見極めは、密談と並行で(ランスロット視点)
「アクジョ、です……か」
「ああ、そうだ」
私の目の前でぽかんと口を開ける、マリエール嬢。先ほどから、彼女の顔は忙しそうに表情が変わる。
彼女が社交界にデビューして、2年足らず。その間に、マリエール嬢は「社交界のスミレ」「スミレのレディー」という愛称を頂いたようだ。
侯爵令嬢という立場にありながら、気取らず、誰にでも優しく、気さくに話しかけるという人柄と、紫色の小物やドレスを好んで身に着けているところから、そのような愛称を頂いたのだろう。
しかし、社交界全てが彼女に好意的ではない。
マリエール嬢は、引きこもりがちな侯爵夫人の名代という名目で、彼女の年齢では許されていないサロンの主催なども行っている。
その事が「生意気」「元の身分も知れない馬の骨の癖に」と、一部の貴族から反感を買っているのも事実。
平凡な顔立ちや、変化に乏しい表情、抑揚の少ない声音などが「不愛想」「得体がしれない」というイメージを与えているのもその原因の1つに違いない。
その一方で「神秘的」「気品があるし、知的」だと言って、彼女の内面の魅力に好意を寄せる者もいるのだから、人の心とは面白いものだ。
そんな少女であったから、私が「悪女」というイメージを彼女に持つのも、まあ……無理のない事、だと思う。
しかし、マリエール嬢の中に隠れていたマリエ嬢は、「悪女」というイメージとは程遠い存在だった。元は庶民だという生まれのせいもあってか、意外に口が悪いと言おうか、毒気を含んでいたようだ。
「……それは、どういう……?」
マリエール嬢が傾げた首からは、ぎぎぎぎとさび付いた物を動かすときのような音がしそうだ。悪女呼ばわりされたのが、はなはだ不本意であるらしい。
当然と言えば、当然だろう。何せ、完全な言いがかりなのだから。
「私が学園を卒業したのが、3年前だったか……。私が君の事情を聞かされたのは、王家主催の卒業祝賀会が終わった後の事だったよ」
「はあ……」
「君がシオン侯爵家の養女となった経緯。そして、リュンポス神の加護の事もね。その上で、父王はこう言ったのだ。『マリエール嬢がいる限り、我が国は安泰』だと──」
「はあ?」
マリエール嬢の表情が、何を言いたいんだろう? という戸惑いから、何を寝ぼけた事を言ってるんだ、という物に変化した。若干、頬が引きつっているようにも見える。
リュンポス神の加護の事は、彼女自身、チトセから聞くまで知らなかったらしい、という報告は聞いていた。それを耳にした後も増長した様子は見られない、とも伝えられていた。
が、こうして彼女の態度を目の当たりにして、私はようやく一安心できた。
「あの時の衝撃を、私は生涯忘れる事ができないだろう。まるで、鈍器で横っ面を張り倒されて吹っ飛んだ後に、釣り天井に押しつぶされたような気分だよ」
「あたしは今、全国民が乗ったお盆を支えさせられていた事実に茫然としています」
重苦しい声で呟きながら、マリエール嬢は組んだ手に額を当てている。
あるかどうかも分からんようなモンに期待込めすぎだろ。あたしがいるから、とか言うな。責任とれんわ、と彼女はぼやく。
全くだな。これが他国の話であれば、馬鹿なことをと、嗤ってすませられるのだが、自国となると話は別だ。非常に、頭の痛い話である。
「わたくしたち、この話を陛下から聞かされて、目眩がする思いでしたのよ。国と民を守るのが王族を始め、わたくしたち貴族の義務であると、常々言い聞かされて参りましたわ。そのための教育も受けて参りましたのに──」
パトリシアの表情が曇る。
ああ、すまないな、我が麗しの君よ。君にそのような顔をさせてしまう、ふがいない夫を許してほしい。
心を痛めているパトリシアの手を取ると、彼女は少しだけ微笑んでくれた。
