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すみこさん  作者: 粗目
9/15

一切誓うな(白井/高虎)

今回のタイトルもWaltz with the Evils様にお借りしています。太宰讃選(17題)の9話目です。


 今回は、白井が高虎に目をつけるまで、です。馴れ初め以前。


 



 

 


 その店は入り組んだ住宅街の中にあった。狭く分かりにくい道を行きつ戻りつしているうちに迷ってしまい、大通りに出る道を教えてもらおうと、どこか声の掛けやすい家か店を探している最中だった。

 助かった、とドアをあけたが、店にありがちなベルの音がない。ドアベルのない店は珍しいな、と思った。

 


「いらっしゃいませ」


 ドアをあけると商売っけのなさそうな同年代の男がカウンターの向こうにいた。白いシャツに紺色のギャルソンエプロンをした男だった。カウンターにはやたらと太った三毛猫がいる。

 平日の午後二時過ぎ、お客の姿は全く無い。

 

「ああ、申し訳ありません。ちょっと道を教えていただきたくて」

「迷われたんですか。どちらに行きます?」

「とりあえず大通りに出られれば……」

「じゃあ地図書きますね、口で説明すると結構ややこしいんですよ。このあたりは古い住宅街で、道を歩いているといきなり民家の庭にでちゃったりするんですよね」


 店長らしき男はカウンターから出てきて電話の脇に置いてあったメモ帖に地図を描き始めた。白井は見るとも無しにあまり装飾のない、レトロ調ともなんとも言いがたい、しいて言えば昔の学校の教室のような板張りの床と白い壁のそっけない店の中を見回し、磨かれたショウケースの中のケーキに目を移した。


「ケーキ、おいしそうですね」

「ありがとうございます。まだ開店したばかりでなかなかお客様もいらっしゃらなくって」

「10個ほどいただいてもよろしいですか? これから得意先に行くんですけど、ちょっと時間に遅れたのでお詫びに持って行きたいんです」

「それはありがたいですけど……大丈夫ですか? 近くだったら自転車使っていってください」

「いえ、平気です。もともと遅れてしまっていて、だからあせって近道しよう、と思ったんですけど…馴れないことはするもんじゃないですね。先方には連絡済みですから、大通りから行きますよ」

「それは大変でしたね。地図はこんな感じです。ケーキは適当にお包みしますか?」

「お願いします。こちらのお店はあなたが?」

「ええ、店主の海藤と申します。一応オーナーですがパティシエも売り子も私一人なので威張れたものじゃありません。この猫は看板娘のすみこさん」


 すみこさん、と呼ばれたのは案の定太った三毛猫で、白井を見て興味なさげにふん、と鼻息を漏らし、再びうつらうつらし始めた。その、お世辞にも一般受けするかわいらしさとは言いがたい、ふてぶてしい様子に白井は目元を和らげた。


「可愛いな」

「可愛いでしょう」


 自慢げに言いながら真は手馴れたしぐさでケーキを箱に入れ、会計を済ませた白井に言葉でも道順を教えた。ああ、良いなあと思った。このところ結婚生活は破綻しつつあり、もう数週間家でまともな会話をしていない。お互い様といえばそうだが、いい加減ささくれてきた心にすみこの泰然自若とした佇まいや、どこか浮世離れしたような真の親切が心地よく沁みた。


 白井がカフェ白菊を再訪したのは、それから二週間後のことだった。今度は部下の失態をフォローしてもらった他部署へのお礼とお詫びをかねた差し入れだ。水曜日の午後四時、相変わらず客はおらず、白井はショウケースの中に残っていた十数個のケーキを全て買い上げた。

 それから月に一、二度白井は店を訪れるようになり、何度かに一度はカフェで時間調整をしたり仕事をしたりしているうち、次第に真とも言葉を交わすようになっていった。 

 


 

