第2話
町から少しだけ離れた郊外の山。
郊外といえば近辺は須く郊外であるが、軽く山いくつかの範囲に他人が住んでいないぐらいの山の中に一つの神社が建っている。
古い神社だ。町から外れた、とあるが秘境というわけではない。元々このあたりは村落だったのが、人口の増加によって更に広い平地へと移動したため少し離れてしまっただけだ。
人口増加によって移動した主街区からも参拝ができるように、比較的広い石畳と会談が山の麓から続いている。
人気のない山の中に広い道が伸びているのは少し違和感があるが、丁寧に掃き清められているのか落ち葉やごみも殆ど見られない。
実際には掃いてあるわけではなくて、通学途中に風祝が適当に吹き飛ばしているだけなのだが。
「かかかかかかか神奈子様ぁッ! 諏訪子様ぁッ!!」
せっかく自分で綺麗にした参道を、葉っぱや土や枝を巻き上げながら飛ぶ風祝。
木漏れ日を反射して緑がかった黒髪を翻して一直線。
参拝客がいないのは幸か不幸か、とりあえず本業としては不幸の部類だろう。
最近まで元気にお参りをしていた爺様婆様が、息子夫婦や娘夫婦を頼って都会へと行ってしまった。
早苗がクラスメイトや商店街のおじさんおばさんに熱心に宣伝しているが効果は微妙。
ごくごく稀に参拝にくることもあるけれど、概ね早苗が強引に引っ張ってくる場合に限る。
そんな静かな参道と長い石段を通り抜け、失礼、飛びぬけると山の中腹に広がる本殿へと出る。
グラウンドかと見まごう程に広い空間だった。四隅に太く長い木‥‥いや、柱が立っている。
本殿は大人が三人ほどで抱えなければならないぐらいに太い注連縄が架かっていた。
観光地ではないのに、観光地も顔負けの美しい光景が広がっている。
或いは観光地ではないからこその、神秘的な光景か。
その本殿の扉は大きく開け放たれており、本来ならばご神体が飾ってあるだろう場所には何もない。
まるで、祀るものなどありはしないとでも言いたげに。
「神奈子様ッ! 諏訪子様ッ!!」
緑色の風を吹き散らして一直線に飛び込むセーラー服。
人の気配というものが感じられない神聖な空気に満たされた本殿に、ゆらりと蜃気楼のように二つの影が現れた。
「‥‥どうしたんだい、早苗。そんなに慌てて」
「まるで幽霊でも見たような顔だねぇ。幽霊なんて、珍しいものでもあるまいに」
かなり豪快に注連縄を背負った背の高い女性。
そして平安貴族の女性が被っていたような傘が特徴的な少女。
早苗当人にしてもそうだが、そろいも揃ってトンデモない美少女。
そして見るからに、人ならざる雰囲気を持った二人であった。
強者の持つ余裕を滲ませ、豊かな胸を張って堂々と立つのが八坂神奈子。
如何にも退屈そうにあぐらをかいているのが洩矢諏訪子。
早苗にとっては家族という言葉を超えた、言わば運命共同体とでも言うべき絆を交わした仲だ。
「私は幽霊なんて会ったことありません! ていうか諏訪子様、その手に持ってるのは」
「あぁこれ? なーんか甘いもの食べたくなっちゃってさ。置いてあったお饅頭、痛んじゃう前に貰ってあげたんだよ」
「置いてあったって、それは棚の奥に隠してあったというんです! それと参拝しに来た人がいたら大変なんですから、そういうことしながら不用意に出てこないでください!」
「誰だって来やしないさ」
「“御二柱”がそんな後ろ向きでは、集まる信仰も集まりません。しっかりしてください!」
“御二柱”と呼ばれた女性と少女は、顔を見合わせて諦め気味に苦笑した。
御二人、ではなく御二柱。
如何にも妙な呼び方が指し示す通り、彼女達は所謂人間と同じような数え方をされる存在ではなかった。
人、と数えられるのが人間ならば、柱と数えられるのは神。
乃ち何の気もなしに目の前で佇んでいるこの御二柱とは、八百万の神々においても軍神と名高き八坂の神と、土着神であり祟り神であるミジャグジ達を統括する諏訪の守矢神。
日本でも最古の歴史を持つ神々が彼女達だと言って、いったい何人が信じることだろうか。
だが事実だ。
「しかしなぁ早苗よ。実際ここ一年、参拝する者はめっきり減ってしまった。たまに訪れる者達こそいても、物見遊山では信仰は集まらん。私達の神としての威厳も、もはや此処年に至っては誰に顕すこともない」
憤慨する早苗に対して、深い溜息が神奈子から漏れる。