「陛下の口ぶりでは、まるでこの国のありよう全てが、レディ・マリエールのお蔭だと聞こえますわ。いいえ、陛下だけではなく、この事を知る者──人数としては、わたくしたちを含め、十数名ほどですか──そのほとんどの者が、貴女さえいれば、この国の安寧は保障されたと考えているようなのです」
「安寧どころか、何をしても失敗などあり得ない、と思っている風潮すらあるようね。貴女がこちらに招かれた直後、国が抱えていた大小の問題が立て続けに解決されたのよ。それが、その根拠。全く、神も罪なことをなさるわ」
マザー・ケートがため息をついた。
「そうだな。私が君を悪女だと思っていたのは、そこだ。君が何かをした訳ではないが、君の存在が、我が国の政治中枢を堕落させているとね」
「はあ……。人を麻薬か何かのように言われましても──」
「済まない。さっきも言ったが、それは私の偏見だ。君に非がある訳ではないのだ」
そう。彼女が国の首脳部へ、働きかけた訳ではないのだから、マリエール嬢を責めるのは完全なお門違いというものだ。
ろくに彼女と話もせずに、そのように思い込んでいたのだから、私たちもまだまだ未熟者であるという事に違いない。
「こうしてあなたと話をしてみて、わたくしたち自身、自分の目を曇らせていたのだと反省しておりますの」
「ところで、話は変わるが、マリエール嬢。3年ほど前から少しずつではあるが、軍の再編成が進んでいるのは知っているだろうか?」
「えっ?! 再編成と言いますか、方針転換が検討されているようだ、という噂は耳にした事がございます。私はてっきり、南の共和国との対立が深まっているせいかと…」
「なるほど。さすがはスミレのレディーと言われるだけの事はある。ここでヴァラコ共和国の名が出てくるとは思わなかった」
「恐れ入ります」
ほほほ、と控えめに笑うマリエール嬢。だが、その微笑みには誇らしさなど、みじんも感じられない。これは、彼女への評価があまりにも低すぎる影響なのかも知れないな。
全く、お前はとんだ愚か者だな、キアラン。私のパトリシアと肩を並べる才覚を持つ女性など、そうはいないと言うのに。
「ですが、今の口ぶりでは正解、という訳ではないようですわね」
彼女の口調が、先ほどまでのものと少し変わる。マリエ嬢とマリエール嬢が、交代したようなものか? まあ、気にするほどのものではないが。
「当たらずとも遠からず、ってとこかな。根っこは、一緒なんだけど」
どう説明したものかと口ごもる私の隣で、チトセが口を開いた。
この男は、国や貴族への忠誠心というものを全く持ち合わせていない。唯一持っているのが、ルーベンス辺境伯への恩義だけだ。
そこが、この男の使いやすくて使いづらいところである。
「と、言いますと?」
「根っこは、深魔の森の開発事業だよ。昔は投資先として人気があったけど、今は風前の灯」
言いながらチトセが立ち上がる。どうしたのかと思えば、ちびすけが舟をこぎ始めていたようだ。子供を抱き上げ、いつの間にか用意されていた寝床に、ちびすけを連れて行く。
パトリシアが残念そうな顔をしていたが、ちびすけだって、膝の上よりは寝床の方がいいだろう。
──私も、君に似た愛らしい子が早くほしいな。うむ。今夜も存分に君を愛でさせてもらうとしよう。君の白磁の肌に玉の汗が浮かぶ様は、まるで朝露に濡れる白バラだ。
「50年くらい前の話よ」
おっと、いかん。できれば、一日中私の白バラを愛でていたいのだが、今はそういう場合ではなかったな。今は国の行く末を案じての話し合いの場。集中せねば。
愛しき妻、私の白バラ。君は、本当に罪作りだな。側にいるだけで、私は君の美しい姿と甘い香りに誘われ、さながら蜜に引き寄せられる蜂のように、パトリシア、君の色で頭の中を染めてしまう。私の悪い癖っ……!
