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現代もの

秘密基地、はじめました

作者: 西川 旭

『急募・秘密基地建設作業員・経験者優遇』


 こんな告知が校内の掲示板に貼り出されていたのは、夏休みも近づいた七月のある日のことだった。  

 俺、石橋潤、高校二年生男子がなぜそんな貼り紙に注目したかと言うと、話は期末試験にまでさかのぼる。長くならないので少し聞いてほしい。  

 俺は期末で赤点を取った。

 英語と数学の二つもだ。

 そして、追試を命じられた。

 なおかつ追試の成績が悪かったら、夏休みで補習を受けることになる。

 思わず教室内で絶叫しちまったよ。

 そんな灰色夏休みだけは勘弁してくれと思い、さっきまで俺は図書室の隅にある自習スペースを使って、最後の悪あがきをしていたわけだ。

 今は夕方。

 下校時刻になったので帰ろうかと図書室を後にした。

 廊下を歩いていたら、壁の掲示板に貼られていたこの紙に出くわしたわけだ。

「ガキの頃、確かに秘密基地とか作って遊んだなー……」

 心の中で少し回想。あまり覚えてない。

 俺がその紙に注目した理由はいくつかある。

 まずなにより、募集と銘打っておきながらあまり人が多く集まらない、なんの変哲もない廊下の掲示板に貼られていたこと。

 その不自然さが逆に目を惹いた。

 だってそうだろう?

 本気でなにかを募集したいのなら、玄関ホール近くとか、購買のあるロビーとか、人の多く集まる箇所の掲示板に貼り紙をするはずだ。

 しかしここは、図書室から生徒教室や玄関のあるエリアへと至る、単なる通り道に過ぎない。

 じっくり目を通すような貼り紙を掲示するべき場所ではなかった。  

 なら、なぜ俺は足を止めて、目を凝らしてこの紙に対峙しているのか。

 それは、募集貼り紙の下部に書かれていた、赤ペン文字の内容に心をつかまれたからだ。


『作業報酬・成績が上がります・テスト対策はばっちりです・前払いも可』


 なにこのうまい話。

 どう見ても今の俺ホイホイだ。

 本当にありがとう。  

 軽く目を通した限り、食事支給とか、実働○時間とか、バイトの募集要項のような文言が無機質に箇条書きで並んでいた。

 どうやら夏休み途中で作業は終わるらしい。  

 とは言うものの、俺はその夏休み期間すら体がフリーになるかどうかが怪しい。

 追試は本試験より簡単で範囲も狭いらしいけど、それでも自信がない。  

 もちろん、応募しないけどな! 気になったから読んだだけ。

 俺には関係ない。

「そもそもこんな怪しい貼り紙、教師とかに見つかって速攻で剥がされるだろ」  

 思わずつぶやいた。

 この紙にはどこの誰に連絡して応募する、という最重要事項が記されてない。

 まずそこに呆れる。

 人のこと言えないけど間抜けな依頼主だよ。

「あら、見つかって剥がされる心配はないわ。どうせすぐに撤去するもの」

「どわぁうっ!」  

 急に背後から抑揚のない音声で話しかけられ、俺は卒倒しそうになった。

「失礼ね。人間ひとりにそんなに驚かなくてもいいじゃないの」

「なんだあんた! いつからそこにいた!?」   

 よけいなことを考えていた俺も俺だけど、気配なかったぞ。  

 俺が冷静さを取り戻して見返すと、話しかけてきたのはやせぎすでひょろりと背の高い女子生徒だった。

 177cmの俺と、ほとんど目線が同じだ。  

 髪はショートボブと言うか、おしゃれなおかっぱ頭といった風情。

 うなじと前髪はすっきりと凛々しく、サイドは柔らかく自然に梳いていてフェミニンに。

 ボーイッシュとたおやかさと言う、二つの特徴を両立させている。

「なんだと言われても。この学校の生徒で、三年B組に在籍している川原というものよ。必要とあれば住所年齢生年月日から身長体重、嫌いなものを羅列してもいいけれど」  

 なんだという俺の疑問に、少し斜めの方向から回答する目の前の女。  

 三年ってことは先輩か。

 いや、年上だろうと理由もなく俺はへつらったりしねえ。

 ここは日本男児代表として威厳を保って接しなきゃな。

「べ、別に見ず知らずの女のプライバシーに興味はねえよ。ところでこの貼り紙はあんたの仕業か? 教師にいたずらだと思われねえうちに、さっさと剥がしたほうがいいぜ」  

 遅刻の常習と赤点二連発で、担任のストレスを増大させている俺の言えた義理ではなかった。

「ご心配ありがとう。でも大丈夫。すぐにはがすって言ったでしょう? 目的はほぼ果たしたから。ちゃんと紙の内容は読んでくれたわね?」  

 別に心配して言ったわけじゃねえし。

 それよりなにか変なこと言ってるな、この女。

「なにを読んだって?」

「だから、秘密基地を作る仕事よ。内容は理解したでしょ。じゃあちょっとこっちに来てちょうだい」  

 制服の肩口をグッと捕まれて、いずこかへ連行されようとしている俺。いったいなにが始まるんですこれは。

「ちょっと待て。もう俺は帰るから。下校時間だから。家でも勉強しねーと、追試が」  

 この場を逃げるためとは言え、うっかり追試とか口走っちまった。

「あら奇遇ね。私もこれから帰宅するところよ。まあ下校時刻なのだから必然とも言えるかしら」  

 日本語は理解しているようだけど、話が通じてないぞこの姉ちゃん。 


 やいのやいのと言い合っているうちに、結局下駄箱にまで到着してしまった。

 力づくで振りほどかなかったのは、ひとえに俺が紳士だからに他ならない。

 いや、漢とでも言うべきか。

「はい、これ」  

 そして玄関での別れ際、川原と名乗る女はプリントらしきものを数枚、俺に手渡した。クリップ綴じされ、二組に分かれている。

「なんだよこれ。なにかもらうような筋合いは……」  

 つい受け取り書かれている内容を見る。

 どんな相手であれ、頭から無下にできない自分の性格を、この後俺は呪うことになる。

『追試なんて怖くない! 川原式テスト対策要領書~2011年・高2・数学』  

 紙にはそう題打ってあった。

 もう一組は英語のようだ。

「なんで俺の追試科目をあんたが知ってるんだ?」  

 当然の疑問を相手に投げかける。

 そもそも初対面だ。

 部活にも入っていないし委員会活動も積極的でない俺は、先輩後輩の知り合いなんてほとんどいないのだ。

「受け取ったわね」  

 ほとんど変わらない目の高さで、俺を見て確かにこの女は笑った。  

 ニコニコ、クスッ、ではなく、ニヤリッ、とでも表現すべき笑みだ。

「は? いや、どこでどうして俺のことを知ったのかなーって、普通に疑問なんだけど」  

 当然、この言葉にも相手はまともに取り合ってはくれない。

「報酬を受け取ったのだから、次は私の要求を聞いてもらうわよ。追試が無事に終わったら、またさっきの場所、図書室近くのあの廊下に来ること。いいわね」  

 俺は嵌められたのか!?

