疾風のごとく逃げ失せる (ALL)
今回のタイトルもWaltz with the Evils様にお借りしています。
太宰讃選(17題)の3話目です。
登場人物
新見シド…19歳。カフェ白菊のアルバイト。シドヴィシャス好きの片鱗も見えない。
海藤新…29歳。漫画家。わりと普通の男らしい。
藤堂高虎…35歳。サラリーマン。あほのこ。
白井啓介…32歳。サラリーマン。腹黒というか変態。
シド君?
そう声を掛けられたのは大学の門のすぐ近くだ。シドは弁当の入ったコンビニの袋を片手に大学に戻ろうとしていたところを、背後から声をかけられて振り向いた。
そこには見た覚えのある顔があったので、とりあえず小さく頭を下げた。シドのバイト先であるカフェ白菊で見る顔だったが、名前は知らない。明るい色の髪が似合う優男だ。スーツを着こなす様子の良い男は大学には滅多に居ないので、ちらほらと視線を向けられているが気づいているのかいないのかまるで頓着していない。シドのほうが気詰まりになって、居心地悪げにみじろいだ。
そんなシドの心中をも忖度することなく、男はにこにこと笑って近づいてきた。
「ちょうどよかった。近いうちに白菊に行く?」
「明日行きますけど」
「悪いんだけどこれ海藤さん…、店長に渡しておいてくれる? 白井から預かった、て言えば分かると思うから。あ、全然急がないから」
そういって渡されたのは多分どこかの家の鍵だった。白井は、あ、このままじゃまずいか、とビジネスバッグの中から茶封筒を取り出して鍵をいれて再びシドに渡したが、こんなプライベートなものを渡されても困る。話の流れ的には真の家の鍵なのだろうが、明日になっても良いということはスペアキーだろうか。こんな個人的なものは自分で渡してくれ、と色々思ったが相手は客だ。シドは一つ頷き、茶封筒を受け取った。
白井は急いでいるらしく「ごめん、ありがとう」と言いながらすぐに駅に向かって早足で歩き去ってしまった。
そのスピードと有無をいわさぬ強引さに、つむじ風が吹いたみたいだ、とシドは思った。
つむじ風から渡されたのはまがりなりにも鍵だ。明日バイトにいくから、と言ってもそれまで持っているのもなんとなく人の私生活の一端を握っているようで気が引けるし、さっさと手放してしまいたいのが本音だ。
どうせ暇だし、とシドは講義の終わった午後四時すぎにアルバイト先に向かった。
「あれ? シド君どうしたの」
「こんにちは。これ白井さんが店長にって。白井さんから預かったっていえば分かるって言われたんですけど」
「なんだろ。鍵……? 俺に?」
「店長に、て言ってましたよ。心当たりないですか?」
「うーん。ないけど、白井さんがわざわざシド君に渡したってことは俺宛で間違いないだろうし。今度白井さんがいらっしゃったときにでも聞いてみるよ。わざわざありがとう。急いでなければコーヒーでも飲んでいきなよ。売り物は全部売り切れちゃったんだけど、ロスしたのでよければケーキもあるよ」
「あ、ありがとうございます」
「今日一緒にメシくう約束したから、そのうち新も来るんだけど」
「すみません俺やっぱり帰ります」
「いや大丈夫。今日はシド君が居るとは思ってないからわりと普通だと思うよ多分。新の驚いた顔も見たいし、もうちょっと居てくれよ。良かったら飯も一緒にどう?」
「いえ、それは。俺の見てるあの人って」
「昼間っから店のテーブルに成人指定の写真集ばんばん広げてエロマンガの台詞とか効果音とか口ずさみつつ漫画描いてるのが奴の普段の姿じゃ無いということ。まあ締め切り近くて、時々それが普段の生活になっちゃってる時もあるかもしれないけど。あれだね、シド君の気を惹きたくてしょうがないんだよね、気になる女の子に蛙の死体とか見せ付ける男の子と一緒だ」
「それ、すっげえ迷惑なんですけど」
「頑張って。新は諦めの悪さと粘り強さでプロになったようなものだから、ものすごく打たれ強くて諦めない人だけど頑張って」
