愛は時に重たく煩わしいもので 1
「あぁ……! 今からヘシュキアの御屋敷を訪問するのが、楽しみです!」
両手を胸の前で組むハロルドは、まるで夢見る乙女のようである。こっちは思わず苦笑い。
何でも、年が明けた、来月半ば頃にヘシュキアにあるアト様のお屋敷へお招きいただけることになったそうだ。今のシーズン、週末に郊外で狩りをすることはよくあることである。
男連中が外へ出ている間、女は家の中でのんびりと。天気が良ければ、午後に合流して野外でお茶を楽しむ、ということもよくあるケースだ。
「わたしも楽しみです! 家族で出かけるなんて、今までなかったことですもの!」
なくはないけど、お互い、距離があったから。今日だって、最初はそうだったし。ただ、この『家族』の中にヴィクトリアスが含まれていないトコロが……複雑ではある。
今は、帰りの馬車の中だ。あたしが乗る馬車には、来た時と同じ、ハロルド、クラリスとインドラさんの4人。義父母が乗る馬車には、ヴィクトリアスも同乗している。
今頃は、親子3人で腹を割って話をしているはずだ。
パーティー会場にて、お恥ずかしい話ですが、という前置きから始まった義母の告白。
「私は、マリエールが夫と愛人の間に生まれた子なのだと思い込んでいたのです」
義父との婚姻は、義母がわりと強引な手を使って進めたので、一方通行の政略婚だと思っていたのだとか。義父には想い人がいるという噂もあったそうで、あたしはその想い人との間にできた子供に違いないと、何の根拠もないのに思っていたそうな。──何ソレ。怖すぎる。
もちろん、と言っていいものか、義父の想い人とは義母のことだ。ただ、気が弱くて、自分に自信がない義父は、なかなか想いを口に出せずにいたらしい。ヘタレめっ。
だから、義母に嵌められたとは夢にも思わず、自分は何てことをしてしまったんだと、自己嫌悪していたらしい。義母との結婚は、嬉しいやら申し訳ないやらで、かなり複雑だったようである。……この時に、男らしくズバッ! と告白していたら変にこじれることもなかったでしょうに。ヘタレめっっ!
しかし、今年の初夏、このままではいかん! と一念発起。義母と少しずつ話をするようになり、お互いの誤解により、すれ違っていたことが判明。一転して、ラブラブ夫婦になった……と。ヨカッタデスネー。もっと早く行動しろヨ、と思ったあたしは、悪くない。
「子供たちには、ずっと私の思い込みばかり話して聞かせていて……。だから、謝らないといけないと思っていたのだけれど……いつの間にか、仲良くなっているのだもの」
義母……いえ、これからはお母様と呼ぶわっ……お母様、拗ねないで! 頬を赤くして、唇尖らせて、上目遣いって……それが、子持ちの母のすることかっ! ケシカランッッ。
「ああ、もう! ほんっっとうに、可愛らしい方ね! もっと早くにお会いしたかったわッ」
フランチェスカ様、ズールーイー。あたしも、ぎゅーってしたいですー。
お母様が拗ねるのは可愛いけど、お父様が拗ねるのは、可愛くないです。
「でもね、問題はヴィクトリアスなのよ……。あの子ったら、ちっとも私の話を聞いてくれないの。お茶に誘っても、忙しいから、予定があるからって……」
生徒会で忙しいはずのハロルドは、ちゃんと付き合ってくれるのに、とお母様。もちろん、お父様から、話があるからとアプローチしても、やっぱり同じように断られるらしい。
逃げているのが丸わかりだ。何て、女々しいのかしら。
「母親より好きな人を優先させたい気持ちは分からないでもないけれど……侯爵夫人として、何よりも母親として、あのお嬢さんとの交際は認められないわ」
「それは、私も同じ意見だ。あれは………………ない」
ためましたね。ものすごく、ためましたね。
フルフルと首を横に振るお父様は、下町育ちの庶民だって、あそこまでは酷くなかろうと、ため息をつく。
「子供の方が、まだ聞き分けが良いように思うわ」
「そうねえ。少なくとも言葉は通じますもの。あの子の言葉を理解するのは、とても難しくてよ。あの子独自のルールで動いているのだもの……」
お母様のため息に、フランチェスカ様が頷かれた。
「こちらも同意見です。あれは……あり得ません。当然、城へ上がることも許可できません。彼女が裳裾を引いて歩くことはないでしょう」
ランスロット殿下も、あれはないとばかりに首を横に振っている。
裳裾を引いて~ってことは……宮廷拝謁のお許しも出ないんだ……。
宮廷拝謁をしなくても、社交界に出て行くことはできるけど……一貴族の娘なのに、宮廷拝謁をしていないのなら、王都の社交界では相当軽んじられる。
学園での振る舞いもあるし……貴族終了宣言が出されたも同然ね。……自業自得と言えばそれまでだけど。
「では、何故、アレがここに?」
「……弟が、手引をしたようです」
殿下の答えを聞いたあたしたちは、全員立ち眩みが……。
あの男、いっぺん、豆腐の角に頭ぶつけて、寝込めばいいのに!