 白井が高虎に初めて会ったのは、その年の六月のことだった。



 数日前から梅雨に入り、今日も重い曇り空から今にも雨が降り出しそうな天気だった。

 最近では指定席のようになったテーブルに行くと、カウンターに男が一人座っているのが見えた。珍しくお客のようだ。すっと背を伸ばした姿はきりりと引き締まり、武道を何か嗜んでいるのではないかと思えた。やや頬をゆるめてケーキを食べている姿が少しアンバランスだった。


 真がコーヒーと一緒に出してくれたのはビターチョコレートのロールケーキだ。砕いたナッツがアクセントになっていた。

 むしむしした気候にかかわらずきちんとスーツを着込み、尚ワイシャツの襟元から包帯が覗いている訳を真が尋ねると、白井はこともなげに答えた。


「先週離婚したんですよ。もう結婚なんてこりごりですね、修羅場というのを初めて経験しました」

「修羅場ですか…」

「お互い離婚を望んでいたはずなのに、どうしてなのかなあ……。まあともかくやっと離婚も成立しまして身軽な独身になりましたので、さっさとまた恋をしたいですね」

「結婚はこりごりなんでしょう?」

「ええ。だから結婚しなくて良い相手と。俺、恋をするのが好きなんですよ」


 真は白井の言葉にちょっと鼻白み、結婚しなくて良いっていうと不倫しか思いつきませんねえ、と応えた。


「いや、不倫もね。よっぽど割り切ってないと相手と別れるとかでごたつく可能性があるでしょう。かといって割り切った恋愛なんてしたくないし。何か良い相手、ないですかね」

「うちのすみこさんには手をださないでくださいよ」


 半分本気の声で真が言うのに、白井は「すみこさんは可愛いけど俺のタイプとはちょっと違うんですよ」ときりかえした。ならいいです、と真は頷く。実際、真にとって客の恋愛話など大して興味のない話だろう。

 カウンターの向こうで洗い物をする音を聞きながら白井はぼんやりと、次に恋をするのはどんなタイプが良いだろう、と考える。元妻は頭が良くて野心家だった。結婚生活も契約に基づく共同作業であるという持論で、休日はどこに行くとか家事の分担はどうするとか、全て計画があり、文書化され、実行された。

 白井はそういう妻を愛していたが、共同作業と言う名の味気ない寮生活のような結婚生活ではなく、自堕落な恋愛がしたかった。好きになった相手のこと以外はどうでもいいと思えるような、仕事も家事も二の次にしてしまえるような、計画性など微塵もない無軌道な恋がしたかった。


(ちょっと可愛い感じで、計算高くない、甘やかして上げられる人がいいな。少し涙もろいともっと良い)


 そう言う人を見つけたら、大事に大事に甘やかして、猫をなつかせるみたいに根気よく腕の中に囲い込んでしまおう。と白井はぼんやりと夢想していた。百回も千回も言葉を尽くして愛していることを伝えて……、そうだ、今度はそういう恋をしよう。


 そう思いながらロールケーキを食べていると、カウンターの方から話し声が聞こえた。どうやら客というより友人らしい、真の、白井に向けるのとは違う遠慮のない言葉に聞くともなしに耳を傾けてしまう。


「営業しに来たんじゃないのかよ」

「休憩しにきたんだよ。営業先はもっと大きい会社。これ美味いな、味は濃いのに後口が軽い」

「褒めたってふた切れ目はないよ。さっさと仕事にもどれよ、高虎」


 タカトラ。その古めかしい名前だか苗字だかを白井は耳の端にひっかけてはいたが、その時はなんとも思わなかった。高虎は、その後も何度かカフェ白菊で顔を見かけたが、親しく話すような間柄にはならず、むこうはカウンター、白井はテーブル席で、たまに目が会うと会釈をする程度だった。

 






「恋もしないままにもう年末ですよ。どうしてくれよう」


 白井は珍しくカウンター席に腰を下ろした。

 十二月も半ばを過ぎ、文房具卸の会社はクリスマス商戦にはそれほど積極的には関わりがないが、それでも年末なのでそれなりに忙しい。離婚に伴う作業や仕事の忙しさにかまけたまま、気がつくと離婚から半年近く経つ。

