幸福とは? (白井/高虎)
今回のタイトルもWaltz with the Evils様にお借りしています。太宰讃選(17題)の8話目です。
登場人物
白井啓介(32)…去年のクリスマスは仕事してた。当時付き合っていた女性とはそれが原因で別れた。
藤堂高虎(35)…去年のクリスマスもカフェ白菊で働いていた。包装を失敗してすみこに踏まれた。
今度はね、結婚しなくても良い人を好きになろうと思って。
白井のその言葉を聞くたびに高虎の身は竦む。理由は分からない。
けれど皮膚を通り越して肉を通り越して内臓に鋭い刃物が触れた感じ、重くて冷たい金属を押し当てられたひやりとする感じ。
あ、刀で切られたらこんな風なのかな、と高虎は思う。
痛いわけではない。白井の言葉に痛みなど感じない。
男同士だから結婚は出来ないし、思い通りになって良かったなと思うだけだ。結婚しなくても良い人間を『好き』になって、手に入って良かったな、とまるで他人事みたいに思うだけだ。
でも白井がそう言うたびに、思う。
もう分かったから黙っててくれねえかな。
□ □ □
今日もすみこの足の裏の感触が気持ち良い、と高虎はため息をついた。
体重の所為もあって動くのが嫌いで、普段から外を出歩かないすみこの足の裏はふわふわとしている。ふわっと踏まれて、むにゅ、と感触を感じて、ぐいーと体重をかけられ、ぺた、と離れていくのがたまらないのだ。そこらのマッサージでは得られないヒーリング効果がある。
少し頭の上で止まっててくれたらもっと気持ちいいなあ、と思っていたのだがすみこは通り過ぎるだけでカウンターの向こうに行ってしまった。
それを見届けて体を起こすと、カウンターの向こうで呆れたような苦笑で真が「踏まれ賃」と珍しく形の整ったケーキを出してきた。丸太の形をしたチョコレートケーキ、ビュッシュ・ド・ノエルだ。直径が10センチ程度の小さなものだが、切り株が乗っていたりメレンゲで作られたと思しき小さな白いきのこが生えていたりと手が込んでいた。
「今年のクリスマス用。ホールケーキだと小さくても二、三人用になるからもてあますけど、クリスマスにカットケーキは寂しい。てお客さんに言われたから、一人用でもそれなりに格好のつくビュッシュ・ド・ノエルで作ってみた。題して、おひとりさまのクリスマス」
「題するも何もそのまんまだろ! そんな名前付けて売るなよ、誰も買わないぞ」
「売るときは普通にビュッシュ・ド・ノエルで売るよ、馬鹿だね。ロールケーキの芯を何にするか悩んでるんだよ。サクランボのシロップ漬けと、苺の砂糖煮と、カラメリゼしたヘーゼルナッツ。とりあえず均等に置いたからどれが一番良いか選んでくれ」
「同じサイズの三つ作ってくれても良かったのに」
「もう三十五になった友達のメタボっぷりを心配してやってるんだよ。お前、今はいいけど四十過ぎていきなり太りだしたりしたらどうするんだよ」
「太らねえよ。親父もお袋も甘いものばかばか食ってるけど太ってねえもん、遺伝だよ。いただきます」
真の言うように三つの芯が三センチくらいずつ分けていれてあった。それだけではなく、生地にしみこませた洋酒も違うので、スポンジも切り分けられている。わざわざ三つのロールケーキをチョコレートクリームで一つのケーキのように仕立てていたのだ。
幼馴染のこういうわけのわからなさを、高虎は嫌いではない。
「これこのままでも良いんじゃねえの? 三つの味が楽しめてお得」
「それでも良いんだけど手間が掛かりすぎてな。クリスマスケーキは他にもホールタイプのをこれの大きいのとあわせて三種類作るし、いつものケーキも種類は減らすけど焼くから」
