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すみこさん  作者: 粗目
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わたしはいま生まれた (白井/高虎)

 『すみこさん』のタイトルは全てWaltz with the Evils(http://www1.bbiq.jp/w2te/)様よりお借りしております。

 

  今回の登場人物

すみこ…三毛。体重7キロオーバー。たっぷり。

海藤真…35歳。カフェ白菊のオーナー。

白井啓介…32歳。去年七年連れ添った嫁と別れ、修羅場はもうこりごりだと独身宣言。文房具メーカーの営業。優男風だが変人というか変態。

藤堂高虎…35歳。真の幼馴染。大学卒業以来ずっと地元の信金に勤めている。凛々しい外見だけどお馬鹿さん。

  


 藤堂高虎。このどうしようもなく大仰な、そしてあまり良いイメージを抱かれない名前を親が何故つけたのかなど今更問うても意味はない。否、何故つけたのかなどは知っている。母親の名前、高子の高に父親が一番好きな動物の虎をあわせただけだ。

 なんと安易なのだろう。

 名づけた数年後、幼稚園で同名の武将がいることを聞かされるまで母はそんな人物が存在していたことなど知らなかった。高校時代に習った歴史には出てこなかった、と母は主張するが恐らくそれは間違いではないし、両親ともに歴史に興味を抱く人間ではなかった。それだけだ。

 つまりただの偶然の産物。


 彼が生まれて35年経った今でも、偶然付けられた名前にこだわっているのは本人だけだ。あとは時々いる歴史マニア。名前の由来など聞かれたところで、ただの偶然ですなんて、恥ずかしくって言えやしない。




「とうとう勤続十三年……」

「誇ることであって落ち込むことじゃないだろ、馬鹿だねお前は」


 勤続十年目は勤める信金があわや倒産か合併かという危機でそれどころではなく、そのまま忘れられたのだと思っていたら今日「遅くなっちゃったけど勤続十年おめでとう」と言われながら贈られた時計は一応スイス製で、百万なんて馬鹿な値段ではないが普段着はユニクロの男にしてみればそれなりに高価なものだ。三年遅れの勤続十年記念。



 高虎は腕に巻かれた黒革の時計を見てため息をついた。カウンターに頭を載せて落ち込んでいると、この店の看板娘に頭を踏まれた。

 御年いくつだか知れないが、そうとう高齢の看板娘、七キロオーバーの三毛猫は容赦なく高虎の頭を踏みしめ、ここぞ花道とばかりにカウンターをのし歩く。

 ここが飲食店であることも高虎が客であることも意に介さない堂々とした歩きっぷりで花道カウンターを端まで歩ききると、カフェの主に目線をくれて、尻尾を一打ち。

 それだけで何もかもが伝わるのか、真は「はいはい、下りるんですね」と猫を抱えて床に下ろし、一応は飲食店の主らしく、すぐに石鹸で丁寧に手を洗った。



 夕方六時を過ぎれば客など殆ど入ってこない住宅街のカフェ白菊に客と呼べる人間は高虎しかいない。幼馴染の気安さで真は高虎をカウンターに残したまま閉店の準備を始めた。明記はしていないが真は大体六時ごろ店を閉めるから、常連ならば今頃の時間に入ってこないし、入り組んだ住宅街にある小さな喫茶店に、そもそも一見の客は滅多にやってこない。

 それでもなんとかやっていけているのは、ネットで販売している焼き菓子が口コミで評判になっているのと、店で売っているケーキの売れ行きがいいからだ。売り上げとしては焼き菓子四割、生菓子三割、カフェ二割。残りの一割は週に一度知り合いの店に置かせてもらう生菓子の売り上げだと真は言う。

 大体ケーキに比べてこの店で出す飲み物は不味いとまではいわないが美味くもない。恐らく、茶葉や豆、淹れ方に拘りのある人間からすれば、金を取られるのが理不尽な気がする味だ。

 


「なんだよまだ落ち込んでるのかよ鬱陶しいな」

 

