再来
オレはその日、遠慮なしに信天翁に叩き起こされた。
「若様! お目覚め下さい! お客人ですぞ。昨日のカイ・ローウェン殿ですぞ。今はケリアスめが接客しておりますが、あのお客人は若様のお客人。ケリアスめが粗相でもしおっては若様の評判が落ちようというもの! そのような事態はこまりものですぞ! さぁ! おはように!」
じじいの一斉掃射で起こされて機嫌が良いわけもない。しかも、ついさっきオレは寝台に潜り込んだところだったのだ。
今夜もビノールは帰ってこなかった。このオレが眠いのも我慢して待っていてやったというのに。
オレは信天翁に枕を投げつけながら体を起こした。
「だまれ」
急に体を起こしたせいで目眩がひどい。
サイドテーブルに置かれているグラスに手を伸ばし、一息に甘い液体を飲み干す。
ほんの少し口の中に酸味が広がる。
椅子の背に掛けられている着替えに手を伸ばし、袖を通す。適当にボタンや紐を掛け、位置を間違えてないかだけ確認する。
それから頭をぐしゃぐしゃとかきまわし、落ちてきかけている前髪を後ろへと撫でつける。
自分でしない習慣をつけていたのでうまくできているかどうかは知らない。
暗い闇色に染め上げられた廊下に出るとシンが待機していた。
「おはようございます」
シンはそう言って一旦膝を折る。
「おはよう」
オレがそう言うのを確認してシンはすっと立ち上がり、オレの後ろに回った。
「失礼いたします」
シンの手が持つ櫛が髪を器用に撫でつけ、ぴっという音がして服のしわが間違いなく取り除かれる。
そしてオレはその日の会見に望んだ。
眠気は消えたが、なんだかとっても空腹である。
そんなオレの一方的な事情もあって、カイとの会話は食事をしながらということになった。
若鳥の塩焼きを食べているオレをカイは妙な表情で見ていた。
「なにか?」
問いかけるとカイは少し居心地悪そうに目をそらし、軽い葡萄酒を口に運んだ。
「いえ。このような早朝に訪ねて来てしまって申し訳ない」
そういえばカイはほとんど朝食に並んでいるものを口にしていない。
若鳥の塩焼きはもちろん、チーズを練りこんであるクルミパンも季節の野菜と魚のサラダもカボチャとポテトのスープにもだ。
手をつけているものは軽いワインとコーンクッキーと木苺ヨーグルトだけだ。
朝食はまだだと聞いたがもしかして食べてきたのだろうか?
3皿目のスープをカラにしながらオレは首を傾げた。
「いえ、もしかしてお口に合いませんか?」
国王陛下だもの舌は肥えているだろう。
カイはきまずげにクッキーにヨーグルトをつけ、ひとつ息を吐いた。
「申し訳ない。朝の食事はあまり量をとる習慣がないものでそのように一生懸命に食べている様子に驚かされただけだ」
気のせいだろうか、何か癇に触ったのだが。
暗に大喰いと言われたような?
いくらでも食べられるがいくらでも食べないでもいられる。それでもまだまだてんで子供と言われる年頃のオレはけっこう空腹を感じやすい。
それにしても人としては食べ過ぎな量なのだろうか?
