ライバルの出番は、レッスンの後で 3
すみません、1日、投稿が遅れてしましました。
表面上、にこやかな笑顔を取り繕ってはいるけれど、あたしは心の中で号泣していた。
本当に泣いていたとしたら、レディース用のゴージャスハンカチなんて、あっという間にぼとぼとになってしまっていること間違いなし。
絞っては涙を吸わせ、吸わせては絞ってと、コントか何かのような状況になっているはずだ。
あたしを泣かせる原因は、キアランである。
「辺境伯は、陶磁器をコレクションしているだけでなく、ご自分でも窯を開いていると聞きましたが、それは本当ですか? 他にも芸術家や音楽家を広く支援なさっているとか」
「本当によくご存知だ。おっしゃる通りですよ。ただ、窯の方はまだ試行錯誤が続いていて、納得のいく物が出来ておらず、歯がゆいばかりで……職人たちにも苦労をかけています」
平静さを取り繕っているようにも見えるキアランと違い、アト様は余裕しゃくしゃくといった雰囲気。
これが、経験の差というものなのかしらね。アト様はティーカップを優雅に口に運びながら、アルカイックスマイルでキアランを見ている。
「芸術家や音楽家の卵たちは、ラダンスと郊外に建てた屋敷に住まわせています」
屋敷で生活している間は、ある程度の間隔を置いて、作品なり腕前なりを発表する事を前提に、食事と身の回りの世話や、その他、彼らが望む様々な支援を行っているのだそうだ。
「まだ、独り立ちできた者はいませんが、後、2,3年もすれば──という者は何人かいます。同じ志を持つ者が集うので、良い刺激になっているようです」
「同士との交流は、互いを高め合う良いものになるでしょうね。その、芸術家の卵たちが王都へ来る予定はありませんか? ラダンスも良い環境でしょうが、王都の環境も悪くないでしょう。なあ、ヴィクトリアス。そうは思わないか?」
水を向けられた、愚兄は、え? オレ? という顔をしている。やや、間があってから
「あ、ああ。そうだな──」
それだけかい!
会話が止まってしまったではないか、愚兄よ。キアランは、にこやかな笑みを浮かべているけれども、一瞬、こめかみを引きつらせていたよ。一方、アト様は今にも笑いだしそうな顔をしていた。
恥ずかしい! 妹として、恥ずかしいわ!
アンタ、社交は得意だったはずでしょ!? 何をやってるの?!
コホンと軽く咳ばらいをしたキアランは、気を取り直して──
「グレッグ、何かアイディアはないか? ラダンスと王都の未来の芸術家たちのために」
「えっ!? えっと……そうですね……」
語尾は尻すぼみになってしまい、何も答えなかった。こっちも残念すぎる。
何でもいいから、答えてちょうだいよ、未来の宰相候補サマよぉ。思わずガラが悪くなっちゃうじゃないのよ。
全く、何にも知らないって見下されたり、呆れられるのがイヤなら、最初から、門外漢なのでって、予防線はればいいだけの話でしょ! これじゃあ、キアランの部下は何も知らない、何も考えられないって、遠回しに知らせているようなもんじゃないの!
「……マリエールは、どう思う?」
おっと、とうとうあたしにお鉢が回って来てしまった。前なら、こんな事はなかったのに。
「わたしですか? そうですね……最初に思いつきますのは、無難に交流会でしょうか。あるいは、宮廷画家のクレメンス殿など、高名な芸術家の指導を受けられる機会を設けてみるとか──王家が所有している美術品の見学ツアーなども面白いかも知れませんね」
あくまで思いつきなので、実現するかどうかは2の次である。突拍子もなかったり、的外れすぎたりするのは困るが、何か答えれば、会話は繋がるものだ。
「ふむ……王家の美術品を見られる、というのは面白い考えだな。芸術家として生計を立てる事ができている者であっても、そういう機会は中々ないものだ」
「芸術家に限らず、貴族全般にも言える事です。そのような機会があるのであれば、私もぜひ参加させていただきたいものです」
解説付きのツアーだったら、あたしも参加してみたい。ただ、作品そのものの話よりも、時価とか購入金額なんてものの方に興味がいってしまうけど。中身は庶民なもので、スミマセン。
「ラダンスで行うのでしたら、街を案内していただきながら、街の芸術品について解説を聞くのは、楽しいのではないのでしょうか? 街全体が美術館のようだという評判は、わたしも耳にしております」
「それも面白そうだ。王都にはガイドという、街の観光案内人がいるようだが、ラダンスはどうです?」
「一応いますが、宿の従業員が兼ねているので──観光事業にも着目するなら、そういう部分にも目を向けた方が良いかもしれませんね」
