第八話 八日目の仕事・2
「長い長いお話をどうもありがとうございました、雁屋星見さん」
「はい。話を聞いてくれてありがとうございます。博士は話しやすいです」
割と深刻な話をニコニコしながら話して星見はもうちょっと話そうかなと思ったが、だが、十三は言った。
「残念ですけどあなたにデジタナ実験をさせることはちょっとできませんねぇ」
「えっ」
特に言いづらそうな様子は微塵もなく、十三に自分の夢プロジェクトを否定され、星見はちょっと動揺した。
「えっ。えっ。どういうことですか」
「あなたの場合、必要なものはここの実験よりも建設的な治療だと思いますよ」
「でもだって、夢で、明晰夢で健常の状態に回復する夢を見ることで現実に反映されたらいいなと思ってるんです。今のぼく、やっぱり精神の障害者で生きづらいし働きづらいしもっとうまくというかより良く生活できるようになれたらって」
「雁屋さん」
「はい」
「あなたは単純に病気なんですよ——元々の病気がある一方で、主治医の先生が思考障害とおっしゃっているんでしょう」
「そうです。思考障害で、考えがぐるぐるしちゃって、そこから次に進めないって。健常の人はそんなに思考がコロコロ変わるのかなってぼくちょっと不思議で、看護師さんなんかは好きな芸能人の話をぐるぐるとしたいときはそのつもりで友達と話しているなんて言っててじゃあぼくやっぱり思考障害なんだなって」
「軽度の双極性障害でしたね。今って鬱状態なんじゃないですかね」
「おっしゃる通りだと思います。今は喋るタイプの鬱っていうか。あ、でもすごーい鬱病状態とかじゃなくて、それも軽度の鬱状態というか鬱状態的というか鬱的状態というか、とにかく鬱な気分で感情? っていう感じで、躁状態のときも散財したりとかそういうことじゃなくて普通にハイテンションで元気みたいな」
「雁屋さん」
「はい」
そして十三は一気に言った。
「あなたの人生がどうなろうがそこは別にどうでもいいんですけどね、私の研究実験であなたの病状が悪化することは避けなければならないのでね」
「え」
「コーヒーを淹れましょうか。オレンジペコもありますけど」
「あ、じゃオレンジペコで」
「少々お待ちを」
と、十三は椅子から立ち上がりオレンジペコを淹れ始めた。
その間、星見はどういうことだろうと思考がぐるぐると回り続けていた。ここの実験で明晰夢を体験して健常者になった自分の夢を見ることで自分の現実の日常生活に反映されることで毎日が豊かに穏やかになることを夢見ていたというのにこの博士はそれを否定している。どうして。どうして。
「どうぞ」
「あ。どうも」
と、カップを渡され星見はオレンジペコをちびちびと飲む。
「クッキーでも食べます?」
「大丈夫です」
「そうですか」
そしてこの場はしばらく沈黙が走る。
やがて十三は口を開いた。
「雁屋さん」
「はい」
「このデジタナは、深層心理の真の願いが前意識に現れます」
「はい。だから」
「あなたの精神疾患の場合、根が深そうなので」
「深いと思います」
「あなたは恋人がいないから足りないのかなとか小説家になる夢が叶ってないから足りないのかなとおっしゃってますが」
「もしかしたらそうなんではないかなと」
「仮にその二つが叶ったとして、それがあなたの望みなのかどうか」
「望みっちゃ望みだと思いますよ。誰だって彼女ぐらい欲しいだろうし夢だって叶えば普通に嬉しいでしょ」
「差別するなと怒るかもしれませんが、あなたは今現在、精神の病気という特別な状態にあります」
キッパリと言われ、星見はちょっと怯んだ。
「そういう言い方をすれば確かに特別だと思います」
「あなたの真の望みは?」
と訊ねられ、もちろん星見はこのように答えた。
「もちろん、生活が普通に送れるようになることです」
「でも、少なくとも今の特別な状態ではそれは叶わない」
「夢見られたらいいなって」
「夢を見たそのあとはまた夢の叶わない現実世界が続いていきます」
「それはまあそうでしょうね」
「あなたはそれに耐えられますか」
「きっかけになったらいいなぁと思ってるんです」
「きっかけが病状悪化や自殺企図のきっかけになったら“私が”困るんです」
そう言われ、星見は、え、と目を剥いた。
十三はコーヒーに口をつける。
「あなたが自殺してしまうんだとしてそれはあなたの勝手なんでしょうけど、でも自殺は精神的に病んでいるからですよ。だから治療する必要のあることで……要するに私が言いたいのは、その病気を——この実験が悪化させる危険性があるんですよ」
「……」
「だから、あなたには実験をお受けしていただくことはできません」
……はっきりとそう説明され、星見は戸惑いながら黙りこくってしまった。
「……」
「……」
しばし二人で沈黙の空間にいる。
少しの時が経ち、やがて星見はため息をついた。
「そう言われちゃうと」
「この実験の後、あなたの病気が悪化してしまったら私が大変なのでね」
「大変ですか」
「罪に問われることはなくともいずれにせよ私が背中を押した結果になりますから」
