密談はランチの後で 1
気まずい。ひっじょぉ~に、気まずい。
遅れてお見えになられた、ランスロット殿下とパトリシア妃殿下の席が、シスターたちの手で用意された。──のだけれども、その間中、殿下はあたしへ値踏みをするような視線を向けていた。はっきり言って不作法、マナー違反なのだけれど、それを指摘する事があたしにはできない。
パトリシア妃殿下は、いそいそとちびちゃんの側によって、「ランチの味はどうったかしら?」とか「今日のドレス、よく似合っているわね」なんて、話しかけていた。
何だ、この温度差は。
マザー・ケートとチトセさんは、世間話中。聞き耳を立ててみると、エシャン染めについて話しているよう……なの……だが……蔓の一撃がなかなか痛くってね、ってどういう意味なんだろう? エシャンって、確か植物だったはずよね?
会話に加わるのが何だか恐ろしくて、1人固まっている内に、テーブルの上は片付けられたようだ。
「失礼いたします」
シスターたちが退室し、テーブルの上には、焼き菓子とお茶のポットが残っている。
「はい、ちびちゃん、どうぞ」
妃殿下はいつの間にかちびちゃんをお子様席から自分の膝の上に移動させていた。そして、手ずからクッキーを小皿に取り、ちびちゃんへ差し出している。
「しあねーちゃ、ありやと」
にっこり笑ってお礼を言ったちびちゃん。目をきらっきら輝かせ、クッキーを頬張り始めた。甘い物、大好きだって言ってたものね。
チトセさんが、お茶を淹れてくれた。とてもいい香りがする。カップに手を伸ばして口をつければ、すごく美味しかった。
ランスロット殿下もお茶に口をつけ「お前は本当に何でも器用にこなすな」と軽く眉を持ち上げて驚いていらっしゃった。
「さて……まずは1つ確認させてくれ、レディ・マリエール。キアランの婚約者という立場のみならず、侯爵家令嬢という身分も捨てると言うのは、本心か?」
「はい。私が心より望んでいる事にございます」
猜疑心を隠そうともせずに、ランスロット殿下があたしに聞いてくる。
その視線は、冷たく、値踏みをするような雰囲気もあった。まあ、平民が貴族になりたいと望む事はあっても、逆のパターンは、なかなかないだろう。
あたしが逆の立場だったとしても、彼のように本気を疑ったに違いない。
今は、マリエールではなく、真理江として殿下と話をするべきだと思う。不敬罪は、見逃して下さい。
「あたしの本当の名前は、新城真理江と申します。こちらに召喚された時は、5歳くらいの姿だったとかと思いますが、向こうにいた時のあたしは、妃殿下よりも年上で、人に使われる立場でした」
「何てこと……! だったら、ますます……!」
くっ、と小さく呻いて頭を抱えたのは、マザー・ケートだった。そうですね。ええ、話せば分かったのですよ。今更ですが。
「嘘を言っているとは思えないが……召喚によって若返るなどという事はあるのか?」
「いえ……聞いた事はありませんが……ない、とも言いきれませんね。召喚術は、いまだに謎の多い法術ですから──」
ちびちゃんの頭を撫でながら、パトリシア妃殿下が答える。行動と言葉が一致していませんが、ここはツッコまない方がいいんですよね? 空気読みますよ。
妃殿下は、法術を使う方は少々心もとないそうなのだが、理論についてはかなりお詳しく、法術に関する論文をいくつも発表なさっているとか。
例えるなら、音楽家と音楽評論家のような違い、と言ったところだろう。
「あたしとしては、複雑な部分もありますが、今までマリエールとして生きて来て良かった、という気持ちがあるのも本当です。真理江のままでは、礼儀作法などといった淑女の嗜みを身に付けられるかどうか……」
つい、真顔で遠くを見てしまう。チトセさんが「うんうん。分かるよ、分かる」と何度も頷いている。理解してもらえるのは嬉しいけれど、同時にちょっと複雑でもあるわ。
「お前、できるのにやらないよな」と、ジト目でチトセさんを見る、ランスロット殿下。
「やる時はやるよ? でもほら、俺って、無駄な労力は極力避けたい主義だから」
あはははは、と悪びれなくチトセさんは笑う。王族に向かって「無駄な労力」だと、断言できてしまうのが、すごいわね。ちびちゃんは……まあ……きっと以下同文に違いない。
「ですが、今の生活はとっくに許容範囲を超えております。真理江としてはもちろん、マリエールとしても。視野が狭くなっている事は否定できませんが、それでも、何をしても批判しかされない生活は、もはや地獄に等しいかと──」
