現状のおさらいは郊外で 2(ランスロット視点)
「……イミルホース……っ!」
私よりも半馬身ほど下がった位置に馬を付けているハロルドが、ほうっと感極まったように息を吐く。騎乗していなければ、顎の下あたりで両手を組み、乙女のようにうっとりとした表情で馬を見ていただろう。事実、狩場へ移動する前まではそんな風にイミルホースを見ていたしな。
彼が熱い視線を送っているビスマルク閣下の愛馬は、私の左斜め前方を走っている。
馬は私の好むところではないが、力強さに満ちた美しさは、人々の称賛をあびるにふさわしい宝と言えるだろう。
ただ一つ残念な点をあげるとすれば、閣下の愛馬の首には糊ではりつけたかのように、ちびこがびたっと張り付いていることである。チトセから、狩るのは一頭だけだとしつこく念押しされての、同行だ。
本人は沢山狩ってマリエたちに食べさせてやりたかったようだが、
「あのね、ちびちゃん。気持ちは嬉しいけど、そんなに沢山は食べられないから」
マリエの一言で、ちびこは「しょれもしょーか」と納得し、一件落着。
私たちは、女性陣を屋敷に残し、馬へ乗り、狩りへと向かうことになったのだ。
「イミルホースが走る姿を間近で見られるとは……っ。何と言う幸運」
「全くです。兄がこの場にいれば、あの雄姿を絵に描いていただくのに……!」
マリエの護衛役インドラのつぶやきに、ハロルドが力強く頷く。が、私は彼の口から兄という言葉が出て来たことを、少し意外に感じてしまった。
「ハロルドは、ヴィクトリアスと仲が良かったのか?」
「え、えぇ。以前は親しくしておりましたが──このところは……」
最後の方は言葉を濁したが、言いたいことは分かる。お互い、頭の痛い問題だからな。
「シオン侯爵、ご子息のご様子はいかがか?」
「最近は、一人で考え事をしているようです。今日もマリエールが誘いをかけたようですが、考えたいことがあるからと、屋敷に残っております」
「なるほど。そちらは釘が効いたとみえる。こちらは駄目だった」
こちらとは、愚弟キアランのことだ。
陛下はいまだ、次代の王を決めかねている。次代を継いで時代を担うのは己だと願うのであれば、それに相応しい者であると示さなければならない。
机の上ではなく、現場で政治や経済を学び、執務と公務をこなす。卒業も間近となった今、学生だからと言ってそれらから逃げていては王になれるわけがないのだ。
ところが、あれは「まだ先の話」だとか何とか言い訳にもなっていないような言い訳を口にして公務はもちろん、執務も遠ざけている。王族の義務すら放棄しているような有り様だ。
「とは言え、ヴィクトリアスが友人を切れるかどうか……少々難しいのではないかとみております。父親として、もう少し早く通告すべきであったのやも知れません」
「お気持ちはお察しいたしますが……ご子息が切ることを決断されたとしても、回りがそれを理解できるかどうか……」
インドラの発言に、さほど彼らを知らないルーベンス辺境伯でさえ「あり得る」と頷く。
「だが、切る気があるのであれば、連中に巻き込まれてもどうとにでもなるだろう」
連絡手段さえ確保し、こちらの話を素直に聞き入れるのであれば、元々の能力値は高いのだ。本人さえその気になれば、どこでも使えるはずである。
「あっち! あっちにちかがいゆじょ!」
ちびこの声に思考が狩りの方へと戻された。
どこに鹿がいるのかと、幼い娘が指さす方向へ目をやれば……鹿……鹿? いやまあ、確かに鹿のようだが……あのデカイ角はなんだ? 体と同じかそれ以上ないか?
「あれはトライデントホーンですね……」
インドラが口にした魔物の名に、私は思わず額に手を当ててしまう。一頭ならともかく、群れで行動しているなら、Aランクに認定されている魔物じゃなかったか?
