知ることは幸福であるか (シド/新)
今回のタイトルもWaltz with the Evils様にお借りしています。太宰讃選(17題)の6話目です。
登場人物
海藤新…29歳。漫画家。コーヒーは布フィルタ派。
新見シド…19歳。大学生。どちらかというとコーヒーより日本茶派。
前回までのあらすじ。
エログロホラー漫画家海藤新にモデルを依頼され断りつづけて早半年の新見シド。このまま断り続けていけばいつか話も立ち消えになるだろうとたかを括っていたシドだったが、新が無断で自分をモデルに漫画を描いていることを知ってしまった。殴りに行ってくる、と新の住居までやってきたシド…。
☆ ☆ ☆
漫画家の住居といったらすごくぼろいアパートか超豪華マンション(一戸建て)に相場が決まってるんじゃないか?
新見シドは真から渡された住所の通りに歩いた先にあった、アパートとマンションの中間のようなクリーム色の三階建てに目を遣った。長方形の建物の真ん中に階段がついて、左右に一戸づつ部屋がある良くあるタイプの集合住宅。シドが住む学生向けのワンルームよりは上等だろうが、あまりにも普通で、新のイメージにそぐわないし、なにより漫画家が住む家という感じがしない。
まあ、シドには新以外に漫画家の知り合いなどいないので、あくまで勝手なイメージだったのだが。
そして今まで新に対して抱いていたイメージもまた、今日の新を見て揺らいでいるのだが。
(なんか、嘘ばっかり付かれてるみたいだな。俺)
勝手にイメージを抱いていたといわれればそうだが、それこそ勝手な失望を感じてシドは暫く集合住宅の前に立ち、三階にある新の部屋まで上がるべきかどうか迷っていた。大体、モデルを了承したわけではないのに勝手に描かれたといえばそうだが、本来ならば新はシドに断る理由などないのだし、第一とっくに掲載されてしまった漫画を今更どうにかできるはずがない。せいぜい新を殴って憂さを晴らすくらいしか鬱憤を晴らす方法はないが、あいにくシドは平和主義だ。シド・ヴィシャスもセックスピストルズも愛しているが、ロック魂の根底にはいつだってLOVE&PEACEがあるのだと信じたい。
(…それに、チャゲアスは俺のスタイルじゃないし)
やっぱり帰ろう。何故か怒りよりもどうしようもなく落ち込んでいる心をもてあましてシドは目を伏せて踵を返した。
うちに帰って夕飯作ってビールでも飲んで寝よう。
そうだ、こういうときはアルコールだ。酒弱いけど。
なんかうまいもの食おう、料理下手だけど。
考えれば考えるほど落ち込んできて、シドは深いため息をついた。
このまま踵を返して負け犬みたいにとぼとぼ帰って狭い部屋で不味い飯食って寝るだけの人生か? 頭の中で、21歳で夭折した彼のカリスマが問いかける。
(しょうがないんだよシド、俺はあんたみたいに無茶苦茶な生き方なんて、絶対できないからこそ憧れてるんだ。)
ああでも今ここで逃げ出したらもう絶対新に問いただすことは出来ないだろう。多分カフェで新に会うこともなくなるだろう。
そう思うと揺らぐ。揺らいだ気分のまま立ち止まり、つま先をどちらに向けるべきか迷い、迷った挙句に再び足を戻して、一気に三階分の階段を駆け上がった。
ぴーんぽーん、と間が抜けたチャイムの後少し待って、留守なのか、とシドが思い始めた頃、こげ茶色の玄関の向こうにひっそりと気配を感じた。金色の小さな飾りの中に隠されている魚眼レンズを覗き込むようにすると、また暫く待たされてドアが開く。
「やあお待たせ! 今原稿が良いところだったので」
「嘘つけ。玄関であけようかどうしようか迷ってただろ」
「………入れば。玄関先で殴られたくないし。というか殴るならピアスは外させて欲しい」
確かに唇の端のフープピアスは、殴ったら被害を拡大させそうな代物だった。狭い廊下の一番奥にあるリビングは、間仕切りを除けば広々とするのだろう。大分居間スペースに侵食しているラタンの間仕切りの向こうは仕事場のようで、部屋の中央に古いオフィスデスクが二つ向かい合わせで並び、窓際にも一つはなれて置かれていた。壁はぎっしりとラックが置かれていて雑然とした雰囲気だったが、片付いていた。
新は居間の、椅子が二客あるだけのこじんまりとしたテーブルに案内して、自分は背を向けて台所に立った。
「一昨日までアシスタントさんが来て、原稿終わったら片付けもしてくれたんだ。今は一応見られる部屋になってるけど、普段はもっと汚い。コーヒーで良い? 兄貴の淹れるのよりは美味いの飲ませるよ」
