チュートリアルはディナーの前後で 1
「……これで、いい……かな?」
寝室のチェストの上に登場したのは、30センチ幅くらいの、ちょっと変わったスペース。
それは何かとたずねられたら、守護精霊を祀る祭壇です、と答えるわ。
何でそんな物を作ったのかと聞かれたら、遅ればせながらに気が付いた、とっても大事な存在だから、と微笑むわ。
正直なところ、助けてもらっている実感は、リュンポス神よりも、マリエール方が何倍も大きい。だから、神様よりも先に、彼女の方に祈るべきだと思ったのよ。
これからもマリエールが身に着けた、令嬢スキルには助けてもらわなくちゃいけないし。
なので、あたしは自分の考えをマザー・ケートに話して相談すると、
「なるほどね。リュンポス神に仕える身としては、少し複雑ではあるけれど、良い事だと思うわ。……そうね……だったら、北の地方の風習を真似てみるのはどうかしら?」
その風習と言うのは、子供が7つになるまでに亡くなった場合、次に生まれた子の守り人として招く、というものなのだとか。
「そんな風習があるんですね。知りませんでした。何か特別な方法が?」
「特別なことは何もないわ。ただ、その子のための祭壇を用意する家が多いわね。後、絶対に必要なのは、守り人としての名前を付ける事よ」
何故かと言うと、あなたはもう人間じゃないんだよ、守り人なんだよ、と自覚を促すために必要なのだとか。おとぎ話で、人間の時の名前をそのまま使っていたために、守り人が妹に嫉妬して、守るどころか災いを招いてしまった、というものが伝わっているそうだ。
「どんな名前が良いんでしょうか?」
「人の名前に守り人としての名前を加える場合が多いみたいよ。レディ・マリエールなら……そうね、マリエール・ヴィオラなんてどうかしら?」
「いいですね!」
そんなわけで、あたしはマザー・ケートにマリエール・ヴィオラの祭壇を作るアドバイスをもらい、教会から帰って来て、すぐに祭壇作りを始めたのだ。
そうして、できたのがチェストの上のこれ、という訳である。
祭壇に飾る物は、特にこれと言って決まりはないそうだ。
あえて言えば、キャンドルくらい。後は、マリエール・ヴィオラが好みそうな物、彼女のイメージに合う物を祭壇に飾ればよいとの事だった。
なので、まず、片付けたチェストの上に、薄紫色の布と大きめのレースペーパーを敷いた。
その上に、ミントグリーンのキャンドルと丸い手鏡を飾る。次に、右手側にツリーの形をした、アクセサリースタンドを置いた。
真ん中には、スミレのイヤリングとアメジストのペンダントを飾りつけ、レースとリボンも飾り付ければ、乙女チックツリーの出来上がり。
ツリーの下には、羽の形をしたトレイを置いて、コサージュとパールのネックレスを飾る。それから、デザインが気に入った香水の瓶。マリエールがお気に入りだった物も祭壇に飾る。
「うん。これで、よし。時々は、お花を飾ってもいいかもね」
いろんな物を飾っては違うと首を傾げ、場所がイマイチと首をひねって飾り直し。この作業、楽しいわ。ああでもない、こうでもないと1人で吟味を重ねる。
そうして、お日様もすっかり、姿を隠してしまった頃、ようやく満足のいく祭壇が出来た。
キャンドルに火を灯して、あたしは祭壇の前に膝を折る。
「はじめまして、って言うのも何だか変な感じね、マリエール・ヴィオラ。あたしは、新城 真理江。昼間は、あれこれ、好き勝手な事を言ってごめんなさいね。別に、あなたを責めるつもりはなかったのよ。今のこの状況は、何て言うのかしら。あっちこっちの歯車が上手く噛み合わなかったのが原因よね。向こうも悪いし、あたしたちも悪い。そうは思わない?」
普通、貴族の娘が社交界デビューをすると、お目付け役がつく。何故か。
社交界デビューと言うのは、大人の仲間入りをする事だ。では、大人の仲間入りをするという事は、どういう事か。結婚相手を探すことである。
シャペロンと言うのは、近づいて来る男性の値踏みをすると同時に、令嬢が自分を安売りしないよう、見張るのがその役割。
その点、あたしにはキアランという婚約者がすでに存在している。
結婚相手を探す必要はなく、王子がお相手なのだからハメを外すような事はないだろう、という希望的観測のもと、シャペロンがつけられなかったのだろう──と思う。
ちなみに、シャペロンは母親だったり、親戚のおばさんだったり、様々だ。
「まあ、でも……今更よね。ねえ、マリエール・ヴィオラ、本当にありがとう。あたしがこうしていられるのは、あなたが頑張ってくれたおかげだってちゃんと分かってるわ。そして、これからもよろしくね。あたしたちが幸せになるために、二人三脚で頑張りましょう。もう、あなた1人で悩まなくていいのよ。チトセさんとちびちゃん、マザー・ケートやランスロット殿下たちがいるもの」
殿下たちを完全に信用する事はできないけど、それでも、1人で悩むよりはずっといい。
「あたしたち、幸せにならなくちゃね。いつか、お父さんたちに会えた時、あたしは幸せに暮らしてるわって、笑えなくちゃ、悲しませてしまうもの」
祭壇の手鏡に映るあたしの顔は、泣き笑いみたいになっていた。
コンコン。
「はい。何かしら?」
ドアをノックする音に、あたしはにじみかけていた涙を手で拭い、立ち上がった。
「お嬢様、そろそろディナーの時間でございます」
「あら、もうそんな時間なの? なら、支度をお願い」
あたしが入室を許可すると、部屋にハンナが入って来た。
夕食の時間だから、何の支度をするんだろう? って思った? 実はね、夕食用の衣装に着替える必要があるのよ。びっくりでしょう?
