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蒼を名に冠す、君を。  作者: 夜月詠
Chapter 4
13/17

サマーレコード・ボウライン Ⅱ

 最後の一筆。最後の一色、鮮やかな絵の具を乗せて、カンヴァスに綴られた世界を鮮やかに完結させる。


「完成──タイトルは『海原、我が家の庭より』」


 描き終わったカンヴァスには、僕の家の庭から見た瀬途の海が鮮やかに描き出されていた。真っ白な入道雲の差す蒼天と、穏やかな波風に浪立つ海原、庭の芝生の蒼緑(あお)。そして、庭から除く新街のビル街。


 街を見下ろす君之宮の小高い立地から見えるのは、海と空と、灰色の街並みだ。

 美しい自然風景に入り混じる、人の営み。自然と人造の入り混じる、その光景。鮮やかな世界を彩る、無数の色彩。


「……午後7時、良い頃合か」


 ほっと一息付く。ポケットから取り出した端末の、その液晶に写る文字列はきっかり午後7時を示していた。

 絵の具に汚れた掌を、石鹸で洗い清める。流水に晒された指先は夏の夜の、茹だるような熱気と暑さが払われて心地良かった。


「悪霊、何処だ!」


「ん、終わったの?」


 悪霊は天井からにゅうっと上下逆しまに姿を現した。

 肩下まで伸びた、繻子の如く艷やかな長髪は重力を無視して天井方向に垂れ下がるという矛盾を呈していた。


「お前、いよいよ幽霊じみた挙動になってきたな」


「いよいよ、じゃなくてきちんとした幽霊なんだけど。ゴースト系美少女桜木葵さんなんだけど」


 ふわりと天井をすり抜けて、同じ目線に降りてくる彼女の姿。

 暮れ始めの黄昏の昏光の中で、蒼と白の夏服は悍ましい程に色鮮やかに浮かんでいた。


「は、自己認識が随分と高いらしい。行くぞ、悪霊」


「ねぇ、そろそろ悪霊呼ばわり止めない? 私には立派な、葵っていう名前があるんだけど」


 玄関扉に手を掛ける。ドアノブをガチャリと回し、その駆動の重さを確かめながら押し開ける。西に沈みゆく陽光の、その黄昏の茜が目に痛い。蒼と紅の入り混じった、紫色の黄昏の空。

