胸には必ず季節の花を (女性と真)
今回のタイトルもWaltz with the Evils様にお借りしています。太宰讃選(17題)の7話目です。
日曜の午後二時。準備しておいたケーキや少しの焼き菓子も粗方片付き、シドもバイトを終えて帰っていった。この時間になると大概カフェ白菊は、すみこと真だけになる。真の趣味で店に音楽なども流していないから、人が途絶えれば店の外から音が聞こえるばかりの静かな昼下がりだった。
「すみこさん、こんないい天気の日は酒を飲みながら家でだらっとしていたいですね。ちょっと冷えてきたからさらっとした甘い飲み口のをぬる燗にするのがいいな」
つまみは洋ナシのクランブルかなにかで。
人間が聞いたら大反対にあいそうなことだが酒も甘味もたしなまないすみこは、この店で一番日当たりの良い窓際のテーブルの上で寝転がったまま尻尾を一つ振って返事に代えたが、どうでもいいんじゃないの? と言った顔をしている。
早く店を閉める気になった真は、数個残ったケーキは帰り道にまとめて高虎に渡してしまおうかと思ったが、先々週同じことをして、チャイムに応えて高虎の部屋から白井が出てくるのに会ったことを思い出し、今日は止めよう、と思いなおした。
高虎が男と寝ようが立看板にプロポーズしようがどうでもいい真だったがそれでも、いかにも今の今までしてました、というけだるい風情で上半身にシャツをひっかけただけの知り合いと、幼馴染の部屋で会いたくなんてない。
白井が悪びれもせずばつの悪い顔もしないで、真に向かって店で会うような爽やかな笑みを浮かべてみせるから、なおさらだ。
馬鹿で落ち込みやすいあなたの足拭きマットは、どうやら悪い男に首まで浸かってしまっているようですよ、すみこさん。
真がひとりごちながら、このケーキどうしよう、と思った時、店のドアが開かれた。
ふわ、と膝下のフレアスカートが揺れた。臙脂色に少し赤を足したような色だが派手でも強すぎるようにも見えないのは、クリーム色のブラウスや黒と見まごうような深緑のストールなど、色のバランスが良い所為だろう。
真はバランス感のあるセンスの装いの女性が好きだから、思わず顔が綻んだ。服のバランスに負けず顔も、少し寂しげだが整っていて、秋にふさわしい女性だと思った。胸元にスカートと同じ色の小さなコサージュをしているのも古風で好感を持てた。時分の花というのなら山茶花か寒椿、あるいは木瓜かもしれない。
「いらっしゃいませ」
「ここにあるケーキを全ていただけますか?」
「はい、お持ち帰りのお時間はどれほど」
「いえ、こちらで頂きます」
真の作るケーキは大きすぎるというほどでもないが、それでも残っている八個全てをここで食べ切るというのだろうか。
しかし修行していた店でもたまにこういう女性は現れた。何かいやなことでもあったのかふんぎりをつけたいのか何かで、大皿にケーキを盛らせ、食べるのだ。たいていは一個か二個、三個目の途中まで食べられればいいほうで、やっぱり持ち帰ります、と言い出す。
今回もそういうことだろう、と真は一人合点して、注文されたケーキを大皿に盛り、ケーキ皿や食器、それにポットの紅茶一式とともに、すみこの居るテーブルの一つ手前のテーブルに座った客の前に持っていった。
女性はぼんやりとすみこを見ているような、窓の外を見ているような、ぼんやりと定まらない視線をしていた。あごのあたりで切られた髪がさらりと頬を掠めていくのを時折指で耳にかきあげる。
秋に物思いにふける佳人か、いいねえ、と真が内心鼻を伸ばしながらテーブルセッティングを終えると、女性は少し微笑み礼を言って、タルトタタンに手を伸ばした。
佳人?
真は己の目を疑った。
女性が取り分け用のカトラリーを使わずに手を伸ばしたところで変だと思ったのだが、そのまま手づかみで口に入れるとは思ってもみなかった。しかも豪快だ。タルトタタンは一分もしないうちに女性の口の中に消えた。
ふぅん、と満足した猫のような息を漏らし、女性は唇の端で微笑んだ。
「林檎をじっくり焼いているんですね」
「はい。オーブンですが、四時間掛けて焼いています」
タルトタタンを作る時は半日オーブンはこれにかかりきりだ。地味な菓子で材料もシンプルだが、まともに作ろうと思うと時間がかかる。それだけに評価されると嬉しいものだがしかし、女性は一分も掛からずに、殆ど噛まずに食べ上げた。
丸呑みで味なんか分かるんですか。などという暴言は、仮にも客商売だ、するものではない。
複雑なものを飲み込んだ真の前で女性は八個のケーキを悉く撃破し、合間にポットに入ったカップ二杯半分の紅茶を飲み上げた。
「大変おいしゅうございました。白井君がひいきにするお店だから間違いは無いと思ったけど、想像以上でした」
「ありがとうございます。白井さんのお知り合いでしたか」
「ええ、元妻です。高橋亜由美と申します」
この目の前のしとやかそうな女性があの?