真が悩んでいるというだけあって三種類はどれも甲乙付けがたい。結局、さくらんぼとヘーゼルナッツの二種類を焼くことになり、苺は小さなドーム型をしたレアチーズケーキの中に入れることになった。
綺麗に食べ上げた皿の上に「相談料」と真はクッキーを二枚乗せた。底の見えてきたカップにコーヒーも注いでくれる。
いつにないサービスに、何か厄介ごとでもあるのかと高虎が真を見上げる。尤もこの幼馴染は厄介ごとも悩み事も、本当に深刻なものは高虎に相談したりしないし、多分他の誰にも言わない。いつも一人で抱え込んで一人で処理をするのだ。全部終わったあと、何かの拍子に「そういえばこんなことがあって」みたいな話をすることはあるが、真が話さないことは高虎も知らない。
「どうしたんだよ。クリスマス人が足りないんだったら手伝おうか? ラッピングとか箱詰めとか。接客は仕事があるから出来ないけど」
「ああ、お前の手伝いはもう予定に入ってるから。20日から、仕事が終わったあとここに来てくれ」
「本人に了承を得るまで保留にしておけよ!」
「今年は新が年末進行とやらで手伝えないし、シド君だけじゃ手が足りなくてな。知らない臨時バイトを入れるのも怖いし。24日の夜まで入れとは言わないから」
「あ、いいよ。24日の夜入っても。25日が土曜日だから昼まで寝てられるし」
「……今年は予定があるだろ」
「無いよ」
「あ、そう」
「いや本当に。白井はクリスマスあんまり好きじゃないんだってさ。24日は人が少なくなるから残業してるって言ってた。ただでさえ男二人でクリスマスってのもしょっぱいし、白井と二人ならここにいる方がいい。すみこさんもいるし」
「すみこさんが唯一の女っ気てのもどうかと思うけどな。じゃあ24日もあてにしてる」
「あてにしてくれ。そんで? 何かあったんじゃないのか。こんなサービス」
「クッキー二枚でサービス言われてもな。それは端っこのほうがよれたから売り物にならないんだ。別に何もないよ」
「ふうん」
「……寒くなってきたからすみこさんの調子があんまり良くなくてな。獣医には、特に悪いところはないから、暖かくして、食欲がないときは無理に食わせすぎないようにって言われた。まあしょうがない、すみこさんはもう十七年生きてるからな、猫としては大分長生きだ」
あ、これは。
高虎はひやりとしたものを感じた。
これは、もしかして人生初めての、真からの「本当に深刻」な話だ。
高虎が受験そっちのけで無線部の活動に明け暮れた(なにしろ部員が五人しかいなかったのだ、仕方ない)三年生の、卒業間近の春に真が拾った小さな猫。長らく真の祖母、幸恵の飼い猫だったすみこを、真はこれ以上ないほど大切にしていた。飼い猫だって十年以上は長寿だ。それは個体差も大きいだろうけど、飼い主がどれほど心を傾けているか、ということも大きいと高虎は、真とすみこを見て思う。
真がどうしてもすみこを死なせたくないと、傍にいてほしいとあまりに強く願うから、すみこは十七年も傍にいてくれているのだ。
けれどもこの「本当に深刻」な話は、高虎には受けとめきれなかった。少し、唇を歪めてなんでもないことを聞いたように笑う。
「……大丈夫だよ。真、毎年そんなこと言ってるけどな。夏になれば暑くて心配、季節の変わり目は風邪でも引かないか心配って。すみこさんは今日も元気に俺を踏んだじゃないか。そろそろ尻尾が二股に分かれてないか心配するほうが先だと思うぞ、俺は」
「実はそれはもう確かめた、去年」
「どうだった?」
「嘘だよ。馬鹿だね。長く生きた猫が猫又になるなんてそんな御伽噺、いまだに信じてるのか」
「すみこさんならあるだろ。お前と二人っきりになったら喋りだすんじゃないか? 本当は」