「よ、よくねーよ! いるかこんなもんっ、って、おいコラ逃げんな!」  

 まったく迷いのない動作で微塵もこちらを振り返ることなく、川原とかいう三年女子はそそくさと帰路についたようだ。    

 あとに残された俺は、こんなプリント破り捨ててしまおうかと思い、思っただけでやっぱり捨てられず、むしろ家に帰って素直にそのプリント通りの指示のもと、勉強にいそしんだ。

 情けないことだけど俺は自分自身、勉強でどこがどういう風にわからないのか、それすら理解できていないのだ。  

 しかしそのプリントは俺の急所を明快に突くように、ここを覚えろ、この問題を数多くこなせ、と具体的でわかりやすい解説のもとに進行していった。

 簡単なことから段階を踏んで、知らないうちに難しい問題が解けるようになっている。

 とても実用的なテスト対策書だった。  

 もちろん、追試当日も手ごたえがあった。

 まるであの川原という女は、追試の問題を事前に覗き見したんじゃないかと言うほどに、プリントの中で山を張っていた箇所が的中していたのだ。

 あまりにすらすら解けるので、悪いことをしているんじゃないかと言う罪悪感にさいなまれたよ。


 そのおかげもあって、追試は見事通過した。

 ケアレスミス以外ほぼ完璧。

 こんな点数を取ったのは小学校低学年の時以来だ。

 所詮は追試なんだけど。  

 担任は感動で半泣きになっていた。

 それは悲しみの涙ではないにしても、やっぱり悪いことをしているんじゃないかと不安な気持ちになったのは言うまでもない。


 背に腹は代えられなかった状況とは言え、ずいぶん怪しい女にかかわり、怪しいプリントの力で追試を乗り切ってしまった。  

 どうしたものか。無視しようか。  

 しかし相手は謎の情報力で俺の個人的なことを知っている。

 放置するのも気持ち悪い。

 ちゃんと話をつけなきゃならんな。

 話が通じるかどうかは自信がないけど。

「おう、来てやったぞ先輩よ」  

 追試の結果が出た日の放課後、俺は前に川原先輩に出会った、あの廊下に来た。  

 漢、石橋潤、逃げも隠れもしねえぜ。

「こんにちは。追試合格おめでとう。あのプリントは役に立ったでしょう?」

「それは感謝してる。マジでわかりやすかったし。ありがとう」  

 相手のペースに乗せられているように見えるだろうけど、これは戦略だ。

 ここから怒涛のように返しの手が炸裂するぜ。

 きっと。  

 それより、追試の結果が出たのは今日だってのに、もうそのことを知ってるのかよ。

「じゃ、行きましょうか」  

 またいつかのように、肩をガシッとつかまれてしまった。

 この女、行動が速いわけじゃないのに、予備動作が全くなく不意打ちが多すぎて対応できんぞ。

「お、おい、感謝してるのは確かだけどな、俺はあんたの話なんざ」

「プリントは受け取ったわよね」

「え、う、それはそっちが無理やり押し付け……」

「大いに役に立ったわよね」

「ぐ、ぐぬぬ」

「夏休み補習を回避できてよかったわね」

「畜生! 話を聞くだけだぞ! なんでもかんでも思い通りになると思うな!」

 大事なことなので二回言う。

 相手のペースに乗せられたわけじゃ、ない。  

 あれだ、敵の懐に入り、中から乱す的な、そういう戦略だ。


 場所を変えて、LL教室に俺と川原先輩はいる。

「自習ってことで、使用許可はとってあるから大丈夫よ。ゆっくり話ができるわね」  

 少なくとも、俺のほうに話なんてないけど。  

 一つ気づいたことは、この女は話し方も断定的だし、動作もなにか直線的と言うか、無駄な予備動作のない挙動をするし、作るプリントも簡潔な箇条書きが多い。

 とにかく無駄なことが嫌いなんだろう。

 好きな言葉は「段取り」に違いない。

 あくまでも、本人の中でしか完結していない段取りだけど。

「それはいいとしてだな……」  

 俺はLL教室の中に存在する一つの大きな違和感を無視することができずに「その方向」を指差して言った。

「どうしてうちのクラスの山中がここにいるんだよ。聞かれてもいい話ってんなら、俺は一向に構わんけど」  

 そう、このLL教室の中には俺と川原先輩のほかに、俺のクラスメイトである山中綾、その人がなぜかぽつんと座っている。  

 背が低く、童顔で大きなメガネをかけたポニーテール姿は見間違うはずもない。

 二年B組在籍の山中である。

「綾のことは石橋くんも知っているから、紹介は簡単でいいかしら? 私と綾は友だちなの。去年の後半、図書委員で同じだったからそれで仲良くなってね」

「そりゃ結構な話だな。っておい、ひょっとして俺が追試だとか乗り切っただとか、情報の出どころは山中かよっ!」  

 俺が大声を出したせいか、座っていた山中がびくっと怯えたようなそぶりを見せた。

「あ、怒ってない。怒ってないぞ。そういうことかー、と納得して驚いて、まあとにかく怒ってないから大丈夫だ、問題ない」  

 まだ怯えているのか、少し上目づかいで縮こまっている山中。

 なんだか小動物をあやしている気分だぜ。


 川原先輩はさくっと「友だち」という言葉で片付けてくれたけど、俺にとって山中は複雑な関係の相手である。

 決していかがわしい意味ではない。  

 と言うのも、ろくに話をしたことはないけど、俺と山中は小学校から中学、高校まで同じ、かなり古い知り合いである。

 そして山中のプロフィールもある程度知っている。

 むしろ、地元の人間ならみんな知っている。  

 なぜなら山中の家はこの辺一帯のかなり広い土地、でかい会社を持っている大地主みたいなものなのだ。

 俺の家族が住んでいるマンションだって、建てたのは山中んちの関係者だったはずだ。

 とにかくすごい大金持ちなのである。

 駅前に山中ビルと言うものまであるんだ。八階建てくらいの。  

 山中綾本人はそんなことをひけらかすようなイヤミな人間ではない、と思うけど、とにかく無口で、教室ではいつも本を読んでいるような女の子なので、あまり接点がない。

 だから長い知り合いとは言えど、俺と山中の間に個人的なつながりはほとんどない。   

 そういう意味で、複雑な関係と表現したのだ。

 同じ小学校出身者でも、山中と仲がいいやつと言うのは、ぱっと思いつかないくらいだ。

 