心のこもってないエールをもらってシドは、この兄弟本当嫌だ、と思いながら出されたコーヒーを飲んだ。まだ閉店まで二時間近くあるというのに客は誰もいない。店の外から見えるショウケースがすでに空っぽで綺麗に掃除されているので、持ち帰りの客も来ないだろう。真はすでに簡単な掃除を始めており、多分新が来たらその時点で閉店なんだろうな、と知れる。事実、真は「もしもお客さんがきたら適当に注文聞いておいて」と言って裏の厨房に入っていってしまった。勤務時間ではないがアルバイトなので仕事をするのは良いが、あの口ぶりでは絶対にお客さんが来ない、と断言しているようなものだった。
朝夕は少し肌寒くなってきたが四時過ぎではまだ外は明るい。店長には悪いが新の驚く顔を見るためだけにここにいるのも間が悪いし、コーヒーを飲み上げたら掃除でも手伝って帰ろう、とシドが思っていると、さら、と少し冷たい風が入ってきた。お客さんだろうか、と振り返ると新がいる。
なんというか、普通だ。
シドは思った。錆色の少し長い髪と白い顔色、耳や唇に隙なくピアスした時代遅れのロッカー風な外見は変わっていないのだが、中身が普通そうだった。外見を見て傍に寄るのをためらう人間はいるだろうが、いきなり人の部屋に上がりこんできて、人の借りたAVを勝手に見ながら、長々と講釈をする男には到底見えない。
一体どんな外見の人間ならばそんなことをしそうだと思われるのかシドにもよくわかっていなかったが、この半年以上、シドにとって新はそういう人間だった。
なんだか初めて見るような気がしてじっと見つめていると、扉の前で硬直していた男はどかどかとシドの座るカウンターまでやってきて……そこを通り過ぎて裏の厨房に飛び込んでいった。ぶつけて落としたのか金属製のボウルやなにかが床に落ちる音がして真の罵声が聞こえる。火を使うから、と厨房は木造の店舗よりも大分しっかりしたコンクリートの壁で作られている。だから防音とまでは言わないが、言葉が明瞭に聞こえるほど筒抜けではない。二人が(というか新が一方的に)怒鳴っている声も、怒鳴っているのは分かるが内容までは詳しく聞き取れないし、聞き耳を立てるものではないだろう。
コーヒーを飲み上げて使ったカップを洗い、少々手持ち無沙汰になった、と思ったら今度はばん! と叩きつける勢いで扉が開かれた。
「真! 助けろ!」
「…………、あ、ええと…、藤堂さん」
「シド君? 真どこにいるの否いないならシド君でもいいやお願い今日泊めて、玄関でも風呂場でもどこでもいいよ!」
「一応客用布団もあるので部屋で寝てくれていいんですけど……、店長呼んできますから座ってください。今裏にいますんで」
わざわざ断らなくても厨房の物音は聞こえているが一応断って、シドは厨房のドアを開けた。
真の襟首を新が掴み上げて怒鳴っていた。一見するとチンピラに絡まれている風だが、真の顔に全く危機感がないので、どちらが優勢なのか丸分かりだ。
シドは首だけ中に入れて、目があった真に「藤堂さんがいらっしゃいました。何か困ってるみたいです」と伝える。真はそれを聞いて襟首を掴む弟の手をたやすく外した。するりとシドの傍と通り抜け店に戻る。
シドと目があった新はばつのわるい顔をして真の襟首を掴んでいた手を握ったり離したりしていた。それを認めて、シドもすぐに店に戻る。
「高虎が困ってたり落ち込んでたりするのはいつものことだから」
「はあ、…?」
「高虎、今日は何に困ってるんだって?」
「鍵がないんだ、家の鍵。昨日はどうしようもなくて白井のところに泊まったんだけど」
「なんで白井さんのところに行くのかな。馬鹿だねお前は」
「だってあいつ俺の家の鍵持ってるから」
「それってアレだろ、勝手に作られた合鍵。素直に差し出すとでも思ったのか。あ、新。店の掃除しておいてくれ」
「分かった。後で覚えてやがれクソ兄貴」
「お前もいい加減死んだ蛙を振り回すような真似をするんじゃないよ、すみこさんを見習え」