 店内にある椅子を上げてモップで拭き掃除まで終えた真は、未だにカウンターに頭を乗せている幼馴染に呆れた視線を向ける。カウンターの脇に置かれたショウケースは空っぽですでに掃除も済ませてある。大体生菓子は三時過ぎには売り切れてしまうのだ。真はかがんでカウンターの下においてある冷蔵庫を開けた。開店前にサンドウィッチなどの軽食用にと用意したものだが結局軽食はやらないことになったので、今では真の私物と成り果てている。

 

 冷蔵庫の中にある、オペラの端っことクリームがはみ出したシュークリームが乱雑に乗せられた皿を出して高虎の前に置いた。

 

「リンツァートルテが食いたい」

「明後日焼くから金払って食いに来いよ。飯はどうする?」

「パンケーキ」

「飯の話をしてるんだよ阿呆」


 名は体をあらわすのか、それとも外見は名に自然に寄り沿おうというのか、トウドウタカトラなどという大仰な響きが滑稽に聞こえない、長身痩躯で顔だって地味に整っている男は、しかし名前も外見も裏切って武道を含む運動全般苦手でしかも無類の甘いもの好きだ。放っておいたら朝はドーナツ昼はケーキ夜は大福とかいう食生活。自身パティシエとしてそれなりに甘味に愛はあるし量も食べられる真からみても、高虎の嗜好は胸が悪くなりそう。

 

 しかも周囲には格好つけて晒さない弱さも、物心つく前から一緒にいる幼馴染の前では隠そうという気配りもない。正直言って真の手には余るが、甘いものを食べさせておけばそれなりにおとなしいし食べれば満足して少しは浮上するらしいので、可愛い看板娘に存分に踏まれた後にはロスしたものを食わせるのにやぶさかではない。

 看板娘、すみこは猫の性なのか彼女の特質なのか、弱っているものを見ると踏まずにはいられない、らしい。それでも一見の客や馴染みのない客を踏んだことはないが、彼女にとっては下僕にすぎない真の幼馴染で、しかも落ち込みやすい高虎はいまやすみこの足拭きマットだ。時々どうみても落ち込んでないときですら、頭をかがませて踏んでいく。そこでおとなしく頭を屈める高虎が悪いと真は思っている。

 



 フォークを使う気力もないのか手づかみでもそもそと、しかし熱心にオペラの端っこを食む高虎に濡らしたペーパーナプキンを放ってやって、真はグラスに指一本分だけウィスキーを注ぐ。カフェの開店時間は遅いが真の仕事は早朝から始まっている。一日の疲れがアルコールでじんわりとほぐされていった。


「アル中」

「うるせえ糖尿。別に会社に不満ないんだろ? 一生勤めれば良いじゃねえか」

「トウドウタカトラだぞ? 七回転職しなきゃ名前負けじゃないか!」

「七人の主に仕えたんなら六回転職だろ?」


 信金勤めのくせに指をおって数え始める高虎を尻目に今日の分のご褒美を飲み上げ、グラスとついでにすっかり空になった高虎の皿とカップを流しで洗う。シンクをきっちりと磨き上げてカフェでの仕事は終わりだ。これから奥の厨房で注文の入っていた焼き菓子を作らなければならないが、それでもこの幼馴染にまともな夕食を食わせる時間くらいはあるだろう、と近所の小料理屋を頭に思い浮かべていると、高虎の携帯が鳴った。

 聞き覚えのあるメロディ……、地獄の黙示録で使われて話題になったワグナーの…なんだったか、と真が思っていると同時に高虎が通話ボタンを押した。着信音をわざわざそんな音楽にしている相手が仲の良い人間や好意を持っている人間ではないのだろうが、それにしても高虎の顔色は少し青ざめている。誰かに弱みを握られているのかトラブルにでも巻き込まれているのか、と心配になるほどだ。

 