 無視されていたり、いじめられていたりと言うことは、さすがにないと思うけどな。

 そもそもこの町の住人でそんなことをする命知らずはいないだろう。

 山中一族を敵に回すと住んでられなくなる。


「で、その山中と仲のいい川原先輩が、俺になんの話だってばよ」  

 気を取り直して話題を戻す。

 もちろん、俺の方ではまともに聞き入れるつもりもなく、どうすればこの女の話を切り上げて帰れるか、そのことばかり考えている。

 山中はさっきから無言である。

 置物だと思うことにしよう。

「もう忘れたの? 秘密基地を作るのよ。私と綾だけで作れるわけがないでしょう。だからもう少し人手が欲しくて、募集の紙を貼ったのだけれど」  

 すっかり忘れていた。

 頭に入れるべき情報でない、と無意識に判断したせいだ 。

「そんなもん、遊びで作るならそれほど手間もかからねえと思うけどな。なにも住もうってわけじゃあるまいし」  

 小学生程度の体力と技術でも、地面を慣らして柱を立てて、天蓋にシートくらい張ることはできるだろう。

 それで十分、秘密基地を作った気分は味わえるもんだ。

 経験者が言うんだから間違いない。  

 俺の意見に対し、川原先輩はどこか遠くを見つめるように語り始めた。

「これは思い出話なのだけれど、中学生の時、美術の選択授業で木の彫刻を作ったことがあったの」

「なんの話だよ。でもまあ、ああいうのは楽しいよな」

「私が彫っていたのは、材料の木ではなく美術室の机だったわ。そのことに一時間も気づかなかったなんて、ちょっとしたホラーよね」  

 周りの人間も止めろよ、途中で。

 手や体を彫り始めたらどうする。

「あんたが刃物やトンカチを持っちゃいけない人種だってことは、よくわかった」

「魚の絵を描いていたら『それはキリンかい?』と真顔で聞かれたりもしたわ」  

 そもそもどうして美術を選択したし。

「……山中も、そういうのは苦手なのか?」  

 斜め後ろに静かに座っているお嬢様へ顔を向け、期待もせずに聞いてみる。

 こくり、と無言でうなずかれた。

 確かに美術や図工が得意な奴だったという印象はない。  

 どうしてそんな状況で秘密基地を作りたいんだろうな、こいつらは。

 もっとこう、オンナノコ的な遊びがあるだろう他に。

 よくわからんけど。

「そういうわけだから、部活にも入っていない、体力は有り余っている、夏休みの補習も免れた石橋くんは適材なのよ。ね、協力してくれるでしょう?」

「あんたに都合のいい事実を並べ立てても、それはこっちの都合に関係ねーだろうがっ」

 山中が怯えないよう、極力声を荒げずに突っ込みしている自分が悲しい。

 話が堂々めぐりしている気がするぜ。

「追試に合格したことで、石橋くんは失うはずだった夏休みの十日間が手元に戻ってきたのよ? そのうち数日くらい、私たちに手を貸してくれても罰は当たらないんじゃないかしら。もちろん、完成した暁には残りの報酬も支払う用意があるわ」

「残り?」  

 あ、食いついちまった。

 どこまで単純なんだ俺。

「これから石橋くんが卒業するまでに受けることになるすべての定期テスト、その攻略プリントを差し上げるわ。もちろん全教科分を」  

 マジで!? 

 あのわかりやすく的確なテスト勉強指南書が、卒業するまでだと!?  

 ん。

 いやちょっと待て。そんなうまい話があるか。

「あのさ、俺が三年になった時に、どんな教科を習ってるかも選択によって変わるだろ。なにより教師が作る学校のテストなんて、教師が変わったら傾向や対策も変わるじゃねえか」  

 追試は範囲が狭く、問題も簡単だった。

 でも本試験の全教科となればそうもいくまい。

「大丈夫よ。この学校で主要科目を教えている先生の傾向はすべて把握してるもの。運悪く来年、石橋くんの受ける授業に新任の先生が当たってしまっても、ある程度の応用が利く内容にはなっているわ。満点を取らせるための指南ではなく、平均点を確実にクリアしていくためのプリントを作ったから」  

 こんな話、到底信じられるものではない。

 普通ならな。

 しかし川原先輩は、あくまでも自信満々にそう言い切った。  

 特に「目指すのは満点ではない、平均点を確実に」という言い方がおれの心をくすぐる。

 勉強をしてもいろいろと穴の多い俺にとって、平均程度を取れれば御の字なのだ。

 上位成績や一流大学なんて、はなから目指してないからな。  

 しかもこの女、作ったから、と言ったな。

 過去形か? 

 すでにブツがあるのか?  

