お腹の探り合いはモーニングティーの席で 2
「マリエール、国王陛下はいまだ正式に後継ぎを指名なさっておられない。その事の意味をお前は、十分理解しているはずだ」
「おっしゃる意味が分かりかねます」
ティーカップに手を伸ばし、あたしは少しぬるくなったピーチティーを口に運んだ。
「お前は、キアラン殿下の婚約者だという事だ」
「おっしゃる意味が分かりかねます。わたしの行動は、ゆくゆくは殿下のため、ひいては国益につながると考えての事ですわ」
半分ウソである。キアランのためな訳がない。
それでも、今はこう言っておくのが吉。あたしはにっこり笑って、
「将来、殿下の側近になられる兄上ですもの。分かっておいででしょう?」
「……っ! 男に媚びる事が国やキアランのためだと言うのかっ!?」
「おかしな事をおっしゃいますのね。わたしがいつ、殿方に媚びたと?」
この兄もそうだけど、キアランも怒鳴ればこっちがビビって、いう事を聞く、あるいは口を噤むと思っているフシがあるな。そんなヤクザまがいの手口、国政の場では通じないと思いたまえよ、君。
「朝食会で、見慣れぬ男を側に2人も侍らせていたそうだな」
「侍らせていた、なんて人聞きの悪い事をおっしゃらないで頂きたいわ。兄上がおっしゃっているのは、ルーベンス辺境伯とその侍従でしょうけれど──殿下も兄上も体調を崩されたので、エスコート役のいないわたしを気遣って、ランスロット殿下があの方にエスコート役をお願いして下さったのよ」
言外にアンタらのせいだ、と告げてやれば、愚兄はまたもや絶句した。
ぐうの音も出ない、と言ったところか。本当に、バカだな。ついでに言えば、ハーグリーヴス公爵とベルも一緒でしたからね! 情報元が話していないのか、それとも、自分の都合のいいところしか覚えていないのか。前者であれば情報網が脆弱だし、後者だとしたら、ずいぶんとオメデタイ脳みそだと呆れるしかない。
そんなんで、政治ができると思ってんのか。
「……昨日、お前を送って来た男は何だ。三つ子とは別にもう1人いただろう」
「あの方がルーベンス辺境伯ですわ。誘拐犯から助けて下さっただけでなく、わざわざ屋敷まで送って下さったの」
「……な!? あの若さで爵位を継いだのか?!」
若くして爵位を継ぐなんて、よくある話だ。それほど驚く事ではないと思うけれど。と言うか、立場が弱くなったからって、あからさまに話題を変えて来たな。まあ、ノッてあげてもいいけれど。
「マリエール、お前はあの男が、エルンストを使って仕組んだ狂言誘拐だとは考えないのか」
「何もご存知ないくせに、そのような事をおっしゃらないで頂きたいわ。そんな事をして、あの方にどんなメリットがあるとおっしゃるの?」
「ぐっ……それは……」
さっきから、言葉に詰まってばっかりだな、ヴィクトリアス。
一応、父が外交を担当しているので、彼も同じ分野での活躍が期待されているけれど、本人は今のところ、政治には無関心なようだ。側近候補がそれでいいのか、と思わなくもないけれど。
彼自身、どっちかって言うと、芸術家肌だし、神経質なトコロもある。ヴィクトリアスが秀でているのは、画才。絵画コンクールでは、何度か入賞しているほどの才能を持っているのだ。
とはいえ、侯爵家の嫡男らしく、文武両道で成績はトップクラスだけれど……時事問題、政治経済は弱かったかしら? その辺を踏まえると、父と同じ外交を担当するのではなく、芸術方面で国政に携わる方がいいんじゃないか? という気もしないではない。
あるいは、画家として、あちこちのサロンに顔を出して情報を集め、未来の宰相サマであるグレッグやキアランに報告するとか。……こっちの方が、似合いそうだな。って、ヴィクトリアスとの都落ちエンドがそんな感じだったような気も──まあ、いいか。
「少し考えれば分かりますでしょう? わたしに接近しても、辺境伯にはこれといってメリットはございません。むしろ、接近する理由があるのは、こちらの方ですわ」
こちらとは、もちろん王家の事である。こちらが狂言誘拐を仕組んで、アト様との繋がりを持とうとした、という考え方の方がしっくりく……る……まさかね? まさかねえ?