本当、やればできる子だね、キアラン。あたし、見直したわ。アト様と仲良くなろうぜ作戦は、芸術方面の文化交流から攻める事にしたのね。
となると、ますます残念臭漂うのが、側近ね。ヴィクトリアスとグレッグなんて、相槌を打つ事しかできてないよ。
卒業してすぐに国政に携わる訳じゃないけど、もうちょっとこう……世間知らずの若輩者なんで、色々教えてくれませんかね? っていう低姿勢で参加するとか、何かあるでしょ、何か。
もしかして、情報と方針の共有っていう、根本的な事ができていなかったりするのかしら? だとしたら、キアランの方にも問題ありだけど。さて──。
苛々半分、歯がゆさ半分で、キアランの側近候補2人を見ていると、生徒会室の外がにわかに騒がしくなった。
はて、何事だろう。今は、後期生徒会の役員の後任人事を決定する時期で、生徒会入りをしたい生徒が、生徒会室へ自己アピールに来るとか、来ないとか。
それを情熱と受け止めてもらえるか、礼儀を知らないと受け止められるか……評価が分かれるところね。訪問を受ける側の状況にもよるし。
しばらく待ってみるが、外の騒ぎが治まる様子はなかった。
身分差でごり押ししてきて、外の護衛では対応が難しいのかしら? 学園内の護衛は、強いけど礼儀作法とかは、まだ不慣れっていう人が選ばれている──周りを見て学べ、という事らしい──からねえ。
さっさと静かになってもらうためには、あたしが出た方が早そうだ。
怪訝な顔で外へ出るドアを見やる男性陣に、目配せをしてドアノブに手をかけたその時、
「キアラン!」
「どぁふっ!?」
衝撃が、来た。
顔が痛いし、お尻も痛い。目から星が出た、って言うか涙も出た。
何が起きたの、何が。
「お嬢様!?」
「マリエール!?」
「レディ・マリエール!」
あたしを助け起こしてくれたのは、ハンナだった。さすが、ハンナ。行動が早いわね。
涙で滲む視界の真正面には、生徒会室のドア。どうやら、あたしは、ドアから熱烈な歓迎を受けたらしい。
「大丈夫か? 怪我は?」
「……大丈夫だと、思います」
あたしに手を差し出してくれたのは、アト様だった。アト様、優しい。彼の手を借りて、立ったけど──顔面痛い。お尻も痛い。何か、情けないやら恥ずかしいやら。
入室の許可なんて誰も出してないのに。それ以前の問題として、ノックもなかったのに。
なのに、何でドアがあたしに攻撃してくるの?!
「大丈夫か、マリエール」
「え、ええ……」
キアランの質問に答えつつ、そちらを見れば、彼は席を立ち、驚き顔でこちらに手を差し伸べるような恰好のまま固まっていた。ヴィクトリアスも同じような顔と恰好をしている。グレッグは、若干顔色を悪くした状態で、椅子から腰を浮かせていた。
「ねえ、キアラン。お客様が来てるって聞いたわ」
ちょっと待て、ゴラァ! 犯人は、お前か、ミシェルっ!
彼女は、謝罪の言葉はもちろん、入室の許可を求める事もなく、さも当然と言ったような顔で、キアランの元へ行き、
「あたしにも紹介してくれるでしょう?」
彼の腕を取って猫なで声でおねだりした。
何て、何て──オソロシイ子っ!
さすがに、ダリウスは状況を理解しているようで、こちらは青い顔で呆然と突っ立っている。
ねえ、ちょっと、ミシェル様よぅ、アンタ、自分が何したか、分かってんの!? って、分かってる訳ないか。分かってたら、こんな態度、取らないもんねえ。
その態度のデカさも怖いけど、何事もなかったかのように振る舞えるその神経も怖すぎるわ!
キアランだって、ちょっと引いて──
「ミシェル……お前の無邪気な振る舞いは、俺たちの目に好ましく映るものでも、そうではない者もいる。そういう者たちから自分自身を守るためにも、礼儀作法を身に着け、日ごろから実践してほしい、と以前に頼んだはずだろう?」
オイ、ゴルァッ! 待て! そうじゃないだろう! そこじゃないだろう!?
それを言うな、とは言わないけども、それを言う前に、言わなきゃならない事があるでしょうが!
そもそもさあ、無邪気って言うの? あれを? あたしの知ってる無邪気とは、全然違うんですけど。部屋に帰ったら、辞書を引いて無邪気の意味を調べてみなくちゃ。いつから、意味が変わったのかしら。
顔とお尻の痛みが増していくようだわ。涙が出ちゃう。
ミシェルは、ごめんなさいとしょんぼりして見せるけど、演技よね、それ。全然、反省してないわよね、アナタ。だって、あたしの方を見ようとしないんだもの。
愚兄! 男爵令嬢が侯爵令嬢に害を加えたのに、抗議しないのか!? あたしが抗議したら、アンタら全員、これぐらいの事で、云々って言いそうだから、言えないのが悔しいぃ~~~!
