殿下公認の悪役は、学園で 2
マダム・ヴァスチィンの登場に、ミシェルはびっくぅっ! と肩をはね上げた。盛り上がっていた上腕二頭筋の力こぶも瞬時に消え失せる。
ミシェルってば、どれだけマダム・ヴァスチィンが苦手なのかしら。
「ミス・ミシェル・ヘラン。あなたと言う人は…………」
はーっ、と長く重いため息をつく、マダム・ヴァスチィン。
口にこそ出さなかったものの、どうしてこうもトラブルばかり起こすのですか、というセリフが、あたしの耳にはしっかりと届いている。ベルたちも同じなのか、うんうんと頷いていた。
「だっ、だって……! その人たちがあたしのこと、笑うからっ……!」
「笑う? それは、あなたの勘違いではないの? あなたは、外にいらしたでしょう? 外にいて、食堂にいるレディ・イザベルたちの会話がどうやったら聞こえるのかしら?」
「そんなのっ、顔を見れば笑っているかくらい、分かりますっ!」
まあ、それはそうだけど──
「とんだ言いがかりだわ。笑っているからといって、あなたのことを笑っているとは限らないのではなくて?」
ベルが鼻で笑う。ミシェルの勘は大正解なのだけれど、ジャッジするのはマダム・ヴァスチィンだ。
優等生のあたしたちと、問題児のミシェル。どちらの言い分を信用するかは、考えるまでもないだろう。ずるいやり方だけどね。
「だったら、何であたしのことを見てたのよっ?!」
「寒くないのかしら、って思って見ていただけですわ。その後で、以前お呼ばれした時に、寒さで凍えそうになったことがある、というお話をしていたものですから……」
「ああ、それで勘違いされてしまったのですね。でしたら、お詫び申し上げますわ。ミス」
あたしの嘘の後を継いで、ミス・クレメルがポンと手を叩いた。
その後、それはもう優雅に頭を下げたものだから、ミシェルは唇を強く噛みしめてブルブルと震えだし、
「嘘をつくんじゃないわよ、マリエールッッ!」
大声を出した。何で自滅街道へ歩いてっちゃうかな、君は。大きな声は、アウトだってば。
「ミス・ミシェル・ヘラン。あなたはいつ、レディ・マリエールを呼び捨てにできるような身分になったのですか?」
あ、声の方じゃなくてそっちですか。マダムの表情は、険しい。
「えっ? あ、だって……学園の生徒は平等なはずで…………」
「ミシェル……!」
彼女を気遣うようにそっと肩を抱いたのは、オズワルドだった。彼の両隣りには、グレッグとダリウスも立っている。どうでも良いけど、登場が遅くないですか? あなたたち。
ヒーローは遅れてやってくるとは言え、必ずしもグッドタイミングとは限らんのですよ。
「それは、どのような身分であれ、学園の生徒として平等に扱うという意味です。一時的に、生徒の身分を棚上げするという意味ではありません」
要するに、身分を理由に生徒への接し方を変えたり、成績に手心を加えたりといったようなことはしない、ということだ。それだけ、身分というものは厄介で面倒なのである。
講師陣が男子生徒を「ミスター」で、女子生徒を「レディ」で呼ぶのも、講師側に配慮したためだ。1年サイクルで、生徒が入れ替わることを思えば、無理もない。
そんな講師陣の呼び習わしを、生徒も踏襲している、というわけだ。
しかし、そうは言っても、社交界に出ればそんなことは言っていられない。卒業後は、正しい敬称を使わなければならないのだ。だから、最終学年になると、生徒も正しい敬称を使うようになる。デビュー前の練習、というわけだ。
「あなたはずいぶんと思い違いをしているようですね。貴族には、自分の立ち居振る舞いにも相応のものを求められるのです。以前にも申し上げましたが、あなたは、あなたの今のご自分の振る舞いが、男爵令嬢として相応しいものであると、言えますか?」
「そ……それは……でも……だって……」
ミシェルが言いよどむ。
マダム・ヴァスチィンは、ため息をつきつつ、オズワルドたちをチラリと見やる。もっとしっかり手綱を握っとけ、あるいは躾をしておけ、と言いたいのかも知れない。
「あなたには、言いたいことが山のようにございますけれど、それは今言うべきことではないでしょう。席に戻りなさい、ミス・ミシェル・ヘラン。ただ、あえて一言申し上げれば、あなた、いえ……あなた方、卒業する気はあるのですか?」