 短い返事と、あげかけた抗議だか拒絶を封じられた中途半端なうなり声だけで電話は向こうから一方的に切られたらしい短い通話の後、高虎は一層顔色を悪くして低くうめいた。


「なんだよ誰だ」

「白井」


 苗字をはき捨てるように言われて真はしばし考え込んだが答えはすぐに出てきた。ここから近いといえば近い、住宅街を抜けて五分ほど歩いたところにある文房具メーカーに勤める男だ。取引先や会社に持っていくと喜ばれるから、とこの店によく顔をだしては大量に生菓子を買っていき、月に何度かはコーヒーも飲んでいく男。数歳年下だが去年離婚したと言っていた。やけにさばさばした顔で『もう修羅場はこりごりですよ』などと言っていた。どれだけ凄い修羅場を経験したのか、そのさわやかな顔からは何も読み取れなかった男だ。


 なんの因果か神のさいころが不良品だったのか、一ヶ月かそこら前に一人でふらりと店にやってきて生菓子を大量に注文し、会計の時ついでのように『実は色々あって藤堂さんとお付き合いすることになったんです』と再び爽やかな顔で言ってのけた男でもある。その『色々あった』内幕も、彼の笑顔からは何も読み取れなかった。


 真は友人や客のセクシャリティをどうこう言う気はなかったので『そうですか』で済ませた。実をいうとそれきり半ば忘れてもいたのだが、今名前を聞いて思い出した。

 恋人からの着信に地獄の黙示録はないだろう。それとも白井が言った『藤堂さん』は真が知る別人なのだろうか。真が知る他の『藤堂さん』は高虎の母親くらいしか思い出せないが、母親が自分の息子より年下の男と付き合い始めたのなら、その相手からの着信が地獄の黙示録でもおかしくはないか、と思う。



 

「まあ、元気だせよ。おばさんだって今は独身なんだし若い男と付き合うくらい…」

「はぁ?」

「白井さんと付き合ってるんだろ、おばさんが」

「そんなわけあるか。あんなのを父さんと呼ぶくらいならあの男を殺して俺も死ぬ」

「なんかそれ違うんじゃないか。じゃあ白井さんが付き合っている藤堂って」

「はあ何あいつ、そんなこと言ったのかよ!」

「一ヶ月前。てっきりお前のことだと思ったんだけど」

「俺のことだけど、幼馴染が男と付き合ってるって思ったならそれなりのリアクションをしてくれよ!」

「別にお前が男と付き合おうがそこらへんの電柱と恋に落ちようが関係ないから。うちのすみこさんに手を出さない限りは」

「……酷すぎる。幼馴染よりすみこさんのほうが大切なのかよ」

「どっちがより大切なんて言えないよ。俺にとってはどっちも大切だ」

「なんだその心のこもってない棒読み」

「いや慰めてほしそうだったから。というか恋人からの着信が地獄の黙示録? それでその暗い顔って何事だよ。首つっこみたくないけどどうしても話したいなら聞いてやるよ嫌だけど」


 お前ソレ本当に嫌がってんだよな俺にはバレバレなんだよ。と真が特に隠してもいないことを言い立てて高虎はちょっと唇を尖らせ(不満がある時に唇を尖らせるのは子供の頃から抜けない癖だ)、目線を落としてため息をついた。

 

「今日が付き合い始めて四回目の水曜日なんだってさ」

「…一ヶ月ってことか?」

「知らん。一々覚えてないだろ普通。しかもあいつ、午後七時二十八分に俺がOKしたからその時間に一緒に祝おうとか……怖いだろ!」

「ごめんちょっと鳥肌たった。怖いからお前さっさと帰ってくれない?」

「俺だって怖いよ! 部屋帰りたくないから今日はお前のとこに泊まらせてくれよ」

「何お前一緒に暮らしてるのか」

「いつのまにか合鍵持ってるんだよ…」

「……お前それ付き合ってるんじゃなくてストーキングされてるの間違いじゃないの? ねえ、すみこさん」


 閉店した店の見回りを終えたすみこが尻尾で催促するのに、抱き上げて再びカウンタに乗せる。と、すみこは高虎の頭に乗って二度三度と踏みしめた。きっといつもより負け犬臭が濃いんだな、と真は思った。

