午後の旅立ちには、家族の見送りで
「お嬢様? どうかなさいましたか?」
「え? ああ、何でもないのよ。マザー・ケートとのお茶会を思い出していただけだから」
「あの女のことですかっ?!」
ハンナがずずずぃっと近づいて来たので、上半身を後ろへ逃がす。何、何? びっくりするじゃないの、近すぎるわよ。怖いわよ、ハンナ。離れて、離れてってバ。
「ちょっと、ハンナ! お嬢様を驚かせてどうするのよ」
カーラがぺしっと同僚の頭を叩き、彼女の暴走を止めてくれた。ハンナは、不満そうに唇を尖らせていたけれど。2人の大先輩ジャスミンは、大きなため息を零し、
「ハンナの気持ちも分からないではないけどねえ……」
マザー・ケートの話を聞く限り、ミシェルの次の行動が全く読めない。何をしでかすか、さっぱり分からないので、怖い、という訳だ。
学園は彼女の留年を認めなかったので、ミシェルは学生寮から出なくちゃいけない。
ただ、彼女がああいう状態なので、部屋の片づけが一向に進まず。仕方がないので、彼女の部屋の私物は売却してお金に換え、半分を使い込まれた生徒会費の補てんに使い、もう半分を当面の生活費にあてることにしたそうだ。
後で聞いてない、盗まれたなどと騒がれてはたまらないから、このことは書面にしてサインさせ、同意を得たということにしてあるらしい。
きちんと理解してサインしたかどうかは、怪しいけれど。──と、マザー・ケートはおっしゃっていた。しかし、こう言っては何だがきちんと理解させる手間暇をかけたくない、というのが本音だろう。
とりあえず、冒険者ギルドと提携している宿には送り届けたそうだ。
「心配してくれるのは嬉しいけれど、大丈夫よ。そもそも、今の彼女がどうやってわたしに会うと言うの? 我が家を訪ねてきたところで、無駄足になるだけよ」
呼ばれもしない平民が、侯爵家の娘に会えるはずがないのだ。あ、あたしの身分やそのほか諸々については、キアランが勝手に言ったことなので、無効である。
とはいえ、噂話の恰好のネタになるのは間違いない。そのため、表向きは領地で静養させることにした、ということになっている。
今日がその旅立ちの日。
「さ、そろそろ行きましょうか。いつまでもこうしている訳にはいかないわ」
気持ちを切り替えるために、ぱんっと手を叩く。ジャスミンが、迎えの馬車も来る頃だろうというので、タイミングとしてはちょうどいいだろう。
部屋のドアを閉めて、玄関ホールへ向かえば、お父様とお母様、ハロルドとクラリスがいた。それに、執事を始めとした使用人たちも。皆、涙ぐんでいるので、あたしまでウルっときてしまう。
「お父様、お母様……今までありがとうございました」
両親に向かって頭を下げれば、
「母親らしいことは何一つといってしてあげられなくてごめんなさいね」
「不甲斐ない父親で済まなかったな、マリエール」
「今までのことは、お気になさらないで。わたしも、娘として至らないところが沢山ありましたもの。それに、地図で見れば遠く離れてしまいますけれど、実際は寮で生活していた頃とそう変わらない頻度で顔を合わせることができますわ」
転移陣を使えばね──!