 俺の心の疑問に答えるように、川原先輩は肩に下げていたバッグからプリントの束を取り出し、ドサッという音を立てて机の上に置いた。  

 冗談抜きで二年生の秋から三年生の卒業前まで、教科ごと日程ごとに分別されたプリントがそこにある。  

 手に取ってまじまじ見ると、驚嘆はさらに大きくなった。

「ここは出る!」とか「ここは単に覚えるだけ!」とか、明快にポイントが記され、俺のレベルが望んでいる理想的な試験対策がそこにはあったからだ。

「この分野は難しいので平均点が低くなる。時間がなければ悪あがきせずに捨てる」  

 なんて一文を見たときは感動したよ。

 わからないものをいくら考えてもわからないという、俺の気持ちを完全に汲んでくれてるじゃねえか。

「作業日数は合計で七日間。夏休みが終わるまでなら、連続でも飛び飛びでも、石橋くんの都合でいいわ。どう?」  

 悪魔が微笑み、俺の手元からプリントの束を奪った。  

「ひ、暇なとき、なら……」  

 今の俺には、まるでその紙束がないと進級や卒業すら怪しくなる、地獄の高校生活が待っているかのように思えた。

 実際、前の学年末試験は徹夜地獄を経て、ギリギリセーフだったんだ。

 かなり教師のお情けも入っていたらしい。  

 だから呆然とした精神状態で、川原先輩の要求に首を縦降りした俺を誰も責められないだろう。  

 意識の端っこで、山中が安堵したように息を吐く音が聞こえた気がした。


 家に帰り、あんな約束をしてしまった自分に絶望した。  

 しかし約束は約束、漢に二言はないので秘密基地づくりを手伝うことは確定事項だ。  

 どうせ逃げられないのならさっさと終わらせてしまうに限る。

 そう思った俺は、別れ際に教えてもらった川原先輩の携帯へメールを送ることにした。  

 まず最初の活動日は夏休み初日、と。  

 早く終わらせて、ゲームとか漫画とかネットとか、アレだ、俺も忙しいんだ、マジで。

 盆前には花火大会や祭があったりもする。

 男同士しか行くあてはないけどな。

 リア充とか爆発してくれてくれていい。


 そして作業当日の早朝。

「おっす。二人とも学校のジャージかよ。まあいいけど……」  

 俺は待ち合わせ場所であるバス停に到着した。

 肉体労働に支障のない、私物のジャージ姿だ。

 家からは軍手やビニールひも、布テープなど使えそうなアイテムも一応持参している。

 食事は用意してくれると言うので、他に飲み物だけ凍らせて持ってきた。

「あらおはよう。逃げずにちゃんと来たわね。約束を守る男の人って素敵だと思うわ」  

 押し付けと悪魔的な勧誘で俺を巻き込んでくれた、川原女史がなにか言っている。

 魔界の言葉は俺の心に届かんぞ。

「……」  

 山中の口はおそらく「おはよう」という動きをした。

 しかし声はほとんど聞こえない。

 相変わらずのポニテだけど、作業には支障ないだろう。

「じゃあさっさと行こうぜ。こっから近いのか?」  

 俺の質問に、山中は無言で指を差して答えた。

 バス停の近くには池があり、その奥の山林になっている方角を。  

 木々が青々とした葉っぱをつけており、秋には紅葉がまあまあきれいだ。

 そんな、地元民に適度に愛されているスポット。

 狸が出るという噂がある。  

 池で釣りをしてるおっさんもいるな。

 俺も混ざりたい。

「林の中に入っていくのか? まさかあの山も、お前んとこの土地だとかいう落ちじゃねえだろうな」  

 無言でうなずかれた。

 普通に中学の頃まで侵入してエアガン撃ってたっつうの。

 俺は山中んちの庭でばかり遊んでいたんじゃねえかと思うと複雑な気分だ。  

 遊歩道を進み、そこから外れて道なき道を分け入った先に目的地があった。

 雑木林の中に不似合いな倉庫と、不思議と開けた雑草の茂る原っぱ。

「いいロケーションね。周りからは木が遮って見えないし、秘密基地にはうってつけよ」  

 森林浴気分で気持ち良さそうに深呼吸をしながら、川原先輩が言う。

 気楽なもんだ。

 そもそもなにかしらの倉庫がある時点で、あまり秘密でもないぞここは。  

 山中がポケットから鍵を取り出し、倉庫の扉を開けようとする。

 鉄製の古くなった錠前で扉は締められていた。  

 山中の腕力だと動かないようだ。

 鍵を差し込みはしたが、そこで止まっている。

「錆びてんじゃねえの。手じゃ回らんだろ」  

 俺は自分のバッグからペンチを取り出し、鍵を挟んで強引に回す。

 開錠。  

 ぺこり、と山中がお辞儀をした。お礼なんだろうか。


「うぉっ……」  

 中に入り、俺は思わず感嘆した。

 おそらくここは使っていない建材やその他工具、資材の倉庫なんだろうけど、全世界の男子の何割かは、俺と同じときめきを感じると思うぜ。  

 所狭しと置かれている材木、道具、鋼材、針金、無造作に置かれたウレタンやシート。

 見たこともない使い道もわからないものたち。

「おいおいこのバールのようなものを見てくれ、こいつをどう思う?」

「すごく大きいわね」  

 童心にかえって、山中の背丈近くもあるバールのようなものを持ち上げる。  

 振り回してえ。

 なんでもいいからぶっ壊してえ。

「電ドリもあるじゃねえか。先っぽ付け替えるドライバーセットも全部そろってるよ。きた! チェーンソーきた! これで勝つる!」

「石橋くんはいったいなにと戦うつもりよ」  

 チェーンソーがあれば、神すら真っ二つだ。

 わからんだろうな。

「ベニヤもトタンもいろいろあるな。お、ハンドグラインダーがある。電源も通ってるみたいだ」  

 俺が男心をくすぐる道具や材料に夢中になって物色しているのを尻目に、川原先輩と山中はなにかこそこそ話していた。

 ふん、女にゃわかるまい。

 この木と鉄と油の香りがどれほど心を湧き立たせるかなんてな!

「やっぱり見込みはあたったみたいね。いい感じに楽しそうじゃないの」

「…………」  

 やっぱり山中の声は聞こえないな。

 あの二人はちゃんと意思の疎通ができてるのか疑問だぜ。


 使える道具や資材の検分を終えて冷静になった俺は、女二人に向き直って宣言した。

「どんな基地を作りたいとか、そういう希望があるなら今のうちに言ってくれ。作業が始まったら俺は多分、自分で自分を抑えられない。今にもどうにかなっちまいそうだ」  

 実はあまり冷静に戻れてもいなかった。

「特にないわ。強いて言うなら、私たちも作業に参加できるように指示をちょうだい。前にも話した通り、私は創作的なことはさっぱりなの。今この段階でも、なにをどうしていいのかわからないくらい」  

 川原先輩の堂々とした情けない発言に、山中も同意のジェスチャーをする。

 いつも通りうなずくだけなんだけど。

「希望がないっつってもな。ますますなんのためにこんな基地を作りたいのか、わけがわからん。そこを詮索することは約束の条件に入ってないから、俺は構わんけど」  

 好き勝手にやっていいなら、好き勝手にやるさ。

 作業を割り振れというのなら、危なくない軽作業はいくらでもあるだろう。

「じゃ、まず最初にビニールひもで外周を決めるから、端っこを持ってくれるか。そのあとは柱を打ち込む場所にあたりをつけたり、邪魔な石を避けたりかな。流れで適当に仕事を頼むと思うわ」  

 俺の指示に、今までで一番真剣な表情で二人ともうなずいてくれた。

「ええ、わかったわ。あ、外周を決めるってことは、長方形か正方形を大きく地面に描くってことよね」

「当然そうなるな。目検討でもいいけど、あとでずれるんだよ」  

 思い出した。

 適当に打った柱の位置に壁を合わせると、壁の幅がバラバラになり、間取りが台形の基地になるという失敗を小さいころにしたことがある。

「ひもだけで直角を導き出す方法なら知っているけれど、役に立つかしら」

「マジかよ。さっそくやってみようぜ」  

 さすがお勉強は得意そうなだけあるな先輩。

 定規もコンパスも分度器もナシで、ただのひもだけで直角なんてどう図るんだ。

 さっぱりわからん世界だ。

「……ッ」  

 緊張か気合かわからないけど、山中は口を真一文字に結んでジャージの袖をまくり、軍手を着用した。

 やる気はあるようでなによりだ。  

 そんな調子で俺たちの秘密基地づくりがスタートした。

 どうせ喰らい始めた毒なら、皿まで美味しく喰らわなきゃ損だ。  

 楽しまなければやってられない。

 それなら、開き直って楽しむしか道はないだろ?


