侵略王の依頼
オレは少し後悔しているのかも知れない。
次の客はカイザー・ブライン・フィッターだと知っていれば、ミゲルを追い払うような事はしなかったものを。
予測を立てていなかった自分が憎い。
カイザー・フィッターは王である。
この大陸は若き王者カイザー・ブライン・フィッターに統治されている一大大国だ。
こんなもん普通はこんな裏路地のあやしげな店には来ないものである。
しかも開店間もない知名度皆無のはずの店に。
今回の客の正体に信天翁は気がついてはいないらしい。
カイザーは優れた王だ。
知識の発達を好み、適度に慣習を重んじ、適度に新し物好きで、何よりも生活苦からの犯罪者がでないような国造りを目指し、その目的のためには一時的な苦難すら厭わず甘受する。
確かに嫌な噂も流れている。
冷酷で気まぐれ。反対意見には耳を貸す事のない独裁者。
確かに、目的のためには手段を選ばないその性格は手段だけ見ているとそういう印象を与えるものかも知れない。
「予約がいると聞いていたが、かまわないのか?」
カイザーの言葉にオレは笑みを浮かべる。
営業用スマイルも堂に入ってきたものだ。
「他に依頼やお客人がいらしている時ならお断りしていたと思いますが、今は丁度依頼が切れておりましたのでお会いする事にしたのです」
彼はつまらなそうに『ふぅん』と洩らし、信天翁が用意したお茶入りのカップを持ち上げ、香りを軽く楽しんでから口元へと運ぶ。
今回のお茶の銘柄は『花姫香茶』知る人ぞ知る高貴な香り高きお茶だ。
「失せ物捜索が得意だと聞いた。何年も前から行方の知られぬ物でも捜せるものか?」
彼の問いかけにオレは心の中で首を傾げた。
彼は望むのなら世に在るものならどんなものも進呈される立場にある人間だ。
それこそ春の花が見たいと冬の最中に洩らしてもきっとそれは叶うはずだ。
その彼が得難いもの?
この時点までで彼は自分の立場を表明していない。
その自分の立場を隠したいか、依頼が隠しておくべき内容なのか。
「捜索に年数は問いません。そこに与えられる情報が正しければ見つけられるものです。たとえどんな状況にあろうとも見つける事だけなら。破壊されてようと姿を隠されてようとです」
オレの言葉に若き国王カイザーは物思いに沈んだとわかる眼差しでカップの中の液体に視線を落とす。
黒に近い灰緑色の髪、同色の瞳。薄闇の青い地味な装束(羊毛を織り上げたものっぽい)に身を包み、安物風に作ってあるカップを傾ける様はどこか物悲しい。
オレの所有する『闇の瞳』をもってすればどれほど隠蔽された事実でも明らかにする事は容易い。
この場で彼の望むものをあてる事も。
「ハーティー・ブレス」
カップを卓に戻し、彼はひとつの名を口にした。
『ハーティー・ブレス』
奇妙な重みすらもって形作られた名。
「18年前ほんの一ヶ月から二ヶ月間このタウフィに滞在し、その後の行方は不明。性別は男。髪は灰緑がかった黒で当時は短かったらしい。おそらく瞳も同色。背はすらっとした長身で周囲に対して興味をあまり持たない男だったらしい。18年前で20代半ばから前半。今は30代から40代はじめだろう。それとももしかしたら外見は変わらないのかもしれない。彼を捜してほしい。手掛かりはそれだけだったと思う」
つらつらと語られる情報群。
一つの事に気がついて、ついオレは不用意にその言葉を口にした。
「もしかして貴方のご父君殿ですか?」
この時、ひどく『父』という存在にオレが敏感になっていたせいもある。
そして、それは彼もまた同様だった様だ。
彼は鋭い敵意ある眼差しで瞬間、オレを睨み、すぐに目をそらした。
「なぜ、そのような考えを?」
今までよりずっと冷たい声。その声には不快感と敵意が混じっている。若き国王カイザー・フィッターが私生児なのは有名な話だ。
オレは気まずい雰囲気をくずせればと咳払いをした。
「いえ、なんとなくです」
彼が口にした外見・特徴はかなり彼自身の特徴と重なっている。
髪の色然り、瞳の色しかりだ。
「人探しは、苦手か?」
静かな口調だがその中には挑みかかるような響きが隠されている。
かなり機嫌を損ねたらしい。
「いえ。失せ物捜索が本業ではありません。よろず相談受付け所として登録営業させていただいているのですから、当然、人探しも致しますとも」
ランプの火がゆっくりと揺れる。
彼の口元に意地悪そうな笑みが見える。
「そのわりにはミゲル・クランッツアーの依頼は断った様だが?」
オレは苦笑した。
