ちまたに雨が降る
今回のタイトルもWaltz with the Evils様にお借りしています。
全十七話の予定でしたが、ネタがつきたので完結です。
読んでいただきまして、ありがとうございました。
すみこは猫としては恐ろしく長命だった。
二十二年生きた。
真は最後の日々、ふわりと軽いすみこを大事に大事に抱いてカフェ白菊に出勤した。
もう高虎の頭をまたぐことも日差しを求めて座席を移動することもしないすみこは、真の用意したクッションに埋もれるように日がな一日うとうとと過ごした。もともとあまり鳴かない猫だったが、真の手に置かれたフードと水をほんの少し食べるだけのすみこは、ふにゃふなとどこまでも柔らかな置物のようだった。
夜がくるとそんなすみこをまた大事に大事に抱いて、真は店を出る。
最期の日は、真の二歳になる娘の誕生日の夜。家族三人で誕生日を過ごし、娘と、娘を寝かしつけている妻が子供部屋に行った時だった。一人居間に残った真の膝の上でまどろんでいたすみこの体が、ふわりふわりとまるで綿毛のように軽くなり、びくりと一瞬震え、そして少し重たくなった。
一分前となんら変わりなく思えるようなすみこの姿だったが、すみこが今死んだのだと、真にははっきりと分かった。
「……俺が、大丈夫になるまで生きてくれるって言ったじゃないか…」
思わず真は恨み言のように呟いたが、勿論、そんな日は永遠にこないし、そして、もう自分は「大丈夫」なのだと、真には分かっていた。
娘を寝かしつけて居間に戻ってきた妻は、真の膝の上で伸びているすみこを見て、真の顔を見て、少し静かな微笑みを浮かべた。
真も妻に少し笑いかけ、すみこを抱いて立ち上がった。
「ちょっと出かけてくるよ」
「気をつけて」
そして真は今日の夕方にそうしたようにすみこを毛布を敷いた籠に乗せ、夕方辿った道を戻った。
店の裏手、アパートの敷地にあった小さな庭がそのまま残った空き地に穴を掘り、穴の傍で日が昇るまですみこを膝に乗せ、夜が明けた頃、毛布ごとすみこを穴に入れ、少しずつ土を掛けた。
その日も次の日もその次の日も、真よりも高虎のほうが酷く落ち込んだ様子をみせた。
真は普段どおりにあまり美味くないコーヒーや紅茶を淹れ、ショウケースを一杯にし、通販の注文を捌いた。
「すみこさんを見習えばいいのにね」
その言葉が無いだけで。
座るもののいないクッションは、早々に片付けられたけれど。
まことの口からすみこの名が出ることはなかった。
それから、季節が一巡りし、すみこがいなくなってから一年経った。
カフェ白菊は相変わらずだ。
高虎はやっぱり信金で働いている。今年も転職は出来そうに無いが、この不況の折だというのにまだめくるめく転職の夢を諦めていないようだった。
そして意外なのか全く意外ではないのか、白井ともまだ続いている。
一ヶ月に二度も三度もカウンターに額を押し付けるように落ち込むのも、そんな有様のところを白井に攫われるのも変わりない。あまりにも変化や進歩が見えない。
新は、連載を二本持っている。相変わらずのエログロホラーに少女マンガのような上滑りした恋愛物語を加えるようになってから、なぜかほんの少し需要が増えた。
シドが大学四年生になりカフェ白菊のアルバイトを辞めた時、この二人の間も色々あったようだが、今は元鞘のような元彼のような曖昧な感じだ。
けれど真が二人の関係を追求したことは過去も今もないし、きっと未来にもしないだろう。
真は。
真も相変わらずだった。
毎日あまり美味くないコーヒーや紅茶を淹れてますますカフェの客を減らしながら、ショウケースを一杯にし、注文を捌く。
けれど最近は時々、友人や弟の様子を見ながら少しため息をついて、こう呟くことがある。
「すみこさんを見習えばいいのにね」