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すみこさん  作者: 粗目
4/15

白馬驕不行(ハクバオゴリテユカズ) (白井/高虎)

今回のタイトルもWaltz with the Evils様にお借りしています。太宰讃選(17題)の4話目です。


   登場人物

藤堂高虎…35歳。サラリーマン。不幸な男?

白井啓介…32歳。サラリーマン。悪魔?




 白井啓介は24歳で結婚した。相手は大学時代から付き合っていた女性で同級生だったが院に進んだので結婚当時まだ学生だったし、結婚してからも学生だった。院生から研究生になったのだ。学生結婚という言葉にはなにやら特別な雰囲気が漂うが、二人とも成人を過ぎているので別に誰からも反対されることなくすんなりと結婚した。

 白井啓介が離婚したのは31歳の時だった。妻が研究員から講師になった翌年のことだった。大学の准教授と結婚したいから別れてくれ、と言い出したのは妻のほうだったし啓介も別に異存はなかった。彼にも当時付き合っている女性がいたからだ。

 しかし双方離婚を望んでいてもこじれる場合はある。

 白井啓介の離婚に至る道のりは、半年以上掛けて前人未到の山を登るが如しだったという。


「まあ、拗れた理由は今でも分からないんですけど」


 離婚して一年が過ぎた今、そう白井啓介はのたまう。理由は不明だが長引き縺れた離婚協議の間に開いた壁の穴は適当に板を打ち付け本棚で隠され、割れた窓ガラスは新しいものが入っていたがフローリングの刃物傷はそのままだ。

 親から相続した一戸建てだったので、賃貸の保証に関わる面倒な遣り取りがないのは助かった、と白井は爽やかに笑う。


 悪魔だ。


 白井の笑みを見て、藤堂高虎はそう直感したという。その直感は高虎にとって間違っていなかったことは、後々数々の逸話で証明されることになるが、それはまた別の話だ。




    ☆   ☆   ☆

 

 

 高虎は玄関の前で途方にくれていた。キーリングに通しておいたはずの雑多な鍵の中、家の鍵だけが無いのだ。車の鍵や貸金庫(プレミア物のガンプラを保存)の鍵まであるというのに家の鍵だけ無いとは面妖な話だった。


「ええと、鍵をなくしたらJAFだっけ…」


 呟きつつ携帯を出したがJAFの電話番号も知らないことに気づく。ようやくじわりと焦りが出てくる。残業してしまったのでもう午後九時過ぎだ。一晩泊めてくれる友達の心当たりは何人かいるが、なるべくならこれから押しかけて迷惑を掛けたくはないし、何より失くしたのは家の鍵なのだ。どこかに落としたのならまだ良いが盗まれでもしていたら、部屋は無防備なまま放置されてしまう。


(俺のガンプラ……!)


 最近はアニメグッズなどを盗んで売り捌く輩もいるという。大事な大事なガンプラが盗まれネトオクにかけられでもしたら、死んでも死に切れない、と高虎は玄関の前で悔し涙にくれた。

 まだ盗まれてもいないのに、気の早い男である。



 硬い足音がした。


 女性のヒールとは決定的に違う、男の革靴の音だ。同じ階に住む誰かが帰ってきたのかと高虎が顔を上げると、思ったよりも間近に悪魔の顔が見えた。


「また泣いてるんですか」


 その言葉を嬉しそうに言うのは何故だ、と高虎は思ったが、深く追求してはいけない気がして受け流した。本格的に泣いてたわけではなくちょっと涙が滲んだくらいだ、と示すように掌でぐい、と目じりを拭いて高虎は玄関前に座り込んだまま白井を見上げた。


「あのさあ、JAFの電話番号知ってる?」

「番号案内で聞けば分かりますけど、車がどうかしたんですか?」

「車はどうにもしないよ。家の鍵をなくしちゃったみたいだから部屋に入りたいんだ」

「JAFはロードサービスで鍵屋じゃないですよ。車の鍵ならもしかしたら開けてくれるかもしれないけど。家の鍵はこの時間に呼んでも、どうなのかな……、俺の知人は鍵を開けてもらうのに電話してから三時間掛かったって言ってましたよ」

「そんな……! あ、お前俺のうちの鍵持ってただろ! 貸して、じゃなくて返せ」

「持ってませんよ合鍵貰ってないですもん」

「勝手に作っただろ!? 前俺のうちに勝手に入り込んでた時があったじゃないか」

「人聞きが悪い。あの時、高虎さんの部屋の鍵開いてましたよ。無用心ですね」

「嘘だ! 鍵だせよ」

「本当です。ほら、見てください。あんたの家の鍵なんてないでしょ?」


 そういって白井がポケットから出したキーリングは、何故か高虎のものと全く同じ、スイッチを押すと目が光る、小さな緑の蛙のおもちゃがついている。雑貨屋で買えるものだが白井の趣味とも思えない。おもわず腹のところにある小さなスイッチまで押してしまった、両目が光ってとても怖いが、なんとなく可愛くもある。おそろいですね、と白井が囁いたがそこは無視した。