彼女達、神という存在は人間とは異なり自己の存在の維持には人間からの“信仰”を要する。
自分を信じてくれる者達がいなくなれば、不要となった神々は存在を維持することが出来ない。
実際に消えてしまった神々は少ないが、その大半はいつ目覚めるとも知れぬ永い眠りに着いた。
再び神々が必要とされる時代まで。
この信仰というのは、実際に信心を表明した信者による祈りや供物などに限らない。
例えば祟り神ならば、天災を起こすことで人々の心に畏れを呼び起こして糧としたものである。
人間同士の感情とは異なり、神にとっては恐怖や嫌悪も信仰の一種だ。
しかし科学が発達した現代では、所謂オカルティックな出来事は加速度的に認知されなくなってきている。
不可思議な出来事とされてきたことの多くが科学的に説明され、不思議でも何でもなくなり、同じように神々なんてものも信じられなくなっていく。
多くの偉大な神々がいなくなった現代で、彼女達ほどの神格を持つ神々が生き残っていることの方がよほど珍しいとすら言えた。
「弱気なことを仰らないでください! この早苗に任せてくだされば、時間はかかっても昔のように御二柱を―ー―」
「早苗、お前には感謝している。最高の、おそらく最後の風の祝。しかし時代は変わった。もう妖の息吹の欠片も感じないのだ。あんなに溢れかえっていた、魑魅魍魎達の騒がしい声も」
「‥‥神奈子様」
「諦めたわけではない。しかし、それが時代の倣いならば、そうなるのも必然やもしれぬ。お前の気持ちは嬉しいが、神格を持ちながらも人間たるお前が、そう無理をするものではないよ早苗」
むきになって叫ぶ早苗と、哀しそうな二柱。
この世代になって、久しく絶えていた神秘の力をその身に宿した風祝が生まれ、こうして自分たちと直接言葉まで交わす程に育った。
そして存在の危機に瀕した自分達の事情を察し、必死に、というかアグレッシヴに活動してくれている。
しかし実際に自分達のことなれば、細くなっていく信仰の消失がひしひしと肌で感じられるのだ。
多くの人々が自分達の姿を目で見て、その神威を思い知るような在り得ない出来事が起こるぐらいでなければ、かつてのような力を取り戻すことは不可能であり、存在を確実させることは出来ないだろう。
それがどれ程に難しいことか! 否、不可能と断じてもいい!
「‥‥私は、諦めません。いつか必ず、みんなに御二柱の存在を知らしめてみせます」
「早苗」
「そこまでにしておきなよ神奈子。いいじゃないか、早苗は頑張ってくれてるよ。私たちも期待して待とうじゃないか」
「諏訪子、しかし」
「もう私らも外野なんだよ。がたがた騒いだって仕方がないじゃあないか」
「‥‥」
神奈子と同じく哀しさは隠しきれず、それでも笑顔をつくった諏訪子が言った。
もしかすると諏訪子の方が、神奈子よりも諦めが濃いのかもしれない。もう、自分達には何も出来ることなどありはせず、酷い言い方をするならば、早苗が勝手に一人で突っ走っているだけなのだと。
自分達はゆっくりと滅びを待つしかない生きた死体なのだと。
元々彼女は大昔の神代の時代に、八坂の神たる神奈子に負けてしまっている名存実亡の神である
より諦観の念が強いのは、そういう理由があるからかもしれない。
「ところで早苗。すっかり話が逸れてしまったけれど、さっきあんなに驚いて飛び込んできたのは一体どういうわけだい?」
「あ、そういえば忘れてました! さっきすごく妙な人‥‥、人? に会ったんです!!」
「妙な人?」
「そもそも本当に人なのか疑わしい言い方だけどねぇ」
さわさわと、今度は早苗とは無関係に吹く南風に木の葉が揺れる。
四季それぞれに姿を変える境内は、逆に言えば自然以外の何物も訪れない寂しい場所なのかもしれない。
「ほら、学校と神社との道の途中の、田んぼ」
「あぁ田辺の爺様のところの」
「その御爺様って何代前の」
「十代くらいまえに、ウチに注連縄を奉納したことのある田辺の爺様」
「何百年も前じゃないですか」
田辺の爺様は草鞋職人をしていたが、農民をしていた弟と同居していたので大体一緒に数えられるという余談。
ちなみに同居していたのは生涯独身だったからである。
そういうのは当時の社会ではおよそ噂話の種であったが、ものすごい速度で草鞋を作れる彼の力量は噂話を払拭して余りある価値を村々に提供していたんだけれども今の話とはあまり関係がない。