 


 存分に高虎を踏みしめたすみこは顔をあげ、なあう、と鳴いた。滅多になかないすみこさんが珍しい、と顔を上げた真はガラス戸の向こうに『怖い男』、白井を認めて思わず顔が引きつった。そんな真の心中など知らぬ顔で、明るく染めた髪をいつものように隙なく纏め、十人中八人は「爽やか」とか「清潔感がある」と表す(残りの二人は「胡散臭い」というだろう)顔に笑みを浮かべてドア越しに、いまだにすみこを頭に載せている高虎を指差し、ついで自分の腕時計を指す。

 約束があるんです、というようなジェスチャだったしそれも間違いではないだろうが、今高虎から話を聞いたばかりの真は壁の時計をみやり、それがもうすぐ午後七時を指すのを認めた。



 幼馴染との友情をとるか大得意をとるか。



 真は悩むが、すぐに答えは出た。白井がガラス戸に触れ、鍵がかかってないことに気づいて入ってきたからだ。狭い店なので客が入ってくればすぐに分かるから、とベルの類を設置していないドアはかすかな軋み音と僅かな夜気だけを店に入れた。

 白井はすみこさんのたっぷりした体を軽々と抱き上げ高虎の頭の上からどかし、すかさずポケットから小さなジップロックに入ったすみこさんの大好物である伊勢源のかまぼこ(無添加・無着色・手作り)を出し、小さくちぎって少量を与える。塩分の取りすぎは体に良くないから、ほんの少しだ。

 

 高虎がいるだろう場所を察知して、真ではなくすみこに対する心づけを、それも健康に配慮した量を与えるという細やかな心遣いに、真の天秤は大きく傾いた。白井の姿を認めた高虎が顔を青くしようが知ったことではない。


「藤堂さん、時間になってしまいますよ。さあ今日は俺の家に帰りましょう、ラフレシュのチョコレートがありますよ、丸福の水羊羹も買ってきました」

「ラフレシュ…いや、きょ…、今日は」

「ドゥアッシェのリンツァートルテも」

「ええ…? じゃあ、ちょっとだけ……?」

「さあさあ急がなくては間に合わない。人の細胞は四週間で生まれ変わるんですよ、あの時から全て新しく生まれ変わったあと三十五分後に一緒にいなくてどうするんですか。あ、海藤さん、明日生菓子を二十個、十一時に用意できますか?」

「毎度ありがとうございます。じゃあな高虎」

「あ、ちょ! 裏切り者…!」


 いつのまにかテーブルの上に置かれていた四百円は高虎のコーヒー代だろう。つむじ風のように幼馴染をひったくっていった男のそつのなさと強引さにかつての修羅場のすさまじさを垣間見た。あんな男と恋愛沙汰は怖い。なんだ四週間で細胞が生まれ変わるって。怖え、と改めて鳥肌をたてながら、真はすでに車に乗せられて姿の見えない幼馴染の為に短く合掌した。




「なんか仕事する気分じゃなくなったな。俺たちも帰りましょうか、すみこさん」


 あとは成形して焼くだけの状態になっている焼き菓子だ。明日の朝やっても間に合うだろう、と真は手早く厨房の片付けをし、ばすけっとに柔らかな餅のようなすみこを流しいれる。すみこはとろとろと肉をゆらしながらバスケットの中に納まった。そのすみこ入りバスケットを自転車の荷台に固定し、真は自転車で十分の自宅に戻るべく、ペダルを漕ぐ。明日も白井は爽やかだろうし、今度来るときも高遠はきっとすみこの足拭きマットだろう。ああ菓子が作りたいな、と真は思った。

 主を変えられない男に捧げるリンツァートルテ、なんてどうだろう。

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