ライバルの出番は、レッスンの後で 1
「レディ・マリエール、本日はお招き、ありがとうございました」
「どういたしまして。わたしの拙い知識が皆さまのお役に立てるのなら、喜ばしい事ですわ」
「ありがとうございます、レディ・マリエール。お茶会の雰囲気を学ぶ事ができて、とても勉強になりました」
ほんのりと赤く染まった頬をして、次々にお礼を言ってくれるのは、今日のお客様。男女4人ずつを招いたのだけれど、彼らは、マダムから頂いたリストに名前が載っていた生徒たちでもある。
リストを頂き、アドバイザーとして何をするべきか考えたあたしは、ティー・アドバイザーに選ばれた先輩方と参加した生徒のレポートを読んでみた。
そうすると、庶民籍の彼らはお茶会そのものに出席した経験がないみたいだと分かったのである。ならば、まずは雰囲気を分かってもらうべきだろうと考え、お茶会を開く事にしたのだ。
リストに名前が載っていた生徒は、全員1年生。子供が、社交の席に着くことはあまり好ましく思われていないから、お茶会の経験がないの当然と言えば、当然かもしれない。
それに、1年の礼儀作法の前期の授業って、あんまり面白くないのよね。マリエール・ヴィオラも、表情筋をフル稼働させて、欠伸を我慢していたみたいだし。ほら、貴族ともなれば、躾として最低限の礼儀作法は学んでるからね。今更何を、っていう内容ばっかりだったのよ。
お辞儀の仕方、外で異性に会った時の対応、身分差による呼びかけ方の違い──学園ルールと本当のルールの違いもあるし──などなど。マナー違反は、あっという間に嘲笑の的になって、悪評が社交界に広まってしまうから、油断できないし。
貴族だったら、メイドという強い味方がいるので、相談したり教えてもらったりできるけども、一部の裕福な庶民籍を除いた、ごくごく一般的な庶民となれば話は別。
教えてもらうどころか、逆にメイドに指導できなければ、意味がないのだ。
未婚の内は母親に教えてもらうとしても、結婚してしまえば、家政本などを頼るしかなくなる。でも、家政本って知りたい事が、掲載されていなかったりして、頼りになるけど、頼りにならない部分もあるのよね。
ティー・アドバイザーの制度は、生徒同士なら気兼ねなく聞くことができるだろう、という配慮の元に生まれたものなのだそうだ。なら、身分や学年の差があっても、分からない事は気兼ねなく聞ける雰囲気作りも大事なはず。
ならばと、アドバイザーとして活動する時は、和やかな雰囲気づくりを心掛けなくては、と思った次第。
「お茶会となりますと、どうしても出席しているのは女性が多くなりますから……。雰囲気だけでもご存知であれば、心構えもできるのではないかと思います」
あたしが笑うと、2人の男子生徒は「つくづくそう思いました」と目を合わせ、少し気恥ずかしそうに笑い合った。初々しい。なんて、感想を言えるのも今だけね。
きっとこれから、身体はどんどん大きくなって、あっという間にごつくなるに違いないわ。
ごつい男性も嫌いじゃないんだけど……って、そんな事はどうでもいいのよ。脱線しすぎ。
とりあえず、お茶会の雰囲気を掴んでもらう事には成功したみたいなので、まずは一安心。
お客様が全員お帰りになったので、テーブルに置いてあるベルを鳴らして人を呼ぶ。すぐに、ハンナとカーラが来てくれたので、
「わたしの分を残して片付けてもらえるかしら?」
「畏まりました。お代わりのお茶をお持ちいたしましょうか?」
「ええ、お願いするわ」
今日のお茶会の会場として選んだのは、学生食堂に付随しているテラスだ。中庭に直結していて、お茶会をするにはちょうど良いスペースである。
事前にお願いしていれば、食堂で働いているメイドも手伝ってくれるので大助かりだ。今も、ハンナのアイコンタクトを受けて、テーブルの上を片付けに来てくれた。
彼女たちを横目に、あたしはハンナにこっそりと、
「失礼にならないようなら、残ったお菓子は皆で分けてちょうだい」
軽食は多めに用意するので、大抵余ってしまうのだ。ハンナは分かりましたと笑ってくれたので、大丈夫だろう。
「それとね、来月のテーマなのだけれど、テーブルウェアにしようと思うの。どうかしら?」
ハンナと入れ替わるようにして、お代わりのお茶を持って来てくれたカーラに聞いてみると、
「そうですね、知っていて損はないかと思います」
新しいカップ──フラワーハンドルのカップは、あたしのお気に入りの1つ──に、カーラがお茶を淹れながら答えてくれた。
持ち手の部分が花の形をしている、このフラワーハンドルのカップみたいに、ティーカップにも色々種類がある。持ち手が変わっている物や口ひげ受がついたカップなど。デザインも様々。