「諏訪子の言うことは分からないが、その田辺の爺様の田んぼがどうしたって? 私も知ってはいるけど、別にたいしたことない、普通の田んぼじゃないかい」
「いや、あすこ案山子が立ってるじゃないですか。あの、タキシード着てるやつ」
「あの面白い案山子? 前は普通に和服の案山子だったんだけど、いつだったっけねぇ洋服になったのって」
「確かほら、五代前の洋風かぶれの」
「あー。留学に行ってた。んでその最中に戦争が始まっちゃった」
「三代くらい前までは熱心にお参りきてたからねー」
「時代の流れよねー」
「‥‥御二柱とも、もう少し悲しそうにですね」
「今更よ。で、あすこの案山子がどうしたって? 田んぼの話じゃないでしょうし」
どうでもよさそうに茶化す諏訪子と、かんらかんら笑う神奈子。そして大体ムキになって二柱にからかわれる早苗。
資質を持たず神職を継がなかった早苗の両親が、転勤によって諏訪の山を去ってから数年。
早熟の早苗もあまり姿は変わらず、止まってしまったかのような三人の時間。
しかし神社に集まるべき信仰は絶えて久しく、二柱の神力は衰えていくばかり。
かつては誰の目にも顕れた神威を起こすだけの力は既にとうの昔に消え失せて、今では諏訪湖の直系であり、現代でも片手の指で数える程にしか残らない現人神に数えられる早苗以外には声すら聞こえない。
緩やかに死を待つ平穏が流れている神社は、寝たきりの老人のようだった。
「‥‥あぁ、そう、そうなんです。あの、つかぬことを伺うのですが」
「ん?」
「―――案山子って、喋るものでしたっけ?」
「‥‥はぁ?」
ひゅう、と早苗と関係なく風が吹いた。
いつでも自分達のペースを崩さない二柱が、ぽかんと口を開いて呆けている。
当たり前だ。案山子は喋らない。
「Is this a pen?」「No, he is Tom.」なんて英語の教科書の会話がどう考えてもおかしいように、案山子が喋ることはない。
よしんば喋るとしても、動物を脅すためにカセットテープか何かで喋らせているに違いないし、流石に早苗だってそんな仕掛けだったら気づくことだろう。
「‥‥早苗、今まで本当にありがとうね。私たちのために、こんなになってまで」
「へ、諏訪子様?」
「明日は学校を休んだらどうだ? 天気もよさそうだし、ピクニックにでも行こうか。久しぶりにお弁当持って、のんびり風に当たりに行こう早苗」
「神奈子様まで、どうしたんですか?!」
「いや、お前が信仰を得るために頑張っていることはよく知っている。嬉しくも思うよ」
「さっきは神奈子にあんなこと言ったけれど、自分の体を壊してまで信仰集めに必死にならなくてもいいんだよ早苗」
諏訪子が正面から早苗に抱きつき、神奈子が後ろから抱きしめ頭を撫でた。
子どもの頃はよく三人で遊んだものだが、最近は早苗も学生をやっているから三人でのお出かけなんてトンとご無沙汰だった。
早苗も疲れているんだ、幻聴が聞こえてしまうぐらいにと二柱は娘にも等しい大事な風祝を慈しむように言葉をかけたが、はたと二柱の豹変に気が付いた早苗が吼える。
「し、失礼なっ! 幻聴なんかじゃありません! ていうか疲れてるわけでもありません! 御二柱とも、夜ご飯おかず抜きにしますよ?!」
「それだけは勘弁してくれ早苗!」
「ご飯だけが楽しみだよ~!」
神である二柱は基本的に食事をとる必要がないはずである。
しかし一人の食卓を嫌う早苗に誘われてからは早苗自身料理が上手であることもあって、すっかり食事という娯楽の虜であった。
ちなみに今晩のおかずは鶏肉の山賊焼きである。ぴりりと効いた香辛料が食欲を誘う。
「‥‥しかし早苗よ。その、案山子が喋ったっていうのはどういうことなんだい? いや、質問に答えるならね、普通は案山子が喋るなんてトンデモないよ」
「私らが言えた義理じゃないかもしれないけどねー」
「いえ、普通は喋らないなんて私もよく分かってますけれど。でも本当に喋ったんですよ! どこから、と言われると、顔から、としか言えないんですが。口、ないですけれど」
「‥‥ふぅむ。近所のガキンチョがする悪戯にしちゃあ手が込んでるね。意志の疎通ができるぐらいまで、会話が成立したのかい?」
「はい」
「こりゃ諏訪子」
「そうだねぇ。このご時世にツクモガミとは珍しい」