「……田舎貴族に接近する理由がどこにある」
真顔で言うのか、兄よ。確かに、ルーベンス辺境伯は政界、経済界共に距離を置いているし、社交界にもほとんど出席された事がない方だ。
そういう方がいる事は知ってるけど、どんな人かは知らない、という人が多いには間違いない。そこは、あたしも否定しない。
で・も・な、辺境伯の私兵は屈強で知られているし、領地は広大で財力もこの国のトップクラス。領都ラダンスは、水と森の都と呼ばれ、各国の文化人を引き付けてやまない、文化都市として知られている。 辺境伯自身、表立ってではないけれど、数多くの芸術家や職人、文化人を支援なさっているのだ。
そんな街の主を、よりにもよって田舎貴族だなんて──目眩がするわ。
何度も言うけども、キアランの側近になろうかという人間が、そんなんでどうするんだ。
「何もご存知ありませんのね。でしたら、申し訳ありませんが、これ以上はわたしの口から申し上げかねます。わたしでは、どこまで話してよいものか、判断いたしかねますので」
「どういう事だ?」
ヴィクトリアスが眉間に皺を寄せる。
「そのままの意味ですわ。ルーベンス辺境伯を田舎貴族と断じられるようでは、とてもとても……。詳しく知りたいのでしたら、殿下に伺って下さいませ」
「田舎貴族を田舎貴族と言って、何が悪い。マリエール、お前、ランスロット殿下から、何を聞いている」
「わたしの口からは申し上げられません。すでにヒントは出ておりますので、ご自身でお調べ下さるか、殿下にお尋ねになって下さい。国益が関係しておりますもの。兄上がお尋ねになれば、きっと殿下もお話下さいますわ」
兄の顔が渋面になっていく。
妹は知っているのに、自分は知らない。話せと言っても、暗に知る権利がないから話せないと答える。日ごろ見下している相手にそんな態度を取られれば、そりゃあ、面白くないだろう。
「──マリエール、お前はいつからキアランの事を殿下と呼ぶようになった? 前は、キアラン殿下と呼んでいたはずだが?」
「そうでしたかしら?」
しれっとした顔で、あたしはティーカップを口に運んだ。
こういうところは鋭いな。気付いているとは思わなかった。もしかしたら、キアランも気付いているのかも知れない。でも、何も言ってこないあたり、気にしていないのだろう。殿下は2人いるから、名前も呼べと、ふんぞり返って言われた事が懐かしいわ。
「最近は、キアランとまともに顔を合わせてもいない」
「以前より、用もないのに、訪ねて来るなと仰っておられましたので」
「公務も社交界もほとんど出ていないな」
「ただの婚約者でしかないわたしが、代理で公務を務める事自体、おかしかったのですわ。遅まきながら、殿下が出しゃばるなと仰っていた意味を理解いたしましたの。社交界も同じですわ。母の身を案じるあまり、逆に母を軽んじていたのだと、我が身を反省したまでの事」
「キアランのサポートはどうした?」
「そちらもあれこれ、口出しするなとかねてより何度も言われ続けておりましたので、殿下のお望み通り、口を噤む事にしたまで──。特にご相談を受ける事もございませんので、殿下のおっしゃる通りであったと、痛感している所ですわ」
「………………」
ヴィクトリアスの顔は、かなり渋いものになっている。無理もない。自業自得ですもんねえ。
だって、キアランが、事あるごとに「出しゃばるな」「口出しするな」と言っていたのは事実。ヴィクトリアス自身、何度もそれを聞いているのだ。