「店長のコーヒーだって別に不味くはないですよ」
「そこらへんのハンバーガー店のコーヒーと同レベルだろ」
そう言われてしまうと、正直言って真の淹れるコーヒーはファストフ-ド店の、100円で飲めるコーヒーと大して変わらないと思っていたシドは沈黙せざるをえない。布フィルターでコーヒーを淹れる新の背中に、いやでも店長の真価は菓子だし、と心の中で反論していた鼻先に、客用碗で出されたコーヒーの良い匂いが届く。
確かに美味かった。酸味がさほど強くない、苦味は利いているが後味は軽い。
「……へえ」
「漫画の件は申し訳なかった。どうしても新連載のネタが出てこなくって未承諾のまま描いてしまいました。シド君そのままという訳じゃないんだけど、やっぱりシド君に似ているんだ。あ、一寸待って今ピアス外すから」
「いや、外さなくていいですよ」
「まさか流血期待? 血を流さないと満足できないとか」
「ちがくて。殴るつもりは、そりゃそのつもりで来たんですけど……あ、住所は店長に教えてもらいました。一発殴ってやらなきゃと思ってたけど、なんかここまで来る間に頭が冷えたというか、どうでも良くなりました。殴ったって怒ったってもうどうしようもないし」
「いやそうやって諦めちゃ駄目だろ!」
「いっとくけど悪いのあんただから」
「そうでした、申し訳ありません。いやじゃあお詫びになんかさせて。あ、漫画読む? シド君が納得できないシーンはコミックスになる時に修正するとかするよ、せめて」
「……いいっすよ。腹立つけど、ほんとむかつくけど、お願いされたって絶対モデルになんかならなかったし、俺がモデルしないでも描いたってことは俺に似てるだけのキャラクターってことでしょ?」
「……シド君が大人すぎてお兄さんは寂しいです」
よろ、とわざとらしく足元をふらつかせて新は自分の分のコーヒーをマグカップに入れ、作業部屋に行って雑誌を数冊抱え、改めてシドの向かいに座った。
テーブルの上に乗せられた雑誌三冊あって、全て本屋でレジに並ぶのが恥ずかしくなるような表紙だ。
「一応、短期集中連載で、この三号で一つの話が終わったんだ。アンケートの結果が良かったから次号からも継続して描くことになったんだけど……読んでくれないか」
「今、ここでですか」
「俺もプロだから目の前で読まれるのが恥ずかしいとか言わないよ」
(恥ずかしいのは俺なんだけど)
シドはそう思ったが、差し出された漫画を「じゃあ家で読みます」と持ち帰りたくもない。巻末の目次で新の漫画の頁数を確認して読み始め…、最初の頁で挫折しそうになった。あまりにもシドに似すぎている主人公が転校先の高校で…というか最初の頁から飛ばしすぎだ。シドの愛読する少年漫画など、コミックス一巻分を費やしても話が殆ど進んでいないことなどザラなのに。
内容も内容だ。シドはなまじ似ているだけにいたたまれず、顔を赤くしたり青くしながら漫画を読んでいたが、この人どんな顔をしてこんな漫画描いてるんだろう、と思わずちらりと新を見た。
すると、目の前で読まれるのも恥ずかしくない、と言ったくせにやはり恥ずかしいのか、新はシドにわざと視線を向けず、心持ち赤い顔で新聞を読んでいた。
(やっぱ恥ずかしいんじゃないか)
けれど新が恥ずかしがっているのを見てシドはなんとなく落ち着き、自分に似た主人公が色々痛い目やイタい目に合うのを案外平静な目で読むことができるようになった。一号目を読み終え、二冊目の雑誌を手に取る。
そのうち気づいた。内容はとても口に出せたものじゃないが、主人公をさまざまな手段でなぶるグロテスクな化け物がシド似の主人公を深く愛していることに。モノローグも台詞もすごく少なくて分かりづらいが、怪物なりの愛情表現なのだ。三冊目の雑誌を読み始め、三十二頁の漫画を読み終える頃には、シドは新が何を思ってこの漫画を描いたのか、分かった気がした。
新の顔は相変わらず赤い。
目は新聞を向いたまま、シドには向けられていない。
ぎゅっとヘの字に結ばれた口から、小さな、ふてくされた声を搾り出した。
「好きになって、ごめん」
十歳年上の男が、とても可愛いように見えてきて、シドは困った。
ガラス窓の向こうから、ひたひたと夜が押し寄せてくる。昼間にはこんなこと想像もしてなかったのに。
どうしよう、とシドは思った。
知ってしまった今、それが幸福であるかはどうあれ、知らなかった時には戻れないのだ。
とりあえず、かたくなにそらされたままの新の目が自分を向けばいいのに、とシドは思った。