誰だ、今、私の足を踏んだのはっ?! チトセかっ!? いやしかし、チトセは席を立っているしな……む? 誰だ? 本当に分からないぞ……。
「細かい経緯は省くけれど、森の開発・開拓事業もただのブームでしかなかったわね。結局、大した成果もなく、そのほとんどが頓挫したのよ」
いかん、いかん。集中せねばと思った矢先ではないか。犯人探しなど、している場合ではないな。
ブームに乗って新しく作られた村は、50近くあったのではないか、と懐かし気な口調で話すのは、マザー・ケートだ。
ブームが起きた頃、この方は10代か20代だったはず。きっと、その熱気を肌で体感したに違いない。もしかしたら、実際にそういった村へ向かわれた事もあるのかも知れない。こればかりは、彼女が話してくれないと分からないが。
「ええと……すみません、冒険者ギルドでは魔物から採れる毛皮や骨、爪といった物を買い取ってくれます……よね? なのに、開発事業は破綻したんですか?」
「破綻したねえ。ギルドを作りたいって言われても、一度に何十も支部は作れないし」
「そりゃそうでしょう……って……え? 調整しなかったんですか?」
マリエール嬢の目がテンになった。
分かるぞ、その気持ち。私もこの話を聞いた時は、同じような反応をしたものだ。普通はするだろう! 支部の招聘費用も折半できるし、場合によっては共同出資という事にしたって良い。開発事業なんて、軌道に乗るまでは、金食い虫なんだからな。
「しなかったようですわ。当時の記録を見ると、呆れて物も言えないくらいにずさんなのですもの。初めから資産をドブに捨てるような事業計画で……どうせ捨てるならもっとうまく捨てればよろしいのに」
「でも、結果として不作続きだった辺境伯の領民は救われてよ? だから、あたくし、あのブームは神の慈悲だったに違いないと思っているの」
パトリシアとマザー・ケートが口を開く。
ブームなどというものは、ある種の熱病のようなもの。病にかかってしまえば、頭の働きも鈍くなるのも当然の事だ。
「ただ、開発村のいくつかは、出資者の手を離れた今もまだ残っていて自分たちの力で細々と開拓を進めているそうだ。とはいえ、どこも活気がなく、さびれる一方だったそうだが……」
たとえ冒険者ギルドの支部を設立できたとしても、街道が整わなければ買い取った素材を流通経路に乗せる事が困難になる。上手く売りさばけないのであれば、資金繰りが悪化するのは当然の事であるし、冒険者も実入りが少ないとなれば出て行くに決まっている。
ルーベンス辺境伯は、賭博要素が強い森の開発事業よりも、堅実な方への資金提供を選んだそうだ。
そうして、深魔の森の開発事業はほとんどが破綻し、一時の夢物語になるはずだった。
「……ところが、ここにきてリッテ商会という、例外が現れた訳ですね」
「その通りだ。共和国から我が国へ、リッテ商会の開拓・開発技術の提供を打診されたのが、5年前。あちらはスネィバクボ山脈の裾野に国土を持つからな。山脈の開発事業に、技術を応用できるのではないか、と考えたようだ。しかし、リッテ商会は民営な上、どうやったものか、辺境伯が出資者の1人として参加している。国としては、窓口が違うと言いたいのだが──」
「言えないよねえ。ま、金になりそうな木をよその国に先んじられてたまるかってねえ……」
ちびすけを寝かしつけたチトセが、テーブルに戻って来る。
「くだらないと言ってしまえば、それまでの話ですわ。さっさと辺境伯に文官としての地位と権限を用意して、過疎化が進む村をまとめ、国策として森の開発事業を進めればよろしいのよ。陛下と辺境伯の確執なんて、国の繁栄を思えばどうでも良い事でしょうに」
うむ。私の妻は、時々辛辣なセリフを口にするな。だが、そのトゲすらも、私は愛おしい。美しいバラには、身を守るトゲがあるもの。パトリシアのそれは、バラのトゲそのものだ。
「俺もそう思うんだけど、王様たちってば、マリエさんのお蔭で自制心ってモンがなくなっちゃってるのか、何でもやってみちゃえばいーじゃなーいってねえ」
はあ、やれやれ、とチトセがため息をこぼす。
「深魔の森の開発など、無謀でしかない。と言うのも、深魔の森専門の冒険者アタッカーと通常の冒険者たちとの実力格差が激しいらしくてな……」
堕落に蝕まれ、怠惰という病に侵された、我が国の首脳部は、現実という物が見えなくなってしまっているらしい。
実は、嫁バカポエマーランスロット殿下。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。