なので、言い返したくても、言い返せないのである。はっは、ざまあ。
そして、この人の残念な所は、何故を追求しない所だ。何故、マリエールがそんな風に想うようになったのか、彼は聞こうとしない。
「お前は、キアランの婚約者なんだぞ……」
「言われるまでもありませんわ。存じております」
だから、何だと言うんだ。鼻で笑ってやりたい気持ちを我慢して、あたしは涼しい顔で答えてやった。
ヴィクトリアスの表情を伺うも、何か言いたそうに渋面を作っているだけ。唇が、何度か上下したものの、結局は何も言わなかった。
嫌味の1つでも言ってやろうかと思ったが、藪をつついて蛇を出す結果となっては、面倒臭いので黙っておくことにした。沈黙は金って言うしね。
あまり顔を出さなくなった社交界ではあるが、それでもキアランの評判は耳にする。
はっきりいって、彼の評判はガタガタ。
アルフレッドが抜けた穴を誰も埋められていない。どうやら、まともにスケジュール管理すらできていないらしいのだ。お城はそんなに人材不足だったか? はっきり言って信じられない。
公務はサボりがち。社交もろくにこなせておらず、それを侍従らのせいにして八つ当たり。
なのに、いつまで経っても王子としての立場よりも、個人としての嗜好を優先する立ち居振る舞い。
本来、それを諫めるのが側近の役目だが、側近たちも個人の嗜好を優先しているのだから、始末が悪い。国王王妃、両陛下……息子の教育を間違えてるぞ。
ランスロット殿下は、パトリシア妃殿下狂なのを除けば、まあ、マトモな方だと思われるのに……。
「他に、ご用件はございますかしら?」
「もういいっ」
不満を隠そうともせずに、兄は退室していった。癇癪を起した、こどものようである。
聞けば、何でも教えてくれると思っていたのなら、甘ったれすぎだ。何でもかんでも、ホイホイ話せる訳がないじゃないか。次代侯爵としてはもちろん、王子の側近としても足りないトコロばっかり──だと思う。
役割として足りないだけじゃなく、ヴィクトリアス個人としてもねえ──お色気担当って言われていたあの頃が懐かしいわ。今じゃ、ちゃんちゃらおかしい。一足早く性に目覚めて、お前らとは違うんだよと粋がって見せている、反抗期のお子ちゃま、お坊ちゃまにしか見えんわ。
健全お色気担当のクーンを見習え、とか思ってしまう。クーンの方が、絶対に紳士のような気がするのよね。同じチャラ男属性でも。
例えばの、話。
反抗的な態度を取る女性に腹を立てて、強引に迫ってみても、荒れ狂う内心が見え隠れしていそうで──想像しただけで、動悸が激しくなる。そうは見えないけど、彼の根っこはほら、野生児でしょう? その隠れていた雄々しさが暴れ出して、でも、女の子を怯えさせちゃいけないって必死で押しとどめて──妄想特急、出発進行。止まんないわ~。楽しいわ~。うわ、誰かちょっと一緒に盛り上がってくれないかしら?
妄想特急見送りまして、続いて駅に入って参りましたのは、ヴィクトリアス号。うん、何かダメだ。今の彼だと、完全に逆上して、こっちを見下しそうだもの。暴力とか振るいそうな雰囲気もあるし。これって、上から目線よりも性質悪いわよね、ナイわー。余裕のなさを押さえられず、それを言えないプライドの高さ。心の広い年上のお姉さまじゃないと受け入れてもらえなさそうだわ~。
ん? こっちを見下しているのと、上から目線の違いが分からない? そうねえ、分かりやすいのは、壁ドンシチュエーションの目線の角度かしら?