マザー・ケートのお茶会にお呼ばれしてから3日後。調停公の役目に戻っていたインドラさんが、笑顔で「良い人材を見つけましたよ」と我が家に顔を出したのが始まりである。
その人材というのは、転移子という肩書を持つ、お爺ちゃん魔族。バドさんではない、別の魔王様の配下の方らしいが……
「メーデュ平原で測量していたところを偶然捕まえました」
「あの……確か測量って……」
国の許可がないとやっちゃダメなやつだったはず。主に国防の意味合いで。
「はい、その通りです。しっかり弱みを握りましたので、お望みの場所に転移陣を敷かせることができますよ、レディ」
任せて下さいって、いい笑顔。
マジでか。
この転移子お爺ちゃん、肩書に『転移』があるだけあって、転移陣のエキスパートらしい。
何でワシがとブツブツ文句を言ってたようだけど、ローザ様が「やかましい」と物理的に一蹴。チトセさんがお大尽アタックならぬ不良在庫アタックで、トドメをさしたらしい。今は我が家に転移陣を敷くべく、せっせと頑張ってくれている。
「国への隠し事ができてしまいましたね……」
ハロルドが遠い目をしていたけれど、お父様が
「何。数年もすれば、ランスロット殿下のお近くにも敷くことになるだろう。そのための試験運用だとか何とかいえば、咎められることもないだろう」
なるほど。頭を抱えて呻かれそうな気はしますが、転移陣の設置自体は、資金の面や出口と入り口が必ずペアであることなどの面から、法規制されていませんからね。
「そうおっしゃられても、転移陣を敷くのはとてもお金がかかると──資金の面で詰め寄られたりしたら、不正や犯罪を疑われたりしたら……」
「クラリス……あのね、チトセさんが言っていたわ。『どんなに高い品物でも、自分で獲ってくれば、基本タダ』だって──」
そして、誰も彼のそれを「ふざけるな」と言えないところが何ともまた……。
「…………彼の金銭感覚はどうなっているのかしら?」
それは永遠の謎だと思います。一家全員、何とも言えない気分になっていると、玄関のベルが鳴った。ドアの近くにいた侍従がドアを開け、来客の応対をしてくれる。
このタイミングだと、多分、チトセさんだと思うんだけど……
「こんにちは。レディ・マリエールのお迎えに参上いたしました」
へぁ? アト様ぁっ?! 何でっ?!
「……あの……チトセ……さんは……?」
「迎えは、チトセの方が良かったのか?」
眉間にしわを寄せ、むっとした表情でアト様に迫られてしまった。何か、怒られてる?
「いえ……アト様は、お忙しくていらっしゃるでしょう?」
もちろん、チトセさんだって忙しいのだが、アト様に比べればまだマシだと思うのだ。王都の支店は、一応、メドがついたわけだし。
「それでも、君を迎えに来る時間を作るくらいのことはできる」
「あ、ありがとうございます」
まだどこか不満そうな顔をしていらっしゃるが、アト様はそれ以上、何かをおっしゃることはなかった。アト様はお父様たちへ向き直り、被っていたシルクハットを取ると、
「大切なお嬢様をお預かりさせていただきます」
深々と頭を下げた。え~と……? 何か、違わない?
「ふつつかな娘ですが、よろしくお願いします」
「マリエール、しっかりね──!」
「は、はい。もちろんですわ」
一応、返事はしたものの、釈然としない。この雰囲気。
「今のでもお分かりいただけたかと思いますが……その……姉上をお願いいたします」
ハーロルドく~ん。何その、スミマセンっていう顔。
「私たちは、アートお兄様の味方ですわっっ!」
クーラリースさ~ん? いつの間に、アートお兄様なんて呼ぶように? アト様にナデナデしてもらうのは、ちょっとズルイって、お姉ちゃん、思っちゃうんですけどっ。
何がおかしいのかはっきりと分からないままに、気が付いたら、馬車に乗ってるあたし。お~や~? いつの間に?
「アタシが迎えに来たのは、転移子から興味深い話を聞いたからなの」
「何でしょう?」
おぉ、アト様のオネエ言葉、久しぶりに聞くわ。
「例の彼女、メーデュ平原に現れて、転移子へリセットしてほしいって言ったらしいわ」
「リセット?」
何の事だろう? あたしが首を傾げると、アト様が「アナタのゲームの知識にもないの?」と聞いて来た。何で知ってるの?! と目を丸くすれば、インドラさんから聞いたと言う。
そう言えば、バドさんには話して、その場にはインドラさんもいたわね。
「あたしの知識にはないですけど、でも、もしかしたら、続編が出ていて、そのことを彼女は知っていたのかも知れません。……他に何か言っていたことは?」
「ゲームがちゃんと終われば、元に戻れるはずだって言ってたみたいよ? 訳が分からないから、リセットをかけたければ、死んでみることだって言ったらしいわ」
アト様は、バカバカしいと肩をすくめた。
転移子お爺ちゃんは、やり直したいと思う時を強く願えば、戻れるかも知れないと続けたらしい。
「本当かって疑うもんだから、知らないって答えたそうよ。やり直すことができた、っていう人に会ったことはないから、嘘か本当かは分からないってね」
それを聞いたミシェルは「そんな……」とか何とか言って、去っていったらしい。ミシェルは、ここを現実ではなく、ゲームの世界だと思っていたってことかしら?
ここまで、お読みくださりありがとうございました。
……ゴールテープが見えているはずなのに、ゴールテープを切ることができない、この不思議。
何故だ。




