深夜に近い時刻の部屋で 1
ここ数日、私の頭を悩ませていたもの。
それは、婚約者であるキアラン殿下とレディ・ミシェルが急速に仲を深めつつある事だ。
レディ・ミシェルは、女の私から見ても可愛らしい方だと思う。年齢よりも幼く見える顔立ちや言動も、殿方の目には彼女の魅力として好ましく映るのだろう。
加えて、成績も優秀で、この春からの編入にも関わらず、どの教科も10位以内に名を連ねている。
法術も得意とする彼女なら、有事の際にも貴族の娘としてふさわしい振る舞いができるに違いない。
法術の“ほ”の字も使えない、私とは雲泥の差。
身分という問題さえクリアしたなら、レディ・ミシェルの方がキアラン殿下の隣に相応しいのではないかと、思えるほどに。
でも、私はそれを認められない。
認めてしまえば、私の唯一の価値がなくなってしまう。
私は、元の生まれも分からない──召喚された人間ということは極秘にされており、侯爵家でも義父しか知らない──シアン侯爵家の養女。
法術の“ほ”の字も使えない、出来損ないの貴族。
容姿も、黒髪、黒目の平凡顔。
どんなに努力を重ねても、私を評価してくれる貴族はいない。
キアラン殿下の婚約者ですもの。これくらいは、当然ですわね。
侯爵家のご令嬢だもの。できない方が、おかしいというものですわね。
殿下の婚約者だから、侯爵家の娘だから、できて当たり前。やるのが当然のこと。
義母や義兄は言う。
「殿下の婚約者じゃなかったら、お前のような下賤の娘は、とっくの昔に放逐している」
私が良かれと思って行っている奉仕活動も、義妹に言わせれば、
「侯爵家の娘が、媚を売るような真似をして。それで、点数を稼いで殿下や他の家の方たちに褒めてもらおうっていう魂胆なんでしょうけど……はしたないと思わないの?」
「何をどうあがいたって、アンタの評価は変わらないよ」
義弟は、私をそう言って蔑んだ。
義父は何も言わないけれど、だからこそ、私への評価が分かると言うものだ。
この家から出たい。出たいけど、そのためには、殿下の婚約者という肩書も捨てる必要がある。でも、それを捨ててしまったら、私には何も残らない。
私の、マリエール・シオンの価値は、キアラン殿下の婚約者であるということだけ。
だから、レディ・ミシェルが憎いのだ。
努力は報われるなんて、笑って言う彼女が憎い。私の努力は、1度も報われた事がない。
殿下に近づき、私の立場を危うくする彼女が恐ろしい。「努力はきっと報われるわ」と笑うあなたが、私の努力を台無しにして、私を無価値なものにしようというの?
分からない。何もかもが、分からない。
自分を取り巻く全てのものが不安で恐ろしくて、袋小路に迷い込んでいた私に、声をかけてくれたのがおちびちゃんであり、チトセさんだった。
この2人は、私にとっての福音だったと確信を持って言える。
「レディ・マリエール。ううん、マリエさんって呼ぼうか。マリエさん、まずは泣いた方が良いよ。泣くのを我慢しないで、今までの感情を泣いて、外に出してしまうといいよ」
「なくのをがまんしちゃ、めーなのよ」
「おちびちゃん……」
めっ、と怖い顔をするおちびちゃんに、私は思わず笑ってしまった。
「泣いて泣いて、感情を全部外に出して、心を綺麗にしてさ。それから、マリエさんがどうしたいのか、考えればいいよ。回りの事なんて考えなくていい。そんなもの、どうにでもなるんだから。今まで育ててもらった分は、十分還元できてると思うから。貴族の義務だとかそんな物は考えなくていい。マリエさんは、自分の幸せだけを考えていいと思う」
「チトセさん……」
「もちろん、ウチへ来てほしいって話も断ってくれていい。受けてもらえると嬉しいけど、強制はしないよ。よろず相談も引き受けてるから、良いように使ってくれてもいい。ああ、そうそう。これを言わなくちゃフェアじゃないな。ウチの本部は、ルーベンス辺境伯の領地のド田舎にあるんだ。ちょっと刺激的なスローライフが送れると思う」
「ルーベンス辺境伯の?」
「そう。辺境伯の領地は深魔の森に接してる部分が多いでしょ? リッテ商会は、深魔の森の物を使って、商品を作るのが目的で設立されたんだ。辺境伯は最大の出資者だね」
「それは、知りませんでした」
「わざわざ宣伝するような事でもないし、辺境伯は社交界とは縁遠い生活をしてるからね」
その後、連絡の取り方を教えてもらって、私はチトセさんたちとお別れした。
リッテ商会へ行くか行かないかはともかく、貴族社会や、社交界とはほぼ無縁なのに、色々な事を知っている彼と知り合う事が出来たのは大きな収穫だったと言える。
その日の夜。侍女たちを下がらせて、私は1人、浴場で泣いた。泣いて泣いて、体中の水分が出尽くしたと思えるくらい泣いて、ようやく胸のつかえが下りたような気がした。
