第七話 人生が二度あれど・2
ふと気づくと、小鳥のそばには彼がいた。
彼が穏やかな微笑みで、どうやら眠っていたのであろう小鳥に微笑みかける。
小鳥は笑った。思えば五年ぶりの小鳥の笑顔だった。
「ああ。あなた」
「小鳥ちゃん。会いたかったよ」
低くて、でもよく通る声。彼の声。
彼の声がまた聞けるなんて、と、小鳥は感動しきりだった。
「会いたかった。会いたかったの」
「ありがとう。小鳥ちゃんのことが大好きだよ」
「本当に、私も——あなたが、好きよ」
そして二人はキスをする。夢とは思えない生々しさとリアリティ。
——でも。
何かが、違う。
「小鳥ちゃん?」
十九歳の頃、いつもキスをしていた。彼はキスが好きだった。彼のキスはぎこちなかったけど、でも幸せだった。そんな不思議なキスだった。
でも、今のこの彼のキスは、何だか——上手だった。
「ううん。何でもないよ」
そう言って小鳥はにっこり笑う。
きっと自分の中の彼のイメージが相当美化された結果なのだろうと何となく思う。
再びキスをする。ちょっとだけ違和感があるけれど、ちょっとだけだ。
「小鳥ちゃんと一緒にいられて、おれ、すげー幸せ」
いつもの“ニコニコ”で、笑いかける。
小鳥は蕩けそうだった。ちょっとおかしくなりそうなぐらい幸せだった。
今、二人は、何もない部屋のソファの上にいる。このソファはいつも二人で座っていたソファ。その割には部屋の中に他に何もないのがちょっと不思議だったが、小鳥にとってはこのソファで二人で並ぶことが幸せだった。おそらく原因はそれだろうと思った。
とにかく小鳥は今、愛するあの人と、一緒にいる。夢とは言え、再び会うことが叶った。あの科学者は何やら心配そうに自分に語りかけていたが、何も心配することはない。何の不安もない幸福な瞬間がいつまでも続いていた。このままずっと二人でいられたらいいと思う。時間が止まってしまえばいいのにと思う。今や——小鳥の夢の中なのだから当然なのだが——世界は二人のためのものだった。小鳥は幸福感に酔いしれていた。
「あなた」
「なに?」
「寂しかった。あなたに会えなくて、私……毎日、寂しかった」
「おれも寂しかったよ。小鳥ちゃんがいないなんて、何でなんだろうって、いつも不思議だった」
「私もそうだった。私も不思議だった。どうしてあなたがいないんだろうって」
「でも、会えた」
「そうだね。私、あなたが、好き——」
二人は手を繋ぐ。
……。
……この人の手は、こんなに暖かかっただろうか。
彼の手は冷たかった。冷え性だったから。彼はそれを気にしていて、小鳥に触れることにちょっと躊躇いがあった。でも小鳥は、手が冷たい人は心が暖かいんだよ、と言っていた。彼の冷たい手に頬を撫でられるのは、最初はちょっと嫌だけれどすぐにもっと触ってほしいと思うようになる不思議な手だった。
……この彼の手は、冷たくない。暖かい。私の体温と同じぐらいの暖かさ。
彼の手じゃない。
「小鳥ちゃん?」
「ううん。何でもない。ね、もっと手、繋いで——」
すると彼は、
「うん!」
と、びっくりするような笑顔で頷いた。
ぎこちないキスと、冷たい手、それが彼だった。
この彼はそのどちらでもない。でも……間違いなく彼だった。夢だから間違いかもしれないけれど、この生々しさこそが正しさだと小鳥には思えてならなかった。
「頭を撫でて」
「甘えん坊だな」
はは、と、彼は笑った。
小鳥は彼に頭を撫でられるのが好きだった。元々頭を撫でられるのは嫌いだった。それはまるで子ども扱いされているかのようでどうしても好きになれなかった。でも頭を撫でるのが好きな彼に撫でられるのは好きだった。小鳥の頭を撫でていいのは彼だけだった。
——彼だけ。
「小鳥ちゃん?」
彼の右手が頭に伸びてきて、ふと小鳥は、固まってしまった。
「どうしたの」
この彼が問う。
「ううん。何でもない」
「変わった子だ」
そう笑いかけて、彼は自分の頭を撫でる。
……何かが違う。
彼の撫で方じゃない。
どうして。
キスも手も、撫で方も、彼じゃない。
どうしてだろう。
どうしてなんだろう。
「おかしな子だな」
それでも彼は彼だった。彼の顔、彼の声。彼が今自分の隣に、そばにいる。
これが夢とは思えなかった。これこそが現実だと思った。こっちの世界こそが自分のいるべき世界だと小鳥には思えてならなかった。
夢だから、多少、彼とは違うところがあるのかもしれない、と、小鳥は思うことにした。そもそも亡くなってから五年も経っているのだからキスも上手になっているのかもしれないし、冷え性も改善されたのかもしれない。
それこそ、夢だから、美化されている——。
でも。私のあなたは。
「小鳥ちゃん」
「なぁに?」
「ちょっとお出かけでもしてみようか」
彼はお出かけが好きだった。いつも色々なところに自分を誘ってくれて、そして最後は、自分の家の近くの河川敷のベンチで長々とお喋りをするのが、いつもの自分たちのデートコースだった。
「いいね。行きましょ」
「うん、行こう!」
やがて二人はソファを立ち上がる。
小鳥はどこに行こうかな、彼を楽しませたいな、と思って、だから、どこに行こうかとちょっと悩んだ。
「どこに行こうか」
「いつものハンバーガー屋さんに」
「おっけー」
と、小鳥たちは、いつものハンバーガーショップの中に移動する。
二人で笑い合いながら他愛もないことを話しながら、ハンバーガーを齧る。それがいつもの習慣だった。それがいつまでも続けばいいと思っていたのに。
彼は死んでしまった。
自分を置いて。
「小鳥ちゃん?」
レジの前に並んで、彼は怪訝そうな顔で小鳥を見る。
小鳥は答える。
「ううん。何でもない。幸せだなって」
そして彼はニコニコと笑う。
「おれも、すごーい、幸せだよ」
そう、今、自分は、自分たちは——幸せなのだ。
それでよかった。
そう思おう、と、小鳥は思った。




