節度のない恋 (シド/新)
今回のタイトルもWaltz with the Evils様にお借りしています。太宰讃選(17題)の2話目です。
登場人物
海藤新…29歳。真の弟。エロとホラーの境を行き来する漫画家。売れ行きは微妙だが売れていないともいえない。カフェに入り浸り、忙しい時は手伝いなどもしていく。
新見シド…19歳。大学生。カフェ白菊のアルバイト。シド・ヴィシャスのファンで履歴書にもシドと書いて真にハーフだと思われた。すみことは犬猿の仲。
真は差し出された履歴書を前に困惑していた。
「ええと、新見、シド君? 十九歳の、栴檀大学の二年生、ですか。自宅からでも大学からでもここまで自転車で来られる距離ですね」
ここは重要だ。小さな喫茶店でアルバイトを雇うのに交通費が高くついてしまっては元も子もない。しかし真の困惑はそんなところから来ていたのではなかった。
どうみても東洋人にしか見えないのは別に良い。日本以外のアジアの血が入っているのかもしれないしそういう国で本名とは別に英語名をつけるのは別に珍しくないとも聞く。シド、という名前は目つきの鋭い彼に似合ってもいた。
しかし真が募集したのは「女性アルバイト」だ。ケーキの販売を主とするカフェだというのに、常時働くのが三十過ぎの真一人ではあまりにさびしいだろうと、真の弟である新に強く言われて募集したアルバイトだった。実際、平日の昼過ぎまでと土日は一人で手が回らなくて新に手伝わせていたりもしたから、そろそろアルバイトの雇い時だろうと思っていたし。
真としては男だろうが女だろうがどちらでも良いのだが、女性限定で募集したに等しい張り紙を見て応募してきた新見シドと名乗る、男にしか見えない人間を前に、「君は男性にしか見えないけど本当は女性なんですか?」なんてデリケートなことを聞いていいのかどうかと困惑するばかりだ。
下手をすれば訴えられてしまう。
「本当は彬って名前なんですけど、シド・ヴィシャスがすきだからシドって名乗ってるんです」
どうしよう! 声まで男らしい。喉仏もはっきりある!
「えと、履歴書はきちんと本名で書いたほうがいいです、ね」
「すみません」
性別に関する質問がしにくいのに加えてシド・ヴィシャス好きだなんてどこからどう突っ込めばいいのさ、と真は痛んできた頭を抱えながらもう一度履歴書をじっくりと見直し、先ほどは見落としていたが、性別、男にしっかりと○が付けられているのを確認した。こんな項目があることすら見落としていた。三度見直して、間違いなく男性のところに○がしていあるのを確認した。
よしオーケー、と内心ガッツポーズだ。これで「女性なんですか?」なんて馬鹿な質問をしないで済む。第一関門突破だ、なんの関門かも分からないが。
ともかくほっとした真は、これ以上誰かを面接してまたこんなにあわあわさせられるのはごめんだと思った。
なので新見シドをその場で採用した。一人目の面接でここまでぐったりさせられて、二人目に臨む気力が沸かなかったのだ。
後日弟の新に「なんで可愛い女の子じゃないの!?」と嘆かれ罵倒されたのはまた別の話だ。
新見シドは明るいわけではなくどちらかといと寡黙なほうだったが、遅刻もしたことなく、やむをえず休むような時は必ず代理を寄越すような律儀でよく気がつく青年だった。シド・ヴィシャスが好きだといったわりにロックの精神を熱く語ることも破壊的衝動に駆られることも体中をピアスをすることもなく攻撃的なファッションに身を包むわけでもなく、服装はどちらかというと大人しめだ。顔や手でなければ、見えないところにピアスをしていようがいまいが真の関与することではない。
良いアルバイトを雇った、とその思いは一年過ぎた今でも変わらない。
ただ一つだけ困ったことがある。
違った、二つ、困ったことがある。
一つ目は、シドとすみこが犬猿の仲なことだ。すみこさんは犬でないしシドは猿顔ではないのだが(どちらかというと爬虫類顔だった)、ともかく仲が悪い。シドが店に入るのは平日週二回と土日の九時から十三時までなのだが、シドが働いている間すみこは店の外のテラスか、天気が悪ければ裏の厨房にこもりっきりだ。シドはシドで、すみこの姿が目に入ると鋭い目つきでにらみつけてぐるぐるとうなって威嚇する。
シドとすみこ、どちらからも『あなたはどっちの味方なの?』なんていわれたことはないが、真は一人で勝手に嫁と母親に挟まれた夫の気持ちになっていたりする。
そして二つ目は、真の弟、新のことだった。
真の弟、海藤新は漫画家だ。大学時代に投稿作が雑誌に掲載され、八年目の今年までに出版された単行本が五冊、月刊誌に一本連載を持っている、売れているとはいえないけれど売れていないともいえない、新曰く「とりあえず結婚しても子供が一人ならなんとか暮らしていける」程度の稼ぎだというから、まあ好きなことを仕事に出来ている幸運な人間な一人だろう。
その新が、シドをモデルにしたいと半年前から熱烈オファー中なのだ。
ちなみに新の描く漫画はエロかグロかホラーか分類は出来ないがどちらかというと年齢制限アリの棚に置かれるほうが多い内容のもので、モデルになってといっても内容は決して青春的な恋や友情や熱いバトルではない。
「もうさー、絵コンテまで出来てるの。あとはシド君がいさぎよくぱっぱと脱いでくれればいいだけだから」
