二章 抗議
特別攻撃とは、字義に則った広義の意味では「特別な任務を帯びた攻撃」となる。だが、今日の日本で特攻といえば、第二次世界大戦末期に使用された特殊な攻撃法を指す。すなわち、航空機に積める限りの爆弾を搭載し片道分のみの燃料を積んで出撃し、自らを乗せたまま敵艦に飛行機ごと突入する「神風特別攻撃隊」をはじめとする自爆攻撃である。
「特攻? お前が?」
「そう。俺が」
「俺じゃなくて、お前が?」
「そうだ」
愚にもつかない問答を繰り返したのは、斉藤の受けた衝撃の大きさを物語っていた。
「それで……受けたのか?」
「ああ、受領した。拒否できるようなものでもないからな、これは」
「……本気か?」
「おれは伊達と酔狂で命を捨てられるほど人生を達観していないぞ。やるからには全力を尽くすさ」
高原の口調は朝食に卵がつかなかったことを嘆くのと大して変わらず、つい先ほど「命を捨てろ」といわれたとは思えないほど淡々としていた。
「おい、どこへ行くんだ」
高原の言葉を、斉藤は聞いていなかった。憤怒の表情をたたえ、暗闇のなかを走っていく。この時期、搭乗員の質は開戦時とは比べるべくもないほど低下しているが、それでも目のよくないものをパイロットにすることはない。まして斉藤は幾多の実戦を切り抜けてきた撃墜王である。漆黒の闇も彼の足の運びを危うくすることはない。
やがて、斉藤はある建物の前で急停止した。ドアの横には小さな標識がかかっている。そこには「五○三空司令室」と書かれていた。
五○三空司令官の酒井昭次郎大佐は水雷、つまり魚雷攻撃の専門家で、任官以来巡洋艦や駆逐艦の水雷科を歴任してきた。今年の三月まで軽巡「矢矧」の艦長を務め、五○三空の司令に転属した。そのため司令職にありながら航空に関してはまったくといっていいほどの素人である。だが、そのようなことは珍しくはない。海軍航空の歴史自体が浅いため士官、特に大佐や将官には航空の出身者がほとんどいない。実際の指揮は少佐の飛行長や航空参謀がとるので、トップが航空畑である必要はないのだ。それに、たとえ仕事が事務処理しかないとしても、酒井としては不平のもらしようがない。すでに、日本には動かせる艦がないのだ。
「斉藤少尉、入ります!」
書類整理をしていたらしい酒井に、敬礼もそこそこにさっさと本題に入る。
「大佐、高原少尉、じゃなかった中尉を特攻隊に編入すると聞きましたが」
「ほう、耳が早いな。本人から聞いたか」
「……なぜ彼なんです」
「さあな、私は辞令を渡しただけだ。当然、その前に本人の意思を確認しているが」
酒井には斉藤の言いたいことがわかっている。わかっていてあえてとぼけているのだ。
「高原中尉は前から特攻戦術に対する反対意見を具申しています。特攻に反対の者をなぜ使うのですか」
「貴様はなぜだと思うのだ?」
斉藤を試すような酒井の問いだった。それとわかっていながら、斉藤は最短経路を選んだ。もともと回りくどいことは嫌いなのだ。
「反対者を減らす……こう言わせたいのですか」
「本当のところはわからんがね」
はぐらかしておいてから、酒井はやや表情を改めた。
「まあ、当局にまったくその意図がないとは言い切れんな。だが、この人事にはもうひとつ重大な示唆がある。わからんかね?」
斉藤は少し考え、沈黙をもって問いに答えた。
「わが軍は本土決戦に備え、極力技量優秀な搭乗員を温存してきた。たとえば台湾沖航空戦を戦い抜いた貴様や高原のような、だ。だが当局はその了解を崩してきた。つまり、いよいよ搭乗員が払底してきたということだ」
沈黙をたもっていた斉藤は、口を開いた。一度開くと火山弾を撃ち出す噴火口のような勢いだった。
「ならば、せめて希望者のうちより募るべきでしょう!小官は数度にわたり特攻作戦参加の請願書を提出していたはず。それを経験豊富な搭乗員を失うのは困るといって握りつぶしてきたのは大佐、あなたです。特攻の任には小官が当たり、高原中尉にはその護衛を命ずるというのが妥当ではないのですか!その程度の柔軟性も、わが軍は持ち合わせておらんのですか!?」
斉藤の言には軍批判が含まれており、追及されれば譴責処分は免れない。だが酒井はにやりと笑っただけでとがめなかった。
「そこでだ、斉藤少尉。貴様に重要な任務を与える」
「重要任務?攻撃隊の道案内ならごめんこうむりますよ」
「似たようなものだな」
酒井の説明が進むにつれて、斉藤の胸の奥から理解と驚愕の念がわき起こった。それは特攻そのものよりも壮絶で、辛いものだった。