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  作者: とにあ
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カイザーの死







 人の姿をしたビノールは淡い緑のドレスを身に纏っていた。こげ茶色の髪を半分結い上げ、玉や絹のきれいな飾りをつけ、うっすら化粧もして。


 美女ぶりになお磨きをかけた姿だ。ビノールはカイザーの最期をみとり、今、帰ってきたのだ。

 ビノールはてきぱきと自分を飾り付けた。

 カイザーの亡骸に最期の挨拶をしに行くためだ。

 カイザーは女性の姿のビノールに恋をした。だからビノールはカイザーのためだけに着飾って彼に会いに行く。死の寸前とその後に僅かだけ彼の恋は報われたのだろう。

 アノス兄さんもジュンガを連れて一応挨拶に行くらしい。オレも行こうかと言うと皆に止められた。子供の行くべきところではないと言われて。

 だからオレは行く準備をしているビノールを見ている。

 ビノールはシンとケリアスに手伝ってもらいながら紅をつけたり、金の耳飾りをしたりと努力している。室内は甘い花の香りが漂っている。香木が燃えているせいだ。


 オレはお茶を一口飲んだ。苦い。



 友達になりたかった。カイザーともっと話をしたかった。と、言うと兄さんは首を横に振った。


「人の子の寿命などたかが知れている。ほんの一時だ。共に生きる事の出来るのは。もし同じ魂を持つ者にであっても、その者は友人でありし者とは別なのだから、空しいだけだ。寂しいだけだ。再び友愛を得られる保証などないのだから。特にカイザーのように運命が定めた寿命のひどく短い者などは……」


 兄さんはそう言った。


 だがそれでオレは後悔しないのだろうか。悔やんだり、思い出して嫌な想いをしたりしないだろうか? 確かに人の寿命などドラゴン種や精霊種からすればぐっと短い。人の多くは100年という短い時間すら生き延びる事に苦労を強いられる。


 多くの人が90の年を迎える前に寿命がくるものなのだ。

 力ある者は長く生きる。1000年2000年と容易く。我々ドラゴン種はこの世界の始まりから居るのだとさえ言われている。半分は事実だ。三人のドラゴンだけが確かに最初からいた。

 『混沌』と『時間』と『知識』のドラゴン。今は異界へと消えてしまった『力』と『調和』の龍族。

 彼らのうち『混沌』だけが死を迎えたが、他の『時間』と『知識』は今も生き続けているのだ。

 それほどにオレ達ドラゴン族寿命は長い。長い。長いのだ。普通のドラゴン族ですら2000年は軽く生きる。どんな下等種のドラゴンでもだ。

 確かに雑種と呼ばれる多種族との混血の中には1000年に満たぬ寿命の者もいるが希か、血が薄いかだ。

 そして、純粋なドラゴン族と言えぬまでもオレの時間はまだ始まって間もない。だが、いずれすべてを知る日がくるのかもしれない。

 すべてに退屈し、何も感じない日が。それほどに『皇』に与えられる時間は長い。他のドラゴン族よりも遥かに。


 死は終りであり、新たなる始まり。生ある限り滅びはくる。必ず。



 そんな取り留めのない事を思いながらオレはぼんやりと支度に忙しいビノール達を見ていた。

 あらゆる死がある。安らぎの眠りも、永久の苦しみも。死してなお、魂を引き止められる事すら。オレもせめて祈ろう。せめてカイザーの魂が迷わず来世の扉を叩けるように。なるならば来世が幸せの時となるように。