 その色彩に、息が溢れた。


「おぉ! 綺麗な黄昏時だねぇ。あ、知ってる? 黄昏時って、(たれ)(かれ)──貴方は誰ですか、って意味なんだよ」


 知っている。当たりが薄暗くて、相対する人間の顔が判別できないが故に、言葉として問い掛けざるを得ない薄明の空。

 昼と夜の移り変わる、魔と人の入り混じる境界線。人間だけで無く、人では無いものも入り混じる時間帯。


 逢魔が時に影ぞ差す。

 薄暗い、薄明の光の中に揺蕩う君は。


「……誰ぞ彼や」


「──ふふ。何度でも、自己紹介するよ。私の名は、桜木(さくらぎ)(あおい)。私は君の友達で、君は私の友達だよ」


 彼女は、優しく微笑んで。ふわりと華麗に一礼した。


「……はぁ……どうでも良い事に裂く無駄(じかん)は無い。行くぞ……桜木」


「うん! ……って、さらっと名前で呼んでくれてた? いや、名前っていうか苗字だけども」


 目を細めて、嬉しそうに笑む彼女の色彩。それは初めて出逢った時の、激情とも呼ぶべき色彩の奔流ではなくて。

 穏やかな、何気無い日々を慈しむ少女の様な、穏やかで優しい、綺麗としか呼べない、感情の発露。


 ソレを、純粋に綺麗だと思う。良いものだと。善いものだと。

 もう、決して届き得ない、遥かな蒼い夢。彼女がふと漏らす、儚げな笑みは、泣きたくなるほど鮮やかだった。


「何処まで行けば良いんだ。祭りとやらは」


「うーん、君之宮からだと結構歩くかな。橘坂の神社のお祭りだし。自転車は多分停められないから、歩くしかない! ってね」


「……チッ」


 軽い絶望が滲む。橘坂の神社は距離自転車であれば然程遠くは感じないないが、徒歩は辛い程度の距離がある。

 と、云うか。あの坂道で、祭りをやるなんて瀬途の人間の足はどうなっているのか。健脚にも程があるだろうに。


「はぁ……」


 溜息と共に、歩を進める。海から吹く潮風のそよぎが心地良く髪を揺らし、シャツの裾から覗く素肌を優しく冷やしてくれる。

 まだまだ暑い、夏の日の黄昏時。足は既に乳酸を溜めて、重くなり始めていた。


「桜木、僕はもう疲れた。帰っちゃ駄目か?」


「駄目に決まってるでしょ?」


 悪霊の無慈悲な一撃(ことば)によって、帰って眠るという悦楽は失われた。

 溢れ出す溜息を押し殺しながら、黙して歩く。次第に荒れる呼吸と、纏わりつく夏の熱気。その現実と相反する様に、気楽そうな笑みを浮かべて空を飛ぶ桜木の姿。

 それに溜息ばかりが溢れだす。


 溜息と共に歩を進めるなか、ふと、一台の車がその駆動を停めた。黒塗りの、見ただけで高級と分かるその車体。その後部座席の窓が一つ、静かに開いて見覚えのある顔を見せた。