「……ああ。ユーデクス一族から報告は受けている。よく、耐えたな」
ランスロット殿下が、重苦しいため息をついた。
彼にとっても、キアランの態度は言うに及ばず、侯爵家内での、マリエールの扱い、国王夫妻の対応など、どれも、到底信じられないものであったらしい。
「恐縮ですわ。ええ、本音を言わせていただければ、キアラン殿下は締め上げてやりたいですし、侯爵家の面々は全員もいでやりたいし、両陛下は禿げればいいのにと……。今ここで不満を申し上げれば、完徹間違いなしですわ」
こうしてあの人たちの顔やら声やらを思い出すだけで、ふつふつと怒りが湧いてくる。あたしの体から、どす黒いオーラが活火山の噴煙のように噴き出しているのが、自分でも分かるわ。どうぞと促された瞬間、歴史に刻まれるくらいの大爆発をするでしょうね。
「そ、そうか……。その……済まないな。幼い頃よりあまり顔を合わせる事はなかったが、あれでも、一応、私の身内だし……な。いや、謝ってすむことではないかも知れないが……」
ランスロット殿下、ドン引きしてますね。端正なお顔が引きつってますよ。殿下のこんな顔を見られる人間が、世の中にどれだけいるのやら。
マグマを引っ込めたあたしは、
「マリエールには、世の中とはそういうものだと刷り込まれていたのかも知れません」
「ああっ! あたくしときたら、本当に……何て事をしたのかしら……! 記憶を封じる法術をかけたつもりだったけれど……もっと酷い……人格や感情まで封じ込めるような結果になっていたなんて──」
マザー・ケートは頭を抱えてうなだれてしまった。すみません、今はフォローする言葉が思い浮かばないので、スルーさせて下さい。
「ですから、このような環境とはサヨナラしたいのです。私は、いずれ、国の顔になる人間として、今までたくさんの事を学んできました。それは、今も頭の中にあります。やってやれない事はないでしょうが……」
あたしは、はっと鼻で笑い、
「あれの隣で? 今まで以上に、耐えて耐えて耐えて耐えろと? 冗談じゃありません」
「本っっ当~~~に、すまないっ!!」
ランスロット殿下が、頭を下げてくださった。パトリシア妃殿下も「申し訳ないわ。未来の妹になる貴方ともっと早く話をする機会を設けていれば──」と頭を下げてくださる。良かった。王族にも、まともな方がいらっしゃったようだ。
「良かれと思って侯爵家に預けたのが、かえって裏目に出たようね。シオン侯爵が、恐妻家だって事をすっかり忘れていたわ。あの方、夫人には蛇ににらまれた蛙みたいに何も言えないそうだから──」
マザー・ケートが額に手を当て、ため息をこぼす。
「貴族なら、生活には何の不自由もないもんねえ。基本、労働とは無縁だし」
「そうなのよ。チトセの言う通り。でもね、あまり身分が高すぎても、窮屈な思いをさせてしまうだろうから、初めは、裕福な子爵家か男爵家、商家あたりを考えていたの」
何故、そうしてくれなかった。
「ところが、よ。祈祷の儀を終わらせた教皇が、祈りの間から転げるように出て来て、貴女に神の加護が与えられた、って言うじゃない? その一言で、まとまりかけていた方針が、大きく変換されてしまったの」
そうか。あたしの今の境遇は、教皇のせいだったのか。どうしてくれよう……。
「分からなくもないですわ。神の加護を受けた精霊の歌姫を平民に近いところにおいておくのは、心配ですもの。目の届かないところで何かあっては大変だと──」
そんな事になったら、どんな神罰が下るか、知れたものではない、と暗に妃殿下が告げてくる。まあ、それもそうか。ありがた迷惑、という言葉があたしの頭に浮かんだが、ここは言わぬが花だろう。
「シオン侯爵には、オズワルドが召喚した別の世界の人間であるという事以外は全て伝えてあります。ですが、神の加護がある事は他言無用であると口止めを」
秘密を知る人間は、少数である事が望ましい、とマザー・ケート。その通りですね。その結果、いらん誤解が生まれてしまったようですが、そこまで責任は持てませんよねえ……。そこは、義父が頑張るところだもの。
「シオン侯爵夫人は、君を、夫が外で産ませた娘だと思っているようだ」
ジャスミンがメイド情報網を駆使して仕入れて来た話によると、色々こじらせているみたいだものねえ。──侯爵家には居場所のないジャスミンだけど、一歩外を出れば、仲良しのメイドがたくさんいるので、そっちから話を聞けるらしい。