高虎から、床に包丁のささった跡があるだとか窓ガラスを三回取り替えたらしいとか壁に穴があいているとか散々聞かされた、あの「修羅場の妻」?
思わず真がまじまじと見詰めると亜由美は首をすくめるように、恥ずかしそうに笑った。白井と同じ年と聞いていたがそういう仕草をすると子供っぽく見え、なおさら信じがたく思えてくる。
「これからも寄らせていただきますね」
「ありがとうございます、でもあの、白井さんも良くいらっしゃいますが……」
今の白井の恋人もだ。
それは口に出せずにただ白井の名前だけを出すと、ああ、と気の抜けたような声で応じた。
「もう別れた人ですし、私も他の人と再婚してますから。白井君も再婚したんでしょ?」
「いえ、もう結婚はしないと仰って」
今は男と付き合ってます、なんてとても言えない。
真好みの女性であるから色々打ち解けたいのに、真には言えないことばかりが増えていく。
けれど真の言葉を聞いて亜由美は少し嬉しそうに笑った。
「あら、白井君ったらそんなことを言っていたの。まあ、あの女好きのくせに独占欲の強い男が、いつまで独身貫く気か分からないけど少しは懲りたのかしらね」
懲らしめたんですよね、あなたが。
真は心の中で呟いた。
すみこが大きくあくびをして、腹を出して寝転んだ。
女性は笑みを残したまま店を去った。ほんの三十分前までと同じ状況に戻ったわけだが、先ほど感じた長閑さなど、もう微塵も残っていなかった。
白井もつむじ風のような男だが、元妻はさながら木枯らしだ。あんなに綺麗なのに。真はつくづく残念だった。あんなに綺麗なのに人妻でバイオレンスで木枯らしだなんて、あんまりだ。
あまりにあんまりだったので、真は嫌がらせのように高虎の携帯に電話をかけた。よく考えなくても真が嫌がらせをするというより十中八九、真が嫌がらせをされる側になるだろうに、そこまで考えていなかった。
『もしもし? 高虎さんは今取り込み中です』
「……白井さん…」
『あれ、店長さん。どうされたんですか。高虎さん今風呂ですけど、急用だったら呼びますよ』
人の携帯を勝手に取るのはどうかと思う。俺だから良かったもののほかの人間だったらどうするんだ、と真は思ったが、二人の仲を知らない人間だったとしたら、普通に考えて男の電話に男が出たからといって邪推はしないだろう。
つまり事情を知ってる分だけ俺が損してるって訳だ。真はぐったりと思った。
「白井さん。今店にあなたの元妻が来ましたよ。てあなたに話したくて電話したんです。俺あなたの番号知らないですし」
『亜希子さん? へえ。あの人甘いもの全然食べられないのに何しに来たんですか』
「食べてましたよ、ケーキ八個。殆ど丸呑みで」
『まさか』
「本当ですって。すごくお綺麗な方でしたよ、ちょっと寂しげな風情がまた」
『寂しげ? 泣き黒子があるからそう見えたんでしょうか。華やかな顔立ちの人だと俺は思ってましたけど』
「泣き黒子なんてなかったですよ」
『背が170cm程度で、いつも高いヒール履くからそれ以上に見える女性ですよね』
「いえ、160㎝あるかどうかで、黒い革のバレエシューズ履いていらっしゃいましたけど」
『……誰ですかそれ』
「……誰なんでしょう」
かみ合わないまま高虎が風呂から上がってきそうだと白井はさっさと電話を切った。元妻の名前を名乗る知らない女よりも今の恋人優先らしい。元妻ではない、とわかった時点で興味を失った、とありありと分かる口調で「不思議なこともあるもんですね」といわれて切られた。
一人で取り残された真は仕方なく電話を切り、誰も話を聞いてくれる人がいないのですみこに尋ねた。
「すみこさん、あの人誰だったんでしょうね」
すみこは熟睡していた。
うららかな晩秋の、日曜の昼下がりのことだった。