したり顔で頷く二柱に、怪訝な顔の早苗。
二柱にとってみれば、珍しいには違いないが妙な出来事というわけではないようである。
「ツクモガミって、あの、大事にされて永い時間使われていた道具が成るっていう」
「大事にされてたものだけじゃなくて、まだ使える道具が捨てられたりしたときにも成ることがあるよ。どんなものも荒ぶることもあれば和ぎることもあるものさ」
「諏訪子、そう驚かすんじゃないよ。まぁ件の案山子は大事にされた、和ぎる神だとは思うがね。しかし本当に珍しい。こんな時代に、付喪神が生まれるなんてね」
九十九、という言葉が転じて付喪。九十九とは日本においては古来より百に一足りない数値として、特別に扱われてきた。
数え切れないぐらい数多なる、多種多様である、という意味も持つ。時間に照らしあわせて考えると、白髪のことを九十九髪と呼ぶこともあり、非常に長い年月という意味もまた然り。
道具というのは数多あるものであり、それらが百年の月日を経ることによって神となる、という考え方から、妖怪と同一視されて九十九年使った道具を壊して捨てるという風習も生まれた。
日本では、とかく古いものは“神さびる”ものである。年月を経た巨木や古岩は依代になると考えられ、いつしか道具も同じように扱われるようになった。
職人が使うような道具に至っては、弔うための塚なんてものもある。付喪神という考え方自体は、古くから日本人の中では当たり前のように信じられていた概念というわけだ。
特に江戸時代には妖怪のように付喪神を扱った絵巻が流行り、道具を大事に使うという教訓のための話を多く出回った。逆に言うと、神秘性は薄れ、おそろしげな側面が強調されることによって神格が落ちたとも考えられる。
たとえば、唐傘お化け、提灯お化けなどは親しみ深い妖怪だろう。
「私らの知ってる付喪神は、みんないなくなっちまったからねぇ」
「しかし田辺の家は今の息子夫婦が都会に行ってしまったんだっけね?」
「あぁ、だからあの田んぼも数年でおしまいさ。新しい農家が入ればそれでいいけれど、このご時勢そうもいかないだろうねぇ」
「‥‥そうしたら」
「ん?」
「そうしたら、あの案山子さんはどうなってしまうんですか?」
‥‥静かな沈黙が、本殿の中に流れた。
幻想によって生まれたものは、幻想の中でしか生きられない。
幻想とは、たとえば信仰であり、畏れであり、恐怖でもある。
正体がわからないものに対しての恐れが、正体のわからないものを成立させる。
闇夜の中、谷間に響く唸り声がただの風の音だと知れたなら、誰もそれを恐れることはない。夜に行灯の明かりの影に揺らめく恐ろしげなナニカが、ただの草の影だと知れたなら、誰もそれを恐れることはない。
神に祈っても何も得られないと人が思うなら、誰も神に祈らなくなるだろう。
そうやってどんどん、人は幻想を捨てて物質に生きるようになる。そして幻想は、消えていく。
太古の昔から存在する、諏訪子と神奈子すら力の衰えを隠せない。
木っ端妖怪、吹けば飛ぶような付喪神。
彼に生まれた意味はあるのだろうか。
生きながらえる術はあるのだろうか。
「そんな、そんなことって」
「早苗?」
風はやんだ。ゆっくりと陽は沈み、山々は薄暗く夜の闇に染まっていく。
人里離れ、参拝客も耐えた神社は、もう暫くすれば半径一キロ四方に渡ってまともに点る街灯すらない真っ暗闇になる。
本当は夜遊びが好きな若者だって、車を持っていない学生では家でおとなしくしているしかない。暮らし方、ということに関してならば昔ながらな山村。
「―――私、ちょっと行ってきます!」
「あ、こら早苗!」
「早苗~、ご飯は~?!」
「すぐ戻ります! 下の棚におせんべいありますから!!」
帰ってきた時とまるで逆回しの勢いで飛び出していく、緑と白の影。
夕日もいっそう斜めに差し込む参道を、一直線に飛んでいく。夜も遅いと止める二柱の声も構わず、早苗はわけもわからない胸の中のざわめきの侭に速度を上げた。
それは消えていくことが既に決まりきった未来である、紳士的な、あのみょうちくりんな案山子に絆されていたからなのか。
それとも、その未来が、等しく幻想の世界に生きる、両親代わりの二柱。
彼女たちにも、等しく降りかかるのではないかという、はっきりとしない恐れからくる焦燥だったのだろうか。