午前中は噴水前で
あわわわ。日間ランキング入りなんて……感謝驚愕多謝感激
あたしがチトセさんと会ってから、しばらく経った日。
あたしは、クイーン・セントラルパークにチトセさんを呼びだした。
情報がある程度集まったので、交渉に進めると判断したからである。
指定したのは、あたしたちが会った、ベンチ。ここは、クイーン・セントラルパークのほぼ中心で、定番の待ち合わせスポットでもある。
マルガリータ女王陛下──三代前の女王陛下らしい──の彫刻が飾られた、三段の噴水が設置されていて、夏の日の待ち合わせ場所としては悪くない場所だ。
「おはよう」
「おはようございます。お待たせしてしまいましたか?」
「大丈夫だよ。ついさっき来たところだから」
チトセさんはベンチに座らず、近くの外灯の下で手帳を広げていた。あたしが声をかけると、彼はにこり笑って、手帳を懐にしまった。
この間は、座っていて気付かなかったけど、チトセさんはけっこう背が高い。190センチ近くあるんじゃないだろうか。首をほぼ直角に曲げないといけないから大変だ。
「首が辛いだろうから、座ろうか」
「え、ええ。すみません」
なのに、座ったら、ほとんど目線が変わらないって、どういうことだ!? チトセさん、足長すぎ! チャーリーもこんなに身長が高かったのかしら?
「謝る事じゃないのに。ところで、マリエさん、雰囲気変わったね」
「分かりますか?」
「そりゃあね。この間は不幸の精霊とは大親友なんです、っていうような顔してたもん」
からからと笑う、チトセさん。はい、そうですね。あたしもそう思います。
「何て言いますか……今までは自覚のないまま、マリエールという役を演じていたんです。でも、今は、役と役者の切り替えができるようになりました。今は、役者の真理江ですよ」
あたしは、マリエールから真理江に戻れたことで生まれた疑問や、価値観のチェンジなどをチトセさんに話した。もちろん、婚約破棄大歓迎、侯爵家追放ばっちこ~い! という本音もだ。
「なるほどねえ。性格矯正の法術……か。禁術に含められていたはずだけど、世の中にある以上、使えるモンは使わなきゃ損だもんねえ」
「あるんですか?! やっぱり」
「あるよ。俺も法術は専門外だけどね」
「それは、あたしも同じですね。ところで、ちびちゃんは? 今日はいないんですか?」
「ちびこは今、辺境伯と一緒に近衛の視察中だよ」
「ちびちゃんが、ですか?」
「伊達にリッテ商会の名誉顧問はやってないよ。この間、言ってたでしょ? 『わたちはちょっぴりえやくてちゅよいのだー』って」
確かに言っていた。
でも、その強いって、子供基準よねえ? あたしが首を傾げていると、
「アルフォンス・マインヘッドって知ってる?」
「え? あ、はい。マインヘッド伯爵家のご次男ですね」
チトセさんが、突然話題を変えたので、少し戸惑いつつも、言葉を返した。
「去年学園を優秀な成績で卒業されて、騎士団に入団なさったと……将来有望な方だとお伺いしております」
入団されて間もないけれど、その腕前のほどはすでに入団されていた先輩方とも肩を並べるほどだと聞いている。
「瞬殺されたからね。ちびこに。ワンパンで」
「え? は? ワンパンって……パンチ一発ってことですか?」
「騎士団長は目がテンになってて、辺境伯は、腹筋崩壊させてたよ」
チトセさんは肩をすくめるけれど、それ、笑えません。え? 冗談……? でも、目がマジですよね? え? 本当……なの?
「まあ、それはともかくとして、俺に相談したいことって言うのは何かな?」
……深く追及するのは、やめよう。ちびちゃんは、ちびちゃん。あたしは、あたし。ちびちゃんがどんなに強くても、あたしには関係ないもの。うん。スルースキル発動。それがいい。
マリエールの社交界情報網とユーデクス一族の調査の結果、チトセさんがリッテ商会の副会長であることは間違いないことが判明している。
辺境伯のお屋敷に滞在していることも、商会の最大スポンサーがルーベンス辺境伯だということも、確認済みだ。
人柄も、気さくで優しく、頼りになって面倒見がいい。ただし、お金にウルサイのが玉に瑕、なんだとか。まあ、欠点のない人なんていないものね。
「えっと、実はですね、真理江に戻れたことで、思い出したことがあるんです。あたしが前にいたところでは女性向けの恋愛シュミレーションゲームっていうのがあって──」
ここが、略称『ファン・ブル』と呼ばれていたゲームの世界にそっくりだということを話した。ゲームについては、何も聞かれなかったので、ほっとする。聞かれても、上手く説明できる自信がないもの。本当、良かったわ。
チトセさんは、不思議そうな顔こそしていたけれど、茶化したり、信じられないと切り捨てたりしないで、あたしの話を真面目に聞いてくれた。
「ふぅん……なるほどねえ」
「それで、1つ質問があるんですけど、チャーリーっていう名前に心当たりはありませんか? ゲームに出てくるキャラクターの1人なんですけど、チトセさんに似てるんですよ」
「ああ、それ? 去年の社交シーズンに使ってた偽名だね。今年はちびこがいるから、偽名も変装もやめたんだけど」
