魔王と勇者の最後の戦い
「勇者よ、最期に言い遺したことはあるか」
「最初で最期の言葉がそれでいいのか魔王」
至る所が欠けた鎧とともに煤と緋色に染め上げた外套を靡かせ、勇者は微笑みを零す。
「俺は負けないさ、決して負けない。何があろうとも」
黒々と全身が焼け焦げたような姿をし、今尚其の一部が剥がれてゆく魔王は呼応する。
「無論、私もだ」
黄金色の神々しさを失った破片さながらである大剣を握り締めて、勇者は徐に天を仰ぐ。
「此処まで長かった。ほんっとうに……」
揺らぐ瞳に大きく震わす拳が左の耳飾りを靡かせて、それはやがて全身へと伝播する。
虚な眼に僅かな輝きを灯した魔王は掌を地に向けながら、視線を素早く眼下に向ける。
「私には、眠りにつくよりも一瞬であった」
右耳の黒き円形たる耳輪を戦がせ、小刻みに震わせる指先の振動が次第に薄れてゆく。
「たった独りのお前を殺すごときに、一体、どれだけの駒が死んだか解るか?」
大きく一歩を踏み出した勇者の燦々とした灯火は、鋭い金属音を走らせ、地に堕ちる。
太陽を成す姿を踏み躙って、更に前へと。
「この世界に積み上げた屍の数だけならば、貴様は私を優に超えるだろう」
玉座から大地に繋がれし自らにのさばる樹枝を引き千切って、蹌踉けつつ立ち上がる。
「魔族と獣族は蛆の様に湧いているからな」
忽然と紫紺たる光芒を発し、剣を生み出す。
「剣を振るわなければ、人族に明日はない」
「先代の勇者も同じことを宣っていたな」
「ハッ。あるいは、生まれ変わりかもしれないな。地表の大半を占めても尚、世界を貪る貴様らに天から誅罰を下す使者として……」
「この世に生命が誕生し得る限り、大地は等しく踏み鳴らす生者の賜り物であると知れ」
「踏み荒らすの間違いだろうがァ……ッッ‼︎」
次第に縮みゆく両者の生む距離が、散らす火花を俄かに燃ゆる火種へと変えていった。
「故に、我が身は此処に」
「貴様の同胞が、俺たちの大半を葬ったっ‼︎」
「他者の意思を、希望を、押さえつけることなど、一介の者に為せることではない!」
息遣いが当たる程、眼前に迫った双方は、禽獣違わぬ双眸とともに鬼気迫る形相を浮かべ、握り締める剣を今正に振り下さんとする。
「最早、戦える者は誰一人残っていない!」
「ならば、此処で全てを終わりにしようか」
まるで耄碌した老爺のような剣技を見せる魔王に、血走った眼差しは更に加速させた。
互いの刃が綺麗に重なる時、一縷の眩く紅い火花が迸り、耳を劈く金属音が鳴り響く。
そして、競り合う間も譲らず、仰け反った。
筋骨隆々な体躯の現役に対し、骨と皮ばかりの老骨に鞭を打たせった結果、当然ながら時代錯誤をもろに打ちのめされ、数十メートルという衝撃で壁一直線に激しく吹っ飛ぶ。
無様に玉座に叩きつけられ、血反吐を零す。
「なんだ貴様は……っ‼︎」
「わっ、私に……為せるのは、この地に豊壌の恵みを施すだけだ」
「ッッ‼︎ ほざけぇっ!」
下唇を噛み締め、頬を引き攣りながらも正義の象徴を今一度、問う姿で悠然と闊歩する。
「それでも貴様はっ、魔王か!」
滾っていた憤りを露わにし、むざむざと地に突っ伏すままの魔王へ歩みを進めていく。
「自らを魔王と宣った憶えはないな」
「生き様が表した。お前の部下が、崇拝者がな」
ぐらぐらと揺らぐ両腕を大地に突き、歯を食いしばりながら、立ち上がらんとする――その様を侮蔑を含んだ眼差しで見下ろした。
「最期に言い遺した言葉はあるか?」
先程までの狂気を孕んだ面構えは跡形もなく消え去り、泰然と悠然と平然と刃を振り翳す。
「私は……ッッ! 今、この世に残された残りの民に償わなければならない」
「この期に及んで命乞いか? 烏滸がましい」
「貴様もだ!」
「もう誰一人として残っていないと言っただろう」
「いいや、違う。生命は産声を上げている。まだ世界の広さも知らぬ無垢な子供たちがだ。もう争いも……理不尽な死のない地に!」
「戯言甚だしい。精々地獄で省みるといい」
「堕ちるのは私だけではない。数多の血肉を吸い上げ、膨大な魔力を貪る貴様もだッ!」
「天地が覆らないように、俺の勝機は決して揺るぎないものだ……」
「ならば、ひっくり返そうか」
ふわりと身を浮かす両者。
天が地に、地が天へ、くるりと裏返る。
役者は心情を顔で吐露するように目を見開きながらも、大剣を円を描いて放り投げる。
ぶんぶんと空を裂く、風切り音を立てて、徐に見上げる策士の眼前に迫った。
「……」
黒き眼の一寸先に紫紺なる光芒を発した。
キンッ! と金属音が高らかに響き渡り、顕現した禍々しい紫紺の長剣を握りしめる。
「何度やっても同じことだ」
「あぁ私の弱さなど、私が疾うに知っている」
長剣は雲散霧消した。
勇者が天井に落ちる間際に三度、忽然と紫紺の色濃い光芒。突き立てられた長剣が、勇者を串刺しにするように鎧ごと丹田を穿つ。
唾液の混じる血反吐を咽せ返るばかりに吐き捨てて、轟音を響かせて叩きつけられる。
「ぶはぁ!」
「この世に必要なのは、反旗を翻す誉高き勇士でも、世界を統べる王でもない。弱く、柔く、全ての者たちと手を取り合える人々だ」
「魔王ォォッッ!」
緋色の血飛沫とともに怒号を飛ばし、焼き爛れた頬にベッタリと付く。
「世界を救う気高き勇者よ。すまない……」
「ふざっけるなぁ……ッッ‼︎」
大蛇が地を這う、天井の四隅から意志の籠った樹木の蔓が瞬く間に勇者に駆け寄った。
そして、魔王は自らの突き立てた刃に触れる寸前。
灰と化していく。
そよ風に吹かれて消えゆく中、彼に差し伸べた掌だけが原型を止め、徐に頬に添える。
「……ッッ‼︎」
勇者はそっと目を瞑り、固めた拳を解く。
「あぁ、ああ。俺の……負けだ。負けだよ」
勇者はその一言を最期に、無数の蔓に呑み込まれていった。
玉座に静かに坐した鎧を纏いし者。
遍く人々は彼を、彼等を魔王と呼ぶ。
だが、彼に刃を振るう者はもういない。