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護国の鬼  作者: 水沢佑
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七章 血と炎の空中戦〜志布志沖海戦・前編〜

 攻撃部隊が鹿屋基地を出撃して一時間ほど経った。すでに日は中天高く昇り、低空を進む無数の深緑の翼が陽光と海からの照り返しを受けてきらめいている。幸運なことに雲は少なく、まず快晴といえる天候であったため陣形は大きく崩れることもなく進撃を続けている。それでも周りを見渡して雑然とした感がぬぐえないのは、やはり速度も運動性能も違う多数の航空機の集団であるからだろう。

 「さて、彩雲の情報が正しければそろそろ見えるはずだが……」

 コクピットの中で高原がつぶやく。周りを見回してもそれらしい影はなく、ほかの機が見つけた様子もない。

 部隊はまっすぐ敵に向かわず一度東の北よりに進み、40分ほど飛んでから南に変針した。あえて手間をかけたのは、そのまま東南東に進むと朝日に向かって飛ぶことになり、会敵位置によっては敵の迎撃戦闘機が太陽を味方につけてしまう恐れがあったからだ。

 それでも敵が予想外に近かったこともあって満載の燃料にはまだ余裕があるが、時間をかけると錬度の低い編隊が崩れる危険性があり、それ以上に長時間緊張を持続させることは精神衛生上よろしくない。さっさとすましてしまいたい、というのが正直なところである。

 とりあえず、諸々の心配はどうやら杞憂に終わりそうだった。先頭を飛んでいた直衛隊の零戦が激しく主翼を振っている。バンクというこの行動は何か異変が起きたことを示しており、周囲の機が連鎖的にバンクを振りはじめ、そして高原も見つけた。

 右舷前方はるか遠くに、胡麻粒のような機影が望見できる。その影は近づくにつれ数を増し、五十近くまで拡大した。哨戒の戦闘機がいるということはすなわち近くに機動部隊がいることを意味する。高原は自身もバンクを振ると、操縦桿を引いた。

 操縦席の後ろから酸素マスクを取り出し、装着してスイッチを入れる。新鮮な酸素が肺に流れ込む。その冷気が自分の体内の熱さを感じとらせ、高原を苦笑させた。どうもみな勘違いしているようだが、「鉄仮面」高原と言えど、戦闘のときは当然緊張もすれば興奮もする。文字通り仮面をかぶって覆い隠しているだけなのだ。

 最初に勇躍して動き出したのは熟練のパイロットたちで、新人の搭乗員たちは彼らが突如動き始めたのを見てあわてて追従した。直衛隊八十機は二隊に別れた。五十機は篠原中尉が直率してまだ見ぬ敵機動部隊を目指し翔ける本隊の護衛を続け、中澤少尉率いる三十機が来襲する敵戦闘機群と相対した。

 敵はアメリカの主力艦載戦闘機、魔女ことF6Fグラマン・ヘルキャット。数は約六十機、中澤隊の実に二倍を数える。だが、ここで敵を食い止めなければ本隊の後方から追いすがられ、前方に待ち構えているであろう機動部隊の直衛隊と挟撃されてしまう。必死の覚悟とともに、巧みな機動によって太陽を背にすることに成功した彼らは、満を持して戦闘に入った。


 その間に本隊は高度を三千まで上げ、艦隊の捜索を続ける。それほど遠くにはいないはず。その推測は見事に当たり、彗星の一機がバンクを振って発見を伝える。前方の海面に長大なウェーキと……上空に無数の胡麻粒も発見した。

 「空母が4……大型と小型が2隻ずつか……それに戦艦か?戦艦が2……重巡が6……あの2隻やけに大きいな……超甲巡級の大型重巡ってあれのことか?……それに軽巡と駆逐艦が20から30……か。相変わらず堅い輪形陣だ」

 高原がその戦力を冷静に分析している間にも、ウェーキの群れは近づいてくる。そして胡麻粒の群れも急接近してくる。高原攻撃隊らが緩降下に入ると同時に篠原戦闘機隊は旋回、上昇し、艦隊の直上を守る敵戦闘機群に向かう。こちらも二倍近い数の差で、中澤隊と違い無力な本隊を抱えているため圧倒的に不利である。それでも彼らはひるむことなく、雄叫びの代わりにエンジン音をとどろかせながら真っ向から組み合った。