こんなカップがありますよ、と紹介するのは、お気に入りのティーセットを見つける助けになると思うしね。センスの良いテーブルウェアは、立派な社交界の武器になるはずだ。
「それじゃあ、来月のテーマはテーブルウェアにしましょう。マダムにも相談して、何を紹介するか吟味した方がいいわね。とりあえず、食器類だけでいいかしら」
「あれもこれもと言われましても、覚えられませんし、まずは基本の物で良いかと思います」
よし。そうしようと、結論付けたところで、次の問題を片付けるとしよう。
実は、さっきからものすごい視線を感じているのだ。頬に穴が開くか、焦げ付いて煙が出そうなくらい、ビシバシと。横目で伺えば、テラスの横に植えられた、人の背丈ほどのコニファーの後ろに、隠れている人間がいるのが分かる。
「ねえ、そこのあなた。いつまでそこに隠れているつもりなの? わたしの顔に穴を開けたいのかしら?」
カーラが小声で「警備の者を呼びますか?」とあたしに聞いて来た。そうねえ、と返事をためらっていると、隠れていた陰が、飛び出してくる。
……ねえ、何でコニファーの間から出てくるの? ズボラな事をするから、頭や制服に、葉っぱがついてるじゃないの。まるで、小さな子供みたいよ。これが、ちびちゃんだったらカワイイって笑えるけど、アナタじゃ、そうはいかないわよ。
それが、男爵令嬢のする事ですか。そう、隠れていたのはミシェルだったのである。
彼女は、上目遣いにこちらを見ながら、と言っても、ちっとも可愛くないからね。どっちかって言うと、ガンを飛ばしながら、っていう感じだもの。感じ悪いったら。
「ねえ、社交ってなんなの。貴族って何? 礼儀作法なんて、必要なの?!」
不躾になんなの。喧嘩の押し売りにでも来たのかしら。
礼儀作法は、必要に決まっているでしょうが。その他の単語についても、全部、辞書でも引いて調べていらっしゃいな!
そもそも、あたしたち、知っているけど知らない仲ですからね!? 誰も、アンタをあたしに紹介してないでしょう?! いい天気ですね、ぐらいならともかくとして、何なの、その態度に口調、意味不明な質問は……。アンタ、授業で何を習って来たのよ?!
無視してもいいけど、それはそれで怖い事になりそう。どうしたもんかと思っていると、
「貴族とは、爵位を持ち、土地から収入を得ており、政治や司法、軍部などの上層部にて重要な地位を占める方々の事ですわ」
カーラが答えてくれた。あまり褒められた事じゃないけど、この場合は許されると思う。
補足すると、厳密にいえば爵位を継ぐまでは長男であっても平民だし、あたしも平民なのである。ただし、父が貴族なので、区別するために、レディという称号を使っているのだ。
「社交は、人と人との付き合いの事で、礼儀作法とは相手を不快にさせないための決まり事なのですから、必要不可欠です」
「相手をもてなしたい、っていう気持ちがあれば十分でしょ!?」
「気持ちは伝わらなければ意味がありません。言葉遣いも礼儀作法の内です」
「あたしだって、あなたと同じ貴族だわ!」
うん、まあ、カーラは男爵家の令嬢だから、間違いではないね。その範囲に、あたしも含まれているのだとしたら、大きな間違いだけれども。
「同じ貴族の枠組みにあっても、そこに序列は存在し、決して同格ではありません」
「それって、差別じゃないの?!」
「差別ではなく、区別です。とはいえ、それを理解できていない方も少なくありませんが」
「………お茶会って、呼ばれれば行くのが当然なのよね?」
お、話題が急変した。変化が大きすぎて、何を言いたいのか、ちっとも分からない。
「まさか。お断りする事もあります。逆に行きたくなくても、行かねばならない事もありますが……それが、女主人のつとめですから、致し方ございません」
「そんな! そんなのって、おかしいわ!」
「そうでしょうか? 社交界は政治や経済、文化の裏側です。好き嫌いの感情だけで動けば、周りも巻き込んで滅びかねません。社交界のお付き合いで第一に考えるべきは、損得です」
側に戻って来たハンナが「全くです」と頷いている。そんな彼女のミシェルを見る目は、羽虫か何かを見るような鬱陶し気なものだった。そんな、怖い顔しないの、ハンナ。
うん、あたし、しゃべってないね。知らんぷりでお茶をすすっているだけ。……帰りたい。
「損得でしか付き合えないなんて、そんな酷い事を言う人が、どうして、カーンたちの側にいるのよ!? カーンたちはおもちゃじゃないんだからっ!」
「は?」
思わず、ミシェルの顔を見ちゃったわ。
何で、三つ子の名前が出てくるの? 三つ子との付き合いに、社交界は関係ないでしょうに。というより、アナタ、いつ三つ子と知り合ったのよ? あたし、聞いてない!