義母の実家のメイドの話から想像するに、どうも義母はツンデレっぽい。
義父はそれを知らないモンだから、義母に嫌われていると思っていて──と、立派なすれ違い夫婦なのだ。あほらしい。義母のメイドは、「何でそこでそんな態度をとるんですかっ」なんてやきもきしているそうな。
ま、あたしは良い子ちゃんじゃないので、夫婦の関係修復に協力したりなんてしませんが。
「ユーデクス一族から、君の境遇について報告を受けておきながら、何故、貴族籍を抜けるつもりなのか、と確認したのは、神の加護を持つ君が望むのであれば、貴族籍を維持したまま、今の立場から抜け出る事も出来るのではないか、と邪推したからだ」
何と! 言われてみれば、その通り……かも。でもねえ……
「……それは……今の今まで考えた事がありませんでしたね。そもそも、神の加護を持っているという事自体、私自身、懐疑的でして──」
神様のご加護かも?! と思えたのは、私があたしを思い出した事くらいである。
「そうか……分かった。君が心底、貴族籍から抜けたいと思っている事は理解した。その事に協力する事は、私としてもやぶさかではないが──」
「何でしょう?」
「腹の探り合いなんてしてる場合じゃないだろうに。あのね、ぶっちゃけるとね、ランスは、マリエさんがこの国に対して、悪感情を持ってるんじゃないかって思ってるんだよ。ほら、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって言うでしょ。あたしをあたしとして見てくれない、こんな国、滅んでしまえばいいのよ~! っていうような感情はないかって事」
「ああ」納得。
神の加護を持つ(らしい)あたしが、国に対して悪感情を持っていれば、何らかの災い? が、降りかかって来たって不思議はないものね。
「別に、国に対してどうこう、という気持ちはありませんね。国に何かあれば、こんなあたしに仕えてくれたジャスミンたちにも被害が出るかも知れませんし、他の方々にも──」
あたしが悪感情を持っているのは、一部の人間に対してだけである。学園の友達や、奉仕活動などで知り合ったサルミたち、孤児院の子供たちや、病院の看護婦さんやお医者さん、患者さんたち。もちろん、中には困った人もいたけれど、彼らを悪く思う気持ちはない。
「キアラン殿下や、侯爵家の人たちについても、好きにはなれませんが、不幸になってほしいとも思いませんわ。幸せを願う気持ちもありませんけども」
ここまで言って、あたしは彼らをどう思っているのか、考える。
理不尽だ。勝手な事を言うな。あたしをなんだと思ってるのか。などなど。突き詰めれば単純。あたしは、怒っているのだ。何もかもが、一方通行である彼らに。だから、
「あいつら全員、禿げて、もげて、折れてしまえば良いのに。と言うのが、率直な感情です」
真面目な顔をして答えたら、
「そ、そうか……」
ランスロット殿下、ドン引きアゲイン。何故だ。
「マリエさん、ハゲに何か偏見でも?」
「そんな事はないけど。若さだけじゃ太刀打ちできない、熟成された魅力があると思うの。でも、ほら、あたしの言う人は大体若いから──あの若さで、はらはらいかれると、ショックが大きいんじゃないかって。ただ、それだけ」
スキンヘッドだと、ただの美坊主になってしまうので、それは却下だけども。
ハゲはどうでも良いんだが、とこぼした殿下は、何度目かの深く重苦しいため息を吐き出され、
「私は、君を誤解していたようだ。いや……偏見の目で見ていた、という方が正しいだろうな」
「ええ、話し合うという最も基本的な事を失念しておりましたわ。殿下、わたくしたちも、いつの間にか物事を一方的に決めつけてしまっていたようです」
改めなくてはなりませんねと、パトリシア妃殿下も、ため息を吐き出す。
お腹がいっぱいになったせいか、彼女の膝の上で、ちびちゃんはこっくりと船をこぎ始めていた。
「まずは、君に謝罪をしなくてはいけないな。私は、君を憎らしく思っていたのだ。国を傾けかねない、悪女だと──」
は? アクジョ。アクジョって、このあたしが?
………何だってーーーっ!!?
ちょっと難しい話になると、どうしてもちびこが空気になってしまう(笑)
ここまで、お読みくださりありがとうございました。




