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すみこさん  作者: 粗目
11/15

狐狸のにおいのする風景 (白井と女性)

今回のタイトルもWaltz with the Evils様にお借りしています。太宰讃選(17題)の11話目です。


 兄弟の名前の読み方をご質問いただきましたので…。

 海藤真「かいどう まこと」

 海藤新「かいどう あらた」(PNが角新「かど しん」なので「しん」と呼ばれることも多い)

 白井啓介「しらい けいすけ」

 藤堂高虎「とうどう たかとら」

 新見シド「にいみ しど」




「あ」

「あら」



 水曜の午前十一時半、それなりに客の絶えないカフェ白菊で二つ、声があがった。シドはちら、と目を上げたが、声を上げたのが白井と見知らぬ女性であることだけを確認してすぐに目の前の客に意識を戻した。


 シドのようにすんなりといかなかったのは真だ。


 女性はいつぞやの、白井の元妻と名乗った人間だった。あの時、白井に連絡しても彼は興味がなさそうだったので、真も気にしないことにしたのだが、やはり二人は知り合いだったらしい。そうでなければ、白井の離婚の際のごたごたや元妻の名前など知らないだろうが、それにしても、どんな類の知り合いであれ、常連とはいえ個人的な付き合いがあるわけではない店でわざわざ元妻の名前を使って演技をした女性も女性だし、それに関心を持たない白井も白井だと真は暫くうそさむい思いをしたのだった。


 その二人が、なんの因果か店で顔を合わせている。

 シドから注文の品の乗ったトレイを受け取り箱詰めしながら、真の意識の半分程度は、店の中で修羅場られたらどうしようという恐れとともに、二人に向いていた。

 そんな真の心中も知らず、二人はそれなりになごやかそうに見えた。否、にこやかなのは女性だけで、白井は嫌そうな顔をしている。


「久しぶりね、白井君」

「君こそ。この前は亜由美さんの振りをしてこの店に来たらしいですね」

「あら。もうバレてたの」

「残念ながら。ここのオーナーとは知り合いなんです」


 ほんとに残念だよ。真はそう思った。ただの知り合いだというのに、こんなに心臓が縮み上がるような思いをさせられるとは。

 


「店長、箱お願いします」

「あ、はいはい、ごめんなさい」


 シドから新しいトレーを渡され、意識半分と思いながら随分あの二人に集中してしまったな、と真は反省した。しかも聞き耳をたてていたわりに二人がどんな関係なのか分からない。


 女性は今日はチャコールグレーのスーツに黒いパンプスだった。首に巻いたマフラーは紅葉のような赤朱色だった。

 偶然にも白井のスーツと似た色合いなので、おそろいのように見えなくもない。

 ショウケースの前で白井がケーキを勧めているのを見ると、仲のよい同僚に見えなくもないし、「白井君」という呼び方は学生時代からの知り合いのようにも思える。けれど、昔の恋人のような親密さや過度のよそよそしさはない。そのことに真は、友人の為に胸をなでおろした。白井の元恋人との対決など、あきらかに高虎に分が悪い上に、高虎は女性には礼儀を尽くすから一方的に攻撃されて一晩中真を相手にぐずぐずと落ち込むことだろう。

 そんな面倒は御免だった。


 

 シドが白井の注文を受けている間、女性はカウンターの中にいる真を認めて唇の端に笑みを浮かべた。しょうがなく、真も笑みを返す。女性の笑みは前回と変わらず、美しいが冷え冷えとしていた。


「こんにちは、店長さん」

「いらっしゃいませ。本日はお持ち帰りですか?」

「ええ。全種類を二個づつお願いします。あとこれを一個」


 全部で十三個。半端な数字だ、と真は思った。白井のように取引先に持っていくのではなく、自分の勤め先に持って行くのだろう。領収書の宛名はこの近くにある栴檀大学の研究室だった。

 隣で白井も会計をしていたが、女性の言葉にちょっと目を眇めた。


「こっちに来ているんですか」

「あっちは教授だったから、離婚したら大学に居辛くなったの。今は栴檀で秘書をしているわ。白井君にも会いたかったし」

「申し訳ありませんが私は会いたくなかったですね。引っ越してくれて清々していたのに」

「他人行儀な話し方」

「誰にでもこうです」



「ところで結婚しましょう」

「死ね」


 やっぱり店内にBGMは必要だったかも。


 真は一応日本語ながら内容の分からなさでは外国語と大差ない遣り取りを聞いて思った。



「…店長、なんすか今の……」

「シド君。俺たちは関わらない方向でいこう」

「あ、そうだ。店長にも紹介しておきましょう。先日ご迷惑もおかけしたことですし」

「いらないです。白井さん。さっさと仕事に戻るといいですよ」

「彼女は高橋里佳子さん。亜由美さんの従姉妹でストーカーです」

「聞きたくなかったのに……。ええと、お客様は、白井さんのストーキングをしていらっしゃるんですか」

「いいえ? 私はストーカーじゃないですよ。そもそも白井くんには興味がないし」

「今その興味のない男性と結婚しようと仰ってましたよね…」

「彼女は、私の元妻のストーカーなんです」

「私はただ、亜由ちゃんが好きなだけよ。ゴミを漁ったりしてないし四六時中監視しているわけでもないし、電話も盗聴していないのよ。ストーカー呼ばわりはやめてほしいわ」

「君のストーキング行為が本職の皆さんに比べて劣っているのは君の所為でしょう。わざわざ近所に引っ越してきたり亜由美さんの上司と結婚したり人の浮気を暴いたり無断で携帯のチェックをしたりするのは立派なストーカー行為だと思いますよ」


