王の別宅
その日の午後、オレはカイザーにタウフィ領主の別荘に招待された。
街からは少し離れた丘の上に建てられている領主の別荘は白塗りの綺麗な小城といった趣だ。
小さな花のピンク色とその葉の緑に染まった中庭を通って物見の塔に昇った。
タウフィの街を見下ろすことのできる場所に立ってカイザーは両の手を広げた。
「美しい街。美しい河。恵みの大地。渇いた時には水をくれる空。河は魚を育て、水を運んでくれる。大地は多くの動物や植物を育ててくれる。我々を生かしてくれる素晴らしい大陸だ。ここは」
そう言って、一度言葉を切り、カイザーは手摺の上に浅く腰掛けた。
大空を見上げ、空の雲の行方を追うように。
腰掛けて、空を見ている様子は落ちそうな感じがしてどうも危なっかしい。
「ヴィール殿、遠乗りをしたことはおありか?」
ドラゴン種と知ってからカイザーは『殿』をつけてくる。
遠乗りと言うと馬に乗っていくあれだろうか?
ちなみに言うと自分より遅いものにオレとしては乗るも何もあったものじゃないと思っている。つまり、したことはない。
「いや」
カイザーは答えたオレを見て同情するような表情で首を横に振った。
「一度、馬に乗って走ってごらんなさい。この大陸の美しさを実感できる。争うなど愚かなことと思えてくる」
そう言うがカイザーは自分に対して、敵対した多くの者をその武力をもって押さえつけ、消滅させてきている。
そうやって5年もかけることなく大陸の一部地域を支配していた小国家を取り込み、大陸をひとつの一大国家と成し得たのだ。
黙っているオレにカイザーは何を思ったのか、小さく笑った。
「失礼。貴方は空を駆け巡る翼を持った種だということを忘れていた。空から見るこの大陸はどう見えるものですか? やはり美しいのですか?」
『空から見る大地は美しい』といったのは兄だったっけ。
ただ、オレはまだ空を『安全』に舞えるほど成長してないせいもあって空からの風景を見たことはない。
「さあ、まだ空から見下ろしたことはないよ。オレはまだ若い」
つい答えたオレの返事にカイザーは妙な顔をした。
「若い?」
もしかしてカイザーもドラゴンとは全てがすでに永く生きた滅びゆくしかないような、新生児が生まれないような種と思っているのじゃないだろうな。
「……若い…………」
カイザーはもう一度繰り返し、再び空を見上げた。
「年齢で空を飛べるかどうか決まるのですか?」
カイザーは質問の形を変えた。
確かに『若さ』を問われるよりその質問の方が答えやすい。
「オレはまだ知能なき大鳥あたりの餌になる気はなくてね」
答えてからこの答えもなんだか情けなくなってきた。
しかし、実際に結構危険な世界なのだ。
今のように『人』の姿をとってないと、オレのようなチビには生命の危機が一度や二度ではすまなくなるのだ。自然界の弱肉強食は実に容赦がない。
もちろん、人の手による捕獲、つまり、見世物になる危険もある。
「まぁ、オレはまだ若く小さなドラゴンだってことだよ」
オレの言葉にカイザーは軽く笑った。
「若い、か。それはまだ先があるということ。この身が血に汚れてもかまわない。多くの人がよりよく平和に暮らせるならば、な。この国は美しく豊かだ。魔王の脅威は去った。残る脅威は自然と人の迷いだ」
空を見上げたまま、カイザーは言葉を続ける。
「自己犠牲のつもりもない。自らなすべき義務なだけだ。火で焼かれてゆく森を見たくない。行き場を失うのは異なった生活を持つものたちだ。『弱い』わけではなく、我々とは価値も生き方も違うだけの森の生き物達。我々が住む場所も武器も道具も何もかもを取り上げられてどれほどが生き抜いていけるだろう。わからない。考えるだけで不安にもなる。戦乱の世は続くべきではない。我々のうちでも最も被害を被るのは大地、そして耕す民なのだから。だから、早く終らせなくてはならなかった。それが義務だとオレは信じている」
彼はどれほど多くの戦場に身を置いてもその狂喜の虜にはならなかったのだろう。
多くの血が流れ、感覚が麻痺してゆくその狂喜に囚われた多くの者は人の命に紙ほどの厚みも感じないと言う。
そんな中にあっても彼は嫌悪を感じるのだろう。人の命を屠ることに。
その行為に馴れる事ができずにいるのだろう。
淡々と調子を変えずに『自己犠牲のつもりはない』と言う。だから堪えて見せるのだろう。だからこそ強く他の多くの人がより平和に暮らせることを望むのだろう。
そして自分の国家、大地がより美しくあることを望むのだろう。
自分の苦痛を義務と 言いかえてでも。
その変わる事のない口調であるがゆえにより辛く聞こえる。 悲しく聞こえる。 そして不安な孤独が聞こえる。
『すべきこと』『責任』『義務』そして『自由』
絡み合う事柄。
オレにも『義務』はある。
この世界のある『モノ』の支配と管理。
ありとあらゆる制約の中どうそれを動かすかは『自由』、しかし『責任』をもって動かし、働かせなくてはならない。『自由』は『責任』と共に存在するものだ。
それは重い、重い『自由』
行なった結果起きた出来事の責任をとる『義務』がかかってくる。
その『自由』な行動が引き起こした出来事に対する『責任』
カイザーは大きな『義務』と重い『責任』そして決定を下す『自由』を手にして、欲しい『真実』を手に入れることが叶わない。
そしてそれを知っている。
オレは? オレはどうなのだろう。
オレは自分がチビで拗ねやすく、どうしようもない子供だとは知っている。
でも、オレはオレがどこまでのものを手に入れることができ、どこからが手に入れられない幻だと知っているのだろう?