「ふふ。酷い顔」
鏡に映る顔は、泣きすぎて、目元が腫れてしまっている。
そんな私を侍女たちは、何かあったのかと心配してくれたが、私は大丈夫だと笑った。
「今まで、泣くのはみっともないと思って我慢していたけれど、それも良くないって思い直したのよ。やっぱり、我慢は体に良くないわね。こんな顔だけど、すっきりしているわ」
「お嬢様……」
「さ、身支度をお願い。それが終わったら、下がっていいわ。泣き疲れてしまったから、すぐに休もうと思うの」
「かしこまりました」
私の指示通り、侍女たちは身支度が整うと、すぐに下がっていった。
私は、体が少し重たく感じるけれど、休む前に、私を召喚した人間がオズワルドであるかどうかを確かるため、ちびちゃんに勧められた方法を実践してみることにした。
オズワルドの事を思い浮かべながら、集中。
ベッドに腰掛け、深呼吸をする。私に法術の才能はないけれど、それでも、訓練はやらされたのだ。その時の要領で、何度か深呼吸を繰り返し、オズワルドを思い浮かべる。
頭に沿うようにぴっちりと撫でつけられた、ダークブラウンの髪。常に眉間に皺を寄せた、気難しそうな顔。なのに、熱心なガイナス聖教会の教徒でもある。
この世界の法術とは、自身が持つ法力を精霊に伝え渡すことで発動するものなのだそうだ。法力とは魂の力。自身の世界に与える影響力。よく分からない説明である。
私が法術を使えないのは、この法力という物を全くと言っていいほど、持ち合わせていないからだとか。例えとしてはどうかと思うけれど、バイト代が払えないのだからアルバイトを雇うことはできない、というところかしら。
そんな私でも、オズワルドとの繋がりを感じることができるのか、不安だ。
……………
ぶっふぉ!? ちょっ……何アレ、何アレ、うっそ、ちょ……キッモ……! いや、イケメンだけど、男だもん。多感なお年頃なんだもん。ありっちゃありかも知れないけど……さ。
………結論として申し上げましょう。オズワルドとの繋がりは感じられました。
正確に言うと、オズワルドの感情っぽいもの。
それを一言で言い表すならば『ミシェルたん、ハァハァ』これに尽きる。
むっつりスケベだったのかよ、あの男ー! イヤァァァッッッ!! 信じらんないっ!!
「……お、落ち着け。落ち着け。オチを付けろ。いやいや、オチ付けてどうすんだ、あたし。混乱してるぞ。混乱するわな。そりゃそうだ」
心臓がばくばく言っている。冷や汗も、だらだらと滝のようだ。とりあえず、サイドボードに置いてある、水差しから水を飲もう。それから、香油だ。香油を焚くぞ。鎮静効果のある、香油だ。向こうで言う、アロマテラピーを実践せねば。
すーはー。すーはー。
はあ、何とか落ち着いた。
よし、現状を整理しよう。
チトセさんが言ってた通り、私をここへ召喚したのはオズワルドで間違いないみたいだ。
ちびちゃんの言う通り、繋がりらしきものを確認することができたんだから。
あんなのと繋がってるなんて、認めたくないけどな! もう、2度とやんないけどな!
けど、おかげで完全に目が覚めた。強烈すぎる目覚ましだったけど!
そうよ、そうよ。拉致被害者たるこのあたしの価値が、キアランの婚約者というだけだと思うなんて、あり得ない。そんな訳ないじゃないの! 法術が使えなくたって、あたしにできることはいっぱいあるわよ!
これはもう絶対に、あたしの人格を押し込めるような、洗脳っぽい法術を施されていたに違いない。でなきゃ、意外に凶暴と言われたこのあたしが! 今のこの状況に、唯々諾々と従う訳がないでしょ!!
本当の所は、どうなのか、そのあたりは分からないし、今さら分かった所で、どうしようもない。だから、知りたいとも思わない。
でも、本当にそういう事をしていたのなら、無駄な足掻きだったわね。オツ、と嘲笑してやりたい。これぞ、神のご加護じゃあ! なんて勝手な事も言ってみる。
まあ術師の方も、法術を使えないマリエールが召喚の繋がりを確かめようとするなんて思わなかっただろうし、まさかその時間帯に召喚主が夢中で『ミシェルたん、ハァハァ』なんて、しているとは夢にも思うまい。
教会の教えの1つに、禁欲があったはずなんだがな、オズワルド!
超合金製の箱で、純粋培養されていたご令嬢には、ショックがデカすぎるわな。あたしだって、ショックだよ。
おかげで、この世界によって創られたマリエールという人格が完全にぶっ飛んでいってくれたけれど。マリエールという箱が壊れて、中に入っていた真理江が復活したわけだ。
素晴らしい。
健全な青少年の欲望にかんぱ……い、は、したくないな。うん
マリエール嬢、ぷち変身!