 頼むからお客さん来てくれ、とシドは思った。

 真はカウンター越しに繰り広げられるひんやりした諍いに背を向け、厨房に引きこもろうとしていた。その真のエプロンの紐をシドは掴んで逃亡を防いでいる。


 一人でこんなところに取り残されてたまるか。


 真は恨みがましくシドの手を見詰めていたが、経営者としてアルバイトを一人残して敵前逃亡するのは確かに潔いとは言えないので、しぶしぶシドの隣で箱にかけるリボンの補充をしたりと今やる必要のない作業を始めた。

 


「私、白井君と結婚したいの」

「恋人が居るのでね。もしも誰もいなかったとしても、君と結婚なんて御免こうむる」

「御免こうむる? 変な言葉遣い」



 その変な言葉遣いは俺の友達の口癖です。

 真は背中で二人の遣り取りをききながらそっと心の中でひとりごちた。いつのまにか口癖が移るほど距離が縮まっていたらしい。高虎にそんな相手が出来たことは喜ばしいものの、相手が白井とあっては、嬉しいことやら悲しいことやら分からず、真はいたずらにリボンを巻いては戻していた。



「私、諦めないから」

「君は亜由美さんと結婚した男と結婚したいだけだろう。付き合ってられないな。それと、俺と俺の恋人に何かしたら今の職場の居心地が悪くなると思えよ」

「諦めないから」

「諦めろ。俺は今の恋人と別れる気はないよ」

「私の亜由ちゃんすら捨てたくせに」


 

 里佳子は、シドからケーキと領収書を受け取ると、白井に向かって微笑して店を出た。寂しげな風貌に似合った控えめな笑みだったが、なんとなく暖房の効いた店の中が冷え込んだ気がして、真はエアコンの設定温度を一度上げた。

 ふと、思いついて白井に言う。



「初めて敬語を使わない白井さんを見ましたよ」

「ああー、敬語を使わないと当たりがきついと言われるんですよ。やっぱりいい大人が他人に向かって死ねとか言うものじゃないですし」


 ああ、敬語でくるまないとだだ漏れなんだな。真は納得した。

 白井はそんな真の心中を読んだように、にこりと笑った。

 シドは里佳子にケーキを渡したその足で、裏の厨房に通販用の焼き菓子のラッピングをするために行ってしまった。きっと厨房ですみこと睨み合いをしていることだろう。


「……まあ、一応、友人として。別れるときはなるべく早めにお願いします。あの女性に高虎が危害を加えられたり加えたりしないうちに」

「恋人として。言っておきますけど、別れません。今別れたら高虎さん、いつもみたいに店長にすがりついて終わりじゃないですか」

「それが出来るうちに別れてください、と思っているんですが」

「それが出来る内には別れません、て言っているんです。もし俺が高虎さんと別れる時には、あの人に退路なんて一本も残さない」

「……怖いから敬語で話していただけませんか?」

「店長さんに怖いものがあるなんて信じませんよ」


 白井もまた、笑みを残して消えた。真はもう一度エアコンの設定温度を上げて、裏に居るシドを呼び戻した。



「おーい、シド君! もう大丈夫だよ!」

「はい! お疲れさまでした店長」

「ほんとだよ、俺を残して逃げるとか酷いよ。すみこさんに齧られると良いよ、シド君」

「もう引っかかれました」

「……そか」


 シドの手の甲には絆創膏が張ってあり、薄く血が滲んでいる。ちゃんと消毒しておきなよ。そう言いながら真は巻いたり戻したりでよれよれになってしまったリボンを切り取りゴミ箱に捨てた。


「怖かったですね。なんだろ、幽霊ぽい怖さじゃなくてこう、モスラ対ガメラというか……」

「俺は狐と狸の化かしあいに巻き込まれた感じがする」

「店長、狐と狸の化かしあいを見たことあるんですか?」

「君だってモスラとガメラの対決なんて見たことないだろ」

  


「ストーカーって、なに考えてるんでしょうね」

「さあねえ…。亜由美さんのことが、よっぽど好きなんだろ」


 真は、里佳子のひたむきな目を、そして白井の言葉を思い出して、体の芯が少し震えるのを感じた。

 真実の見えにくい二人が見せた真情は苛烈で生臭く、恐ろしかった。

 狐狸の匂いだ。真は思い、もう二度とあの二人が相対する場面には遭遇したくない、と心から願った。

 

 真にだって、恐ろしいものはあるのだ。



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