お。この話の流れだと出て来ないかと思ったけれど、出て来たわ。卒業の話。
誰なの? 「っし」って言ったの。あたしも思ったけど、言っちゃダメでしょ、言っちゃあ。
「どういうことですか?」
眉間に皺を寄せ、一歩進み出たのは、グレッグだった。
「名指しはいたしませんが、単位が足りていませんよ。実践による単位の代替措置の申請は自己申告であると、初めに通達しているはず」
とたん、ダリウスとオズワルドの顔色がサーっと青ざめていった。分かりやすいな。
グレッグは眉間の皺をさらに深くしたものの、隣を見たとたん、「お前らかよっ!」と、ポカンと口を開けた。
ただ、この2人に関してはまだ救いがある。ハロルドの話だと、足りていないのがそれぞれの得意分野である、武術と法術の単位だからだ。
今から、必死でレポートをこなす。冒険者ギルドでの討伐記録や依頼達成度、買取り記録なども合わせて自己申告すれば、ギリギリだろうけど、単位を取得できるというのがデキる弟の意見。
問題はミシェルの方。
「さあ、お話はここまでにして授業に戻りましょう」
パンパンと手を叩き、マダム・ヴァスチィンが解散を宣言した。
「失礼。マダム・ヴァスチィン。ミシェルの評価はいつになりますか?」
「いつ、とは不思議なことをおっしゃいますね、ミスター・コーラン。彼女は、私の講義を受けておりませんから、私が彼女を評価することはございません」
「ちょっ……!?」
「なっ?! どういうことですか!?」
グレッグが驚きの声を上げたのは分かるけど、ミシェルまで驚くのは何でだろー?
マダムも同じように思われたようで、
「以前、申し上げたはずですよ? 私を信頼していただけないようなら、私はあなたを指導いたしかねますと──」
多少、言い回しは違っているかも知れないけど、おおむね、そんな内容でしたね。その場で聞いていたので、思い出したわ。
ミシェルが、アンタのせいね、と言わんばかりにこっちを睨んでくるが、そんな訳はない。
「ミス・ミシェル・ヘラン。あなたは本当に人のせいになさることがお好きなようですね。指導できないと申し上げてからも、あなたは平然と私の講義の席に座っていらっしゃいましたが、私は言葉を撤回してはいませんよ」
つまり、自分の行いについて、何も反省していない、と。
「これ以上、私の授業を妨害するようでしたら、警備の方を呼ばねばなりませんが、いかがなさいますか?」
ミシェルは不満を隠そうともせずに、マダム・ヴァスチィンを睨む。が、何も言葉が出て来ないらしい。下手に反論したって、やり込められるだけだし。
男共は、そんなの聞いてねえよ、という顔でオロオロとミシェルとマダムの顔を見比べるだけ。しかし、いつまであたしらの邪魔をするつもり? という、お嬢様方の無言の圧力に屈し、ミシェルの肩を抱いて、オープンテラス……には戻らず、食堂から出て行った。
「あの方たち、どこまでも自分本位なのね。単位の把握もしていないなんて……」
呆れた、と呟くのはベルだった。マダム・ヴァスチィンは本日何度目かのため息をこぼし、
「このような場で口にするべき話ではないのですが……」
「マダム・ヴァスチィン、わたしたちがお伺いしたのは、授業の邪魔をしないように、という注意だけですわ。ねえ、皆さま?」
あたしが言えば、皆さまも「その通りですわ」と頷いてくださった。空気を読める、良い人たちばかりで良かった、良かった。
さて、授業である。
マダムへのプレゼンの後は、あたしたちへのプレゼンである。ミス・クレメルのお友達は軽く深呼吸してから、参加したことへのお礼を口にされ、
「本日のお茶会は、間近に迫ったデリュテの情報交換ができる場にしたいと思いました」
デリュテの祝祭、すなわちバレンタインデーである。欧米が世界観のモデルになっているからか、こちらのバレンタインでは、性別に関係なく恋人や親しい人に贈り物をする。
その参考になればと、ミス・シュートは最近流行りのお菓子を用意してくれたらしい。
他にも、メッセージカードやラッピング用品なども──購入したお店のリスト付で用意してくれていた。また、デリュテの特集記事が掲載されていた雑誌もあり、これは話が盛り上がりそうな予感である。
さすが、ミス・クレメルのお友達。抜かりがないわ。
ここまで、お読みくださりありがとうございました。
マダムの陰に隠れて、ベル様活躍ならず。