 白井は、とりあえず付き合っている相手は居るにはいたが、まだ恋を出来ずにいた。


 今日は金曜の夜、ノー残業デーで本当に残業が無い、という奇跡のような日だ。大手を振って定時過ぎに帰れる。それで飲みにいくなりすればいいのに何故か白井は出会いなど微塵もなさそうなカフェ白菊に来てしまった。

 案の定、閉店間際の店には真とすみこしかおらず、ショウケースの中も空っぽだ。

 カフェは綺麗に掃除まで済ませてあることに今更ながらに気づいた。

 


「…ああ、すみません。店閉めますか?」

「いえ、うちはクリスマスに向けて忙しいですからね。暫くは夜中まで仕事です。それに、今日手伝いにくるはずの男も待たないといけないので、まだ店を閉められないんです。ゆっくりしていってください」

「ありがとうございます。手伝いってバイト雇ったんですか?」

「アルバイトは考えているんですけど、今のところ手は足りてますしね。これからくる男は、白井さんも何度か店で顔を合わせてるので知ってるかもしれません」

「あ、『高虎』さん、ですか」

「そうです。藤堂高虎っていって、私の幼馴染なんです」


 真はちょっと唇をゆがめるようにして笑った。苦笑のような、仕方のなさそうな笑み。そんな顔をさせる理由がふと知りたくなって白井が言葉を接ごうとした時、店のドアが盛大に開いた。


「聞いてくれよ真、俺どうしたらいいのかわかんねえ」

「うるさいよもっと静かに入ってこい、あとお客さん居るんだからちょっと遠慮しろよ」


 店に飛び込んできた高虎は、白井の二つ隣の椅子に座ると頭を抱え込むようにうつむいて、あああー、と魂まで追い出しそうなため息をつく。

 白井がなんとなく横目でそんな高虎を眺めていると、カウンターの隅にいたすみこがよいしょ、と立ち上がり、白井の前を素通りした。そして、高虎の肩に乗り、頭を二度三度踏みつけ、反対側の肩からカウンターへ下りた。


「……えぇ?」


 今見たものが信じられない。人間の頭をわざわざ踏むすみこもすみこだが、おとなしく踏まれている高虎もどうなのだろう。けれどカウンターの向こうにいる真は見慣れているのかなんのリアクションもなく、高虎の前に形の悪いケーキの乗った皿を出した。


「真、どうしよう。ボーナスが思ったより少なかった…」

「また何か無駄遣いしたのかよ」

「無駄遣いじゃない! どうしても、どうしても欲しかったものを買ったんだ……!」

「じゃあ別にいいじゃねえか。後悔するなよ」

「このままじゃ俺は冬の間中米ともやししか食えない」

「……この馬鹿」


 カウンターに額がつきそうなほどうつむいた高虎は、子供のように低く頬杖をついて、片一方の手でフォークを掴んで行儀悪くケーキを食べた。

 白井はなんとなく、高虎から目を離せなかった。


 今度恋をするのなら、計算高くなくて少し頼りなくて甘やかさせてくれる人にしようと思っていた。元妻とは全然違う人間。そして結婚しなくても良い相手。そんな相手を見つけたら、自分はきっと恋に落ちるだろうと決めていた。

 そんな、『都合の良い』恋を手に入れたいと思っていた。

 


(あれ?)


 なんだかもしかして、目の前の人が『そう』かもしれない。

 そうでなくてこんなに目が離せずにいるはずがあるだろうか。この人をもっと困らせて泣かせて、それから無茶苦茶に甘やかしたい。 

 

「……うわ」

 

 白井は小さく声を上げた。自分の頬が赤らむのを感じた。こんな、傍に座っている白井を振り向きもしなければ多分その存在に気づいてもいないだろう相手に、自分が恋をしたのだと知った。

  


 

 どうしよう。この人を手に入れる為になら、なんだってしてしまうだろう。

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