室から出る事に反対はしない。はいと返事をすれば、すかさず席を立ったハンナが、椅子を後ろに引いてくれた。
美術室を出て、施錠し、さあ馬車溜まりへ向かいましょうか、と体をそちらへ向けた時である。
「レディ・マリエールッ!」
怒っていますと言わんばかりの態度で、こちらにツカツカ詰め寄って来るのは、生徒会室にはいなかった彼。オズワルドである。相変わらず、前髪が長くて鬱陶しい。
どうでもいいけど、アンタらはいちいちあたしの名前を叫ばなきゃ気がすまんのか。
「何か御用でも? ミスター」
あたしも、腹の虫の居所が悪いですけど、何か? という態度を隠しもせずに応じた訳だけど、オズワルドの後ろにチトセさんとカーラがいる事に少し驚いた。
カーラが一緒なのは、途中で会ったから、なんだろうけど……チトセさんは何故?
そして、彼の後ろをついて歩く、銀髪の執事風の彼は何者? ちびちゃんは、チトセさんに抱っこされて、お昼寝中のようだけれど。
喧嘩腰のオズワルドよりも、後ろの人たちの方が何倍も気になる。そちらに、意識を向けていたら、
「どうして僕が、君なんかを守らなきゃならないんだ!?」
彼が不満を隠そうともせずに、叫んだ。
キアランや愚兄もそうだけど、どうして、アンタらはそう、喧嘩腰で会話をしようとするのかね。腹が立つったら。
「何の話でしょう?」
「とぼけるな! ミシェルを妬んで、君が先生に無茶を言ったんだろう?!」
彼女のどこを妬めとおっしゃるのか。妬む要素は、どこにもないと思いますがね?
それに、先生って誰よ。さっぱり分からない。分からないから、
「お話の内容は、まっっっっったく理解できませんが、あなたに守っていただく必要はございませんので、どうぞ、お引き取り下さい」
副音声は「意味不明。早よ、帰れ」である。
すると、まあ、どうした事でしょう! オズワルドは、不満たらたらの表情から一変、ふふんと勝ち誇ったような顔──目元が前髪で隠れているから、よく分からないけど、そんな雰囲気──で振り返り、
「聞いたな。レディ・マリエールが僕を不要だと言ったのだから、僕は彼女を守ったりなんかしないぞ」
チトセさんに宣言し、幻の彼女と砂浜で追いかけっこをしているような足取りで、あたしの前から消えていった。正直、気持ち悪い。
「……何だったの、あれは」
「うん。ただの馬鹿だね」
「考えなしの大馬鹿者ですね」
あたしのつぶやきに答えたのは、チトセさんと銀髪執事の彼である。
ええと……? 反応に困っていると、チトセさんが、
「まずは、彼を紹介しないとね。彼は、いっちゃんこと、インドラさんです」
半身を引いて、執事姿の彼を紹介してくれたら──
「チトセ、次にそう呼んだら──覚悟して下さいね」
あら、ヤだ。インドラさん、イイ笑顔―。
インドラさんは、今まで会った人の中で、一番背が高い。あたしよりも頭1つ分、チトセさんたちよりもまだ、背が高いのよ。それに、がっしりめの体格だ。
肌は褐色で、シトリンの目だから、外国の人なのだろう。南の出身かしら? 緩めに編んだ、長い髪は赤いリボンで纏められている。髪の色は、ちょっとくすんだ銀色だ。
エキゾチック美人の登場であります。恰好は典型的な執事スタイルだ。これがまた、よくお似合いで。
「お初に御目文字いたします、インドラ、と申します。今後、お側近くに控えさせていただく事が多々ございます故、お見知りおきくださいますよう、お願い申し上げます」
「……初めまして。マリエール・シオンですわ。ええと……その……?」
側に控えるとは、何ぞや?
インドラさんのおっしゃる意味が分かりかて、チトセさんに、ヘルプコール。すると、
「教会側から、派遣された護衛だよ。実力は、ちびこさんのお墨付きだから大丈夫」
そんな、親戚の子供に小遣いをあげるような口調で、さらっと言わんでくださいよ。
「教会の人間には見えないが?」
「うん。本当は教会の人間じゃないからね。実際は、バドさんから借りたんだー。あ、マムは知ってるから、大丈夫」
立場を偽造してもらっちゃった、とテヘペロ顔のチトセさん。
いいのか、それは。あたしは、立場の偽造ってトコロに反応したけど、アト様のネックは別のところにあったみたい。
「ちょっと待て。そのバドさんと言うのは、私の知っている、あの、のんびりした彼か?」
アト様、頬の筋肉が引きつっていらっしゃいますよ。何者ですか、そのバドさんと仰る方は。のんびりしていらっしゃるのなら、悪い人ではないと思うのですけどもー?