 たちまち空戦域は炎と煙の狂騒に包まれた。さながら優雅にして苛烈な剣舞のようだ。敵の足並みが乱れたためか零戦得意のドッグ・ファイト持ち込むことに成功し、煙を引いている機はわずかにF6Fのほうが多い。とはいえ、量的劣勢は簡単には補えない。

 血みどろの空戦域の上を、本隊は篠原隊の十機に護衛されながら強引に突破する。足の遅い旧式機はF6Fに喰い付かれ、次々と煙を引いて落ちていく。だが、高原らに彼らを救うすべはない。ここは彼らが時間を稼いでいる間に数センチでも機動部隊に近づくべきなのだ。

 突如左翼の天山隊が崩れた。雲の中から30機ほどの魔女が現れたのだ。あっという間に2機の天山が落ちていく。本隊に張り付いていた加藤飛曹長率いる零戦隊が熊に立ち向かう猟犬よろしく雄々しく食らいつく。だが、数はわずかに9機、あまりに数が少なすぎた。10機ほどが加藤隊の必死の防戦をすり抜け、高原隊めがけて突っかかって来た。

 軽快さで鳴らす零戦とはいえ腹に750キロもの荷物を抱えていては回避のしようもない。たちまち避けそこねた機が燃料タンクを貫通されて爆発し、あるいはパイロットごとコクピットを粉砕され操縦者を失って降下する。

 さらに一機が射線に捉えられ、撃墜されそうになったまさにそのとき。

 「なに!?」

 そんな声が聞こえそうな挙動で、零戦を狙っていたF6Fはあわてて逃げ出す。無抵抗の兎を狩るように鈍重な攻撃機を追い回すのに夢中になっていた彼は、高原の操る零戦が無言のうちに後背に迫っていることに気がつかなかったのだ。

 高原にとって、恥も外聞もなく回避行動をとるF6Fに機銃弾を撃ちこむ機会は十分にあったはずだ。だが、彼は撃たなかった。正確には、撃てなかった。

 「くそ……機銃の一門でもあれば逃がしはしないものを」

 そう、高原機には機銃が搭載されていないのだ。

 攻撃機は少しでも身を軽くして動きやすいように、また物資節約のためでもあるのだろうが、不要なもの一切を取り払っている。機銃や機関砲はもちろん、無線装置、意外にかさばる照準機、さらには操縦士を守る装甲板も撤去され、対戦闘機戦闘に対しては完全に無防備である。

 要は高原ははったりをかまして首尾よく敵を追い払ったわけであるのだが、いわばこれは手品のようなものであり、手品は種がばれた瞬間から手品たりえない。

 それでも高原はよく戦い、逃げた。零戦の能力を限界まで駆使して魔女たちを翻弄した。一度など機をわざと失速させて機銃の射程をはずすという芸当まで見せた。

 零戦はよく村正の名刀にたとえられる。名人にその操縦桿を握られたとき、その力は想像を絶する。高原はまさしく名刀の柄を握った達人だった。

 高原にとって不運だったのは、敵の指揮官がたった一機の零戦に翻弄されていることに業をにやし、部隊の総力を挙げて高原機を追いまわしにかかったことだった。高原ほどの技量の持ち主であれば二機や三機程度なら後れをとることはなかったし、腹に爆弾を抱えていなければたとえ数十機の敵機に攻撃されても切り抜けていただろう。性悪な黄泉の主はどうあっても高原に敵艦へたどりつかせたくないようだった。

 じつに十数機もの魔女たちに完全に包囲され、高原は覚悟を決めた。

 少なくとも高原の奮戦は相応に報われたはずだ。斜め下に見える攻撃隊、高原がいなければ十分の一以下に数を減らしていただろう。そのことを慰めに、強引に感情を納得させた。いまさらじたばたしても仕方がないのだと。

 そして、せめて翼に一機引っかけて道連れにしてやろうと操縦桿を握りしめたとき。

 左から突進してきた魔女の主翼が突如火を吹いた。もちろん勝手に燃え出すはずがない。あわてて周囲を見渡すと、上空からさらにもう一機に銃撃を加えつつ急降下する機が見えた。翼に大きく描かれた赤い丸、零戦より大型の心持ち丸みを帯びた濃緑の機体。紫電改だ。