 初日の作業は、まずどこにどんなものを作ろうか、という下準備と基礎作りに徹することにした。  

 平らな地面が比較的多めに広がっているポイントを基準に、正方形四畳半ほどの間取りを想像する。

 真ん中にテーブルを置き、壁に小物棚を直接くっつけて、椅子はこいつらの分、二つだけでいいだろう。

 窓は余力があれば考えるとするか。

「異存はないわ。かわいい小部屋って感じね」  

 俺の想定をなんの反論もなしに受け入れる川原先輩。  

 話したり一緒に作業をしていて思ったことがある。  

 おそらく川原先輩は、ゼロから物事を空想して作る能力が乏しいのだ。

 なにか人から問題を与えられれば、恐ろしいまでの合理性と速さで解いてしまう。

 だけど、無から一を踏み出すとなると、全く当てが外れたり、踏みとどまったりするタイプなんだろう。

 答えのない問題に対して、自分の考えが正しいのかどうか、自信が持てないのかもな。 

 あとは、単純に不器用。

 文字を書いたりパソコンのキーを叩く以上の複雑動作が苦手だと言っていた。

 体育の授業とか、どうしてるんだ。

「ね、三角形の辺の比が3:4:5であれば、3の辺と4の辺が作る間の角度は必ず直角になるのよ」  

 三人でひもを引っ張っている間、世間話のような口調で川原先輩が言う。  

 こんな知識はさくっと出てくるけど、これも俺が部屋の間取りを取ろうと言ったから出てきたことだ。  

 空き地に基地を作る、と言われただけでは、きっとこの知識を生かすことができずに立ち止まるんだろう。


 思いのほか地面には中小の石が多い。

 柱の打ち込み予定箇所にあるその障害物を、山中はシャベル片手にせっせと弾いていた。

 これなら今日中に柱は打てるな。

 文句もなければ歓喜の声も上げないので、こいつが本当に楽しんでいるのかどうかは疑わしい。  

 俺はノコギリで柱になる材木をせっせと切る。

 あまり背の高い建物にすると、梁を通したり屋根をつけるのが面倒臭くなるので、屈んで入り、座って過ごす基地にする。  

 低い建物は見た目が貧相だから、のぼりでも立てて派手に……ってそれすでに秘密基地じゃねえな。  

 幸いなことに脚立があった。

 マジでなんでもある倉庫だ。

 脚立の頂上手前まで登り、女子二人に下を抑えてもらう。

 あらかじめ仮に立てておいた柱のてっぺんを、ひたすら木づちで殴って地中にしっかり埋め込むだけの簡単なお仕事。

 超疲れる。

「印のところまで埋まったわ」  

 下で見ていた川原先輩が声をかけ、俺は二本目の柱を埋め込むために脚立を降りる。

 柱が垂直じゃなかったらすべて台無しだけど、見た感じ大丈夫だろう。

「こりゃ完璧に明日、筋肉痛だな……」  

 汗をぬぐってひとりごちた俺は、真夏の気温と肉体労働による発汗を、恨めしくもすがすがしく感じていた。  

 そして、まずいことに気付いた。  

 昼も近くなり気温が上がってきたことから、女子二人もジャージの上を脱いでTシャツ姿になっている。

「さすがに暑いわね」 

「ふぅ……」  川原先輩と、山中のTシャツが、汗で濡れて。  

 透けている。  

 下着が透けている。

 肌が透けている。

 なんか胸元とかシャツの裾をパタパタやって風を送り込んでいてへそとか見えた気がする。

 先輩がオレンジ色で山中が白とかなんかばっちりわかっちゃった気もする。

 そして、山中って意外とボリュームが。

 汗でシャツが張り付いて、こう……。  

 落ち着け俺! 

 男の歌を口ずさむんだ。     

 

 

 

 


 日本男児の生き様は 

 色なし恋なし情けあり 

 男の道をひたすらに 

 歩みて明日をさきがける

 ああ男塾男意気

 おのれの道をさきがけよ   


 二番は忘れた。


「危ないところだったぜ。自分を見失うところだった。これが機関の精神攻撃か……」  

 機関と言うのは、文字通り機関である。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 深く追及してはいけない。

「またなにか見えない敵と戦いだしたわよ。暑さに弱いのかしらね?」

「ふふっ」  

 一人でブツブツ言っていた俺を川原先輩が嘲笑すると、それを聞いた山中が、わずかにだけど確かに、笑った。  

 ちゃんと笑うんだな。

 当たり前のことにやけに安心する。

「そろそろお昼にしましょう。汗をかいたから着替えたいし。石橋くんも口を半開きにさせて私たちをボーっと見るほどに疲れているようだから。なにか見えた?」  

 言いがかりをつけられた。

 そして女二人は早足で倉庫の中に入り、着替えを始めた。  

 安心してるんだ、残念がってなどいない!


