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護国の鬼  作者: 水沢佑
4/11

幕間 七夕の業火

 「ちくしょう!」

 暗闇の向こう、はるか遠くにうっすらと浮かぶ鯨のような巨体。今夜はじめて手合わせした、確かボーイングB-29だったか。米軍の中で「空の超要塞」という愛称で呼ばれていると噂に聞いたことがある。そのあだ名が的外れなものでなければ誇張ですらないことを、焦りと痛恨の思いをもって実感していた。

 中高度において無類の軽快さと安定性を兼ね備える零戦の「栄」エンジンは、一万メートルという未知の超高高度で本来の性能を発揮しえないでいる。高空の酸素不足であえぐエンジンをだましだまし、叱咤しながら必死に鯨の群れを追う。だが、鯨たちは速かった。低高度で飛んでいるのと変わらない速度で、悠々と目的地へと飛行している。

 「あいつら、なんてエンジン抱えてやがるんだ!」

 酸素マスクのなかで毒づく。すでに編隊は三浦半島の南端をかすめ、富津岬を前方に臨みつつ浦賀水道の上空に入らんとしている。

 このまま進めば、大都市・千葉が横たわっている。六月十日に郊外の日立製作所が爆撃されたが、現在のところ市街地は健在である。そこに、三月の東京大空襲に匹敵するほどの数のB-29が殺到すれば……

 「くそ……このままやらせるわけにはいかねえぞ!」

 後続の氷室曹長機に向かってバンクを振ると、右に操縦桿を倒し、機首を傾けた。


 小笠原列島線に展開された警戒網の警報を受けて館山基地より出撃した迎撃部隊は、大島南沖上空で北上中の編隊を捕捉した。

 正面上方から降下しつつ銃撃を加えた部隊は激しい防御砲火の壁に衝突し、砕け散った。一機も落とすことができないまま、何事もなかったように飛び去ろうとする鯨の群れを、彼らは編隊を解いて各個に追撃した。健在機の集合を待っていては追いつけない。もはや組織だった戦闘は不可能だった。

 三機の僚機のうち本多曹長機は機体を蜂の巣のようにして爆発四散し、長山一飛曹機はエンジンから火を吹いて降下していった。館山に向かったはずだが、たどり着けたかはわからない。

 それでも4機同時に一機に集中攻撃を加え、少なくとも10門以上の13ミリ機銃から放たれる火線に自身も数ヵ所に被弾しながら相当量の20ミリと7,7ミリを叩き込んだ。小型の艦攻ならば翼の端まで粉々になるほどの数を命中させた。

 ところが、落とせなかった。以前にヤップで撃墜したB-17をはるかに凌駕する防御力の前に、零戦の火力はあまりにも無力だった。

 「火力を上昇させた邀撃機の開発を怠ったのは航空本部あたりの責任だが……」

 房総丘陵上空まで迂回し、高度を一万二千にとる。そこに……あった。機が浮揚感に包まれ、加速する。強い気流に後押しされ、機種を北北西へ回した。

 一週間前に館山に赴任したとき、館山空の古参の搭乗員からその気流の存在を聞かされた。その搭乗員は今、大島沖で眠っている。彼の形見を、無駄にはできない。

すでに鯨の群れは富津岬を越えているはず。ぎりぎり間に合うかどうか。

 「お袋と洋子が待っているんだ!」

 千葉の生まれである彼の父親は、海軍士官として空母「瑞鶴」に乗り組んでいた。今家に残っているのは母と12歳の妹。疎開の話が出たとき、母は家を空けるわけにはいかないといって、妹はそんな母を置いていったらかわいそうと、二人とも家を動かなかった。今となってはそんな彼女たちの健気さが恨めしい。他人のことなど知らない、自分の命が大切とさっさと逃げ出してくれていれば、今の苦悩はないのに……

 「見えた!鯨だ!」

 編隊は海岸線沿いに木更津を越え、まっすぐに千葉へと向かっている。予想通りの針路だ。氷室曹長にバンクで敵編隊発見を知らせると、緩降下で加速をつけながら右舷前方へ回り込む。