変装をしていても、ちびちゃんにとって、チトセさんはチトセさん。
チャーリーって名乗っている人の前で、名前が違うと指摘されたら目も当てられないからね、とチトセさんは苦笑い。ちびちゃんに、そういう機微を理解して行動しろ、というのは確かに難しいかも知れない。
「でも、どうしてそんな事を?」
「敵情視察兼マーケティングリサーチだね。社交界はいいお客様になるはずだから」
なるほど。産業スパイみたいな事をしていたのか。そりゃあ、本名は名乗れないですね。
「あ、話の腰を折っちゃうけど、学園の方はいいの? 授業は?」
「今は法術の授業なので、あたしはお呼びじゃないんです」
法術の授業は、選択式になっている。と言うのも、学園の生徒の半数が、法術を使うことができないからだ。
マリエールは、法術が使えないということでずいぶんと肩身の狭い思いをしているが、国全体を見れば、法術を使える人間は4割しかいないのだ。
貴族だけに絞ると、7割くらいに上がるらしいが、その内、実用に耐えられるだけの才を持っている人は、3割弱程度。
肩身の狭い思いをする必要は、全くないのである。
では何故、選択式である法術の授業をマリエールが受けているのか。
それは、キアランの陰謀の一言に尽きる。
とはいえ、ものは考えようだ。
「法術の授業時間は、マリエールの貴重な休み時間なんですよ。単位の方は、レポートでもらっているので、卒業の方も大丈夫です」
この時間があるからこそ、マリエールは学生業と王家の婚約者としての公務、侯爵令嬢としての様々な活動をこなせていたのだと思う。
「ああ、そうだ。話の腰折りついでに1つ聞いていいですか? レディ・ミシェルが今頃になって学園に編入して来た理由を知りません?」
「今頃になった理由って、そりゃ、お金でしょ」
「へ? いやいや、でも、学園は学費も寮費も無料でしょう?」
何言ってんの? という顔でチトセさんがあたしを見る。あたしはあたしで、同じような顔で、チトセさんを見た。
「マリエさん、世の中タダで旅は出来ないから。ヘラン男爵の家があるレルヴォって、王都から東に馬車で3日ほど揺られなきゃならないからね」
「あ……!」そりゃそうだ。
春に行われる入学試験は、結果が発表されるまで半月ほど時間がかかる。王都に滞在するにしても、地元に帰るにしても、お金がかかるのは確かだ。
「その点、編入試験なら遅くても次の日には結果が出るからね。王都に到着したその日に試験を受けたら、滞在費は1泊分。合格だったら、そのまま寮に移動して、家に手紙を書いて荷物を送ってもらえば済む話だから」
「納得しました」
学費と寮費は無料でも、学園までの旅費は自前に決まっている。そうなると、誰でも入学できる、っていうフレコミが怪しく思えて来るなあ……。もっと早くに気づいていれば、そっちも支援できたのに──っ! いやいや、今からでも来年の試験には間に合うかも?
「ミもフタもない言い方をすると、貴族の一員になったことだし、中央にコネを作っとくためにも、編入試験を受けるための旅費くらいなら先行投資としては悪くないって事だと思うよ。上手くいけば、ハイクラスの社交界にも出入りできるかも知れないしね」
「なるほど」
ゲーム補正でも何でもない、損得にまみれた理由があった訳ですね。というか、ゲームの方も、これが本当の理由なんじゃないかしら?
余談ではあるけれど、チトセさんの言うハイクラスというのは、単純に爵位による身分の序列の話ではない。社交界での人気順位のことだ。
面白いことに、社交界の人気者は、意外に子爵夫人や男爵夫人クラスの、下級貴族だったりする。
ここだけの話、義母も社交界での地位は低い。多分、感情的だからでしょうね。
逆に、マリエールの方は人気者みたいで、あちこちからお声がかかる。
ただし、未成年のマリエールだけを社交界の催しに招待する訳にはいかないので、招待状は「お嬢さんと一緒に」という文面で、義母に出されているわけだけど。マリエールが主催するチャリティーなども、建前上は侯爵夫人が主催していることになっている。
「それじゃ、折れた腰を元に戻すとして、マリエさんはバカ王子にも侯爵家にも何の未練もないと。貴族じゃなくて、庶民としての生活を希望する、ってことでいいんだよね?」
「その通りです。その……リッテ商会にお世話になるかどうかまでは、まだ決められていませんが……」
「それは、別に構わないよ。急ぐ話じゃなし、卒業までまだ、時間はあるから、ゆっくり考えてくれればいいと思ってる」
「はい。そうさせてもらいます」
「それじゃあ、この撤退戦に相応しい味方を呼ばないとね。マリエさん、空いてる時間を教えてくれる?」
「あ、はい。分かりました」
あたしはバッグからスケジュール帳を取り出して、今月の予定をチトセさんに伝えた。
「ありがとう。それじゃあ、近いうちにリッテ商会の名前で手紙を出させてもらうから。今空いてる時間に予定を入れないようにしてくれるかな?」
「それは、もちろんです」
あたしは頷き、チトセさんと別れた。
ここまで、お読みくださり、ありがとうございました。