 「斉藤!あの馬鹿!」

 口が斉藤を罵倒している間にも、体は無意識のうちに動いていた。斉藤機の乱入によって空いた包囲網の穴に自機を突っ込ませる。追おうとして不用意に突出した一機が斉藤機に機関砲弾を叩き込まれて爆発した。

 特攻機に施された軽量化改造は戦果確認機にも同様に実施されている。特攻機と違い生存することが前提のため装甲板こそはずされていないが、武装など搭載していないはずである。

 「あの野郎……どんな手使って整備長を脅した?」

 高原が見たものが魔法や恐怖のあまりの幻覚でなければ、斉藤の紫電改には少なくとも2門の20ミリ機関砲がついている。命令違反であることは明らかだが、密かに機銃を搭載するなど一人でできる芸当ではない。説得したのか脅迫したのか、とにかく整備員の協力を得たはずだ。

 ちなみにこの改造は、斉藤の泣き落としに負けた酒井司令が整備長に命じ半ば公然と行われていたのだが、高原は知るよしもない。

 斉藤機を討ち取るべく魔女たちが殺到する。一息に葬ろうと多方面から同時に攻撃をかけてきた。彼らの脳裏には周囲から無数の銃弾を受けて鹿児島沖に墜落していく斉藤機が写っていた。だが、直後の斉藤の動きは二重の意味で彼らの予想を裏切った。

 斉藤機が消えた。どこに行ったのか、気づいたときはすでに遅かった。無線を通じ僚友が警告をがなりたてるなか、コクピットごと体を粉砕される。20ミリ機関砲にはそれほどの威力があった。

 戦友がやられたことに憤激した米軍パイロットは各個に斉藤機に襲いかかった。だが、斉藤は動じない。向かい来る銃弾をかわし、頃合いを見計らっては火線を叩き込む。神業にも等しい斉藤の奮戦は、彼の技量だけによるものではない。二千馬力級エンジンを搭載した大型機にもかかわらず、紫電改は零戦並みの旋回性能を見せていた。

 特殊機構その一、自動空戦フラップ。

 本来離着陸用に揚力を調整するためのフラップを空戦中に手動で操作し、旋回性能を上昇させるという試みは一部の熟練搭乗員で行われていたが、これを自動で調整できるようにしたものが自動空戦フラップである。水銀とピトー管を利用し、速度と旋回Gを計測してフラップを自動調整するという、単純だが画期的な装置である。現在、世界でこれを装備しているのは、紫電シリーズとその前身である「強風」水上戦闘機を除けば開発中の烈風艦戦だけである。


 気がつくと、周囲の敵機は消えていた。右主翼の向こうに斉藤機が並び、誇らしげにバンクを振っている。まるで尻尾を振る犬のようだ、と高原は思い、酸素マスクの中でわずかにわらった。もっとも、斉藤への手信号は温和さとは無縁だった。

 『馬鹿野郎!任務があるだろう、さっさと退がれ!』

 『おや?せっかく危機を救ってやったんだ、礼の一つぐらい言ったってばちは当たらんと思うぞ?』

 『はっ、命令違反者につくす礼なんぞない!』

 手信号はそこまで複雑なものではなく、同時に複雑な意思伝達もできないはずなのだが、二人の会話はその範囲を超えている。さすがに一年間扶け扶けられてすごした戦友、以心伝心の仲とは彼らのことをさすのだろう。

 『他人の戦いに首を突っ込むのは勝手だが、深入りして首をかかれるなよ』

 『あたりまえだ!あんな連中にやられる俺と思ってか!』

 『敵さんも同じように思ってるだろうさ』

 二人は風防ごしに顔をみあわせ、にやりと笑った。今度こそ、最期だ。未練がないと言えば嘘になる。だが、互いに相手の負担になるような別れ方はしたくなかった。

 斉藤機はバンクを振ると旋回しつつ高度をとり、後方へと去っていく。そして、高原の目の前には、無窮の海原と鉄壁の艦隊が広がっていた。

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