いらっしゃいませ
セミの1週間が終わった頃、バイト三昧な私は牛丼屋で働いていた。夜勤の中で比較的大変でなさそうなものを選んだ。
その考えは当たっていた。
最初こそ大変であったものの、次第に慣れてきた私は何でもある程度こなせるようになっていた。
夜勤では2人で入るのだが、基本的には私は厨房の中にいる。
牛丼を作り、配膳、提供、レジ打ち、仕込み、棚卸し等も対応する。
そんな夜勤も勿論忙しい時間はある。午後10時から十二時の間だ。
このチェーンの牛丼屋は繁華街の隣に位置しており、人通りが多い場所にある。飲み屋帰りの人や、ギャバクラやホストなどの風俗帰りの人もたくさん来る。
私はよくこれらの人たちに絡まれやすい体質のようで何度も話しかけられるのでほとんど厨房にいることがある。が、忙しい時間はそうも言っていられず提供までこなすのだ。絡まれやすいのは何も美人だからというわけではなく、私は別に普通というか、少しのっぺりとした顔だとおもう。化粧をしやすい顔でもあるが、よくお客様に言われるのは愛嬌がある。ということらしいのだ。
そんな人たちに絡まれるおかげで、あしらい方を学ぶことになり、変に絡まれても気にせず返せるようになった。
そんな時間は丁度お店が11 時前後に終わっていくのでその時間帯が大変忙しいのだ。
しかし、慣れた私はだいたい一緒になる同じ従業員
のフンさんとともにテキパキと提供、配膳、片付けとレジ打ちとこなしていく。忙しい時間はあっという間に過ぎ、午前1時を回ると先程までの忙しさとは裏腹に静まり返るのだ。
それをフンさんとゴールデンタイムと名付けている。
十二時代の最後のお客様の会計をフンさんが取った頃、私はお客様にお礼を述べながら御椀の乗ったトレイを下げて洗い物を全て終わらす。
するとニコニコ顔のフンさんが厨房に戻ってきた。
フンさんはベトナムの方で2歳年上の男性だ。
「アキチャン。ゴールデンタイムデスネ。キュケハイリマスカ?」
キュケとは休憩のことだ。
「そうですね。先にフンさんから休憩入ってください。私在庫確認しときますんで」
オーケーと一言言ってフンさんは休憩できる四階の事務所兼倉庫に向かっていった。
既に仕込みはフンさんとともに協力して終わらせており、残りはもうすぐくる業者さんの食材をしまっていく作業がある。
そして丁度厨房の裏口からのノック音が聞こえた。
ガチャリと開けると、ドアの前に中年の無精髭のおっちゃんが立っていた。
帽子をつかみながらチワッスとあいさつを交わしてくれる。こちらもあいさつを交わし、荷物を運んでくれてる間ドアを開けておく。ドアを止めておけなくなっているため人力で止めるしかないのだ。
「ありがとね。秋ちゃん今日は楽そうやね。はい。伝票。」
汗を拭いながら伝票を渡される。そこにサインを書いて返した。
「今日"も"ですけどね。ありがとうございまーす。」
おっちゃんは軽く会釈して去っていった。
入った荷物を冷蔵庫内で日付の若いものを奥の方にしまっていき、それも午後2時には終了した。
さて、このゴールデンタイムは本当に人が来ない。
今も十二時のお客様を最後に誰も店内に立ち入っていないのだ。素晴らしい時間であり、この時間は人によっては暇な時間ともいえる。
何故ならやることを全て終わらせているのでお客様が来ないとただボーとしているだけになるからだ。
しかし、私にはやることがある。
なにもないこの時間、監視カメラがとらえていない場所があることを従業員なら知っている。私も熟知している。冷蔵庫の裏手にあるすき間。この場所であれば自由にできるのだ。
私はこっそりと持ってきていた台本を手に取り練習する。
私はバイト三昧の生活で昼間と夜にバイトを掛け持ちしているのは将来有名な俳優になるためであった。
今は小さい劇団にお世話になりながらその伝手で入った芸能プロダクションにてドラマのエキストラをいいききしている。そのため多忙ではあるが台本を読む時間が限られてくる。近々舞台の主役に抜擢され、台本を必死になって覚えているところだ。
裏に行って台本をまじまじと読み上げる。
「あ……あれは…尾形の生首……こんな所にあるはずが……まさか、呪いだと言うの………」