「わはははは! いくぞ、アミラル!」
閣下──! どうやらちびこと閣下は、あれを獲物に定めたらしい。イミルホースは、高らかに鳴き、トライデントホーンを追いかけていく。私の側近も三つ子のアタッカーも慌ててその後に続いた。
「……群れではないようなので、大丈夫でしょう」
「そう……か……」
「ジャイアントディアーあたりで、適当にお茶を濁すつもりだったのに……大叔父上……」
ルーベンス辺境伯の言う通り、今日の狩りは、単なるカモフラージュに過ぎない。本当は諸々の情報を共有し、今後のすり合わせを行うための場だ。
ただ、ポジション的には重要な位置にいるはずのチトセが
「え~どうせ解体するのは俺なんだし? 狩りもして解体もなんて、つ~か~れ~る~」
とゴネやがった。嘘をつけと思わなくもなかったが、インドラがこちらへの同行を希望したので、念のためマリエたちの護衛として、やむなく許可した。
「どんな結論が出ても、チトセは面倒臭そうにしながら、しれっとこなしやがりますので気にしなくて結構ですよ」
辺境伯も、チトセに対してはかなり思うところがあるようである。仲間の存在は、本当に心強いな! 落ち着いたなら、是非とも酒を酌み交わし、夜通し語り合いたいものだ。
彼とはそれだけで、十分分かり合えそうな気がする。
トライデントホーンを追いかけて行った連中の背中を見送っていると、
「っあ! そうだ、すっかり忘れておりました! あの、例の彼女なのですが、このままでは卒業が危ぶまれるそうです──」
「は? 何だって?」
思わず聞き返せば、ハロルドが沈痛な面持ちで
「彼女が卒業できない可能性があります。その……単位が足りていないのだとか……」
「普通に、きちんと授業に出ていれば、卒業は──できるだろう」
シオン侯爵が息子に、何を馬鹿な事をというニュアンスを含んだ言葉を投げかけるが、
「彼女はマダム・ヴァスチィンの授業に出ていません」
──あったな、そういう報告が! 礼儀作法の講師はマダムだけではないから、てっきりマダム以外の講師について、学んでいるものとばかり思っていたが……違うのか。
「他にもいくつか単位の足りていない授業があるようで──その……姉上にお願いして、授業に参加するよう追い立てていただこうかと考えてはいるのですが……」
「キアランに婚約破棄を言わせるのであれば、それもありだろう。しかし、無理にする必要はない。やりたくなければ、やらなくても構わないと伝えてくれ。何、卒業までに必要な単位を揃えられなければ、退学にするだけの話だ。何も心配しなくていい」
そもそも、貴族が留年するなどあり得ないことだ。
「聞けば聞くほど、その娘の頭が心配になってくるのですが……」
「チトセ……ミスター・ルドラッシュですが、彼曰く、あの娘はこことは違う、少しズレた世界で生きているらしいので──別世界の人間の考えていることは、我々には理解できなくて当然かと……」
辺境伯が肩をすくめる。確かに、アレを理解することは不可能であるに違いない。となれば、アレの影響を強く受けているキアランたちも我々には理解できない生き物となりつつあるのだろう。
とりあえずではあるが、愚弟とその取り巻きは卒業後、一介の冒険者として旅に出すことが決まった。陛下と王妃を除いた保護者にはすでに、その旨の通達をしている。
彼らには、最後通告となるだろう。
国王夫妻の了承を得ていないのは、この期に及んでなお手心を加えそうな懸念があるからだ。私の目から見ても、あの二人は信用できない。
また、彼らが冒険者として旅に出た後、身分を使われては困るので、身分を名乗らせない口実をどうするかが問題だ。どうしたものかと悩んでいたのだが、それも解決しそうである。
報告によれば、キアランはあの娘を虐めた罪とかで、マリエを断罪するとか何とか、息巻いているらしい。──何ともバカバカしい話である。
そもそも、マリエにはあの娘を虐める理由が……ない訳ではないが、連中が自分で自分の首を絞めてくれているのだ。「やることがなくて肩透かしだ」とため息をついている。
彼女の潔白を証明するのも簡単だ。分かりやすい護衛役とは別に、マリエには、王家から影の護衛を付けている。当然だが、キアランにも影の護衛はいる訳で──
「自分たちの行動が筒抜けだって、分っかんないんですかねー」
呆れ声の彼女に、私はモノ申す事ができなかった。
とにかく、マリエを断罪するのであれば、それを口実として貴族籍のはく奪は可能である。
「例え外へ出た後でも、彼女の影響から抜け出してくれれば良いのだがな……」
「蜘蛛の糸を繋いでおかれるおつもりなのですか?」
「ご子息が優秀な人材だったことは、あなたもよくご存知のはずだ」
私が言えば、侯爵は「かたじけなく」と言葉少なに答え、頭を下げた。
ただし、彼女は不要だ。
【伝染源】も使いようによっては、有用なものとなるらしいが、今の我々には使いこなせないだろう。何より、彼女がどういう風に物事をとらえ、考えているのかがさっぱり理解できないのだ。
彼女を使いこなせる者は、この世にいないのではないかと思う。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
野郎どもの語り合いその1