「すみこさん、足拭きマットがまた踏まれたいって言ってますよ」
「踏まれたいんだけど、そろそろ会社戻らなきゃ」
「ああ、じゃあな」
ひらり、と真が手を振る。コーヒー代くらい払っていけ、といつも言う癖に今日はそれもなかった。半端な笑顔で手を振り返しながら高虎は、会社へ戻る道をとぼとぼ歩いていった。
□ □ □
「俺はなんて駄目な奴なんだ! 真の、初めての! 深刻な話をきちんと受け止めてやれなかった!」
「まあそう自分を責めないで。パンケーキでもどうですか」
「食う」
掌大のパンケーキが皿になだらかな丘を作っていた。今日は残業で何も買えなかったから、と言いながら白井が作ったパンケーキは普通に美味かった。蜂蜜とバニラアイスクリームを乗せて食べたら最高だった。夕飯を済ませたというのに、つい二枚、三枚と食べ進んでしまう。
それをテーブルの向こうでコーヒーにブランデーを入れたのを飲みながら、白井が眺めている。残業続きで疲れているのは本当らしく、目の下は少し隈ができているし、白目は僅かに充血していたし、それを言うならこうして会うのは十日ぶりだった。
白井から電話が掛かってきた時高虎は居酒屋で一人食事をしながら今日の反省会を開いていたのだが、『俺の家で反省会をしたらいいじゃないですか』と言われなんとなく頷いてしまったのだ。
そして高虎が反省会をしている間に白井はスーツを脱いで室内着に着替え、パンケーキを焼いた。
「すみこさんが猫又になってくれたら、真も安心するんだけどな」
「あんた本当に可愛いこと言いますね」
からかいを滲ませて白井がそんなことを言うのは慣れたので、高虎は三枚目の最後の一口を食べ終えながら「うるさい」と睨むに留めておいた。白井は少し笑みを浮かべたが、疲れた笑顔だった。
「ところで、24日は空けておいて下さるんですよね」
「は? なんで。お前忙しいって言ってたじゃん」
「今の店長の話を聞いて心を入れ替えました。来年どうなっているのかなんて分からないですし、日本のクリスマスらしく恋人と過ごすのが正しい在り方かと」
「真の店手伝うから忙しいんだ。お前も最初の予定通り仕事してろよ」
「店長の店に攫いに行きますよ」
「男二人でクリスマスなんてイタい真似はごめんこうむる!」
「性別はどうあれ恋人同士には違いない」
「お前の『恋人』って、軽いというか嘘くさい」
「あいにく重いですよ」
法律で束縛されたくない『から』好きになった『恋人』のどこが?
睨み付けた高虎の視線の先、白井が少し困ったような顔で笑った。
「あんまり重たいので自分でももてあましてしまいます」
「嘘付け」
「……パンケーキ、明日レンジして食べると良いですよ。今包みます」
立ち上がってキッチンに行き、皿に乗ったパンケーキをラップで包む。高虎はもやもやした気分のまま、しかし家主に追い立てられて居座るわけにもいかずにコートを着込み、玄関で靴を履いた。
さっさと帰ってしまおうと思ったのだが、玄関で高虎に追いついた白井にパンケーキの入った紙袋を渡されてしまった。
憮然とした顔で受け取る高虎に苦笑して、白井は紙袋を渡した手をそのまま高虎の手に乗せた。
そのまま手を引き摺られ、身をかがめた白井の唇が高虎の掌に口付けを落とした。
手をもぎ取るようにして、高虎は白井の家を出る。
玄関の外に出て道を歩きながら何故だか高虎は、白井がいつまでも玄関で立っているような気がした。
結婚しなくて良い相手だから。
そんな理由で巻き込んだくせに、今日の白井は酷く理不尽だ、と高虎はむかむかする胸をもてあました。
幸福とは?
(いずれ失くすもの)(だからこそ、愛おしくて大切で、憎らしい)