 メシは用意してくれるのはありがたいけれど、先輩の話を聞く限り、失礼ながら不安な気持ちを抱かずにはいられない。

 食材と間違えて俺が切り刻まれないか心配だ。  

 女どもが着替えている間に俺はビニールシートを敷いて、食事の準備。

 せっかく晴れてるんだから外で食おう。

 良く晴れた野外の爽快感は、どんな調味料にも勝るからな。


「さあどうぞ。お米と間違えて砂を炊いたりはしていないから安心してちょうだい」  

 誰もそんな心配はして、なくもない。

「……ん」  

 川原先輩が白米を、山中はおかずを用意してくれたようだ。

 腹の虫が鳴った。

「お米だけは昔からちゃんと炊けるのよ。と言ってももちろん電子ジャーだけれど」  

 ドヤ顔でそんなことを言われても困る。  

 いっぽう山中が拡げたお重には、きゅうりの漬物、おそらくは肉味噌、ほうれん草のおひたし、煮物。  

 白米が一人分ずつに分けられた弁当箱に、おかずを適当に乗せて三人で食べ始める。  

 きゅうり、米。

 肉味噌、米、おひたし、煮物、米。

 きゅうり、肉味噌。

 このコンボやべえ。

 時々お茶。

 凍らせて持ってきたペットボトルの緑茶が、いい感じに溶けて大活躍だ。  

 空は真っ青、セミが鳴いている。

 たまにいい風が吹く。  

 愛すべき日本の夏だ。

「外で食べるごはん、気持ちいいわね」

「ああ、天気もいいし作業は順調だし言うことなしだ。メシウマだな」

「お米は北海道の七つ星、おかずは綾の手作りよ。口に合ったのならなによりだわ」

「…………きゅうり、うちの畑」

 大地主様の家で育ったありがたいきゅうりでござった。

 心なしか高貴な味がしないでもない。


 その後、残り三本の柱をぶっ叩いて地面に打ち込み、初日の作業を終わらせることにした。  

 二人と別れた俺は、帰宅後すぐに次の作業計画を立てていた。

 屋根はトタンだと楽ちんだけど、日差しで暑くなるから白く塗ろう。

 入口にはすだれをかけよう。

 いろいろやりたいことの候補が出てくる。  

 あれだけの材料や道具がそろってるなら、子供の頃にできなかったこと、やりたかったことがかなり実現できる。

 俺はその楽しさにすっかり我を忘れていた。  

 正直、おかしな流れで基地作りに巻き込まれたとか、なんのために基地なんて作りたいんだとか、そんなことはどうでもよくなっていたんだ。


 七月最後の日、三回目の作業日を終えた時点で、壁と屋根の仮設置が終わった。  

 川原先輩は体力もあまりないけど、背が高かったのが幸いした。

 屋根や壁を仮止めさせるときは予想以上に楽だったからな。

 手で抑えてもらうだけでも全然違う。

「ずいぶん形になったわね。もっとかかるものかと思っていたわ」  

 汗をタオルで拭きながら川原先輩が満足そうに言う。

「まだ、つけてみた、って段階だけどな。入口側の壁はいろいろこだわりたいし」  

 壁はまだ、入り口側以外の三面しか取り付けていない。

 いっそのこと、蝶つがいを利用して扉をつけてしまおうか、などと考えている。  

 補強も内装もまだまだだ。これからもしばらく手こずらせてくれそうだぜ、げへへ。  

 拭けば飛ぶような安普請だけど、とりあえず建物らしい最低基準には到達した。  

 山中がふらふらとその中に入り、地べたに座り込んで壁や天井をきょろきょろと見まわす。

 箱に入った日本人形のような風情があった。

「お加減はいかがっすか」

「ん」  

 俺の問いかけに、山中はいつもより力強い表情でうなずくだけだった。  

 どういう意味が込められた反応なのか、わからん。


 八月に入ったある日。  

 家の用事やほかの友達と遊んでいたりで、少し作業に間が空いたのち、俺たちは再び基地建設地に集まった。  

 四回目の作業は本来、明日のはずだった。

 それでも予定を変更して俺が連絡したんだ。  

 なぜなら、昨日は大雨、暴風、雷、ありとあらゆる注意報や警報が一度に押し寄せた日だったから。

 要するに台風が直撃してしまったわけだ。

「そん、そんな……」  

 川原先輩が、雨上がりで半濡れの地面に膝を落とし、がっくりと両手をついた。  

 その肩に手を当てて、いたわるような聞き取れないささやきを投げかける山中。


 

 途中まで作っていた基地は、昨日の荒れた天気で、バラバラになってしまっていた。


「ずいぶん風が強かったみたいだな」  

 俺はその原因を冷静に口に出した。

 山林の中腹にあるこのポイントは、水はけには問題がないらしく今日にはほぼ乾き始めていた。

 雨がやんだ後、いきなりカラッと晴れたこともあるのだろう。  

 ただ、風にさらされて折れた枝や飛ばされてきたゴミなどが、現場にはちらほら目に入る。

 まだまだ仮止めの安普請だった秘密基地は、その風力に耐えられる強度を持ってはいなかった。  

 風で屋根が吹き飛ばされる力に巻き込まれて、仮止めしていた柱と壁が一緒に倒れたんだろう。  

 柱を埋め込む深さが足りなかったか、雨で土が柔らかくなっちまったか。

 両方かな。

「……わ、私は石橋くんに、基地を作ってちょうだいと頼んだだけだから、い、一度作ったのに壊れたから直してちょうだいなんて事態は、そ、想定してない。そ、それにもう、作業は四日目に入っているから、今から片づけて作り直すなんて、時間が……」  

 川原先輩は逆境に弱いタイプらしい。

 なにかうわごとのように口走るのみで、起き上がる気力さえも失っているようだ。  

 普段は気も強そうで堂々としてるのにな。  

 山中はいつもと同じように、なにを考えているのかよくわからない表情。

 川原先輩の嘆きに、首を振ったり、うなずいたり、俺には聞こえない音量でなにか話しかけている。  

 コンビの主導権を一方的に握っているのは川原先輩かとも思ったが、いざというときは山中の方がタフそうだな。

 面白い組み合わせだよ。

「さ、プロデューサー様よ。現場監督としては時間がもったいねえから、さっさと作業に取り掛かりたいんすがね」  

 俺は半泣きの顔で小さくなっている川原先輩に、大工の親方が元請へ話しかけるような体を装って提言した。

「だ、だって、無理よ、ぺしゃんこになっちゃったじゃない……」  

 顔も上げずに、ただ絶望だけが感じられる口調で施工依頼主はつぶやいた。

「無理かどうかは俺が決めるこった。少なくとも作業員は三人しかいねえんだから、あんたがへこたれてちゃあ終わるもんも終わらんぜ」  

 感情を排し、事実だけを伝える。

 俺がすべきことは作業日程内で基地を完成させることであって、それ以外のことは特に関係ない。

「も、もういいのよ。ちゃんと約束のプリントは渡すわ。今まで、頑張ってくれてありがとう石橋くん……」

 イラッ。

「なにを勝手に完結してやがる。俺は特にあれこれ聞かなかったけど、あんたらには秘密基地を作りたい理由があったんだろう? 実際に作る俺のテンションが下がってねえんだから、それでいいじゃねえか」  

 山中も見た感じ、しょげてはいないようだからな。  

 俺の言葉になにか反応する部分があったのか、川原先輩は顔を上げてこっちを見た。  

 そして多少の無言を経て、こんなことを聞いてきた。

「……私から質問だけど、こんな、騙されるような格好で巻き込まれておきながら、私たちの願いを律儀に聞いてくれる理由はなに? 約束のものだって、これ以上苦労しなくても石橋くんにあげるって言ってるのよ?」  

 今更なにを言い出すんだ、こいつ。

 でも聞かれたことには答えよう。  

 しかしどう答えたものか。

 理由は一つじゃない。  

 男児たるもの、実直にしか物は言えないから、一つじゃないなら二つも三つも言う、それでいいか。

「いろいろあるけどな。まず一つは、台風ごときに舐められっぱなしじゃ日本男児は務まらねえ、ってことだ。どんだけこの国が台風にさらされてると思ってんだ。いちいちくじけてられねえっつうんだよ」

