6.守護天使な吸血鬼 ~ガーディアンなバンパイア~(1)
6.
友達に会うと、夏希はいつも仕事の説明に困る。
さすがに両親は系譜の端とはいえ〝九条〟のことを知っていて、「おまえが止神だったかー」程度で済んだのだが、内容が内容なうえに扱いは極秘だ。
なので、表向きは〝住み込みで九条家の看護師手伝いをしている〟と言っていた。九条グループは製薬会社を傘下にもち、医療分野の研究を広く手がけているのだ。
ところが。
「ねえ君、九条凪人に軟禁されてるって本当?」
久々に顔を出した合コンの席で、そう耳元で訊いてきたのは法連聰介。雑誌社に勤めるという爽やかな雰囲気の年上の男である。もちろん初対面。
夏希は噴き出しそうになったウーロン茶をこらえ、思いきり気管に入れてむせた。
「ごふっ……ち、違います! だ、誰からそんな話を」
「守秘義務があるから、ごめんね。あ、愛人っていう情報もあったんだけど」
「ぶっっ」
「でも君、数いる彼の愛人たちとは雰囲気が違うから、それはないと思って」
「愛人も軟禁も、昼メロっぽいことは何ひとつないです」
「君、素直そうだから騙されてるのかもしれないよ。ストックホルム症候群って知ってる?」
「残念ながら、ご期待に添えるような心身の危険にあったことはありません」
きっぱり否定すると、夏希は聰介に背を向け、合コンの間中ウーロン茶をあおり続けた。
だが敵も然る者。合コンを終え、居酒屋を出た夏希の前に彼は再び現われた。
「夏希ちゃん。二次会行かないの?」
「仕事がありますので」
「じゃあ送るよ」
「バスで帰ります」
「バスはもう終わってるし。送るよ。九条なら、歩いても15分だしね」
旧家である九条家は、隠しようがないほど巨大な邸宅だ。神籬市の土地の半分を所有していると、まことしやかに噂される。
歩くこと5分、九条の敷地を示す鳥の子色の土塀が見えてきた。ここからが長い。
夏希は無言で聰介の後をついて歩き、土塀の途切れた一画で足を止めた。そこは九条家の裏門。夏希の仮住まいである、大正の香り漂う洋風の別館への入口だ。
「ここですので。送って下さってありがとうございます」
じゃ、と間を分かつように右手を上げれば、その手首を取られる。
「夏希ちゃん、やめなよ。こんな仕事、君に似合わないよ」
「……かも、しれません。でもそれを判断するのは、わたしでもあなたでもないですから」
「まさか君、騙されてもいいとか言うんじゃないよね? もっと自分を大事に――」
「してますよ。自分なりに考えて、仕事内容は交渉してきたつもりです」
「何人の女性が、九条凪人のせいで泣いたと思う?」
「……知りませんし興味ありません」
「そう? そのわりに動揺してるようだけど。……君も、彼に力を与えてるの?」
「!」
逃げようとする夏希を、聰介が強く引き寄せる。
「君一人で、毎晩気絶するほど衰弱する九条凪人を回復させられると思う? その君は力を与えて、どうして何もしないで平気なのかな?」
「だけどこの仕事はわたしじゃないと……」
「それが騙されてるっていうんだよ!」
ぎりぎりと手首を締めつけられ、夏希は顔を歪めた。
「法連さん、離してください! 仕事に行かないと」
「誰も行かせないよ、あんなやつのところになんか」
「離してください。仕事に理解のない男は最低です……っ!」
「じゃあ聞くけど、あいつの命は君が守る。君のことは――誰が守るの?」
切りつけるナイフに似た問いに、夏希は言い返す声が出ない。代わりに、
「――夏希は、僕が守る」
夜の底から滲むように、甘いテノールが響いた。
夏希の背後の闇から伸びた青白い手が、聰介の腕を掴んで引き剥がす。
夏希は夢でも観ている顔で、後ろをふり返った。黒のロングコート。蒼白の顔立ちに、紺玉の双眸が妖しく輝いている。
「……凪人、さん。まだお仕事中じゃ」
「夏希の声が聞こえたから。怪我はない?」
果物でももぐように男の手を振り捨て、凪人が尋ねる。傍に立っているだけだというのに、深く抱き締められるほどの存在感だ。
凪人は夏希を背に庇うように進み出、鋭い眼差しを一点に突きつけた。夏希もつられて視線を追い、聰介の背後のそれに気付く。
宵闇が一段濃くなった、もわりとした何か。肌が粟立つ違和感をもつそれが、そこに居た。
「この男の邪気に惹かれたか。――聖護院」
夜風が忍び寄るごとく、黒服を纏った長身の男が現われる。
「結界を頼む」
「御意」
「夏希はここを動かないで。君のことは僕が必ず守るから」
「――この子……あんたの何なんだよ?」
気圧されながらも発された聰介の問いに、凪人はふっと微笑を浮かべた。
「さしずめ、空気かな」
「は?」
「夏希がいなければ、僕は生きていけない」
夏希は固く目を閉じた。どんな言葉よりも、その一言が心に沁みた。
何か言いかける凪人に首を伸ばし、顔を近づける。震えながら湿った唇を押し当てると、万感の想いをこめて囁いた。
「行ってらっしゃい、凪人さん」
「……うん。行ってくる」
そうして真っ黒な闇の翼を翻し――誰にも知られることのない戦場へと、凪人は飛び出していった。