何とか、一矢報いる手立てはないものかと思っていると──
「キアラン殿下、私はそろそろお暇します」
アト様が動いた。アト様、ミシェルと同じ空気を吸いたくないって、顔に書いてありますよ。
最低だったミシェルの印象が、最悪に変わったな、これは。同時に、キアランたちの評価もだだ下がりっぽいな。無理もないけど。
「あ、ああ。わざわざ訪ねて来てくれたのに、すまない」
そして、それに気づいてないのか、キアランよ。余裕のなさが、ここで出ちゃったか。
「いえ、お構いなく」
アト様のお声が、絶対零度に近いって気付こうよ~。あたしの頭や肩に、雪が積もってませんか? 樹氷ならぬ、人氷になりそうな気分なんですけどもっ。
元々、ご機嫌伺のような訪問の場合は、15分から20分くらいで切り上げるのがマナーだ。時間的にも、切り上げるタイミングとして悪くない。
「さっき、お会いしましたよね。あのっ、あたし、ミシェル・グレゴリー・ヘランって言います。これでも、男爵家の娘なんですよ」
キャハッ、って聞こえたけど──ねえ、何でそんなに嬉しそうに笑ってるの? ねえ、礼儀作法って知ってる? 身分が下の者は、上の者から声をかけられない限り、話しかけちゃいけないって、教えられたでしょう? そもそも、自己紹介は品のない行為だとされているって習わなかった?
「彼女を借りても?」
アト様、スルーですか。そうですか。
彼が言う彼女は、もちろん、あたしである。元々、退室した後もアト様のお供をするつもりではあったから、あたしに異存はない。今は、ミシェルとその愉快な御一行様の顔も見たくない気分だし。
キアランもさすがに空気を読んだのか、
「ああ、もちろんだ」
と頷いた。頷いたらば──
「あたしで良ければ、喜んで!」
ミシェルさんよぅ、何で、アンタが答えるねん。アト様、アナタを見てませんから!
ねえ、ホント、周りを見てよ。空気を読んでよ。全員、ぽかーんとしてるでしょ?
ねえ、アナタが時を止めたの。分かってる? その花が咲いたような笑顔も、停止時間の延長効果しかないわよ。
時間を止めて、何がしたいの? 何ができるの? 告知を受けてるどころの問題じゃないわ。言葉が通じないの。ミシェルさん、アナタ、何語を話していらっしゃるの?
……もうね、ホント。もうね……突然だけど、あたし、今、猛烈にお地蔵様になりたいと思ったわ。
お地蔵様になればきっと、この停止時間を解除できると思うのよ。あるいは、停止時間の中でも、苦痛なく存在できると思うの。
今のあたしは、停止時間を解除できないし、この空間の中では苦痛しか感じられないのよ。ヨヨヨ。
「では、キアラン殿下。失礼」
アト様は、ミシェルの存在を完全抹消する事にしたようです。あたしも、見なかった事にします。
カップやポットの後片付けは、ハンナに手配してもらおう。目配せをすれば、任せて下さいと頷き返された。さすがね、頼りになるわ。
「行こうか」
「はい。お供させていただきます」
ミシェルはポカーンとした顔で、
「えっ!? ちょ、何で?! ここは、あたしが案内するところでしょ!?」
なんて、訳の分からない事を言い出した。
なんでやねん。
あえての関西弁で、大事な事だから、もう1回言うわ。
なんでやねん。
隣のキアランをご覧。ため息を通り越して、胃のあたりを押さえてるわよ! 自業自得の部分も多少はあるけれど、それでもちょっぴり同情するわ。後で胃薬の手配をしておくわね、キアラン。
「失礼いたしますわ」
退室の礼を取ると、アト様が手を差し出してくれた。あたしは、その手に自分の手を重ね、生徒会室を後にする。
「あ……」
入り口のところで固まったままだった、ダリウスが慌てて、横に身を引いて道を作った。アト様は彼を一瞥すると、
「君らは主の盾にもなれないようだな」
冷ややかな一言。君『ら』というのは、もちろん、護衛として生徒会室前に立っていた騎士たちも含まれるからだ。
生徒会室から、5メートルほど離れた頃だろうか。
「何で!? どうしてなの?!」
と、大きなミシェルの声が聞こえてきた。
もう……ため息しか、出て来ないわ。
「一体、アレのどこに好意を持てるんだ?」
「……分かりません」
学園の7不思議の1つにエントリーされるのも間近かもしれない。
「ところで、ヴィクトリアスと言ったか──。君の兄が描いた絵は、学園にもあるのかな?」
「美術室に飾られておりますから、ご案内いたします」
兄が学園に寄贈した絵は、スミレを描いた物で、一昨年の絵画展で入賞した物でもある。
「入賞作品か……それは楽しみだ」
彼が口元を緩めて下さったので、あたしもほっとした。
ここまで、お読みくださりありがとうございました。
すごいよ、ミシェルさん。キアランの株は、結局、下がったまま。