 『鯨どもの頭を抑え、二時方向、高度差一千から急降下して一機を集中して叩く!よろし?』

 実は、零戦には無線機をつんでいない。ないことはないのだが、性能劣悪なうえに重量がかさむため、たいていの零戦搭乗員は重量軽減のためおろしてしまっている。ではどうしたのかというと、左に並んだ氷室機に対し手信号で伝えるのだ。氷室はこれに微笑しながら敬礼で答えた。それに軽く頷くと、一気にスロットルを押し込んだ。

 鯨の群れの後ろには、数十の雀蜂が群がっている。零戦や雷電、彗星夜戦に陸軍機も出ている。おそらく最後の防衛線として待ち構えていたのだろう。両軍の間で交わされる銃撃は、どこか幻想的な美しさがあった。

 下からは高射砲が盛んに撃ち上げてくるが、それらは無駄だとわかっている。現用の高射砲では八千メートルまでしか届かず、鯨たちのはるか下方でむやみに黒い徒花を咲かせることしかできないのだ。

 そんな無駄撃ちするぐらいなら戦闘機に金回せ、と心の中で味方を罵倒しながら、ところどころに浮かぶ雲を利用して気づかれないように接近していく。

 「よし……行くぞ鯨ども!」

 これまでの数時間に及ぶ追跡劇はようやく報われた。真下に見える一機めがけ、急降下をかける。鯨もようやく気づいたらしく、一門の機銃が発砲したのを皮切りに一斉に火を吹き始めた。

 「遅い!今ごろ気づいたか!」

 たちまち風防の外は紅い火線に囲まれた。時おり鈍い衝撃が走る。だが、急降下に入ってしまえばこちらのものだ。機体が振動し、空中分解しかねないほどの速度をつけた零戦に、敵の旋回機銃はそう当たらない。後ろに氷室機も続いている。振り向いて確認する余裕はないが、殺気がこっちまで伝わってくる。そして。

 四門の機銃が火を吹き始めた。20ミリが、7,7ミリが鯨の主翼の付け根に吸い込まれる。


 ところが、主翼の20ミリ機関砲が突然沈黙した。

 弾切れだ。威力も大きいがその分弾薬が少ない20ミリを大島沖の空中戦で消耗していたことを失念していたのだ。もう少し引き付けてから撃つべきだったかと後悔したが、いまさら引き返せない。めくらめっぽうに7,7ミリを撃ち続ける。

 いよいよ防御砲火の網が緻密になる。ついに翼端から出火した。風防には数箇所に弾痕が穿たれている。とにかく撃ち続けた。一機でも減らす――たとえ命と引き換えにしても。

 ついに鯨のエンジンの一基が炎上し、ぐらりとバランスが崩れる。

 やったと喜んだ次の瞬間、胴体前部に飛び込んだ一弾がエンジンを出火させた。小さな爆発で破片が飛び散り、操縦者の左肩を貫いたが、長時間にわたる戦闘で興奮していた身体は痛覚を脳に伝えなかった。

 そのまま鯨の巨体の横をすり抜け、墜落に近い状態で降下を続ける。朦朧として見上げた目に集中砲火を受け火達磨になった氷室機が映った。

 そこで脱出すれば氷室曹長は助かったかもしれないが、彼はその手段を選択しなかった。そのまま最後まで機を操り、B-29を巻き込んで見事な最期を遂げた。

 そこから彼の記憶はない。気がついたのは館山基地の医務室だった。あとから聞いた話によれば、彼の機はエンジンを止めたまま滑走路に滑空し、蜂の巣の機体で胴体着陸した。そして、基地要員によって彼が救助されたあと、力尽きたように爆発したらしい。

 しかし、彼の脳裏には、燃え盛る故郷の姿だけが、鮮明に残っていた。


 二日後、彼は五○三空の転属と鹿屋基地への進出を命ぜられ、館山を去った。




 1945(昭和20)年7月7日深夜、千葉にB-29爆撃機129機が来襲。三時間にわたる爆撃により、6月10日の空襲とあわせ市街地の七割が焼かれ、都市機能をほぼ喪失。死者は1200人を超えた。後世、空襲を受けた日の暦にちなみ「七夕空襲」と呼ばれる。

当初の構想ではこの話はいれず、所々で回想という形で取り入れようと思っていましたが、どうしても思うように行かず、いっそ独立させてみようと言うことで書いてみました。回想部なのに文字数が前三章と変わらない・・(汗 話が膨らみすぎました。

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