 高虎のものとは違ってすっきりしたキーリング、家の鍵と車の鍵、あとはどこのものとも知れない鍵。三本のどれも高虎の家のものではない。


「そんな……」

「困ってるならうちに泊まりに来てくださいよ。明日も仕事でしょ」

「お前のうちは嫌だ。それに俺のガンプラが盗まれたら困るから今日はここで寝る」

「通報されますよ。もし盗まれていたとしても鍵が使えなきゃいいんでしょ」


 そう言って白井はキーリングを入れたポケットから瞬間接着剤を出した。

 使いきりタイプの蓋をぱきんと折って、鍵穴に挿入。A液の後、B液挿入。五秒で固まる優れものだ。

 そう、鍵穴はがっちりと接着剤で固着されてしまった。これではたとえ鍵を持っていても、扉を壊さない限り開かない。


「ええーっ!? ちょ、なんてことしやがる!」

「俺は困ってる高虎さんを助けたいだけです。さあ後顧の憂いも無くなったことだし帰りましょう俺たちの家に」

「俺の家はここだ!」

「いい加減一緒に住めばいいのに。部屋は余ってるんだし、一部屋あんたのガンプラ置き場に提供しますよ。これぞモデルルームですね」

「寒いギャグでごまかすな!」

「新作の、ルバーブのタルトがあるんですよ」


 だから行きましょう、と悪魔が笑った。ご丁寧に形の良い手を差し出される。この手をとったら地獄行きだ、と高虎は思った。

 

 でも結局はその手をとってしまうことも、高虎には分かっていた。何しろコンクリートの床に座り込んだ尻は冷えすぎてじんじんと痺れだしていたし、ルバーブの酸味の利いたタルトは魅力的だ。思わずごくりと喉が鳴る。

 高虎の見上がる先に、悪魔が綺麗な笑顔を見せていた。一日中働いた後なのに、朝に見るような、疲れの見えない爽やかな笑顔だ。うわ怖い、と高虎は思った。

 白井といるといつも感じるように、胸がどきどきした。それが恐怖刺激だと、高虎は気づいているのかいないのか。白井は気づかせているのか気づかせていないのか。


 高虎は悪魔の手を取った。 


   

    ☆   ☆   ☆


  

 俺はねえ、もう結婚はこりごりなんですよ。修羅場なんて一度経験すれば十分です。

 

 白井の家のリビングには包丁が刺さったと思しき傷がある。物が木の床だけに包丁も無事ではすまなかっただろうことは周辺の細かな擦り傷から推察できる。

 高虎は自分の体に馬乗りになる白井を見ていたくなくて、顔のすぐ傍にあるフローリングの傷痕を見た。昔修学旅行で行った京都で、刀傷の残った柱や寺で供養される血天井を見学したが、その時に感じた気持ちを今も感じている。

 白井も、白井の元妻も五体満足で別れたそうだが、この家で白井と元妻は肉体をではなく精神を殺しあったのだろう。半殺しで済んだのか殺されてしまったのかは伺い知れないが、一年以上経った今でもここは戦場の名残をとどめていて、多分それが消えることは無いように思えた。


 白井はベッドではなくリビングで、傷のすぐ傍で高虎を抱くのが好きらしい。三回に一回はここで抱かれている気がする。もはや傷も見慣れたものだった。

 元妻か、白井自身か、ここでこうして仰向けになって振り下ろされる包丁を見たのだろうことは想像に難くない。

 

 結婚はこりごりだから、結婚しなくて済む相手に恋をしたんです。


 口の中に残る酸味。ルバーブのタルトは美味しかったなと高虎は少し前の味覚の記憶を反芻した。ケーキの中に潜む罠みたいな酸味。高虎にとって白井はそんな男だ。


「白馬驕不行、か」

「少年行ですか。どうしたんですか高虎さんが漢詩なんて。熱でも出たんですか?」

「お前俺のこと馬鹿だと思うのもいい加減にしろよ。卑しくも武将と同じ名前なんだ、漢詩ぐらい知ってる」

「はあそりゃ戦国武将も清少納言も漢詩くらい知ってるでしょうけど。はは、白馬みたいに乗りこなされてみたいってことですね」

「全然違う!」

「大丈夫。行かぬ馬なら行かせてみせようほととぎすです」

「意味わからんだろそれ!」

「じゃあちょっとイってもらいましょうか、お馬さん」

「意味が違うだろソレ!」





 翌日、高虎は不幸だった。

 やっぱり鍵は見つからず、夕方息抜きに出かけたカフェ白菊で渡された鍵に一時狂喜乱舞したが、白井からの電話で、なんとそれは白井の家の鍵であることが判明した。その上、鍵穴に瞬間接着剤を流し込んだことで管理人に散々怒られた。鍵ごと取り替えるというので何万円も出す羽目になった。ボーナスまでまだまだあるのに、今月もピンチなのに。

 おまけに鍵を取り替えるまでは部屋にも入れない。

 扉の前で、今日は悲しさのあまり泣いているとまた白井が現れた。

 いやに嬉しそうな顔で「また泣いているんですね」といわれて余計に涙が出てきた。

 今日は一日不幸だった、と高虎は思った。きっと明日も不幸だろう。

 

 高虎は昨日と同じように差し出された悪魔の手を取った。 

  

 

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