カイザーは手摺から身を起こし、にこやかに椅子を薦めた。
「そろそろ侍女が軽い食事をもってくるころです。こちらばかりご馳走になっていますからね」
カイザーの言葉通りに間もなくやってきた侍女が幾つかの料理をテーブルの上に並べていった。
色鮮やかな大皿の上に盛られた料理は壮観だった。
味の薄いビスケットの上に乗っかった魚の稚魚を赤身の魚の薄切りで巻いたもの。カボチャのクリームの上に乗っかっているのは小さな甘く赤い木の実。蜂蜜の入れ物も薄味ビスケット。歯ごたえの面白い卵焼き。香草のサラダ。馬肉や牛肉の焼いたものや蒸したもの。横に添えられた赤いワイン。
材料の吟味と時間をかけたと知れる料理の数々。
食べながら、つい友人のことを思い出す。
おいしいものをすっごくおいしそうに食べるちっちゃな友人。
好物はミミズの丸揚げ。一度食べさせてもらったがオレの口にはちょっと合わなかった。よほど空腹ならなんとか食べられるかもしれないが。
「お味はどうです?」
カイザーに問いかけられて、ちっちゃな友人を思い出し、自然にきっと微笑んでいただろう自分に気がついた。
「ええ。大変おいしいです」
随分と礼儀に反することをしてしまった。
客として来ているというのに。
「何を思い出しておられたのです? 随分と楽しい思い出のようでしたね」
にこやかにそう言われて、オレは少し照れた。
おかげで少々ばかり誤解を招いた。
カイザーは実に優しく微笑んで、心持ち羨ましそうに次の言葉を紡いだ。
「恋しいレディのことでも思い出しておられたのですか?」
オレは手にしていたビスケットをぽとりと落とした。
幸運なことに無意識のうちに、出していた左手で受け止め、床やテーブルにまで落とすということはしなかったが。
手についたチーズとガチョウの肉。
行儀悪く食べてしまい、カイザーの発言を再構築して見る。
『恋しいれでぃ』
『れでぃ』=『レディ』=『貴婦人』=『女性』=『ビノール』?
これ以上ないような、有り得ない間違いである。
ちっちゃな友人『ビノール』が『恋しいレディ』のはずがない。
『彼』は『貴婦人』では、オレの知る限りはないのだから。
「いえ、友人のことです。思い出すべき恋しいレディにはまだお目にかかったことが有りませんもので。残念ながら」
「友人、ですか」
気のせいか、彼の口調がやけに空々しいと言うか一気に興味なさそうな口調へと変わった気がする。
「ええ。恋しい貴婦人ではありませんが、他者と触れ合う喜びと信頼という安心を教えてくれた大事な友人ですよ」
そう、自慢の友人。大事な友人。ちっちゃなモグラ族の魔法使い。
「それはすてきですね。信頼できる友人とはなににもまして得難い至宝ですから」
やはり、妙に空々しく感じる。
「失礼。そろそろ執務に戻りませんと。ヴィール殿はどうぞ、ごゆっくり。ご無礼いたします」
思いっきり無礼だぞ。カイザー・フィッター。
気に入らないことは言えばいい。
「カイザー王」
呼びかけにカイザーは立ち止まった。
「なんでしょう」
声に含まれるのは警戒と不信。
「いつか貴方の親愛する友人にお会いしたく思いますよ」
カイザーは小さく笑った。
「それは生涯有り得ぬことでしょうな」
そして振り返ることなく階段へと消えていった。