審判する勿れ(白井/高虎)
今回のタイトルもWaltz with the Evils様にお借りしています。太宰讃選(17題)の10話目です。
女顔だとか小綺麗だとか背が低いとか華奢だとか。なんだかそう言う属性が欲しくなる今日この頃である。
「馬鹿だね」
三十五歳にもなって七夕の短冊を書くこの空しさよ、と詠っても所詮凡人だ。種田山頭火は言うに及ばず、素人の自由律俳句にもならない。けれども幼馴染に短冊を差し出されては書かないわけにはいかず、書いたら幼馴染の口癖とともに鼻で笑われた。
「読むなよ」
「読むだろ。これ願いごとじゃないだろうが。なんだ『今日この頃である』て。ただの日記じゃねえか」
「俺の日記はもっと凄い」
「高虎さんの日記は凄いですよ、涙なしでは読めません」
「うわっ!」
「…うわっ、て、もしかして白井さんが来てるの、気づかなかったのか?」
「いつから!」
「今日この頃である、の辺からです。しかも『属性』ってオタク用語じゃないですか」
「……そうなの?」
「俺は別にお前が美少女フィギュアに嵌っていようがアイドルを拝みに劇場に通っていようが気にしないよ」
「その言い方、なんだか妬けますね。店長さん、紅茶をお願いします」
「どうでもいいから気にしないだけだろう。言っておくが俺はガンプラ一筋だ! フィギュアなんて邪道だ!」
「はいはい。ああ、白井さんも一枚いかがですか?」
真が差し出した色紙の短冊を受け取りながら、白井は店を見回した。いつもどおりの昼下がり、さぼり組の白井と高虎の他には店長とすみこしかいない、三時過ぎのカフェ白菊には短冊をかける肝心の笹がない。
真は白井の視線に気づいて「商店街のイベントなんです。児童公園に子供会用と商店街の店舗用に大きな笹が置いてあって、そこに結ぶんですよ」と言い添えた。「これだけ商店街から離れた店でもしがらみはついて回るんですね」と、白井が妙な感心をしたのに、真は微妙な笑みを浮かべた。
高虎が隣で白井の手元を覗き込む。
「何書くんだ? まあお前のことだから立身出世とか一攫千金とか漁夫之利とか」
「あんた人のことなんだと思ってるんですか。書くことなんて内緒ですよ、それよりさっさと仕事に戻ってほうがいいんじゃないですか。高虎さんのことだからきっとトラブルが待ち受けてますよ」
「なんてこと言いやがる…」
しかしそれがあながち冗談とも言い切れない不運な男、高虎はしおしおと立ち上がった。高虎が落ち込んでいない時にははなもひっかけないすみこの傍にわざわざ寄って「すみこさん、白井がなんて書いたか後で教えて」と頼み込んでいる。
ポットで出される為、自分で調節できる分だけコーヒーよりは大分マシな紅茶を前にして白井はちょっと考え込んだ。いざ願い事を書け、と言われてもそうそう浮かばない。背広の胸ポケットから愛用の万年筆を出したはいいものの、書きあぐねているとクッキーを何枚か盛った小皿を出してきながら真は「無理しなくてもいいですよ」と少し笑った。
「いえ、書きますよ。高虎さんの短冊の隣に掛けてくださいね。離れ離れにならないように」
「ふ。白井さんは案外ロマンチストなんですね」
「そうですね。高虎さんがロマンチストなんで、影響されてきました」
「ああ、あいつはね」
真は高虎のことを話す時によくそうするように、仕方のなさそうな笑みを浮かべる。そんな真の、付き合いの長さが知れる表情にいつもながらに嫉妬を感じて、白井は頬を緩めた。
「なんです、にやにやして」
「いえ。過去に嫉妬する位好きだと思える人がいるのは幸せだと思って」
真は呆れた、という顔をしてみせた。その実、何も思ってないんだろうなこの人、と思いながらも白井も笑みを浮かべる。ポットの紅茶は半分以上残っていたが、もうこれ以上飲む気は失せていた。
少しだけ考えてさらさらと短冊に書き込み、代金と一緒に真に渡した。
「……高虎といい白井さんといい」
「私のはきちんと願い事ですよ」
「命令でしょう」
「どっちみち変わらないですよ」
悪党、と真が低く呟いた気がしたが構わず白井は店を出た。
□ □ □
「なあ、なんて書いたんだよ」
「あんた、しつこいですね。すみこさんに教えてもらえばいいでしょう」
「すみこさんが教えてくれるわけないじゃん。お前意外と夢見がちだな」
「………」