「わたしの交友関係について、あなたに口出しされる覚えはございません。何より、損得は第一に考えるべきものであって、何よりも優先されるものだとは言ってないでしょう」
あたしはため息をついた。彼女の目的がサッパリ分からなくて、何か精神がガリガリ削られていく気分。消耗が激しすぎる。
「ミシェルッ!」
救世主ならぬ、ダリウス君登場……! お願いですから、さっさとその子を連れて帰ってくれませんか。 そこで、茶番劇してないでさ。あたしの交友関係なんて、アンタらにはどうだっていいでしょう?
迷惑をかける訳でもないんだし。三つ子は、あたしの大事な友達で、将来の同僚ですー。
貴族と平民が区別されるのは、役割の問題なんだから、仕方ないでしょうが。差別なんてしーてーまーせーんー。何で、酷いって言われにゃいかんのですか。ダリウスも、同意すんなし。
カーンたちをたぶらかしてなんて、いーまーせーんー。むしろ、たぶらかされてるのは、こっちの方なんですけどー。油断してると、心臓をガシッといかれちゃうんだからねッ!
……こいつらの相手をしているのもあほらしいし、花畑劇団開幕してるうちに、こっそり帰ろうかしら? うん。そうしよう。我ながら良い考え。帰って、カーンたちに花畑菌警報出しておかなくちゃね。
ほら、ハンナ、カーラ、撤収しよう。そんな家庭内害虫を見るような目で、劇団見てないで、さっさと帰ろう。その方が、何倍も幸せよ。そう思っていたら、
「あの……シオン侯爵令嬢、お客様がいらっしゃるのですが、いかがいたしましょう」
お客とな? 食堂付のメイドが示す先へと、目線を向ければ……食堂に、アト様ぁーッ!?
微笑みがっ、その微笑みがまぶしいですっ。
今日のお召し物も素敵ですね。チャコールのジャケットに、タータンチェックのボトム。胸元のポケットチーフは、差し色ってヤツですかね? 帽子もお似合いですわ。蜜に引き寄せられる蜂──蝶なんて厚かましい事は言いません──の気分で、テラスを後にして、アト様の元へ向かう。
「まさか、このような場所でお会いできるとは、思いませんでしたわ」
「私も会えるとは思っていなかったんだ。会えるといいな、という気持ちはあったけど」
アト様は、あたしの手をとってキスをしてくれた。いやん、照れるわぁ……。
学園に何か用事でもあったのかと伺えば、せっかく王都に来たのだからと、昔の思い出をたどってみる気になられたのだとか。アト様、卒業生ですもんね。
「実はわたし、先日、マダム・ヴァスチィンから、辺境伯が学園に通っていらした頃の事をお伺いいたしましたの。とても優秀で素敵な生徒だったのですってね」
「昔の事を言われるのは、少し面はゆいな」
照れるアト様、眼福。何て言うか、一日眺めていても飽きないような気がする。ああ、何かすっごく得した気分よ~。
っと、そうだ。せっかくだから、キアランを紹介しときますかね。アト様にゴマすっとけ、って言われたところだしね。良いカモフラージュにもなるでしょう。
「ルーベンス辺境伯、よろしければキアラン殿下をご紹介いたしますわ。おそらくは、まだ学園内にいらっしゃるかと思いますので──」
ダリウスならどこにいるか、知っているだろうと思って、彼に顔を向けたらば、
「あっ、アト様!? うそ、ヤダ、何で、ここにいるの?!」
テラスと食堂の間に立ったミシェルの口から、問題発言。
うそ、ヤダはこっちのセリフよ!? 二重の意味で!!
ミシェル、どこでアト様と──って、あの……隣がアラスカ、ツンドラ、北極圏? えっと、あの……めちゃ、寒いんですけど。
「誰がいつ、君に私の名を呼ぶ許可を出した」
「あ! あ、あの、あたし、ミシェル──」
「君の名に興味はない」
アト様とミシェルの間に、氷の壁がそそり立つー。氷華のプリンスの拒絶は、やんわりとだったって聞いたような? ……これ、氷華の先端が、ざくざく突き刺さってませんか?
こんな時は、逃げるに限る。
「ミスタ・コーラン。キアラン殿下はどちらにいらっしゃるか、ご存知ないかしら?」
「え? あ、ああ……多分、生徒会室に──」
「ありがとう。参りましょう、ルーベンス辺境伯」
「ああ、そうだな」
ミシェルが「ちょっ?!」とか言ってたけど、あたしには聞こえな~い。
生徒会室へ逃げましょう、アト様。逃げるが勝ちです。
ここまで、お読みくださりありがとうございました。
一応、ミシェルにはミシェルなりの理屈があっての質問ですからね?(笑