「俺の知ってるバドさんも、そのバドさんしかいないよ?」
「──あの方をそのように呼ぶのは、貴方がただけでしょうね」
インドラさんは、呆れ顔。あ、アト様が言葉にならない怒り(?)のようなものを抱えて、呻いていらっしゃるわ。チトセさんは、通常運転だし。何、この反応の温度差は。
そのバドさんとやらは、一体、何者なのかしら? 聞きたいような、聞きたくないような。
でも、それよりも、だ。
「何故、教会から護衛が?」
あたしが首を傾げると、チトセさんも同じ方向に首を傾げ、
「冒険者ギルドで遭遇した般若から守るため?」
般若? はて、誰の事かと首を反対に傾けたところで、思い出す。あ、ヒロイン様か。
「本当は、さっきの彼も学園内での君の護衛を命じられたんだけどね」
「清々しいまでの命令無視でしたね。その方が私としてはやりやすくて助かりますが」
なるほど、馬鹿呼ばわりされる訳である。教会からの命令を無視って……立場的に大きな問題になりそうな気がするんですけどね、オズワルドさんや。
「理由を説明しなかったマムと、理由を聞こうともしなかったあの坊や。どっちもどっちっちゃ、どっちもどっちだよねえ」
「理由を聞かされようが聞かされまいが、先方から断られた事を免罪符にして、命令を無視するなど、許されませんよ」
あたしに喧嘩を売りに来たんじゃなかったの? 思わずつぶやけば、「そうとしか思えないよねえ」とチトセさんは、けらけら笑う。
「……チトセ、彼がここにいて問題はないんだな?」
「ナイヨー。って言うか、護衛って単なる滞在の言い訳みたいなモンなんだよね。インドラの目的は別……って、すっげー個人的な事だから、そのシメてやろうか、っていう顔ヤメテ」
呻くような声で、何とか言葉を絞り出したアト様。それに比べて、チトセさんの涼しい事。何、このギャップ。インドラさんは、仕方ないですねえって顔で笑ってるし。
さっきから、何なのこの温度差は。あたしたち、置き去りですよ。知らなくていい話なら、ここでしないでもらいたいんですけどもー?
「まま、ここでする話じゃないから、場所を移そうか」
「それは構わないが、レディ・マリエールは寮へ戻るのだろう?」
「ええ」
週末と長期休暇は家に帰るが、平日は寮生活をしている。門限にはまだ時間があると言っても、それほどのんびりはしていられない。ハンナとカーラは、あたしを寮に送り届けた後、家から持って来てもらったティーセットを持って、侯爵家に帰らなくちゃいけないし。
「では、メイドたちには一足先に侯爵家へ帰っていただきましょう」
「そ、そのようなこ……っ!?」
うん? な、何が起きたの今。目の前で起きた事が、自分でもよく分からないわ。
インドラさんが、ハンナたちを先に侯爵家へ帰すと言いながら、指をパッチン。
カーラが、彼の言葉を遮るように、そんな事はできないと言おうとしたのだろうけれど、指パッチンで黙ってしまった。それだけじゃない、何か急に人形のようにおとなしくなってしまった。カーラだけじゃない。ハンナもだ。
「何の心配もありませんよ、レディー。ちょっとした催眠術です。この2人には、このまま侯爵家へお帰り願います」
は? え? 指パッチンで催眠術になんてかけられるものなの!? 法術って、そんなに簡単なものだった? って、アト様が苦悩していらっしゃるわ。早まった、って顔をしていらっしゃるもの。分かりました。普通じゃないのね、これは。
ここは、新しい呪文を唱える必要があると判断するしかないようね。
チトセさんのお知り合いなんだもの、何でもアリに決まってるワー。
ハイ、オッケエッ!
「マリエさんの、その悟ったような顔がちょっとひっかかるけど、まあ、いいか。寮の門限までには間に合うように送るから。話は、アトさんの馬車の中でって、事でいい?」
「ああ、構わない。教会が護衛を送り込む事は、報告を聞いた時点で想定していたが……何故、バドさんが出てくるのか、きっちり説明してもらうぞ」
「労働基準法が経営者に適用されないからって、いくら俺でも、そろそろ過労死するわ!」
チトセさん、魂の叫びでした。っていうか、労働基準法なんて、この国にあったっけ?
ここまで、お読みくださり、ありがとうございました。
前回、オズワルドがいなかったのは、マザー・ケートに呼び出されていたからです。
呼び出した意味は、遭遇後、30秒で灰燼に帰されてしまいましたが……。残念な御一行はどこまでも残念。