ケリアスがカイのグラスにワインを注ぎ、オレのスープ皿にスープを注いでくれる。
オレはクルミの油をからめて香草をまぶした魚のスライスを口に放りこんでワインで流し込んだ。
まだ少し物足りない気もしたが、取り敢えず食事は中断することにしよう。
「では、急のおこしの理由をお聞かせくださいますか?」
ナプキンで口元を拭き、食事の終了をケリアスに伝えておく。
カイはスープ以外からになったオレの前に並ぶ食器を軽く眺め咳払いした。
「ああ。実は依頼料のことで。取り決めをしていなかったから」
ケリアスが少し責めるような眼差しでオレを見ているのがわかる。
オレは時々料金をとることを忘れるのだ。
面と向かってケリアスは責めないが通常、一般的、標準的な生活をするにあたって重要なものが金である以上、料金の取り忘れというのはあってはならないことではある。
本当に家賃分ぐらい最低でも稼がなくてはいけないはずなのだ。
「あ~~、じゃあ、50ヴィサ。後はお気持ちしだいってことで」
50ヴィサは家賃1、5ヶ月分だ。決して安いわけではないが別に法外と言う値段でもない。
食費、及び備品等の経費維持は含んでないのだから。
「カイ、占術において入手した情報をお聞きになりますか? 今なら食事代と蝋燭代のみでお帰りになってもかまわないです。依頼を引っ込めてね」
肩をすくめたオレをカイは真剣な眼差しで見据えてくる。
「聞いてから決めよう」
カイは静かにそう言い、オレの言葉を待った。
「まず生存確認。彼は生きています。現在も。問題は、場所」
そこで言葉を切ったオレに先を続けるようにとカイは無言のまま促す。
先の反応を考えるというのに勇気がいる。
「場所は伝説の浮遊大陸『シリス』」
予想通り、気まずい沈黙が部屋に満ちる。
カイの眼差しは明らかに疑いの眼差しで、その態度は不信感に満ちているようにしか見えない。
ううっ。失敗かぁ。
彼は軽く座りなおし、ひとつ息を吐いた。精神を落ち着けるというか、気分を切り替えるかのように。
「ヴィール、そういう話を聞くのが嫌いと言うわけでもないし、君の調査を疑うわけでもないが、幸か不幸はそういった類の『お話』を良く耳にするもので、少し疑い深くなっているのだ」
そう、それはまるで小さな子供に言い聞かすようにカイはにっこりと笑ってさえ見せながら言った。
目はこれっぽっちも笑ってなかったし、最初からそれほど信用していたわけではない分の余裕が笑いの中に見える。
オレはひとつ吐息をこぼし、ちょっと話をすることに決めた。信憑性がこれでもっと下がるか運良く上るのかのどっちかだろう。
「少し、『お話』を聞いてくれますか? カイ」
カイは快く頷いた。
「むろん、かまわない。今日は幸いにして1日開いている」
今日は単純な一時だけのお忍びではなかったらしい。王様がいいのだろうか? 政務はどうしているのだろう?
オレは一つ咳払いをしていつの間にか前に置かれていた縁を砂糖で飾ってあるグラスを持ち上げた。
中身はベネスと呼ばれる甘めの海草酒だ。その液体は澄んだ青い色をしている。
オレは半分ほど飲んで、またテーブルに置いた。
「そう、きっと少し長くなる『お話』」
オレはそう言いおいて口を開いた。
「オレがはじめてその事実を受け入れなくてはならなかったのは、まだ一年も経たない過去のこと。魔王が滅んでまだ一年はたってないですからね。亡き母の友人であるご婦人が教えてくれたのです。『魔王エダスこそ母君にあだなした敵である。その想いを踏みにじった愚か者』とね」
そう緑の貴婦人はそう言った。あくまで穏やかにすべきことを諭してくれた。
「オレの魔王退治はただの仇討ちだったわけではなかった。そう、問題はそこにあった。魔王エダス。オレが殺すべき相手と伝えてくれたご婦人はもう一つ教えてくれた。『魔王エダスは貴方が殺すべき貴方の父』とね」
オレはベネスをもう一口飲んで彼の反応を覗き見た。いくらか省いてある事はあるが嘘ではない。
「それから?」