主人公お妙は室町時代のただの農民の娘であったが、父と母を尾形という山賊に惨殺されてから復讐を誓い、やっとの思いで殺すことに成功するのだが、尾形の生首が晒し台から遠くの町まで追っかけてきたのだ。という場面のセリフであるが、時間も時間なので想像することは極力控えておこう。
あまり怖い話は得意ではなく、しかし、今回の舞台では呪いや幽霊などが登場するためやらなくてはならない。
はぁ…とため息をついていると、ピンポンパンポンピンポンと来店を知らせる音がなる。
慌てて台本をおき、厨房からは聞こえにくいので大きな声で「いらっしゃませー!!」と半ば叫びながら出ていった。
すると、店内を見渡しても誰もおらず、自動ドアが開閉しているだけであった。
…自動ドアの前を誰か通ったのかな?と想像しながらも何故か不気味な事を考える。
幽霊とか………ないない。
私は霊感というのは全く無く、もちろんだが幽霊は見たことない。
気の所為だろうということで一度厨房に戻り、お肉がないと提供できないため一応追加して煮込み始める。ずっと見ている必要もないため鍋の中で肉をほぐしてからそのまま放置する。ちらりと外を眺めるが人っ子一人いやしないのでもう一度冷蔵庫裏に戻った。
ピンポンパンポンピンポン
また鳴った。
今度こそお客様かもと、ある程度の声量で「いらっしゃいませ」と言いながら厨房を出る。
「えぇ………」
まただった。
また誰もいない。自動ドアが開閉している。
センサーが反応してなっているはずなので誰かが通ったのは確かであろうが誰もいない。
少し背筋がゾクッとする。
うっうぅっ、ううぅ
突然だった。
店内からどこからともなくうめき声が聞こえだしたのだ。
そのうめき声は何度も何度も聞こえてくる。
私に霊感があったことに驚きと喜びを感じつつも実際目の当たりにすると嫌でしかない現象に後ずさる。
うゔゔ、ぅっうっ!うっ!
うめき声は激しくなっており何か怒っているのでは?と不安に駆られる。霊に恨まれることなど覚えがない。不安と恐怖を消すためにどうしたらいいかと意味もなく肉を混ぜる手を早くする。
怖い………
トンっ
肩を何者かに掴まれた。
「いぎゃあ!!!!」
心底震え上がった叫び声をあげ振り向いた先には眠気眼でこちらを笑っているフンさんが立っていた。
「キュケイタダキマシタ。アキチャ、イッテキマスカ?」
「フンさん!よかった!戻ってきてくれて!」
フンさんの日本語が今は癒しであった。
「ドウシマシタカ?ナニカアタ?」
「それが…………」
今もなお聞こえてくるうめき声をフンさんに訴えるとまさかのフンさんも聞こえると言うことが分かった。そして、フンさんは音の原因を分かったらしい。
「え、わかったんですか?どんな幽霊?」
「……アァ、エトネ。ニポンゴムズカシイ。トリアエズキケンダカラワタシニマカサテクダサイ。オネガイシマス」
にっこり笑顔で答えてくれたフンさんの頼もしさに絶大な感謝と敬意を持ちながら霊と関わりたくない私はお言葉に甘えてすぐさま四階へ避難した。
休憩が終わり戻ると、フンさんがお客様と普通に対応していた。
まるで何もなかったかのような振る舞いに心配になりながら尋ねると答えは私の想像とは随分違った結末であった。
私が休憩に上がった後、フンさんは迷わずトイレに向かったらしい。そして、強くノックするとうめき声は病んだらしい。
そして何度も叩き出てこいと言うと中からなんと、男が2人ぶっ飛んだ目をしながら出てきたらしい。
そのトイレは便座が一つしかないので一人用の個室トイレなのだが、男が二人入って何してたかはあまり深入りしなかった。
事情を聞いたところ相当酔っ払っていたらしくどうやら店内に入りすぐさま無言でトイレに駆け込んだらしい。
恐ろしい速さだ。
「フンさんありがとう御座いました。とても助かりました。」
「オー、ゼンゼンカマイマセン。ワタシモケイケンアルカラスグワカッタ。」
「えっ、こんな事他にもあったんだ…大変ですね。」
「イツモトテモタカブッタラカケコム」
こんな事何度もあるんだと可哀想に思いつつも幽霊でなかったことに安堵した。
「あれ…2回入店音が鳴ってたのはなんでだったんだろ」
不思議を残しつつも色々怖いのであまり考えないように仕事に精をだした。
そして、アキチャンこと華城秋の舞台は成功を収めた。
また真夜中のゴールデンタイムがやってくる。
ピンポンパンポンピンポン
「いらっしゃいませー!」
声が店内に響いた。