「……まあ、そうですね」
「雁屋星見さん」
「はい」
十三は真剣な瞳で言った。
「あなたは、せっかく信頼の置ける主治医の診察を定期的に受けられて、服薬をきちんと守ることができて、自分なりに日常生活の改善もできているようです。でも思考障害がある。それでぐるぐるして、それで結果的に仕事も休みがちになるのでしょう。反省と罪悪感と自己嫌悪で」
「そうだろうなーと思います」
「もしここでデジタナの実験がどうしてもしたいとおっしゃるのであれば、主治医の先生に相談してきてからにしていただけますか」
パッと星見は笑顔になった。
「そしたら実験させてもらえます?」
「主治医の先生のOKが出たらね」
「じゃ、出してもらいます」
「でもきっと、そんなどうなるかわからない実験なんかより今の安定した生活の維持向上を図れと言われるんじゃないかと思いますよ。——世界の創造はひと段落しているようだから」
「え、ぼく、安定なんて——」
「いやだって、あなた、客観的には満たされてるって思えるんでしょ」
「主観的にもそう思ってるけど気分がどうしても優れなくて」
「仕事に行けた日は?」
「それはまあ、バッチリですよ。軽躁状態なのか普通の状態だからなのかわかんないですけど」
「じゃ、それでいいじゃないですか。で、どうしても具合の悪いときは素直に寝てる、休む」
と言われると——それはそうだとは思うのだが。何よりそれは主治医にいつも言われていることだ。
「でも、画期的な、治療的な感じで」
「主治医の先生としては、“一か八か”なんて治療は絶対に実行しませんよ」
それは……そうだとは思う。
すると、十三は柔和な笑みをたたえながら言った。
「例えば、他の国のことは全くわかりませんけど、少なくとも日本の精神科医療を扱った漫画やドラマなんかを何となく見てると、あーこの精神科医とかカウンセラーの主人公たちって逆療法とか暴露療法とかが大好きなんだなーっていうのは割とよく思って、それはとても良くないよなー、と私は常々思っています。私も少々なんですけれど精神医学を齧っているのでね」
「何となくわかります」
「実際の精神科医療は、もっと地道に気長に、地味にやっていくものです」
「その通りです」
「あなたもそうなっている。だから寛解」
「はい。そうなのです」
「はい」
沈黙が走った。
「いやでも、ぼく、その」
「どうしても差別的な言い方になってしまうんですが——」と、十三は説明を始めた。「このデジタナは、最終的には精神疾患の患者さんでも誰でも、万人が利用できるようにプロジェクトを進めています。例えば、どんな危険思想を持った人物であれ万が一のことは絶対に発動しない安心・安全・安定のシステム——だからそれで、私は動物が本来好きなのですけど、非人道的だと思いつつそれは現在同時進行中のマウスによる動物実験により最初の段階が達成されるでしょう。そして、今はまだ次の領域には突入していません」
「……」
「“夢”は無限の可能性そのものです。だからコントロールが絶対です」
なかなかファンタジーでドリーミンでリアル、と星見は思った。
「はあ」
「周辺環境の情報とのアクセスによる深層心理の真の願いの選択的なプログラム構成がどこまでダイレクトに行われるかどうか、少なくとも実験段階の今この場では保証ができません。したがってあなたに実験をさせることはできない、というわけです」
「……」
「夢が叶ってそれで人生がハッピー“エンド”になることはない。死ぬまで日々は続いていく……その過程では、それはもう色々なことがあるのです。たとえあなたの病気が完治してもね」
……そう言われれば……。
……諦めるしかなさそうだな、と、星見は思った。
「わかりましたー……残念ですけど」
「こちらもせっかくお越しいただいたのに申し訳ないです」
「いえ、悪化しちゃう可能性があるかもなんて言ったら、それは嫌だし、博士のせいになっちゃうのも、死ぬに死にきれないし」
「死んじゃえば関係ないですけどね」
「それはそうですけども。でもあの、はい、わかりました」
と、星見はオレンジペコを飲む。
「帰ります」
「謝礼金が出せなくて申し訳ないのですが」
「いえいえ。今後の道筋自体が改めて見えたので良かったんだと思うことにしますぅ」
「そう言っていただけると助かりますよ」
「それじゃぼく、これで」と、星見は立ち上がり頭をぺこりと下げた。「お忙しい中どうもありがとうございました」
「いえ。こちらこそわざわざありがとうございます」
「はいはい」
「だから——」
と、十三が何かを言いかけたので星見は、ん? と首を傾げた。
すると十三は言った。
「いつかデジタナの技術があなたのような人たちにも届くように、私も日々頑張ろうと思います」
そう言われて、星見は、ふふっと、笑った。
「ありがとうございますぅ」
「そしたら、そのとき」
「はい」
十三は柔和な笑みで笑顔の星見に言った。
……本当にそうなったらいいな、と思いながら、
「またいつかどこかでお会いしましょう」
——と。