貴族の娘の仕事はね、うんざりするくらい、着替える事なのよ。
家族と会う時も時間帯に合わせたそれなりの恰好をしなくちゃいけないわけ。面倒くさいけど、貴族に生まれたのだから、しょうがないわよね。
家で食べるのだから、アクセサリーは要らない。右肩から脇腹にかけて、花の刺繍がある緑のドレスを選んで、それに袖を通す。髪も緩やかに1つにまとめてもらって、終了よ。
食堂に向かうと、珍しく義父がいた。
「これは父上、お忙しいのではなかったのですか?」
ちなみに義父もきちんと晩餐用にテールコートスタイルである。
「う、うむ……まあ、な。だが、たまには一緒に食事も良いだろう」
「そうですわね」
とは言え、食堂にいるのはあたしと義父だけ。他の家族は顔も出さないのだから、寂しい晩餐である。いつもは、あたし1人だけだから、それに比べれば多少はマシかも。
執事のヒューバートが椅子を引いてくれ、あたしは義父の向かい側の席に座った。
「学園生活はどうだ?」
「お蔭さまで楽しく過ごしておりますわ。義兄上から聞いていらっしゃるかも知れませんが、わたし、レディ・イザベルとお友達になりましたの」
「あ、ああ、うむ。聞いている。その……まあ、何だ……良かったじゃないか。うん」
会話終了。
マリエールは、自分の事に興味がないから、近況を聞かれないのだと思っていたみたいだけど、本当のところは、下手なことを言ってあたしの機嫌を損ねたくないからなんでしょうね。多分。うん。気持ちは分からなくもないけど、いい気分じゃないわ。そんな事、言わないし、言えないけど。
「その、な。何だ、今日は教会へ行っていたんだってな? その……チャリティーで……」
おお、珍しい。続きがあった。でも、本題はそっちなわけね。
「その通りですわ。リッテ商会が主催したバザーでしてね、売り子のお手伝いをさせていただいたんです。とても有意義な時間でしたわ。父上は、リッテ商会をご存知かしら?」
「う、む……。まあ、な。最近、よく耳にする名前だからな。詳しくは知らないが──」
「ルーベンス辺境伯の御領地に本店があるそうなのですが、扱っている品がとても珍しいのです。色合いが素敵だったので、わたしもリボンとハンカチを買い求めましたわ」
「幾つ買ったんだ?」
義父が、聞きたかったのは、これなのだろう。
また、不必要に買い込んだんじゃないだろうな、と。チャリティーにお金を出すのは、貴族に求められる社会貢献の1つだ。
悪事などではないから責める訳にもいかないが、だからと言って無駄に金をつぎ込まれても困る、というのが義父の本音。
でも、マリエールの機嫌を損ねると後が怖いから、言えなかったのだ。金使いの荒い娘でゴメンナサイ。でも、今日は大丈夫よ。
「リボンが3本とハンカチが1枚ですわ。以前のわたしなら、あれもこれもと買い求めておりましたけれど……これは間違いだったと今更ながらに気づきましたの。趣旨を思えば、完売するのは、とても望ましいことですけれど、だからと言って1人の人間が買い占めるのは良くない事ですわね。結果は同じでも、過程が違えば、人の心の印象も変わりますもの」
「そ、その通りだ。マリエール。よく気が付いたな」
「とんでもない。チャリティーの後、教会の方から話を伺ってからというもの、自分の行動に恥じ入るばかりですわ」
何のことかと言うと、チャリティーをうたいながらも、集めた資金がきちんと寄付として還元されていない催しが存在する、という事だ。要するに寄付金の横領ね。
「わたしは正しい事をしているのだと、チャリティーのお誘いにはなるべく応じるようにしておりましたけれど、このお話を伺ってから考えを改める事にしましたの」
「ほぅ。どう改めるのだ?」
義父が身を乗り出してきた。うん、本当に悪い娘でゴメンナサイ。
「今までもチャリティーの趣旨は吟味しておりましたけれど、これからは催された後の事もきちんと確認する必要があると実感いたしましたわ。ですので、まずは、今までに頂いた手紙をひっくり返してきちんと整理し、侯爵家のお金がどのように使われたのか確認しようかと──それが終わるまでは、チャリティーのお誘いはお断りしようかと思います」
「うむ、うむ。それが良いな。我が家の資産は、領民の税金だ。それを社会へ還元するのは貴族の義務だが、それは適正に還元されなくては意味がない」
「ええ、本当に。愚かな事をしておりましたわ。父上、申し訳ございませんでした」
「良い、良い。若いうちは失敗なぞしょっちゅうだ。取り返しの利かない失敗をする前に気付けたのだから、良いではないか」
「恐れ入ります。それと共に、社交界からも少し距離を置こうかと考えておりますの」
「何と! それは本気か?」
「はい。わたしも今年で学園を卒業いたします。振り返れば、学生らしい事はあまりしておりませんし、味気ない学園生活だった、と後悔したくありませんの」
だから、出席する催しは必要最低限のものにして──それも、出席するしないの判断は義母に任せる──残りの学園生活を楽しみたいのだと、あたしは義父に伝えた。
ここまで、お読みくださりありがとうございました。
お蔭さまで、体調も戻りました。また、頑張って更新を続けて参ります。