真の「すみこさんを見習え」は相手を窘めたい時に使われる口癖のようなものだ。あのデブ猫の何を見習えというのか、とたまに真から言われるたびにシドは困惑するが、それは真の弟であり、すみことも長い付き合いだろう新にとっても同様なようだった。
名指しされたすみこはシドが店に姿を現した時点で厨房に引っ込んでいる。
結局、すみこのどんなところを見習えばいいのかも分からない新と一緒に椅子を上げて床を掃除しながら、シドは決まり悪そうな顔をしている新を見るともなく見ていた。
「シド君、何で居るんだよ」
「白井さん、から店長に預かり物をしたんです。別に急がなくてもいい、て言われたんですがモノが鍵なんで…」
「鍵」
新が単語を繰り返し、新とシドは計らずも同じタイミングでカウンターで背中を丸めてタルトタタンを食べている男を見た。高虎の前に立つ真は二人の視線を受けて、さっきシドから手渡された茶封筒を棚から出してひらひらと振る。真の顔は疲れている、というか呆れている。
「なあ高虎。これな、さっきシド君が白井さんから預かったらしいんだけど」
「俺の鍵!?」
「かもな」
「ありがとうシド君! これでやっと家に帰れる! 俺のガンプラ!」
「いえ…」
高虎は真から鍵を受け取るなり走って店を出て行った。「あいつ運動苦手なのにあんなに走ったら転ぶんじゃねえか」などと真がのんびりと呟いている。床をモップで拭きあげる新の後から椅子を下ろし、テーブルを布巾で拭きながらシドは何を言ったものか迷った末に、「あの人、ガンプラ好きなんですね」と言った。それ以外何を言っても地雷になりそうな気がしたからだ。
真はカウンター周りの掃除をしながら「そうそう、あいつの部屋すごいよ」などと相槌を打つ。
狭い店の掃除は三人でやれば三十分もかからずに終わってしまった。まだ五時過ぎだ。さすがに閉店には早すぎるだろうと思うシドを尻目に真はさっさと本日閉店いたしました、の札を戸にかけてしまう。
「新、すみこさんバスケットに入れてくれ。シド君、本当に良かったら飯……、とごめん。ああ、高虎、どうしたんだよ。鍵が違う? じゃあお前のじゃなかったってことか……ん? ちゃんと話せよ……うん? うん、ああ、なるほど。いいから拉致られてろよ。じゃあな」
ぷ、と携帯の通話を切って真は凝視するシドの視線に気づいて苦笑した。
「あの鍵、高虎の部屋のじゃなくて白井さんの部屋のだったんだって」
「は?」
「詳しく聞くの怖いから電話切った」
「相変わらず冷血だな兄貴。ほら、すみこさん。どこで飯食うの」
「小枝さんのとこ」
「なんで週に三回は行く店なんだよ。俺の祝いだろ?」
「小枝さんのとこはすみこさん居てもOKだから。あそうそう、シド君。こいつ雑誌の読者アンケート今月一位になったんだって。今夜はその祝い。たかがそれくらいでなんで弟にたかられなきゃいけないのかね」
「はあ読者アンケート」
「うんシド君をモデルにしたあれ。君どうしてOKしちゃったの?」
「俺、OKしてませんけど?」
シドの目が新を見る。
真も新を見た。
新は二人の視線に晒され、ぎくしゃくとバスケットをカウンターに置くと、逃げ出した。それはもう後ろも見ずに脱兎のごとく、疾風のごとく。
「……ええと、名誉毀損とかで訴えたいなら弁護士紹介しようか」
「……考えておきます」
「一応、純愛モノらしいよ」
「…………」
「………ええと、あいつにはすみこさんを見習うように重々言い聞かせておくから。あ、それともこれから殴りに行く?」
「……住所、教えてください」
真が書いた住所のメモを握り締めてシドも走り去っていった。
真はバスケットを抱え、自転車に乗った。バスケットの蓋をあけると、すみこさんがでろりと広がりながら薄目で真を見た。ふう、とため息のような息をつく。
「ねえ。皆すみこさんを見習えばいいのに」
まったくだ、というようにすみこが目を閉じる。そんな、すみこ入りバスケットを荷台に載せて真は家まで自転車を漕いだ。