「オレの事が知りたければ直に訪ねてこられるとよいのです。つまらない情報収拾は注意しなければとんでもない勘違いを呼びますよ」
きっとミゲルはメリクの街に行って知るべきを知っていたんだろう。その上もしかしたら専門も違うのかもしれない。例えば遺跡発掘あたりが専門かもしれない。
少なくとも彼は本当の依頼人ではなかったようだ。金にはなったかもしれないが。
信天翁が水晶球を中央に置いた銀の燭台をもってきた。
棚の上にはすでに色とりどりの蝋燭も揃えられている。
「よろしければ別室でお食事をいかがです? ちょうど昼食時です」
「ええ。お言葉に甘えさせていただきます。ところで、あれはなんですか?」
運ばれてきた銀の燭台とロウソクを眺め、彼は問いかけてきた。
「あれは捜索の手掛かりを知るための占いの下準備ですよ。さぁ、こちらです」
その占いという単語を聞いた時の彼の表情は実に意外そうだった。オレが占いを行なうということが不思議だと言わんばかりに。
隣室もまた外光の侵入は有り得ない部屋。
ただこの部屋は遠慮なく明るい。
たくさんのランプとろうそくがそこかしこに置かれ、ガラスや鏡が光を反射させているせいだ。
鼻孔をくすぐる香草の香り。焼きたてのパンに、温められたミルクの匂い。
給仕の少女シンがテーブルにパンのつまったかごやスープ皿を並べている。
銀色の髪をみつあみにして紺のドレスに白いエプロンというメイド姿の少女はオレ達が入ってきた事に気がついてにこやかに笑い、軽く頭を下げた。
「もうしばらくお待ちくださいませ。まず、食前酒をお持ちいたします」
シンが細々と立ち働く間にオレは彼に椅子を薦める。
白いテーブルクロスにきらめく銀器。
「オレはヴィールといいます。よろしければ貴方を呼ぶ名を教えて下さるとなにかと都合が良いのですが」
「カイ。カイ・ローウェンだ」
ためらいがちに紡がれた偽名。
お互いに丁寧さと無礼さが混じりあったしゃべり方だがどちらも幸いにして指摘はしない。お互いにこれまで名乗りあわなかったというのもある意味すごいのだが。
オレは随分となれた営業用スマイルでもう一度椅子を薦めた。
「カイ殿。と、お呼びすればよろしいのでしょうか? それともローウェン殿と?」
シンがもってきた食前酒を受け取りながらオレはカイに尋ねた。
「ただ、カイと。カイと呼んでもらおう」
そう言い、カイはシンの持つお盆の上の食前酒を眺め、少しきつめのリンゴ酒を手に取った。
ちなみにオレの手の中にあるのはちょっと白濁した白桃酒だ。
「では、カイ。貴方がよろしければこの依頼は請けさせてもらいます。依頼内容の確認を。ハーティー・ブレスなる人物の捜索。で、よろしいですね」
カイが頷くのを確認し、オレは言葉を続けた。
「では、捜索のための情報を幾つかお聞きしますので不都合がなければお答えください。しかし、今は食事にいたしましょう」
献立は川魚と野菜のスープとラクダのミルクからつくったヨーグルト、焼きたてのミルクパンに森木苺のジャムだ。
一般家庭から考えると昼食にしてはけっこう豪華。
ただ、予算の都合というものを感じさせるのはスープ。
水上都市タウフィは川魚が取り敢えず安価で、獣の肉並みに脂がのっていて食べごたえがある。他に安価なものと言えば、大陸を渡り歩く遊牧民から買い付ける羊やラクダの肉やその乳。
ラクダは乾燥にも強いので乾いた土地を、草地を求めて移動する遊牧民の最後の移動手段や食料にもなる。ちなみにラクダのミルクを発酵させたものに新鮮なミルクを足した飲み物は結構おいしい。
それを飲んでみて以来、ラクダの乳製品はけっこうオレのお気に入りだ。これは魚に比べると安価と言っても高価な品だ。ラクダの乳製品はウシの乳製品よりはもちろん、安価だ。
オレはパンをヨーグルトに浸しながらカイに質問をはじめた。
「まず、彼の名前はハーティー・ブレス。間違いありませんね。偽名、もしくは愛称の可能性は?」
彼はリンゴ酒を口元に運び、一口飲むと少し思案した。
「愛称や偽名の可能性はありうる事だろう。彼に関して確かな事など何もありはしないのだから」
オレはヨーグルトに浸したパンを味わいながら少し彼自身の父に思いを馳せた。
彼の中に流れる血流より探索する方が何よりも早い気がするからだ。
「探し出して、どうなさるのです? お会いする事が目的ですか? それとも知っておきたいだけ?」
彼はその言葉を噛みしめているようだった。
諦めまじりのため息。
「今は知りたいだけだ。後の事は後で考える」
全てを押し殺したかのような言葉に聞こえた。だからオレはただ頷いたのだ。