「おやァ? これはこれは。先日ぶりかな、錦木君。これから祭りに行くのかな?」


 黒髪に、白のインナーカラーという特徴的な容姿。

 閉じられた様にも見える、細月の如き眼は、やはり閉じられたまま此方を向いていた。空虚さと異質さを纏う、何一つおかしな所が無いのに違和感のみを憶えるという異常性。

 そんな彼の、端正な顔立ちが下げられた硝子の向こう側に覗いていた。


「立夏様。突然車を停めて声を掛けるのは完全に不審者のムーブですよ。通報されたら、私この仕事辞めますね。今までありがとう御座いました」


「ねェ、縁君。もうちょっと雇い主に気を遣ってくれたりしない?」


「所詮は金の関係なので。……2倍で手を打ちましょう」


「君、よくその態度で交渉に打って出られるね。尊敬しちゃうよ逆に。あ、そうだ……って、待って待って、待ち給えよ錦木君!」


「チッ……」


 漫才じみた遣り取りをする不審者から逃げようとしていたのに、目敏く見咎められてしまった。何故僕はこう云う"異物"にばかり目を付けられるのだろう。


「ねぇ歩くの怠いなら乗せて貰えば? なんかいけそうな雰囲気だよ?」


 彼女の戯言を無視して、安倍立夏の下に戻る。

 溜息混じりに踵を返す。その途中で見えた、車の全貌。余り詳しくは無いが、記憶が正しければその車はリムジンと呼ばれる類の、後部座席の長いソレだった。

 漆黒の、光の悉くを吸い込むような、而して深い艶のある車体に僕の姿が写る。けれど、傍らに居る筈の彼女の姿は写らない。


「これから祭りに行くのかな?」


 眼は伏せられたまま。彼は不気味な、底しれない笑みを浮かべたまま言葉を紡いだ。感情の揺らぎの、何一つ浮かぶ事の無い平坦な声色。


「……そう、ですが」


「おぉ、それなら乗り給え。我が家の名の下に、君を送り届けよう。先日の無礼の謝罪を一つ、追加しようじゃァないか」


 こう云う所が怪しいのだと、彼は思っていないのだろうか。


「……あ、そう云えば。あの西瓜美味しかった? 知り合いが個人的に育てた奴なんだけど」


「……そうですね。大変、美味でした」


「おォ、それは良かった。伝えておくよ。さ、君も乗り給え……縁君」


 いつの間にか車を降りていたスーツ姿の、縁と呼ばれた女性が恭しく車体の扉を開けた。丁寧な──仰々しいとも呼べる、完璧な礼儀作法の下に彼女はぺこりと一礼した。


「どうぞ、錦木様。我が雇い主の気紛れにお付き合いくださいませ。……その分、コレに繋がりますので」


 彼女は親指と人差し指を丸くくっけて、無表情のままに言った。安倍立夏も大概な人物だが、この人も大概、碌でもないと思う。


「わー、リムジンとか始めて乗る〜! え、アレはまさか冷蔵庫……!? すっご、お金持ちすっご」


 ふと傍らに目をやれば、ウキウキで車に乗り込む彼女の姿があった。僕以外の誰の目にも写らない霊体である事を、思う存分に生かして呑気に車体に突っ込んで行っていた。


「……お言葉に、甘えます」


 足を踏み込んだ瞬間に感じる、静謐な冷気。足裏に感じるのは絨毛の、その柔らかさ。

 バタンと扉の閉じる音が聞こえた。気が付けば、いつの間にか車内に縁と呼ばれた彼女の姿があった。一体いつ移動したのか。彼女の立ち居振る舞いは、余りにも自然で意識の端にも止まらなかった。


「さァ、出発だ。行き路は短いが、軽くお喋りでもしようじゃァないか」


 彼が右手をすっと上げると共に、グラスに注がれた葡萄色の液体が差し出された。血の様に深い、赤紫のその揺らぎ。僕の顔が反射する程の濃厚さ。


「安心してくれ給え。私お勧めの、100%葡萄ジュースだ。」


 グッと親指を立て、不気味な気配と存在感のままに彼は薄く笑みを浮かべた。彼の手にもまた、ワインと見紛う程の重厚な紫の葡萄ジュースの注がれたグラスが揺蕩っていた。


「……一つ、余って……?」


 縁と呼ばれた彼女が手にしている銀盆には、もう一つ赤紫の注がれたグラスがあった。車体の走行によって発生する僅かな揺れで、その水面は軽く揺れていた。


「……あァ、失念していた。飲めないよね、その子は。縁君、飲む……って、もう飲んでる……」


「大変美味でございます。ま、ワインにした方が良いと思いますけど。生産者様に伝えておいて下さい、立夏様」


 どくんと響く心臓の音が、凍て付いて縛り付けられた様な悪寒を憶える。どくん、どくん、どくん。煩い程に鳴り響く心臓の鼓動。


「……え、……え? 見えてるの? 本当、に……?」


 彼女は言葉を詰まらせながら、動揺した様に声を紡ぐ。


「……え、私が見えてる事気付いてなかったの? 私の名前でなんか、察したりしてない?」


 名前……安倍立夏と云う名前の何処に訝しむ要素があるのだろう。いや、そんな事よりも。見えているだと? 彼に、死んだ彼女の姿が。僕以外の、何にも写る事の無い彼女の姿が。


「安倍だよ? 安倍。安倍と言ったらあの安倍だよ。日本人なら大体知ってる超有名人」


「阿倍仲麻呂?」


 桜木は間抜けな声色を出した。安倍とくれば、最も有名な人物は阿倍仲麻呂だろう。唐の皇帝に重用され、日本に終ぞ帰る事の出来なかった遣唐使。歴史の教科書に然と名前の乗った、有名人である。


「惜しいねェ。すっごい惜しい。いや、ご先祖様ではあるけど……そっちじゃなくて……?」


「……それ以外に有名な安倍さんって居るかな。沙也君はどう思う?」


「阿倍仲麻呂で惜しいとくれば、分かりやすい。安倍晴明だ」


 確か、阿倍仲麻呂の子である満月丸が阿倍仲麻呂の祖先となった、という伝説があった筈だ。


「正解。平安一──いや、日本一の大陰陽師、霊狐と人の混血、安倍晴明の子孫! それが私、安倍立夏! そりゃァ見えるよね、そういう()だし」


 陰陽師、陰陽師か。いよいよだ。幽霊が居るんだから、そりゃまぁ本当に力のある陰陽師が居てもおかしく無い。だから異常は嫌なのだ。一つあるだけで、他の異常存在、その悉くが許容されるから。


 乾いた口内を潤す様に。鳴き喚く心臓の鼓動を抑える様に。グラスに揺蕩う赤紫を一口含んだ。

 葡萄畑を幻視させる程の葡萄の甘酸っぱい芳香と、澄んだ甘さが口内に広がった。

 ──けれど、やはり。口内は乾き、心臓は跳ねたままだった。

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