「いいだけだから、じゃないんですよ。俺ぜってーやりませんから!」
「なんでー? バイト代だすよここの一か月分くらい出しても良いよ。ぱぱっと脱いで足開いてくれたら触手は勝手に想像で描くからさあ」
「うわああ! ぜってー嫌ですから!」
聞きたくない、とシドが耳を掌でふさいで叫ぶその気持ちは真も良く分かる。真とて今すぐ耳を洗浄したい気分だ。今お客さんがいなくて良かった、と十二時の日差しが差し込むカフェを見て思う。この時間、フードメニュを提供しないカフェ白菊はエアポケットのように客足が途絶える。
毎日七種類のケーキと少量のクロワッサンを置くだけの店でイートイン、というにはカフェスペースは大きく、四人掛けテーブルが窓際に二つ、壁際に一つ、それに五人座れるカウンターがある。もっともカフェが満席になったことなど開店以来一度もないし、誰もいないことのほうが多い。
今日も、朝から数えてもカフェの客は今、壁際のテーブルを一人で占領している新だけだ。
でもお客が一人もいなくてもいいから、新はもう帰ってくれないかな、と真は思う。
開店と同時にやってきてテーブルに如何わしい資料やらノートやらをばら撒き、コーヒーとクロワッサンで長居する。別に長居するのはちっとも構わないが、そうするのは計ったように週四回、シドがアルバイトとして入っている時だけだ。それ以外の日も入り浸ってはいるが、その時は「そんなもんを昼間見るんじゃない!」と言いたくなるような『資料』は広げないし、持っているのはせいぜいスケッチブックだ。描く漫画はアレだが一応プロなので画力はあるので、彼の描いたすみこさんは簡単な彩色をされ額に入れられ、店のあちこちに飾られている。
絵を描いていない時は文庫本を読んでいたり、店が忙しい時は手伝ったりもしてくれる。シドよりよほどロック魂にあふれる外見をしている男……左右の耳に合わせて七個、唇の端にピアスをして錆色の髪をしている……男がケーキを売る姿はシュールだと思うが、意外性が受けるのかそれもお客には好評だったりするから世間様というものは分からない。
そんな新がシドをモデルにして描きたいといっているのが触手モノ。美少女や美熟女があんあん言わされる、昔から一定の需要を持っているジャンルだがシドは男だし大体新の描く漫画がただのエロマンガであるはずもない。
最初にオファーがあった時からシドは嫌がっていたし、真も力一杯自分に遠慮しないでいいから断れ、と言ってある。
「シド君、今日はもう上がっていいよ、暇だし」
「ありがとうございます!」
「シド君バイト終わり? じゃあちょうどいいからこのまま僕の部屋においでよ」
「絶対行きませんから!」
逃げるように裏に駆け込みエプロンをむしりとっただろう速さでシドが店を遠ざかるのを新は残念そうな顔でみている。真が弟の持つカップにコーヒーを継ぎ足してやると、「嫌がらせ?」と言われた。
「サービスだ。お、すみこさんお帰りなさい」
「サービス言うほど兄貴のコーヒー美味くないじゃん。すみこさん、相変わらずシド君と仲が悪いねー」
ねー、と言いながら差し出した新の手におとなしく運ばれ、手早く『資料』を片付けたテーブルの上に乗せられたすみこは、ふう、とため息のように息をついて新の指を噛んだ。
「ちゅうされちゃった」
「馬鹿だね。噛まれたんだよ」
「いや甘噛みだから、愛情表現愛情表現ていてっ!」
「甘噛みじゃなくて様子見だったんだろ」
血が出るほどではないが牙のかたちにくっきり窪んだ指先をナプキンでぬぐいながら「酷いよすみこさん、指は漫画家の命だよ」などと言っている新を尻目にすみこはシドの姿が見えないことに満足し、テーブルの上にどんと横たわった。とろ、と周囲に柔らかな肉がなだれる。
ああこの感触この感触、と新がすみこを撫でては目じりをだらしなく緩ませている。真は残り少なくなってきたケーキを纏め、ショウケースのガラスを拭きあげた。
そろそろお客さんが入ってきてもおかしくない時間だ。
「シド君に辞められたら困るからほどほどにしろよ。つか諦めろその変態漫画をシド君で描くのは」
「いやーだって理想通りなんだもの。簡単に諦められないでしょ」
「どんな理想だよ」
「あ、聞く? 俺の代表作になりそうなストーリーを。あのねシド君が男子校でね」
「やめろ耳が腐る」
「腐らないよ最後は純愛なんだから。いつも思うけど兄貴このコーヒーで金取ってるのって詐欺だよね」
「不味くないだろ」
「不味くもないけど美味くもない」
「純愛?」
「そう」
自信満々で頷かれて真のほうが困る。すみこは困っていない。もっと撫でろと新の手を尻尾ではたいて催促をしている。
すみこの要望にこたえて撫で回しというか肉を揉み解しながら新はもう一度大きく頷いて言った。
「純愛。触手で拷問で遣りたい放題の節度のない愛」
「お前最低だね」
「えへ」
「可愛く笑うな変態漫画家」
「あ、兄貴。お客さん」
指差す方、ガラス戸の向こうに確かに客を認めて真はすばやく営業スマイルを浮かべる。その隙にテーブルを片付けカップを勝手にシンクに置き、新は重たい鞄を肩に掛けてコーヒー代をレジに放り込んだ。
すみこは撫でる手がなくなったことを残念に思ったのか、それとも何も思っていないのか、たっぷりとテーブルの上で伸びている。
真は客に言われるままケーキを箱に詰めながら弟の言葉に混乱している。




