一章 辞令
昭和二十年七月 鹿児島・鹿屋飛行場
草原に寝転がり、何を見るともなく空を眺めていた高原茂は、自分を呼ぶ声に気づき体を起こした。視線の先には一人の男が立っている。灯火管制の暗闇につつまれて顔は良く見えないが、高原にはその影の持ち主がわかった。
「なんだ、斉藤か」
「となり、いいか?」
斉藤孝助はテニアン配属以来の戦友である。童顔のためか少年と間違えられることが少なくない斉藤だが、実際は高原と同じ十九歳であり、空にあっては歴戦の勇者として獅子奮迅の活躍を見せる。地上にあっても健在のその強引な性格をすでに呑み込んでいるのか、高原は何も言わず、斉藤もことさらに問わない。座り込んだ斉藤はしばらく一言も発せず、高原と紅い空を眺めた。
これは夕焼けではない。太陽なら二時間ほど前に西の地平線に没している。不思議な現象だが、高原も斉藤も、そして見ている誰もがこれを奇特な光景とは思っていない。
「今日はどこがやられた?」
高原がつぶやくように尋ねた。なにが、とは言わなかったが、相手には通じた。
「ああ、都城だけだとさ。今日はやけに少ないな」
「四国沖で出張っていた機動部隊が東に移動したからな、おかげでこっちにまで手が回らなかったんだろう」
「儲けた、といっていいのかな。その分東海や関東が余計に割りを食ってるんだろうからな」
「……だろうな。噂じゃ小田原が空襲されたって言ってるが」
昭和十六年の開戦から三年半が経過し、一時は太平洋の西半とインド洋の東半とを完全に制圧したかに見えた大日本帝国であったが、自らの失策とアメリカ軍の犠牲をいとわぬ物量攻勢の前に転進と称した後退を重ね、十九年の末にはフィリピンの陥落をもって本土に押し込められた。4月には戦艦大和を基幹とした最後の水上部隊が壊滅し、つい一ヶ月前には沖縄が陥落した。日ごと、夜ごと繰り返される空襲の業火は日本全土を嘗め、いまや原型を保っている都市といえば京都や広島など数えられるのみである。2人の会話が暗くなるのもやむを得ない。ふと、何かに気づいたように斉藤は話題を変えた。
「それより、どうしたんだ?酒井司令に呼ばれたきり帰ってこないもんだから、何かやらかしたのかと噂してたとこだぞ」
「別にそういうわけじゃないって。明日付けで中尉に昇進らしい」
他人事のように言う高原の表情は硬い。
「へえ、おめでとう。一足先に昇進ですか、中尉どの」
高原は、しかし斉藤の軽口に反応しなかった。彼の表情は暗闇のため斉藤には見えなかったが、明らかに様子のおかしい高原に、斉藤は怪訝とならざるをえなかった。
「おい、高原……」
「……もう一つ。同じく明日付けで、神風特別攻撃隊に編入が決定した」
斉藤の口が、凍りついた。