お嬢様方、準備はよろしくて? 妄想特急、間もなく発車いたしまぁ~す。ご乗車の方は、お急ぎ下さぁ~い。こういう事を、考えるのも楽しすぎる。
さてさて、まず、ほぼ水平の視線の場合。これは、ちょっと切羽詰まった、切なそうな表情ならサイコウよね。「何でそんな事言うんだよ」って、ちょっと半泣きになってたり。
上から目線は、そのまんま。上から、あるいは下からこちらを見つめ、威圧する感じ。角度は鈍角。これ、大事。「自分の立場、分かって言ってんの?」と、こちらは少々ご立腹。
……アト様なら、どっちのシチュエーションでもイイ……わね。
三つ子が上から目線は、ちょっと想像できないけど──アト様なら、対等目線、上から目線、どっちもイケる。
ちょ……ヤバい、ヤバいわ。妄想炸裂しそう。
対等目線なら、肩口に頭とか乗せられたり、抱きしめられたりしそう! 上からなら、アト様、顎クイとか、舌なめずりとか──エロい! エロいわ、アト様! オネエ言葉でそんな……顔面が沸騰しそう。
どうしよう。妄想特急、加速しちゃうわ。止まれなくなるわ。待て、あたし。深呼吸して、落ち着け、平常心だ。アト様は、とりあえずお帰り頂け。進入禁止。ひっひっふーっ。
ええと、それで、ああそうだ。見下してそうって言うのは、上からも下からでも、とにかく、喧嘩腰。こちらは鋭角。ついてくるだろう、セリフは「そんな事、言える立場だと思ってんのか?」と、脅迫っぽいに違いない。
上でも下でも、刺すような鋭い角度で来られると、逃げ場がなくて、威圧感が倍増するような気がするのよね。アト様や三つ子には似合わないわ。
でも、今のヴィクトリアスなら、こっちの態度で来ても違和感なさそうで……怖い。しかも、何の兆候もなく突然、どかん! と噴火しそうな感じなのよね。真面目な人間が、ストレスをためてバクハツっていう話は、よく聞くけど、兄は真面目人間……じゃない……しなあ? ちょっと、ゲームのキャラ設定をもう一度思い出してみようかしら。脳内花畑菌が変な風に、ナニかを発酵させた可能性だってあるしね。
とりあえず、妄想特急は出発待ちで。すっかり冷めてしまったピーチティーを口に含んで、何とか落ち着くと、
「あ、あの……お嬢様。差し出がましい事をお尋ねいたしますが、ルーベンス辺境伯との繋がりが、殿下のためになるのですか?」
今のこのタイミングを待っていましたとばかりに、ハンナから質問があった。
う~ん……懇切丁寧に教えてあげる訳にはいかないけれど、全く教えないっていうのも、ナシかな? ハンナはあたしの味方だしね。
「殿下のため、と言うか国のためね。それが、回りまわって殿下のためになるだろう、ってそういう話。あのね、ルーベンス辺境伯のお母様は、ヴァラコ共和国のご出身なの」
「は? えっ?! そ、そうなのですかっ!?」
そうなのよ。あたしも朝食会の後、貴族年鑑で調べてみて驚いたのだけども、アト様のお母様は、ヴァラコ共和国のビスマルク公爵の姪にあたるのだ。ハーグリーヴス公爵の話によると、お二人は大恋愛の末の駆け落ち婚だったのだとか。大恋愛とか駆け落ちとか、乙女の憧れよね。機会があれば、ぜひ、なれそめとか恋愛中のエピソードなどをお聞きしたい。
おっと、話がそれた。
つまり、アト様は我が国よりも、ヴァラコ共和国とのご縁の方が強いという事なのである。
ちなみに、ユァシェルと辺境伯家との繋がりは、今から4代前の国王の妹姫との婚姻くらいしかない。
20年前の事件の事もあるし、和解の道を探りあってはいるものの、両家の関係は、現状として綱渡り状態である事に変わりはないのだ。
「辺境伯領の独立はまだマシ。最悪なのは、我が国を捨ててあちらに行かれる事ね」
そうなったら、この国は深魔の森の開発事業というトレンドに関われなくなってしまう。
「そういう事でしたか」
理解できました、とハンナはすっきりした顔で頷いてくれた。
ヴィクトリアスも、せめて今明かしたくらいの手札を用意してくれていれば良かったのに……。
本当、残念だわ。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
お兄ちゃん、情報の収集分析があまりにも不足しすぎですな。