彼は静かにそう言い、先を促した。
思い出すのは濃厚な緑の匂い。
土と花と植物と生物達の生の賑わい。
偉大なる緑の貴婦人。
「オレは正しい事だと当然の事だと取った。死が二人を分かつ事などあって良いはずがなかった。父と母は誰よりも愛しあっていたのだから。二人は死のうとも共に在るべきなのだとあの頃のオレは思ったし、ためらいはしなかった。少なくともその婦人の元にいるころはね」
話の途中で大事な友人ビノールがねこけてしまっていたのは微笑ましい思い出。
「オレの知らないうちに婦人が先に一緒に来ていたオレの友人をメリクに送り出してしまった事だけが不満だったな」
「何の疑問も抱かなかったのか?」
実に不審げで妙に拍子抜けした声がカイから洩れた。
オレは気持ちよく頷いた。普通オレ達の種はそういう状況に疑問は抱かない。抱く暇すらない。若い命が生き残ることこそ優先。殺さなければ自らの死を招くのだから。
親殺しは種の継続のための力の移行なのだから。
カイは軽く左右に首を振った。
「信じられない。なぜ疑問も抱かずにすんなり実の父親を殺そうと判断できるのだ? それとも実の父ではない可能性もあったのか? ただ母親を裏切った存在だと」
オレはカイの瞳を見据え答えた。
「疑問は抱いていない。最終的に手にかけたことも後悔していないし、実の父だったからこそ手にかけなくてはならないと思った。他の者に殺されるよりよっぽどね」
カイは黙って首を横に振った。オレは軽く状況を理解しがたく思っているらしいカイに微笑みかけた。
「婦人は母の同族で父は別の種だった。オレは母の血の方が濃く、ためらいはしなかった。姉に嫌われたことは辛いけれど」
暗にオレの種の感じ方なのだと説明する。
この世界には数多くの種族が存在する。王である以上全てとはいかなくとも多くの種の在り方を知っているだろう。触れ合いからか知識からかは知らないが。
オレはまた息を軽く吐いた。
ためらいはしなかったけれど悲しくなかったわけではない。苦しくなかったわけではない。感じたその瞬間にこそ、その感情を理解できなかったものの今はその時の感情が悲しさであり苦しさであることを解っている。
また、『父を殺せ』と言われてもできないだろう。あの空虚感を、あのぽっかりと開いた寂しさを感じたいとは思えないから。
「カイ。オレはドラゴン族なんだよ」
さすがにカイは驚いたようだった。
ドラゴン族は希少種と呼ばれる種族だ。
いることはいるが多くは多種との交流を嫌うと見られている。(それは嘘だ。どうせ関われるのならば、ばれずにこっそりとという流儀が主流のせいだ)
「ドラゴン種族、には初めて会う」
カイは驚きが過ぎ去ってしまうと、隠す気もないらしく、その好奇心をあらわにオレの姿を頭の先から見える範囲を眺めた。
「出会っても気がついてないだけかもしれない」
オレがそう言うとカイは明るく笑った。事実、シンにも会っているのだ。
シンは葉竜族『葉芯』の部族の少女だ。
「そうかも知れないな。ドラゴン種は自分の親を殺すことにためらいを持たないものなのか?」
当然の疑問なのか、その質問に対してオレは軽く首を横に振る。
「いや、肉親の情はあつい方だろうな。子が殺されようものなら荒れ狂うだろうし、その結果大陸が焦土と化そうが気に留めまいよ。親の仇を忘れるものでもないしな」
絶句したカイを眺め見ながらオレはグラスに残ったベネスを飲み干した。
カイは軽く髪をかきあげ、苦笑を漏らした。
「それは少し、困るな。活力ある大陸は重要なる生活の場だ。そうだ。ひとつ聞いておきたい」
取り敢えずオレは気軽に頷いた。
「知っていたのか? ドラゴン族は人より高度で高密度の情報を所持していると聞くからな」
高密度で高度な情報って?
オレがカイの発言の意味を思考している間、カイはただじっとオレを見つめていた。
「あーっと、カイの本当の名前と地位のこと?」
カイは軽く頷いた。
オレは正直に答えた。
「ああ。知っている」