「そ、それはそうかもしれないけど」

 驚いたような呆れたような顔の川原先輩をスルーし、俺は言葉を続ける。

「他には、作ってる間にいろいろアイデアも出てきたし、それを無駄にしたくねえ。でも一番でっかい理由はだな」  

 少し恥ずかしいので、深呼吸して二人の顔を順番に見返す。

「俺自身が、秘密基地作りを楽しんでるってことだ。こんな夢のような遊び場、途中で投げ出したらもったいない。別にあんたらのためってわけじゃあない。山中さえ許してくれるなら、俺一人でもここを使って遊び続けたいくらいだぜ」    

 子供のときもそうだった。

 何人かで秘密基地づくりをしていても、途中で飽きて脱落するやつは必ずいた。

 でも俺はしばらくの間その遊びにこだわって、学校にばれて注意されるまでは、自分から基地を放棄したりしなかった。  

 そのことを思い出した時に決めたんだ。

 子供時代の俺が見たら嫉妬で歯噛みするような、超カッコイイ基地を作ろうって。  


 俺の話に注目していた川原先輩と山中は、聞き終わりと同時に顔を見合わせ、そして笑った。

 マジになったこっちは恥ずかしいってのに、なにがおかしいんだ。

「……ねえ綾、石橋くんにあのこと、もう言っちゃおうか?」

「…………っ!」  

 先輩の提案に、なにか顔を真っ赤にして驚く山中。  

 なんか隠し事でもあるのか。

 そもそもこいつらのこと、表面的な情報以外なんも知らんけど。

「あのね、石橋くん。私もうすぐ転校するのよ。夏休みが終わったらすぐに」

「も、もっちゃん!」  

 先輩が話し始めると、山中がかつてない大きさの声で、と言うか記憶にある限り初のはっきり聞き取れるレベルの声で、聞いたことのない単語を叫んだ。

「もっちゃん、ってなに?」  

 素直な疑問をぶつける俺。

「あ、私のあだ名よ。下の名前、もみじっていうの。だからもっちゃん。綾が考えてくれたのよ」

「あ、そう。仲がよろしくてなによりだ。で、もっちゃん先輩はもうすぐ転校しちまうのか……」  

 なんだろうな、この微妙な感情は。

「ええ、昔から転校が多かったの。親の仕事の都合でね。そして、もともとの性格もあるけど友だちが全然できなかった私と、綾はすぐに仲良くなってくれたのよ」  

 二人とも俺から見るとずいぶん変わり者だけど、それだから変に波長が合うのかな。

「でも私が夏休み明けにこの街を離れることが決まって、二人で散々泣いたわ。もちろんこれからも連絡は取り合うつもりだし、私が綾を忘れるなんてありえないけど。なにか最後に思い出に残る、うんと楽しいことをしたいねっていう話になったのよ」  

 なるほど。女の友情も美しいと言わざるを得ない。 

「そこから秘密基地を作ろうという話になったのか? なるほど全然わからん。そもそもあんたら、自力で作れてねえじゃん」  

 そういうのって、自分たちにできることや、自分にとって楽しかった思い出から応用するだろ、常識的に考えて。

「仕方ないじゃない。私も綾も基本的に友だちが少ないから、そういうときになにをするべきかって発想に乏しいのよ。でも、綾が」

「もっちゃん! 自分で言うから! あたしがちゃんと言うから!」  

 また山中が叫び、言いかけた川原先輩の言葉を遮る。

 クラスのやつらに言ったら驚くだろうな。

 山中の一人称は「あたし」なんだぜ、って。

 そんなこといちいち言いふらしたりしねえけど。

「……あ、あたし、小学生のころに、石橋くんが基地作ってるの、一緒に、やったこと、あるの」

「え、お前、いたっけ?」  

 素でひどいこと言った気がする俺。  

 いや、実際覚えてねえ。

 なんせ昔のことだし。

「あたしが犬の散歩してたら、石橋くんたちがうちの庭の端っこにある藪の中で、なにか作ってて。そのとき石橋くん、クラス違うけど学校にばらさないなら、混ぜてやるって……」  

 全然覚えてねえ。

 しかも小学校時代に基地作ってた場所も山中んちの所有地かよ。

 どんだけ庭広いんだよ。

「……どんどん基地ができていくの、すごく楽しかった。習い事はじめてからはあんまり参加できなくなったけど、たまに見に行ったときとか、いろんなものが増えてたり、改造されてたりして、これからどうなるんだろうって、すっごくワクワクした」  

 ガキのお遊び程度で、実際ちゃちなつくりの基地だったと思うけどな。

 そこまで褒められると照れる。

「あー、なにも知らんかったガキの頃とはいえ、庭を荒らして申し訳ねえっつーか。山中がいたこと覚えてなくてごめんっつーか」

 俺が謝ると、山中はすごい勢いで首をブンブン横に振った。

 顔がすげえ真っ赤だった。

「ううん、あたしも謝らなきゃいけないの。お母さんに基地が見つかっちゃって、それで学校に連絡が行って、石橋くんたちが遊べなくなっちゃったから。あのときお母さんをちゃんと説得できてれば、石橋くんたち、もっと基地で遊べたんだもん」  

 そのことを気にしてたから、俺に基地を作らせようとでも思ったのかな。

 確かに今は楽しんでるから結果オーライだけどさ。  

 先輩が山中の言葉をつなぐ。

「だから、綾にとって楽しいことの原体験って、その秘密基地だったということよ。聞けばその元凶は同じ学校、綾と同じクラスにいるって言うじゃない。これは天の配材よね」

 元凶ってなんだよ。

「い、石橋くんは夏休みに補習を受けるかもって話だったから、止めたんだけど……」

 

 どうして俺が追試だの補習だのって話を山中が?  