アト様の手が、あの首、いっぺんキュッといったろか、と言いたげに動いているし……。誰も止めないと思うので、遠慮は無用かと思います──。
こんなクッソ寒い夜、日付も変わった時間に、仕事してます。チトセ君でーす。
今夜は、マムが恵んでくれた高級ワインで酔いつぶれる予定だったのにっ! コルクを開ける前で良かったんだか、悪かったんだか。会長から、出てこいとのお達しがね……?
んでもって、ただ今、どこで何をしてるのかと言うと、シオン侯爵家の馬車の上です。そこから、中の会話に耳を傾けているトコロ。つまりは、盗み聞きなう。
「──ッ! もう……」
「お。こんばんはー。って……これ、貸したげる」
背後にわずかな気配を感じて顔を動かせば、似たような暗い色の服を着た、同じ年頃の兄さんが立っていた。ランが飼っている諜報部の人である。
「これは?」
「気配遮断と存在希釈は持ってるみたいだけど、重量軽減は持ってないみたいだから。お馬さんに負担をかけるのは可愛そうでしょ」
俺が投げたのは、シャクラが作ったバングル型の法具だ。
効果は今言った通り、重量軽減。経験豊富な御者だと、この人数でこの速度でこの馬なら、疲労度はどれくらいって計算できるから、それに合わないとオカシイって気付いちゃうんだよねー。
「……助かる」
バングルを装備した、諜報部の人は俺と背中合わせに座ると、聴診器みたいなのを馬車の天井に当てた。いわゆる盗聴器ってヤツ。録音機能も付いてるんだろうね。
「あんた、盗聴器は?」
「ああ、俺って耳が良いもんでね。これくらいの距離なら、問題なく聞こえる」
夜も遅い時間帯で、すれ違う人も馬車もないしね。息遣いまでばっちりですよ。
「ヴィクトリアス、お前はいつまで経っても子供だな」
「──っな?! オレはっ、子供じゃない! 大人だ!」
「大人だと言うのなら、私たちの話を聞きなさい。聞きたくない話を聞こうとしないのは、子供と同じだと思うのだけれど……あなたは違うの?」
お、侯爵夫人、辛辣。さらに侯爵が、相手の言い分を聞かずに、どうやって交渉を進めるつもりなんだと、ブッスリ。全くもってその通りなのだが、お兄ちゃんは不満のようだ。不機嫌オーラが、こっちまで伝わって来る。
「夜も遅いから、簡潔に言おう。あの男爵令嬢とこれ以上、交際を続けることは許さない。ヴィクトリアス、お前はどれだけ私たち家族に恥をかかせ、我が家の名に傷をつければ気が済むんだ?」
「な?! 家名に傷など──」
「つけた覚えはない、と? では、生徒会費の私的流用はなんだ? 全て彼女に使われているらしいな。学園でも横暴な振る舞いが目立つと、ハロルドが嘆いていたぞ? それから、ずいぶんと社交を疎かにしているようだが……それらも全て、我が家のためなんだな? 一時的に名を貶めてまでも、得られる益は何だ? 当主たる私の裁可も得ずに、お前が独断で求める益についての説明は、いつだ? 私が是としなかった場合、どう取り戻すのかもきちんと考えているのだろうな?」
侯爵は、完全お怒りモードのようだ。気弱だって有名だけど……逆に、そういう人ほど怒らせると怖いからねえ。お兄ちゃんは、絶句しているようで、うんともすんとも言わない。
「っあ、ミシェルは、男爵令嬢です。交際相手として、身分の問題はないはず──!」
「身分ではなく、素行の問題だ。彼女と交際するようになってから、お前の評判は落ちるばかりではないか。去年は笑顔で社交界にいられたが、今年はどこへ行っても肩身が狭い」
お前のせいでな、っていう声なき声が聞こえてくる。
「あの娘との交際は、我が家にとって多大なる損害を与えるだけです。彼女のことを何も知らないくせに、などという言葉は聞きません。知らないわけがないでしょう。子供たちに近づく者は、全て身元と素行の調査をしています」
うん。そりゃ、そうだろうね。……あれ? ってことは、俺も?
ここまで、お読みくださりありがとうございました。
馬車が違えば、中の雰囲気も変わる。何なんでしょうね、この落差。