 出かけてゆくビノールを見送って、オレはのんびり窓の外を眺めた。




 街は変わらず動いている。




 タウフィの街は今も活気に満ちている。


 この街を愛した若い国王の死はこの街に何の変化ももたらしてはいない。今のところ表面上は。

 路地を駆けているエリコが不意に上を見上げ、手を振った。オレに気がついたらしい。

「よぉ! 久しぶりっ!」

 元気いっぱいの少年はそのまま駆けていくのかと思ったら、玄関を指した。

「なんだい? エリコ」

「入るぜ!」

 エリコはそう言って玄関に飛び込んだ。エリコの姿が視界から消える。

 階段を駆け昇るエリコの足音が聞こえる。そしてシンの叫び声。

 エリコは間違いなくオレのいる部屋へ飛び込んできた。埃まみれ泥まみれのまま。そのすぐ後ろにシンが駆けつけてきた。

「ヴィール。話があ、って、え?」

 最後まで言えずエリコはシンに吊り上げられた。

「お話より、その汚れまみれの姿を何とかする方が先ですわ。まぁ! これ油汚れでしょう? もうっ!」

 信じられないとばかりにシンは眉をひそめている。

 確かに廊下や階段の惨状を想像するとぞっとしない。

 エリコはシンに持たれながら腕を組んで見せた。何か考えているらしいがあんまりいい予感はしない。

「じゃ、一緒にはいろーぜ。ヴィール。そしたら話も出来るしさ」

 あっかるく言うエリコにオレは首を横に振った。

「お断りだ」

 また、たわしで洗われてはたまらない。アレは痛かった。

 そんなオレの様子にエリコは軽く肩をすくめてからシンの手から器用に逃れ、オレの方へ来た。

「まぁ。そー言わずにさっ」






 オレは結局また一緒に入浴する事になった。エリコにしがみつかれ、オレも汚れたからだ。シンは問答無用でオレの事も浴室へ追い立てた。

 たっぷりのお湯はオレにとって最高の遊び場だ。エリコさえいなければ。

 布に樹液と蜂蜜を混ぜたものをたっぷりつけてエリコはオレを手招きした。

「ほら、チビドラゴンになれよ。洗ってやるからさぁ」

 たわしではないらしい。ほっとしたオレは不用心にもドラゴン形態になった。遊べると思ったからだ。

 エリコはオレのつやつやのしっぽを掴まえてぬめついた布をオレの背中(両翼の間の狭い部分)に押し付けた。そしてそのままこともあろーか、オレの翼を片手で軽く併せ持った。

「暴れんなよォ」

 エリコはそう言ってオレのお腹や翼をやっぱりちょっと乱暴にこすった。まるで近所の犬かなにかを洗うかのように。

「ほんと、ドラゴンの時のヴィールってちまっちいよなぁ。仔猫か、仔犬かって大きさだもんな」

 そう言ってエリコはオレのお腹を掻くように撫でた。別に気持ちよくなんかないぞ。オレは犬じゃないのだから。

 ちょっとした意思表示にしっぽを大きく振る。逆効果だったので二度としないと誓ったけど。

「きもちーのかぁ?」

 嬉しそうにエリコは言った。オレはしばらく好きにさせておいてから口を開いた。エリコはそれほど楽しそうだったのだ。

『で、何の話だ。エリコ』

 ドラゴンの姿で言葉を操ると少し声の調子が変わってしまう。発声形態が違うのだから当然だが。

 エリコはオレの背を撫でながらゆっくりと下を見た。

「あのさ、国王陛下が戦死なされたこと知っているだろ?」


 オレは仰向けにされた状況で首を縦に動かした。今エリコはいじいじとオレの首を撫でている。

 エリコは吐息を吐くと続けた。


「つまり、国が分れるって事。まだひとつの国としての意識は薄いから特に簡単。民族意識、種族意識の方がまだ強く残っているもん。おれが今逃げてるのはおれの一族から。おれは一族の長になんかなりたくない……」

 つまり、エリコを追いかけていた者たちの目的はエリコを一族の長へと仕立て上げたいという訳だ。そのわりにはやけに乱暴な気もするが。

 そうやって言葉を紡ぐエリコからは生来の陽気さが失われている。

『なんなら、オレのところにこのまま居着くか?』

 つい、オレはそう言っていた。


「え?」


 エリコがきょとんとオレを見下ろす。そろそろ体が痛いのだが、エリコはまだオレを仰向けにしたまま抑えている。

『このタウフィにでも、ただ、オレの傍にでもどちらでも。エリコなら歓迎する。と、こ、ろで、そろそろ解放してくれないか?』

 エリコは心持ち慌てて手を離した。解放されたオレは床の上で体を伸ばし、強ばりかけていた首を旋回させる。

「それって、」





 心持ちうわずったエリコの声。感動でもしてるんだろうか?







「おれに男妾になれってことっ!?」





 あんまりにも予測外の言葉にオレは床を滑って湯船に落ちてしまった。大きな水飛沫があがる。

 ぬるめのお湯がオレの全身を心地好く包んでゆく。ところでエリコはなんて言ったんだっけ?



 オレはお湯の中を泳ぎながらエリコの発言を思い返した。




 『男妾』




 おとこのめかけ。




 もちろん、オレにその気はなかった。

 そんなふうにまとめていると、ざばり。オレは音をたてて引きあげられた。しかも、エリコは、オレの自慢のつやつやしっぽを掴んで引きあげたのだ。

「じょーだんだって。じょーだん」

 エリコは明るく屈託なく笑った。それからようやくオレを逆さ吊りにするのをやめて抱きなおした。

「あーあ。どーせならカイザー王も後10年ぐらい生きてくれていたらなぁ」

 エリコはそう言ってオレをお湯の中に沈めた。逆さ吊りでないと言ってもしっぽをしっかり掴んだままでだ。

 ひどく無礼だと思うが面白いからよし。

『いい加減にしないか?』

 オレは体を無理に曲げてエリコの顔を直視して要求した。

 要求は受け入れられ、オレは解放された。

「わりぃ。たぶん、ちょっとまいってるんだ。親しかったものがみぃんなさ、おれをお飾り頭首にしようとすんだもん」

 意外にエリコは人気者らしい。もしくは先を楽しみに思っている者が多いのか。



 オレはそう思いつつ、エリコを見た。





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