 あ、担任がその説明してるとき、クラスで俺一人だけ絶叫したからバレてるのか。

「そして、図書室近く、あの廊下の件に話がつながるわけ」  

 先輩が話を〆る。

 なるほど。

 すべてつながったな。  

 作業員募集と言っておきながら、文字通り俺ホイホイでしかなかったわけだ。  

 一通りの説明が終わった後の山中は、まるで一生分の声を出し尽くしたように、疲労と脱力を感じる様子でうつむいていた。

 やっぱり顔が赤い。心なしか目もうるんでいる。

「……まあ、なんとなく事情は分かった。ただ、あんたらの都合はどうあれ、これからしばらく天気はいいみたいだから、俺は基地を作り続けたいと思ってるんだけど」  

 頭の後ろをかきながら、話を戻す俺。  

 体を動かして気分を紛らわせてないと、いろいろ恥ずかしくてドツボの予感がする。

 一種の逃げである。

「時間、足りそう……?」  

 先輩が、さっきまでよりは幾分元気を取り戻した表情で尋ねた。

「夏休み終わるまでは、転校しねえんだろ。余裕だ」

「え、でも、作業はあと三日で……」  

 今更そんなことを言っている先輩の空気の読まさなが、むしろ個性に感じられるな。

 三日だろうが十日だろうが、この際どうだっていいっつうのに。

「もっちゃん、また頑張ろうよ」  

 山中が笑顔で差しのべた手を先輩は強く握り返し、目をこすって立ち上がった。




 夏休み最終日、八月終盤の晴れた昼。  

 俺と川原先輩と山中の三人は、通い慣れた秘密基地建設現場に集まっている。  

 最初に作り、台風に壊された基地。

 実は七日間と言う時間制限を気にして作業したせいで、あまり大がかりなことができずに、正直気に入ってなかった。  

 だから作り直しは、もっと好き勝手にいろいろやってやろうと決めていた。

 なにを隠そう、ニュー基地は五角形の建物なのだ。

 五稜郭リスペクトである。  

 間取りも少し広くなっていて、中央の地面をかなり掘り下げた。

 囲炉裏的な暖炉を冬になったら使えるようにだ。  

 読書が好きな山中や川原先輩のために、木製の本棚も設置した。

 コードリールで倉庫から電源を引けば、ランプも点灯させられる。  

 椅子は、結局三つ作って置いた。

「……改めて見ると、すごいわね」  

 作業の疲れか、もしくは完成間近になった高揚からか、上気した顔で先輩が漏らす。   

 俺はここ数日テンション上げっぱなし、肉体労働しっぱなしで、体も頭もいろいろ麻痺している。

 我ながらよくここまでやったもんだ。

 途中何度か、ほぼイきかけました。

 栄養ドリンクとかで猛烈にドーピングして乗り切ったけどな。

「最後の仕上げが残ってるぞ」  

 俺は自分のバッグから、スプレー塗料の缶を取り出した。

 部屋に余っていたプラモデル用のホビーカラーだ。

「絵や工作は苦手でも、字を書くのはお得意だろ」  


 川原先輩は小さいころから転校が多いという話を聞いた。

 だから、いつどこに転校しても勉強についていけるよう、教科書を購入したらすぐにそのすべてを攻略する習慣があるそうだ。

 その学校の授業レベル、担任の教え方、テストの作り方までをも。  

 だからあんな、ベテラン教師も舌を巻くような勉強法プリントの束を作ってしまえる。本人が小さいころから地道に苦労し、そして築き上げた成果ってことだな。  

 

 

 俺にくれたのはパソコンか何かで打ち込んで印刷されたプリントだけど、補足的に川原先輩の手書き部分があった。

 俺はその字が好きだった。

 のびのび、堂々としている字が。


 俺からスプレーを渡され、入り口横のどでかい表札、いやむしろ看板と呼ぶべき板に向き合う先輩。  

 ちなみに入口は、西部劇の酒場にあるような上半分だけの両開き扉にした。

「……本当にいいの?」

「この秘密基地計画、プロデューサーはあんたなんだから、問題ねえだろう」  

 少しためらった後、スプレー文字とは思えない立派な楷書体で。

「川原もみじ」  

 と、枠いっぱいに先輩が書き上げた。  

 表札は先輩の名前にしよう。

 山中の提案だ。

 俺もそれが一番いいと思った。

「いつでも遊びに、ううん、帰ってきてね、もっちゃん!」

「綾ぁっ……綾ぁぁっ」  

 ジャージ姿、汗まみれ泥まみれ、木屑まみれの女二人が、抱擁して泣いた。  

 それを見届けて、俺の秘密基地作りと言う、高校二年の夏休みは終わった。


 後日談がある。  

 作業報酬として渡されたプリントの中に、先輩から俺あての手紙が挟まっていた。  

 内容は以下の通りだ。


 拝啓。


 男の子に手紙を書くなんて初めてで、なにを書いていいのか迷ってしまうわ。  

 だから前置きなしで本題に入ります。  

 私がどうしても秘密基地を作りたかった理由は、もちろん綾に喜んでほしいから。  

 そして綾の楽しかった思い出を、私も共有したかったから。  

 なにより、綾が子供時代の秘密基地遊び、そして石橋くんの話をしているとき、とても楽しそうだったから。  

 そのことをちゃんと、石橋くんに伝えきれてないかもしれないので、こうして手紙を書かせてもらったわ。  

 私がこの街を離れて、綾はまた一人で本を読んでばかりの子になってしまうと思う。  

 あの子は、自分が大金持ちの娘で、周りの人間が遠慮がちにしか自分に関わらないということを、小さいころから自覚していたんじゃないかと思うの。  

 でも自分から気さくに歩み寄るという、器用な振る舞いもできない。  

 私も多かれ少なかれ不器用な人間だから痛いほどにわかるわ。    

 だからお願い。  

 少しでいいから、あの子が寂しくないように石橋くんも気にかけてあげて。  

 押し付けがましいかもしれないけれど、友だちを作るのが下手な私が言えた義理ではないのだけれど。  

 あの子の友だちになってあげてちょうだい。  

 石橋くんにそうして欲しいし、石橋くんでなければだめなの。  

 どうしてきみなのかは、言わなくてもわかるわよね。  

 ……わからなかったら、怒るわよ。    

 再会したときに、今までより素敵な思い出を、三人で作れることを祈っています。    

 


 敬具。 




 手紙を読んだ次の日の朝。教室。  

 俺は教室で本を読んでいた山中の席に近寄り、とりあえず朝の挨拶をした。

「おっす」

「お、おはよう」  

 小さな声だけど、ちゃんと聞き取れる。

 教室でも会話は成立するみたいだな。

「先輩ってさ、次はいつ遊びにくんの?」

「……は、早ければ、九月の連休。それが無理でも、冬休みには」

「九月か。結構すぐだな」  

 気温も下がり、食欲の秋に突入するころだ。

「バーベキューでもやらねえ? 基地の横に、ブロックでかまど組んで」  

 驚いた表情で目をぱちくりさせた山中は、お決まりのジェスチャーよろしく、首をこくこくと縦に振った。  

 


 あえて先輩に肉を焼く係を押し付けてみよう。  

 どんな面白い焼き方を披露してくれるか、今から楽しみだぜ。

 焦げた肉やカボチャは率先して美味しくいただいてもらおう。 

 勝手なことを言い残して転校して行った先輩への、俺からのささやかな意地悪だ。


 デザートは夏に食いそびれたかき氷とか、いいな。 



                                     完


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