あつい、と言いながら白井の家(高虎の部屋より数段性能の良いエアコンがついている)に涼みに来た高虎は、シャワーを浴びてビールのプルトップを引きながら聞いてきた。夕食の後片付けをしていた白井は、手を拭きながらリビングに入ってきて、高虎の濡れた髪を背後からわしゃわしゃとタオルでかき回した。「禿げる!」と笑いながら白井の手をよけようとする高虎を足で抑えながら、少し丁寧な手つきで水気をふき取る。
「あんたこそ、あの短冊はなんなんですか。華奢だの女顔だの」
「……不機嫌だな」
「機嫌は悪いですよ、いくらいっても濡れた髪のままあがってくるし。風邪引きますよ、夏風邪は馬鹿がひくんですから、高虎さんなんか一発です」
「お前、いい加減失礼だよ。いいや、ドライヤー借りる」
「駄目です。俺がタオルで乾かしてあげます」
口で文句を言いながらも白井は高虎の髪を乾かしたり世話を焼くのが嫌いではない。丁寧に水気をとり、耳や頭皮を少し強めにマッサージすると、足にあたる高虎の背中が弛緩するのが分かった。
こうして触れ合っていると、自分の不機嫌も解けていく。
首筋に水滴が落ちていくのを見つけた白井は、高虎の、女のものではありえない首筋の、けれどすっきりと通ったラインに、身をかがめて唇を寄せた。舌で水滴を舐めとる。
昼間にカフェで会った高虎ならば、きっと「ひゃ!」とかなんとか色気のない声をあげてぎゃあぎゃあとわめきだすに違いないのに、今夜、白井の家に居る高虎は僅かに身じろぎしただけだった。寝巻きがわりの緩いTシャツの、大分のびた首周りの、背中と首の合間を舐めても声を上げないし制止もしない。
「『審判すること勿れ』。短冊にはそう書きました」
「………意味が、」
「分からないなら分からなくて良いですよ。お馬鹿さんの高虎さんにはちょっと難しいですもんね。風呂はいってくるんで、先に寝室に行っていてください。さっきエアコンつけたからそろそろ冷えているはずです」
高虎は小さくため息をついた。
ベッドに上がって読みかけの文庫本を手に取る。この部屋に置きっぱなしにしているので、少しずつしか読み進まなかったが、家に持って帰って続きを読んだり、白井の家の中でもこの部屋以外の場所で読もうとは思わなかった。
微かに風呂の水音が聞こえてくる。
「……ほんと馬鹿だな」
本に集中することが出来ず、頭に入ってこない文字を漫然と目で追いながら高虎はため息をついた。
昼間、何故あんなことを書いてしまったのか。それこそ日記にでも書いておけばいいだけの話なのに。
顔だとか小綺麗だとか背が低いとか華奢だとか。そういう人間ならば、言い訳が出来るような気がしたのだ。否、言い訳ができるような気が「している」。
そういうことを思っている、ということを、白井に明かすはずではなかったし、明らかにしていいことでもなかった。
『審判すること勿れ』
多分白井がそう書いたのは、高虎への非難と、優しさだ。そう書かずにはいられなかった白井の心情を思うだに、歯噛みしてベッドを転がりまわりたくなる。
「うわ! 駄目だ、本なんか読めない! もう今日はここで一人反省会だ!」
「……まあ、いいんですけど。反省会をする前に俺に付き合ってくださいね」
「ぅわ!」
「あんた迂闊ですよ」
いつのまにか風呂からあがっていた白井が、いつもより血色の良い顔でほかほかしながらベッドのすぐ傍にいた。自分が迂闊なんじゃなくて白井の気配が薄すぎるんだ、と高虎は思うが、気づいてしまえば到底見過ごすことなどできない存在感を持つ白井に、言葉は口の中に閉じ込めておくしかない。
ベッドに上がってきた白井は、ベッドサイドに置いてあった高虎の飲みかけのビールを飲んだ。ごそごそと白井のスペースを空けようとしていた高虎の腕を掴んで体の下に組み敷き、僅かな怯えと期待に揺れる高虎の顔を見下ろす。
唇を合わせようと体を伏せたとき、「あ!」と素っ頓狂な声を高虎が上げた。
「そういえばお前、昼間俺の日記がどうとか……。まさか、読んだのか!?」
「読みましたよ。高虎さんのことは何でも知りたい男ですから」
「変態! 犯罪者!」
「ちょっと、もう黙っててくださいよ」
いささか強引に唇を唇でふさぐと、むうむうとまだ叫び足りないらしい高虎が口中でなにやら呻いている。
高虎の首にあてた掌が感じる声帯の震えが、白井を陶然とさせた。